ドラゴン遭遇戦
ドラゴン。
この大陸に生息する不自然な有害生物──多くは誕生に魔法や古代文明が絡んでいるとされる──通称魔物、あるいはモンスターと呼ばれる中でも最大級の肉体と脅威度を誇る、生ける災厄。
その巨体による無類の破壊力に加え、飛行能力やブレスによる攻撃能力、果ては魔法に対する異様なまでの抵抗力まで持ち、死の象徴とすら言われる生物。
本来は人里離れた山地の奥や絶海の孤島などを縄張りとし、卵から生まれて数十年の間、決して強くない我が子を守ることに尽力している。
が、若龍がひとたび巣立ち、独立した縄張りを持つとなると、人里近くに居を構えることもままあり、それを討伐することは戦争規模の大事業となる。
しかし、街道の真ん中に急に現れることはまずない。手に負えないドラゴンの生息地はどの国も禁足地としており、巣立ちをしても隣接した縄張りを設定することの多いドラゴンは、人通りの多い街道近くにいるはずがないのだ。
◇◇◇
「しかも若龍じゃねぇよな……200フィート級ったら、立派なレジェンドモンスターだ」
「ね、ねえ真っ黒女。ドラゴンとやったことってある? その魔剣でどれくらいやれると思う?」
「私単独で龍に勝ったのは一回きりだ。それもこれより上等な魔剣を使って、アレの半分程度の図体の奴に辛勝だった」
「えっと、勝算というか戦力的な疑問に答えてほしいんだけど」
「ドラゴンは二割大きくなるごとに討伐必要戦力が倍になると言われる。つまり……察して欲しい」
「全然無理って感じかぁ……あははは」
メイはドラゴンから目を離せないまま、引きつった笑い声をあげる。
「い、イレーネ。お前ならどうにかなる?」
「アレに儂の力で勝てという話であれば……割と本気でかからねばならん。この一帯を人の踏み入れぬ魔毒の焦土にする覚悟でよいなら、五分の勝負は演じてやろう。お前に貰う代償も安くはないぞ」
「それでも『勝てる』って言わないのが嫌な感じだ」
「あの龍とは初対面じゃからのう。老いぼれ龍は狡猾じゃ。隠し玉の一つや二つあるやもしれん。無責任なことは言えんな」
イレーネは龍に恐れを抱いているわけではなさそうだが、いざ戦うとなると自信のないそぶりを見せている。
ホークたち三人を相手にしても遊び感覚だった女だ。そのレベルは良くも悪くもホークの想像の範囲を超え過ぎている。
弱気なそぶりが本当なのか嘘なのか、ホークには判断がつきかねた。
「……結論としては逃げたい。そのための目くらましの魔法とかないか」
「龍は
「マジかよ」
しばらく前にロータスが言っていた「龍を倒すのは簡単ではない」という意味がようやく実感できてくる。
ホークたちからはまだ1/3マイル程度の距離があるが、なすすべもなく兵士たちが踏み潰し、薙ぎ払い、逃げまどっているのを一歩で追って食い千切るドラゴンは、こちらを見逃してくれるかは微妙なところだ。
「全力でバックすればいけるかな……」
「人の足でどれだけ逃げても、逃げきれたと思うには足らんじゃろ」
「戦えって言うのかよイレーネ。見ての通り、俺たちにそんな力はねえ」
「じゃろうな。じゃが、捕食者というのは待ちはせんぞ」
「お前、どういうつもりだ! 本当は勝てる手段でも隠してんのか!?」
ドラゴンに話は通じない。イレーネ自身でも勝てると言い切れるわけではない。
それなのにホークを試すように問いかける姿が、いやに余裕なのが気になる。
もしかして、それも正解ありきの謎かけか。「戦う」と「逃げる」以外に、いい選択肢があるというのか。
……と思ったが。
「人の足では無理でも、儂一人なら飛んで逃れることは不可能ではない。この身に翼があるのを忘れたかの? 窮鼠はお前たちだけじゃ」
「……魔族め」
一人だけ脱出手段があるのなら、それは余裕でホークの反応を楽しむこともできよう。
「……参考までに、全開で戦ってくれと言った場合の代償の目安は?」
「仮にも魔族に命を張れと言うのじゃ。30年程度の隷従は覚悟してもらおうか」
「…………」
五十まで生きれば爺さんと呼ばれる時代である。人生をよこせと言われるようなものだった。
「ホークさん、もうそいつの相手するのやめよう」
