一難去って

「もはや忘れ去られた古式屠龍法。だいぶ昔、人が魔剣を知らなかった頃に、それでも龍を殺すために人が導き出した手順。それはまず、龍の目を抉り取ることに始まる」

 イレーネは暴れまわるドラゴンから距離を取り、ホークを無事に地上に下ろす。

「竜の目は剣で傷をつけても、すぐに再生してしまう。じゃからそんな目つぶしでは少々の嫌がらせにしかならん。しかし、完全に抉り取ってしまえば、脱皮でもせぬ限り再生はできんのじゃ」

「ってことは、これで奴は完全に無力化……」

「今は混乱しておるだけじゃ。やがて音で周囲を探ることを覚える。そうなれば龍を殺すはままならん。次に大規模の雷撃魔術を連打し、耳を殺すのじゃ。龍自身に魔術で傷を与えるのは無理でも、音は消せぬ。……目と耳を完全に奪えば、あとはなんとでもなる」

「……俺たちは別にドラゴン殺しになりたいわけじゃねえ。もうこっちを追えないっていうなら、さっさとトンズラだ」

 ホークは冷静に判断する。

 もちろんホークは魔法なんて使えないし、メイやロータスがその「大規模の魔術」を使えるとも思えない。

 となればイレーネに頼ることになるが、これ以上狩りを作ってまでドラゴンを倒したとして、それが何になるか、というと……まず一番に感謝を示すべきレイドラ王家は、王都が落ちて既に総崩れだろう。この付近の住民が何をくれるかというのも当てにはできない。頼まれてもいないことをしてレヴァリア王家に褒美を期待するのも難しい。

 ドラゴンの体はいろいろな素材の宝庫ともいうが、死体二つ運ぶのも難儀しているホークたちが、ドラゴンを倒してその亡骸を有効に処理できるとも思えない。

 となれば、これ以上の戦いを続けようとするのは無駄だ。

「メイ、ロータス! 終わりだ! とっとと離れるぞ!」

「え、ええっ……大丈夫なの!?」

「目を抉ってきたのか……恐ろしいことを考える。一歩間違えば龍の腹の中だ」

「うまくいったんだからいいだろ」

 ホークは両手に抱えた目玉を草地に放り出す。

「イレーネのアイディアだ。昔はこうやってドラゴンを倒してたんだとさ」

「……すごいことしてたんだね、昔の人」

「ジェイナスやメイぐらいの超人ならできるだろ」

 ホークは疲れ果てた勢いで腰も下ろしてしまう。早く遠くに離れた方がいいのだが、しばらくは動けそうにない。

「いや、昔の人間たちは天才などに期待はしておらんかった。頼みにしたのはただ、数と勇気。……屠龍を成すために、時には数百人という勇士が龍の顔めがけて飛びつこうとして食われ、あるいは届かずに虚しく死んでいったものよ」

「…………」

「龍と戦うため、何十年もの時間をかけて準備をした。赤子の頃から龍を殺すことのみを企図して育てられた戦士が、それでも不手際で次々と命を散らしていった。それだけの犠牲を払っても、勝ちさえすれば報われたと皆で笑った。野蛮で、華麗だった時代よな」

 懐かしそうな顔をするイレーネ。

 ホークは想像する。

 ドラゴンに“盗賊の祝福”なしで挑み、目を抉るという難業。

 “祝福”があったから簡単にできたが、まず顔に取り付いた人間なんてものは、ドラゴンが首を振り回せば簡単に振り落とされる。

 というか、うっかり飛びつこうとして空中でドラゴンの顔に振り当てられれば、それだけで全身骨折、そのまま即死だ。

 そもそも空を飛び、猛然と駆け回る200フィートの巨獣の顔に飛びつく手段なんてホークには思いつきもしない。イレーネが運ばなければホークにも不可能だっただろう。

 ドラゴンを何かの罠で引きずり倒して地上から狙うにしても、あの巨大な口はいつでもブレスを吐ける。運が悪ければ丸焦げ、そうでなくても牙で串刺し。

 それらをかいくぐって顔まで辿り着けても、眼窩に刃を入れて奥の索を切断し、目を抜き取るのは一瞬とはいかない。ドラゴンはまぶたも硬く、それが閉じられてしまえば突き破るのも困難だ。

