代償支払い

 ロバも戻り、ようやく元の通りの旅模様に戻ったホークたちは、改めて地図を広げて現状を確認する。

「レイドラの王都シングレイは陥とされた。状況は不明だが、国家としての統率はしばらく取れないと見ていいだろう。急にレイドラ軍に囲まれるような状況は去ったと考えていいだろうが……」

「結局ドラゴンが飛んできたのは、運の悪い偶然だったってことでいいんだよね。これからドラゴンにバッタリ遭う機会が増えるってことではないよね?」

「あれに関してはそうじゃろうな。まあ、魔王が暴れ始めれば魔物は不規則な暴走が多くなるものじゃが」

 政治混乱を懸念するロムガルドの武人、とにかく帰りたいレヴァリアの少女、そして魔王戦役という「祭り」を楽しむ魔族。

 三者三様の視点で地図を囲み、ああだこうだと言い合う。

「ロンデ街道はあらゆる場所に通じる交通の動脈だ。このまままっすぐロンデ街道を通れば、また必ずやレイドラ軍や魔王軍と行き会うことになる。少しルートを外した方がよいかもしれん」

「でも北に行けばレイドラ軍が集結中で、南に寄るとシングレイから魔王軍がちょっかいかけてきてるかもしれなくて……めんどくさいなあ」

「いっそ状況が固まるまで何日かのんびりするのが良いのではないか。どうせ歩き旅じゃ、二、三日ずれたところで大したことではなかろう」

「あまり一つところにぼんやりしていると今度はアスラゲイトの連中が立て直して追って来るやもしれん。今は両軍よりアスラゲイトの方が厄介ではないか」

「いっそ街道逆回りってどうかな。右回りだと北側通るから途中にめんどくさい連中が集中しちゃうけど、左回りでこう……クラトスの方を回っていくと、裏掻けたりしない? 魔王軍も主にレイドラ軍追っかけてるんでしょ?」

「真ん中のシングレイにあえて突っ込んではどうじゃ? 儂は手伝わんが」

 三人が意見を出し合う中、ホークは沈黙を続ける。

 議長として方向性が固まるのを待っている……というわけでは、全くない。

「お、おお……よいぞ、そこじゃ。そこをぐぅっと力を入れて……あふっ♡」

「変な声出してんじゃねえよ。……っていうかおかしいだろこれ」

 ホークはマッサージをさせられていた。

 イレーネとの契約の代償だ。まあそれはいいのだが。


「……なんで昼間っからお天道様の下で躊躇なく素っ裸になってんだこの裸族!」

「魔族じゃ」

 現在、街道脇の、そう隠れたわけでもない草原の真ん中。

 街道を通る旅人がちょっと目をやれば遮るもののないオープンスペースで、女魔族は敷き布に全裸で寝そべっていた。


「按摩をするのに服を着ていてはツボがわからんじゃろツボが。服で手がズレるじゃろ」

「そんな微差が問題になるほどマッサージなんか慣れてねえよ」

「むしろ儂に言わせれば服を着たまま按摩をさせる方がおかしい。必要がない」

「恥という概念が人類にはあるんだ」

「時と場合じゃろうて。乳を見せるのが嫌じゃと言うて子に目隠しをする母がどこにおる」

「それとマッサージは違うんじゃねえかな……」

「違わん違わん。昔はみんなそうじゃった。按摩も水遊びも裸でするものじゃったぞ」

「……ロータス、本当か」

 ロータスに確認する。

 ロータスは遠い目をした。

「確かに昔はそれが普通だったな。……もっと言えば、汗をかく仕事は基本裸でやるものという時代もあった」

「いやそれは男の話だろ」

「人間族はそうだが、種族によっては女の方が膂力に優れるものもある」

「……マジかよ」

 そんなに世間が裸で溢れていた時代があったのだろうか。

 青春真っただ中にありながら未だ女の経験のないホークにとっては、少々刺激が強い。

 いや刺激が強いという意味では、この女魔族の裸の時点でだいぶ困っているのだが。

 メイのような発展途上ではなく、完成された女の肉付き。それも全く勿体つけるそぶりもなく、明るい陽光の下で豊かな乳房も下半身のいくつかの肉穴も、まるで自慢するように見せつけてくる。

 姿かたちは人と何も変わらないのに、肌艶や柔らかさは人外ゆえの質の高さで、それを両の手で揉み込まなくてはならないのはホークにとって別の意味で拷問に等しい。

 いくら本人が挑発的と言っても、手出しするわけにはいかないのだ。

 というか、少なく見積もっても数百歳、多分千歳はくだらない、それも魔剣なしに正面からドラゴンと殺し合うような実力を持つ、何を企んでいるかわからない怪物。

 いくら見目がいいといっても、その色香に惑わされるなんて、先に破滅以外何も見えないではないか。

 かといって、全く手を動かさずにいるのはまた普通に「拷問」なのだ。

 呪印契約の影響で、「代償の支払いをしろ」とイレーネが迫った時点で、ホークはそれを全力で果たさなくてはいけない。拒否や手抜きをすれば、まず腹の底あたりにウゾウゾと気持ちの悪い感触が始まり、全身に悪寒、次いで頭痛、吐き気が襲ってくる。それでも嫌だと拒否し続けると全身に不規則に針で刺すような痛みが始まり、前向きな行動をするとフッと収まる。