メイはイレーネの答えを聞いて、もはや信用しないことに決めたようだった。とことんホークの保護者気取りだった。
「っていうか、魔族に頼ろうっていうのがきっと間違いだよ。あたしたちだけでやるしかない」
荷物を手放し、ロバたちの手綱を放して、メイは拳を軽く振るって戦闘準備完了。
ロータスも「ロアブレイド」を取って鞘代わりの巻き布を振るい捨て、覚悟を決めた顔をする。
「やれるだけはやろうか。……魔王に追いつかれたと思えば、怖気づいてばかりもいられんな」
「そうそう」
ドラゴンと魔王。どちらが恐ろしいかと言われれば、もちろん魔王だ。ジェイナスはドラゴンには何度も勝っている。
しかし抗する力を持ち合わせなければどちらも同じように恐ろしい。火山と洪水、どちらに遭いたいか決めるようなものだ。
ホークもいくつか行動を吟味して、結局「冴えた一手」は諦める。そんなものはないと認める。
「俺は人間相手がせいぜいなんだぞ」
道具袋から合成弓を取り出し、弦を張る。
使ったこともない弓なんて戦力になるはずがないが、200フィートの怪物に短剣で飛び掛かるというのもナンセンスだ。矢がどれだけの効果を発揮するかはともかく、メイやロータスの援護くらいは……敵の注意逸らしくらいにはなるだろう。
「さあ、こっちに来ないであっちに行けよ」
ホークは弦を張った合成弓を握り、消極的なことを言う。
ドラゴンはまるで聞こえていたかのようにこちらを向いた。いや、ただ周辺にもう兵士がほとんど残っておらず、次の殺戮対象を欲しただけなのだろうが。
「ホークさんがそんなこと言うから」
「へそ曲がりの龍と見える」
「ご機嫌取りは苦手分野でな」
三人はそれぞれの武器、あるいは拳を握り、1/3マイル前後の距離でドラゴンと対峙する。
離れているように思えても、ドラゴンの巨体をもってすれば十数歩の距離に過ぎない。
ホークは弓と一緒に手に入れた矢を道具袋から引き抜いて、弓につがえる。
「先に言っとくが俺を戦力に数えるなよ。盗賊は盗みが仕事なんだからな」
「わかってる。むしろ無茶しないで」
「さてさて、最良の台本は驚かして退散させるというあたりか」
ドラゴンはホークたちに明確に狙いを定め、そして大気を震わせてひと吠え。
ゴアオオオオオオオオオオオオッ!!
「っ!!」
「やっ、耳がっ……」
「ええい、耳障りなっ……!」
特に耳のいいメイとロータスは、その咆哮に忌々しそうな顔をする。
ホークはつがえた矢を取り落としてしまい、しかし足元の草むらを掻きわけて拾うのは諦めて、新しい矢を取ってつがえ、今度は落とさないうちに放つ。
矢は頼りない軌道でひゅーんと飛んでいき、ドラゴンの足元にぷすっと刺さる。
大迫力の怪物に対するあまりに情けない攻撃に、これ本当に無駄じゃないか、とホークは自分の行動に本気で疑問を持った。
「行くよ」
ダッ、とメイが駆け出し、ロータスも側面を狙って斜めに走る。
目前で見ると消えるような加速力のメイも、相手がこれだけ離れていると、さすがにそこまで常識外れの動きには見えない。
ドラゴンは正面から駆け込んでくる小さな少女の姿に、舐め切った動作で振り上げた前足を振り下ろす。
が、メイはそれを「返す」。
「ハィアッッ!!」
ドゴ、とドラゴンの前足が跳ねあがる。ホークが見るのは二度目だが、やはり何がどうなっている技なのか見当がつかない。
「ほう」
イレーネはその技術にやや驚いた、という反応をした。
ドラゴンは上体ごと立ち上がらされてしまったことに苛立ったように、改めて両前足でメイを踏みつけようとする。
しかしメイもいつまでもそこにはいない。ドラゴンの上体が「浮いて」いる間に、後ろ足にたどり着いていた。
ドラゴンが前足を振り下ろす瞬間に、その右後ろ足を内側に向けて、恐ろしくコンパクトに加速したローリングソバットで「払う」。
ちょっとした大きさの家屋にも匹敵し、それよりもずっと重いであろう龍の足が、恐ろしいことに少女の「足払い」で払い抜かれた。
巨体が傾ぐ。
下敷きにされそうな隙間から、メイはやはり凄まじい加速力で脱出し、ズザッ、と足を広げて油断なく着地。
「さすがに重いっ……!」
メイにとっては最大級の怪物も「重い」の一言のようだった。