 そして、それで片方の視界を奪うことができても、もう片方が残っていればドラゴンはゆうに戦い続けられる。

 片目を奪われたドラゴンはもう片方も取ろうとする人間に対し、警戒し、怒り、荒ぶるだろう。それでももう片目も奪いに行くのだ。

「……俺のアレじゃなきゃ、何百回トライしても死ぬ予感しかねぇわ」 

「まさに。……“盗賊の祝福”とはよく言ったものよ。こんなものまでまんまと盗れるとはな」

 イレーネの言葉に、メイとロータスは“祝福”? と不思議そうな顔をする。

 その名を二人には教えていない。いや、ホークが勝手に呼んでいるだけの名なので知らなくてもいいのだが。

 それを何故イレーネが知っているかというと、それが「代償」だったのだ。


       ◇◇◇


「儂が欲しいのは、お前の『瞬間移動』の詳細じゃ。あれは何じゃ」

「……それ、代償になるのか?」

「情報は立派に価値を持つ。魔法の使い方、職人のコツ、商売の秘訣、どれもそうじゃろ」

「……本当に、それを教えればアレをなんとかするのに協力してくれるんだな?」

「それと三日間の隷従じゃな。……洗いざらいじゃ。情報を出し惜しめば呪印によって苦しむことになるぞ」

「OK。乗った」

 どうせ、他人には真似はできない。

 それに、ホークが出し惜しむのは戦役が終わったその後、“祝福”のデメリットが有名になって、盗賊の「仕事」で役立てられなくなることであり、イレーネという浮世離れした存在には、言い触らすアテなどないと思いもする。

「ここで説明すればいいのか」

「うむ」

「……あれは俺が物心ついたころからあるチカラだ。正式名称はわからねえ。他の使い手も知らねえ。だけど俺は“盗賊の祝福”って呼んでる。まさに盗賊になるためにあるような、便利な才能だからな──」


「ふむ。つまり異様に疲れる代わりに、瞬時に『思った通りの行動』を完成させ、『結果』に辿り着く。そういうことでよいのじゃな」

「あと、四半刻に一回しか使えねえ。これが疲労によるモンなのか別の勘定なのかは俺にもよくわからねえが、今できるかできないかは感覚でわかる」

「つまり日に最大で50回近くはやれるのか」

「そんなにやったことねえよ。死ぬほど疲れるんだよ。今まで最大でも7回くらいしかやったことねえ」

 息を止められる時間を競うような、好奇心でやってみた感じの結果ではあるが、それ以上は“祝福”どころか、一歩動く気力も湧かなかった。

「……ふむ。よくわかった。……今言ったことに誇張や謙遜はないな」

「ない」

「……呪印も反応せんな。ならば事実か。……よし、それならば儂も契約を履行しよう。古き時代の、魔剣を使わぬ龍殺しを教えてやる」

「……え、おい、それって役に立つ知識なんだろうな」

「“盗賊の祝福”が真実ならば、お前は龍殺しの勇士に最も適した者と言える。……儂の言う通りにせよ。さすれば龍は、お前の『力』で、戦う能力を失うじゃろう──」


       ◇◇◇


「勿体ないが、龍殺しはお預けじゃな。龍の体の素材は面白いものが多いのじゃが……」

「俺は売るアテもねえからいらねえが、お前が奴に個人的にトドメを刺したいなら止めねえぞ、イレーネ。好きに暴れてくれ」

「儂も根無し草の今となってはのう。ここに庵を立ててしばらくオモチャ作りに精を出すというのも悪くはないが、魔王との戦を眺めるのを諦めるほどではない」

 イレーネが言うと、それを聞いていたようにドラゴンは暴れるのをやめ、唸りながらゆっくりと身を起こし、ひと吠え。

 メイとロータスは耳を押さえてやり過ごす。

 そして、ドラゴンは翼を重そうに羽ばたかせ、空へと少しずつ浮き上がり始める。

「……目も見えないのに飛ぶ気か、あいつ」

「龍は本能で自分の居場所を特定しておる節があってな。どんな場所に連れ去っても、例え目と耳をすべて失っても、己の縄張りにまっすぐ戻ることができる。そこで次の脱皮まで待つのじゃ。あと何年か……あれほどの老龍なら最大で三十年ほど先になるかもしれんが、脱皮をすれば失った目は元に戻る」

「……そんなに動かないでいたら飢え死にしねえか?」

「音だけで動くこともできると言ったじゃろう。荒らす者の少ない静かな環境なら鼻も頼れる。食うには困るまい。奴らは目を失っても自然界の頂点じゃよ」


 ドラゴンは曇天の雲に潜るようにして、やがていなくなった。

「……で、残ったのは兵隊の屍の山と、目玉二個だけか」

 他にも不運な旅人や家畜の死骸、勢いで破壊された旅人相手の茶店など、酸鼻を極める風景は見渡す限りといった感じだが、突然のドラゴンの暴虐に生き残った人々はまばら。そのほとんどはドラゴンから少しでも離れようとしていて、ホークたちの活躍は見ていなかっただろう。

