レイドラ王国侵入
「まず最初に、儂の手を貸す範囲を決めておこう。いちいち何でも甘えられると鬱陶しいからのう」
隠れ里の中心の公会堂。
先ほどの殴り合いの破壊痕も生々しい中、赤紫の髪と純白の龍翼を持つ女・イレーネは、刃傷沙汰も殴り合いもまるでなかったように上機嫌で喋る。
里のエルフたちは戦いが突然勃発した時点でパッと逃げ散ってしまったが、ようやく恐る恐る戻ってきて壁の裏などから覗いているところだった。
「まず儂は魔王や幹部級、創造体などが出てきたら手を出さん」
「何か盟約でもあるのか?」
「面白うないからじゃ。せっかく人類が色々用意をして祭りを盛り上げておるのじゃ。その努力を無碍にするのは忍びない。だいたい、もし儂が魔王を張り倒したら張り切って勇者などと自称した連中は立つ瀬がないじゃろ」
「そこに遠慮するの……?」
メイが呆れる。ホークも同感だ。
魔王がいなくなるならなんでもいいではないか。
「魔族は何も気にしない連中だと思ってたよ、俺」
「気にする必要がないことは徹底して気にせんよ。そして、どうしても気に入らんのであれば、その時の気分で人だろうと魔だろうと滅ぼすやもしれん。そう、魔王もお前ら自身もな。……それは儂とホーク、お前の契約とは無関係の話じゃ」
「……み、味方だと思っていいの? 違うの?」
「代価があれば力を貸す。なければ同道しておるだけの他人。そう思っておくと良い。お前らが余計な正義感を持って大敵に挑もうと、それで死のうと手伝わんし止めん。全滅しようと儂は特に困らんからの。……じゃが、それ以外の手伝いが欲しければ儂に相談しても良い」
「あたしたちについてくる理由が本当にわかんない……」
「気にするでない。全て気まぐれ、物見遊山ということじゃ。強いて言うならレヴァリアのやることを近くで眺めてやろうという、それくらいじゃよ」
メイの頭を雑に撫でる女魔族。
「ああ、それと、ここにおる者以外に、儂が魔族であることを言い触らすのも遠慮してもらおうか。面倒が増える」
「言われなくてもそんなん人に言えねえよ……勇者パーティが魔族を連れて歩くなんて」
「ま、そうじゃろうが、ロータスめは何か含むところがありそうじゃからの。先に約しておこう。左様な真似をすれば死の覚悟があるものと見なす」
イレーネは金色の瞳を収縮させる。それでロータスが慄くには十分だった。
「旅は快適にやりたいからのう。くれぐれも無粋をするでないぞ」
ホークは溜め息をついた。
他にやりようがなかったとはいえ……最近そんな事ばかりの気もするが、特大の厄介事を抱えてしまった気がする。
「もう俺の手に負えねえぞ……変質者一人でも大変なのに」
「魔族に変質者とはまた随分じゃのう。だいたい、多少セクハラされた程度でその調子では、いつまで経っても」
「あんたじゃねえよ!」
「なんじゃと。ではこの小娘か。……純朴そうに見えてこのナリで変質者とは」
「惜しいけどそっちでもねえよ!」
「ホークさん。なんで惜しいってゆったの? ねえ?」
「言われたくねえなら何かと目の前で脱ごうとするのとか俺の貞操話に変に反応すんのやめろよ!」
「だってホークさんの方が弱いじゃん。ほっといたらゴーカンされ放題じゃん。ホークさんちょっとあたしの立場になって男女逆転して考えてみよう?」
「…………」
メイくらいの強さの戦士になって、ホーク程度の腕っ節の女盗賊と二人旅していたのに、怪しい変態男や無駄に強い魔族男が次々と現れて彼女の童貞……いや処女を狙う発言をする。
「若干守りたくなる気持ちは分かったが、あえて脱ぐのは別問題な?」
「……いじわる」
「お前までややこしいこと言い出さないで欲しい頼む」
というか、メイが思ったよりマセた子だというのは理解できたが、残念ながら13歳はまだホークの守備範囲的にギリギリアウトだ。もう1年、できれば3年くらい経ってからもう一度申し出てほしい。
◇◇◇
エルフの里で手に入る補給物資(保存食や消耗品、魔法の便利道具など)は格安、というか、あらかたイレーネへの義理で譲ってもらえることになった。
格安というのはイレーネ自身がメイの持っているファルネリア姫の宝飾に興味を示したからで、間接的にタダではなくなった形である。
「クリー銀の指輪など、よく持っておるの。さてはこの神官の形見か」