だが、イレーネは呟く。
「有効打には程遠いのう」
前足を跳ね返し、後ろ足を払い、確かに体勢は崩せた。
それだけでも、常人何十人がかかってもできないことだろう。
だが、メイの攻撃はドラゴンを痛がらせるには至っていない。
「まだまだ、これからだろ」
ホークはまた矢を放った。
頼りない軌道を描いた矢は、またしてもドラゴンまで届かずに草藪のどこかに消える。
「……俺は駄目だけど」
「もっとめいっぱい引け。それは非力な女エルフ用の短弓じゃぞ。半端な引き方で届くものか」
「これ以上力入れると狙うどころじゃねえよ……」
「手首や腕で狙うのではない、体で狙うんじゃ。……なんで儂がこんな弓の基礎を教えなきゃいかんのか」
「こ、こうか……」
ホークは再び弓を引く。
放った矢は確かに見違えるように鋭く飛んだものの、ドラゴンの鱗にはまったく歯が立たずにカチンと跳ね返されてしまった。
「……やっぱ駄目かな」
「そもそも、何がしたいんじゃ。こんな矢が深々と突き刺さったところで、かの巨龍には草の棘ほどの傷でもなかろう」
「俺じゃ、他にどうしようもねえだろ」
また弓を引く。
その間にメイの拳打がドラゴンの胴体に決まるが、さすがに相手が大きすぎて大した威力を発揮できない。
どんなに鋭い針で岩を突き刺しても、穴は開いても崩れはしない。そんな光景だった。
それを言うと魔剣を持つロータスが一番の「有効打」持ちなのだが……ロータスはドラゴンの動きを注意深く観察し、側面に一定の距離を取って動かない。
「矢が効かねえからって、他にどうにも……なっ!」
また矢を放つ。的が大きいせいで、狙いは外れてもどこかに当たる。
しかし、腹側の弾力ある外皮に突き刺さった矢は見る間に折れてしまう。
刺さった深さも数インチ。200フィートの化け物に数インチ刺さったところで、それがなんだというのか。
らちが明かない。
「……なあイレーネ。30年はちょっと困るが……三日ぶんくらいの代償で、なんかしてくれないか」
ホークはほとんど駄目もとで呟く。
一気に数千分の一までスケールダウンだが、それでも今のホークが許される暇は、その程度だろう。
一か月では何もかも手遅れになりそうだし、一週間でも長すぎる。
それくらいで何か、イレーネにこの状況の打開を頼めないか。虫のいい話だが、それがホークにとってのギリギリの交渉だった。
イレーネはそれを聞いてしばらく真顔でホークを眺め、そして微笑む。
「もうひとつ、欲しいものがある。それを寄越せば考えてやらなくもない」
「この状況で足元見るのか」
「この状況でケチるのか? 小娘たちに何もかも押し付けてしまっておるのが歯がゆかろう」
「……チッ。言ってみろ。悪いが『隷従』の期間はそれ以上は出せない。持ち物だってロクなのはないぞ」
「知っておるわ。儂が欲しいのは……」
メイは何度目になるかわからない拳打をドラゴンに叩き込んだ。
足に、胴に。顔面に。
しかしメイの拳は、この化け物を殺すには小さすぎる。
「ウチの拳法って、つくづく……『戦う』ためにできてるんだね……っ」
同じような体格の相手の攻撃を防ぎ、当て、倒す。
条件が近いものとの争いこそが「戦い」であり、あまりに違うものは破壊、殺戮、駆除、狩猟……とにかく別の名称の行為になる。
メイの実感として、ドラゴン殺しは「戦い」ではない。獣人拳法の想定している行為ではない。
メイは自分の力なら「魔王」に近い者とも戦えると思っていたが、この巨大な生き物はそもそもカテゴリーが違う。
まさにこれは「敵」ではなく「災害」というべきもので、いかなる威力があろうと、無手の拳で立ち向かうべきものではないのだった。
メイはせめて拳が有効打となるよう、ドラゴンの肘関節や爪、鎖骨などといった部分に攻撃を集中させたが、それらにヒビを入れたという手ごたえはあっても、機能を損なわせるまでには至っていない。
地面を使えば、攻撃を「跳ね返す」といった芸当も可能ではあるが、それは相手が力を入れているのが前提となる。
損傷した部分での攻撃は自然と手緩いものになる。返し技でダメージを重ねるのは難しい。
そうして攻めあぐねるメイに、ついにドラゴンは口を大きく開け、その喉奥から赤熱を垣間見せ始める。