 ホークが女魔族の裸体を休まずマッサージしているのは、彼女の体への欲情よりもその苦痛への恐怖の方が大きいのだった。

「呪印の苦痛ってあんなにヤバい感じだったんだな……」

「仮にもあの化け物の如きガルケリウスが、大人しく人間に従うような代物じゃぞ。簡単に抗えると思うな」

「化け物の如きって……お前と同族だろ」

「化け物は化け物じゃろう。あの山羊面に迫られるなど虫唾が走る」

「……同族なのに」

「もうそこはよい。次は腰じゃ、腰。……お、おぉ~……あっ♡ あぁんっ♡」

「わざとらしく変な声出すな!」

「興奮するかの?」

「余計なことに気を取られるとそれだけでちょっと気分が悪くなるんだよ!」

 意外と呪印の判定は厳しい。

 マッサージにかこつけて下心を満たそう……なんていうのもタブーになるようだった。

 最初に腿を揉まされた段階で、少しだけ出来心で尻まで手を滑らせようとしたら内臓を軽くねじるような感覚があって、以降ホークは余計なことができないでいる。

「……むぅ。呪印による強制も良し悪しじゃな。せっかく面白い状況じゃというのに童貞で遊ぶ楽しみが味わえぬ」

「マジやめて本気で」

 ホークはひたすらにこの試練の終わりを願いながら、うららかな午前の草原で、女魔族の白い柔肌を揉み続ける。


「メイ殿の『左回り』というのは良い案かもしれん。角度で言えば大回りだが、元々ピピン国境口とレヴァリア国境はレイドラを挟んで反対に近い。つまり、それほど大した遠回りというわけではない。それに、クラトス側にいるはずの我がロムガルド勇者隊も、健在であれば協調できるかもしれん。もし駄目でもいったんロムガルドに抜ける手もある」

 ロータスは地図上でルートをなぞった。

 ロンデ街道は国内で大きな輪を描き、その中央に王都シングレイがある。そこがホットスポット、つまり今一番危険な場所といえる。

 逆に、ここにいるはずの魔王眷属ラーガス軍がどちらを向いているかというのを考えれば、少数で目立たないホークたちが背後に回ろうと動くのは十分にクレバーな考えといえる。

 もともとラーガスも、勇者ジェイナスの行方を気にはしていても、現状本気で追っていることはないだろう。北に集まるレイドラ残存軍、そしてその背後で虎視眈々と逆襲を狙っているアスラゲイト帝国こそが懸案のはずだ。

 そしてロンデ街道の南端からは、ロムガルド王国にも出られる。

 ロムガルドではロータスの顔が利くだろう。今や危険なレイドラ王国内をウロウロするよりは、状況次第ではロムガルドからその北東ベルマーダ王国、セネス公国などの隣国を経由してレヴァリアまで回り込むルートもありえなくはない。

 ジェイナスたちの死体も腐敗が怖いわけではなくなった。エルフの里で防腐の護符はずっと効力のいいものに取り換えられているし、いざとなればイレーネに修復してもらえば腐る前にも戻せる。安全を期し、大回りになってもいいのだ。

 ……まあ、ホークとしては次から次へと続く危険な綱渡りが一刻も早く終わってほしいのだが。

 ジェイナスたちの死体というだけでも騒ぎになりかねないのに、イレーネという特大の厄がついて回っているのだ。新しい環境に行けば行くほど厄介事が増えていく気がするのは杞憂ではないだろう。

「真っ黒女としては、他の勇者隊の安否も気になるんでしょ」

「否定はしないが、確かめても意味があることではない。レヴァリア行きを遅らせてまで調べることではない」

「そう?」

「クラトス側に回った中には私より強い勇者たちも何人もいたのだ。私一人が加勢してどうなるということでもないし、何より我が姫にとっては一刻も早いジェイナス殿の復活こそが有益だ」

「ふーん……まあ、とにかくレイドラ軍と魔王軍の真ん中を歩いて突っ切るよりはいいよね」

「うむ」

「……というわけでそろそろ動きたいんだけど。いつまでやるの魔族女。あたしも手伝おうか? マッサージ得意だよ」

「なんだか不穏な顔で言われてものう。無駄に痛い目をみせられそうじゃ」

 イレーネはそう言っておもむろに起き上がり、伸びをする。日焼けのない裸体が、中天の日差しに白く光る。

 ホークは不意に体を縛る呪印の拘束の気配が解けるのを感じた。ようやく「支払い」が済んだと判定されたのだ。

「ま、ホークにはまだ『三日間の隷従』というお楽しみも残っておるからの」

「次はお手柔らかに頼むぞ……」

「なあに、隷従なら儂の言うことに従うだけじゃ。たまには役得も味わえるじゃろ」

「別にそれはいいから服を着ろ」

「なんじゃ。もっとじっくりじろじろ鑑賞しても良いのじゃぞ? せっかくガルケリウスから奪い返した己の女の体じゃ」

「いいから。本当にいいから」

 メイがなんか怖い顔で見ているのでやめてほしい。

 別にホークを殴りはしないだろうし、イレーネと喧嘩になっても特に両者が深手を負うようなこともないと思うが、「そういう空気」にされるとホークの居場所がないのだ。

 あと、いつの間にか出てきた嫁だの間男だのややこしい設定を既成事実のように扱わないでほしい、とホークは服を着るイレーネから顔を反らしつつ嘆息した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る