「ロムガルドのお姫様がくれたやつ。なんでくれたのかはわからないけど、欲しいならあげる。ペンダント以外」
「……なんか儂を貧乏な子みたいに見下しておらんか?」
「ホークさんが困ってるじゃん。魔族が何欲しがるかわかんないって」
「ならば、なおのことポンポン寄越しては取引にならんじゃろうが。……まあ良い、それならばこの指輪の分で、この里でかかった手間と狼藉は呑んでやるとしよう」
「……その分もなんか取るつもりだったんだ。親切じゃなくて勝手にやってるみたいな言い方してたのに」
「むむ。ならば国境超えもサービスじゃ」
なぜか契約させられた当人のホークではなく、メイが交渉を進めている。
これでいいのだろうか、と思いながらも、新しい道具をエルフに譲ってもらったホークはそれに合わせた既存道具の選別に忙しい。
「魔法の水袋ってどんだけ入るんだ……? これ持ってれば水筒なんかいらないというけど」
「あちらの泉で試してくるといい。驚くほど入るぞ」
「ロータス。……お前も持ってるのか、これ」
「重宝している。ああ、魔法の水袋を他の魔法の道具袋に入れようとはするな。干渉して大変なことになる」
「……どうなるんだ」
「両方の中身が全部ぶちまけられてしまう」
「……肝に銘じておく」
魔法の道具袋と同じ要領で大量に入るなら、きっとこの深さ10インチにも満たない水袋に何ガロンもの水が入るのだろう。下手するとバレル単位かもしれない。
それが全部一瞬でぶちまけられるとなれば結構な大惨事になるだろう。それは望むところではない。
「それよりホーク殿は弓の練習をしていくといい。譲られたのだろう?」
「正直、レヴァリアに着いたらすぐ売ろうと思ってるけどな。エルフの合成弓って下手すると一年遊んで暮らせる値がつくし」
「それは勿体ない。うまく使えば貴殿にはこの上ない戦力となろうに」
「使い慣れない武器でまで『アレ』を上手く組み合わせられる気がしねえよ」
「だから使い慣れるべきだと……」
「弓の習熟には早くて三年、名人になるにはン十年って言うじゃねえか。そんなに弓ばっかやってる暇はねえし、魔王も待っちゃくれねえよ」
「むぅ。それだけ強力なのだが」
「俺は戦争屋になる予定はねえんだよ」
とはいえ、敵に近づかずに攻撃できるという意味ではなかなか便利なものではある。
ホークでは空を飛ぶ魔物や鳥人相手には何もできない。そのうちやむを得ず使うかもしれないので、あとでこっそり練習をしようかと思う。
◇◇◇
そして、森の中から再び街道筋に出て、国境に改めて近づくホークたち。
「任せるぞ、イレーネ。やれるって言ったからにはなんとかしてくれ」
「そんな何度も念押しをせずとも聞こえとるわ」
イレーネは大きな翼も魔法か何かでしまい、普通の人間に見える姿でレイドラ国境守備隊に近づく。
その後ろを一列になってついていくホークたちとロバ。
「止まれ」
ガシャ、と槍を向けるレイドラ兵たち。
ホークたちの姿を直接見た者はあの場で全滅していたものの、いかにも怪しい集団だ、と疑った顔をしている。
「名乗れ。然るべき身分が証明されるか、手形のある者でなければ通さん」
イレーネはその槍をじろりと眺め下ろし。
「愚かなことを聞くな」
「なんだと……」
「儂が誰か、わからんか」
兵士たちを順番に見つめる。
それを受けた兵士たちは、じわじわと広がるように表情を驚愕に歪め、そして槍を引き、跪いて道を譲る。
「ご、ご無礼を平にお許しを」
「お許しを!」
「良い」
鷹揚に言ってイレーネは何事もなく通り過ぎる。
その背中についてホークたちもそっと通り抜ける。
「……お、おいイレーネ……もしかしてお前、レイドラでは偉い貴族だったり……するのか?」
「せんわい。簡単な誤認の魔術じゃ。軽く曖昧な状態になるような魔力を予め放ち、酔わせてから『我こそ主』とばかりに尊大に振る舞うことで、奴らには『そういう扱いを受けるべき者』に見えるようになる」
「……なんだそれ」
ホークは初めて聞く魔法の使い方だった。
人を操る魔法はもっと長く複雑な呪式を組み、相手を限定して放たねば効果が見込めない。
「基礎の基礎じゃぞ。この程度のことも人の世では驚きか。……全く、魔術がつまらぬ体系にまとめられておるのは知っておったがのう」