「!」
ドラゴンブレス。原初の時代、ドラゴンに組み込まれたという偉大なる生体魔法機関による攻撃。
それを放たれればメイに防ぐ術はない。
「こっの……おおおおっ!!」
メイは生存本能を意図的に全開にし、限界を超えた加速でドラゴンの顎に一撃を叩き込む。
しかし、ドラゴンはその打撃力を首を振ることで大部分殺し、再び口をメイに開き直す。
着地の隙をメイは消しきれない。
そこに、ずっと傍観していたロータスが横から飛び込んできた。
「メイ殿、伏せて!」
「真っ黒女っ!」
「吠えろ『ロアブレイド』!!」
ロータスは剣を握る右腕を左手で掴み、魔剣の力を解放する。
ドラゴンブレスが吐き出されるが、ロータスの魔剣が輝いて力を放出、拮抗して盾となる。
「すごいっ……!」
「っ、はぁっ……はぁっ……これが来るから、魔剣は温存せざるを得ない……メイ殿、許されよ」
「うんっ……」
ロータスの判断は、ドラゴンとの戦闘を経験した者ならではの冷静さだった。
「ロアブレイド」が連発の利かない魔剣である以上、ドラゴンブレスのタイミングに使えなくては話にならない。他に防ぐ手段がない。
しかし、メイの拳に効果がない以上、「ロアブレイド」での一撃は攻撃にも欲しい。
「その剣で勝ちに行くか……あくまで死なない方に賭けるか、だね」
「この剣では、残念ながら龍を一発で黙らせるのは難しい」
「……やっぱり?」
そんな気はしていた。出し得の一撃必殺ならば、メイが時間を稼いでいる間に狙わない理由はない。
となると、いよいよ千日手。いや、ジリ貧というべきか。
「困ったねぇ……諦めてくれないかなあ、こいつ」
「ドラゴンは雌争いで一月もの間暴れ争うこともある。そう簡単にはいかぬ」
「本っ当に迷惑なやつ」
メイは再び拳を構える。まだ動けないほど疲労はしていない。打開策が見えなくても、やるしかない。
……そこに。
「メイ!」
ホークが短剣を手に駆け寄った。そのすぐ後ろに、翼を展開したイレーネ。
「ホークさん、近づくと危ないって」
「わかってる。でも離れてても駄目だろ」
「その短剣で戦うっていうの?」
「残念ながらそういうことになった」
ホークはそう言って短剣を放り、縦に二回転させて掴む。
「……ドラゴンの動きを一瞬でいい、止めてくれ。あとは俺がやる」
「やる、って……」
「説明の時間はない、頼む」
「……そんなに何度もはできないからねっ!?」
ホークの頼みを聞き入れ、メイはドラゴンの懐に飛び込んでいく。
ドラゴンはメイに跳ね返されることを恐れ、掴んでしまおうと前足を伸ばす。
そこでホークは、イレーネと頷き合って、彼女に背後から抱きしめられて空を飛ぶ。
「お、落とすなよ!?」
「背中の感触に喜んでおれ。代償なしの大サービスじゃ」
「お前の作戦なのに代償取られてたまるか!」
言われるまでイレーネの胸の感触を気にしている余裕はなかったが、なかなか張りがあって存在感のあるいいおっぱいだった。
いや、そうではなく。
メイがドラゴンの影で何をしたのか、ドラゴンの動きが止まる。
「今じゃ」
「信じるからな、魔族の知恵を!」
ホークは放り出され、ドラゴンの顔面に叩きつけられ……る、その寸前で“盗賊の祝福”を、発動する。
その顔だけで土間ほどもあるドラゴンの顔面を駆け、それぞれに大玉のスイカよりも巨大な、ドラゴンの目玉を……両方、短剣一本でえぐり出し、両手に抱えてドラゴンの後頭部から跳ぶ。
そのイメージを念じながら、意識を横殴りの吹雪に飲み込ませる。
「……っ、イレーネ!」
「ホーク!!」
一瞬で位置を変えた自分自身と、両手に抱えたドラゴンの目玉の「詰まった」重さ、目玉を覆う粘液のぬめりと、そして強い疲労。
ホークはそれらに戸惑いながらもイレーネを呼ぶ。
一瞬の位置変化にはイレーネも対応が遅れる。ドラゴンの鱗スレスレを落下していくホークを、イレーネはかろうじてキャッチし、そして地面ギリギリを這うように飛んで墜落を免れる。
ドラゴンは世にも恐ろしい咆哮を上げ、前後もなく闇雲にのたうって暴れた。
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