「メイ、ロバ探して連れ戻してきてくれ。あと放り出した荷物も。……ロータスも頼むわ。俺、もうちょいしないと動けそうにない」

「真っ黒女行って来て。ホークさん無防備ならあたしが守らないと」

「メイ殿は過保護だな。……了解した」

「ククク。儂もまさか取って食いはせぬよ。この昼日中に往来では、童貞には刺激が強すぎよう」

「待て。お前メイがいなかったら何をする気だったんだ」

「じゃからそんなことはせんと言っておろうに。儂とて初物に配慮するくらいの」

「だからなんでそういうのいきなり言い始める!」

「ククク。……ほれほれ」

 イレーネがメイを指さすので見ると、あからさまにメイがむくれている。

「マセガキはからかい甲斐がある」

「遊ぶなよ! 怒らせるなよホントに! 俺の本当の味方こいつだけなんだから!」

「む、儂は味方ではないというのか」

「無条件で助けてくれるなら味方に勘定するけどな」

 ホークはメイの頭を撫でて機嫌を取る。イレーネは肩をすくめる。

「タダより高いものはないぞ。安い代償で済ませてやっておるだけ、儂の方がずっと良心的じゃと思うがな」

「やかましい。俺に気に入られてどうする気だ。嫁にでもなりたいのかお前は」

「……その発想はなかったのう。嫁入りか……なるほど。この歳までその経験だけはないのう……」

「何なんだよ本当に!」


 しばらくして、ロータスが逃げ出していたロバたち(それでも死体が重くてそう遠くまでは行っていなかった)を見つけて戻ってきた。

 しかし、その背後に数十人の見慣れないローブの集団を伴い、困惑している。

「ホーク殿。……その、すまぬ」

「今度は何だ。誰だそいつら」

「先ほどのドラゴンを追っていた者だそうだ。……アスラゲイトの魔術師団らしい」

「は……?」

「お初に。我々の不手際でご迷惑をおかけしたようで」

 先頭にいた老齢の男がフードを脱ぐ。

「かのドラゴンは我々の使役術実験から逃げ出したものでありまして。成功すれば魔王軍への有効な攻撃手段となったはずが、途中で暴れ出してしまい、我々の手で取り押さえようと追い続けていたのです」

「……それで?」

「あなたが彼の目玉を奪い取り、無力化したというのが本当であれば、その証を見せていただきたく。それによっては対応が変わりますので」

「……全部そいつのフカシだ。俺たちは命からがら逃げだしただけだ。やったのはコイツだ」

 ホークは咄嗟の判断で全部イレーネに押し付ける。

 今は奥の手が使えない。急にこの怪しい連中が何かしようとしてきたら手も足も出ない。

 何より、不自然な戦果を詮索されたらイレーネ同様にこいつらにも種明かしをしなくてはならなくなる。

「……なんじゃ。目玉が欲しいのか。そういえば生きたまま龍から抜いた目玉は、魔術において値打ちのある物じゃったかの」

 イレーネは特に気を悪くした風でもなくそのまま乗る。この魔族のこういう鷹揚なところは少し好感が持てる。

「……失礼。あなたの名をお伺いしても」

「どうも最近無礼者が多いのう。名を尋ねるなら先に名乗れ。礼儀のない相手に呼ばせる名などない」

 ホークたちをチクリと皮肉りつつもイレーネがそう答えると、男はアスラゲイト式の奇妙に手を動かす礼を取り、名乗る。

「アスラゲイト第四特殊魔術機関長、ドリュークと申します。……見たところ人間とは思えぬ力をお持ちの様子」

「イレーネじゃ。して、目玉が欲しいのか。それとも他の用があるのか」

「イレーネ様。……なるほど、南方ヴェルゾス大森林から先年姿を消した女性魔族の方ですな」

「む。……貴様」

「我々は魔族を疎んじることも軽んじることもありません。納得しただけにございます」

 ドリュークという老人はホークとメイ、そしてロータスを見回し、髭を撫でる。

「しかし、新たな眷属は些か不足の様子」

「何が言いたい」

「我々は魔族を疎んじることも軽んじることもありません」

 老人は繰り返す。


 急に。

 ホークはクラッと来る。何かの魔法だ。

(いきなりかよ……!)

 この老人、何か企んでいるとは思っていた。だから警戒してイレーネにすべて押し付けるつもりでいた。

 しかし、それでも話している間は妙なことはするまいと思ってもいた。いきなりホークたちに対する強硬手段にくるとは。

 目的は何だ。


「我々は、あなたのような方と常に良き関係を築く用意がある。お戯れはここまでにして、我々と共に来て頂きたい。今この時代は、非常時なのです」


 魔導帝国アスラゲイト。

 そこは魔族を駆逐しきったロムガルド王国とは対照的に、魔族との協調と取引によって栄華を築いた軍事大国である。

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