「……で、でもこんなに簡単にすりぬけられるんだったら、今の……ええと、こういう警戒態勢とかって、魔王相手に全然意味なくない……?」
メイも困った顔で言う。
イレーネは、何を当然のことを、とばかりに頷いた。
「人を謀ることなど簡単じゃ。何より魔術に長けた者は、その気になれば空を飛ぶことも大して難しくはない。こんな国境守備など、不器用な手下相手の気休めにしかならん」
「…………」
「じゃからこそ、人は勇者などという遊撃戦力に頼るのじゃろう。大陸を縦横無尽に駆ける魔王の行動を追い続けるなら、大人数では邪魔になる。翼なき人類は、身軽な少数精鋭の遊撃以外では、魔王に対処などできん」
「……でも、今の魔王ってそんなに動き回らないよね」
「今代はたまたまそういう遊び方をしておるだけじゃろう。雑魚たちによる国盗り遊び。それはそれで趣はあるが、まだ本番ではない。祭りはこれからじゃ」
「……それより前にジェイナスを復活させないとマズいってことか」
「さて、のう」
ニヤニヤするイレーネ。
イレーネの見立てでは、ホークとメイこそが魔王を倒すための切り札と思っているようだが……ホークはさすがにそれはありえないと思う。
ジェイナスの強さは、圧倒的な攻撃力を誇るメイをしてもまだ脇役、とはっきり言えるほどのものだった。
もしかしたら役に立つものとしてホークにも期待はされていたかもしれない。だが、主役はジェイナスだ。
彼なしのまま魔王と向き合うのはホークは御免だった。
あるいはメイが今以上に強くなり、何十人の敵を一瞬でなぎ倒す技や、魔法を打ち消すような技術を手に入れれば話は変わるかもしれない。
ジェイナス抜きで戦える、という意味であって、相変わらずホークがメインで戦える、という話ではない。
先のイレーネとの手合わせでも露呈したように、ホークの技は戦闘中に一度だけしか使えないし、幻像にも弱い。これをメインにして大物と戦うのは無理だ。
いや。
しかし「二回分け」で使えば一回限りの幻像には対処できるかもしれない。一度目の発動の後、間髪入れずに次を発動するのが条件になるが、それなら一度目を投げナイフでやればいいのか……?
「…………」
ホークは考え事につられ、視線を下げて……前を歩くメイの足にふと気づく。
止血布。
「あ、そうだ。イレーネ、お前ウーンズリペア使えるよな」
「む?」
「実はメイ、一度目にここに来た時に怪我をしてて……」
ホークはメイを捕まえ、足に巻いた止血布をほどこうとする。不意打ちだったのか、メイが「にゃっ」と変な声を出して驚いていたが、構わない。
イレーネは肝心な時に参戦しない可能性がある以上、依然としてメイは主戦力なのだ。万全の状態になっていなくては。
「……あ、あれ?」
そう思ってホークは止血布をほどいたが、固まった血の屑を手で払うと、そこにはほぼ傷のない肌があった。
「……あれ? お、お前……足、刀傷ついてたよな?」
「半日以上前だし、もう治ってるよ?」
「い、いやそれはおかしいだろ。普通切り傷はどんなに軽傷でもそんなに早くはくっつかねえよ」
「えっ」
「えっ」
ホークはメイの顔を凝視し、メイも見返す。
何を言ってるんだろう、という顔をしている。多分自分も同じ表情だろう。
「普通……一日あれば骨折以外のだいたいの怪我なんて治るよね?」
「いやいやいや」
「骨折しても三日くらいあれば充分だし」
「いやいやいやいやいや」
本当に何を言っているんだこの娘は。
「……ホークさん、治らないの?」
「普通その10倍かかる」
「嘘!?」
「お前何でそんなわけのわからないこと常識みたいに言ってんだよ!? ここまで何見て旅してたんだよ!?」
「だ、だってちょっと怪我したらリュノさんがすぐ治してくれてたから、普通どれくらいかかるなんてわからなかったし!」
「世間知らずとかいうレベルじゃねえな!?」
頭を抱える。
そして、それを聞いていたイレーネの意味深な笑みに気付く。
「……レヴァリアじゃからな」
「おい、どういう……ちょっと待てよ!」
国境を無事に抜け、レイドラ王国に入る。
何事もなければ、通過するだけの国である。
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