呪印契約
さあ来い、とばかりに胸を張って待つ女魔族を前に、メイとホークはしゃがんで相談。
「魔族に頼み事……つまり、何かあげたら手伝ってくれるってことだよね?」
「そうは言っても……俺たちから寄越せるものって肉ぐらいしかないだろう。ジェイナスたちの遺品で魔族が欲しがるようなものはなさそうだし」
「真っ黒女が持ってる魔剣とかどうかな」
「ないと困るんじゃないか?」
「でも、ここから先は安全なんでしょ? 勇者様の魔剣だって、あれ以外にも王家で調達してないってことはないと思うし」
「……今やレイドラも味方じゃないから、安全とは言えないけどな」
「でもあれはあっちが悪いし」
「証明がないから身内とよそ者、どっちを信じるかって話になっちまうんだよ。レイドラを大手を振って通るには仲介してくれるレイドラ人の大物を見つけなきゃいけない。それまでは『公爵公子を殺したレヴァリア勇者一行』って扱いになっちまう」
「う、ううん……つまり、イレーネさんにお願いすることもそのあたりって話になるよねえ……」
「で、多分奴にはどうにもできない。魔族は人の世界とは無関係だ。口利きなんて頼みようがない」
「……あれ、えっと……つまり……出すものもないし、やってもらうこともない……?」
「俺もそういう結論になりそう」
魔族は超越的存在だ。
もし、これが違う目的の旅だったら、彼女に頼みたいことはたくさんあったと思う。
だが、今のホークたちとしては魔族の介入で解決する問題は何もない。
捧げられるものも、金では駄目だ。魔族は金など欲しがらない。全く人間社会と関わらない彼らは、貨幣に興味がない。
となると、最大限に譲歩してもロバたちがせいぜいだが、それと引き換えでどんな助力がもらえる物か。
価値としても、少し上等な剣と引き換えがいいところだ。それだけの対価で魔族にどう働かせることができるだろう。
そう考えると。
「……とりあえず食料と消耗品の替え……あと、魔法の道具袋あたりでいいものがあったら売ってほしい、かな。……アンタじゃなくてエルフたちに」
「なんじゃ。せっかく魔族の儂が遊んでやると言っておるのに無礼な奴らじゃ」
「俺たちはレヴァリアまで帰りたいんだ。この二人を生き返らせたい。それが最優先だ。……そのために役立つことを魔族に頼もうとしても、思いつかない」
「わざわざ街道筋から離れてこのような山奥に来たからには、困っておるんじゃろうに」
「レイドラの国境警備隊と揉めたんだ。でも、話が面倒になってて、当座の暴力でどうにかして済むことじゃなくなってる」
「ならば暴力以外で解決すれば良いじゃろう」
「暴力と金と権力と色気以外で世の中の何が解決するってんだ」
「……若くて童貞なのに世の中をおかしな形に悟っておるのう。可哀想に」
「童貞は関係ねぇだろ! 童貞は!」
なんでわかるんだ、とホークは叫ぼうとして我慢した。そこまで言ったら認めているのと同じだ。
いや、もう認めているようなものなのだが、ホークの中では単に「話と関係ないネタの指摘」なのであって認めているわけではないことになっている。
そっとしておいてあげよう。メイとロータスは無言のうちに同じ決意に至る。
それはそれとして、赤紫の髪の女魔族は軽く頭を掻き、手を差し出した。
「面倒じゃ。書け。契約じゃ」
「いや、アンタに何も頼む気はないと言ってるんだが……」
「儂は書けと言っておる。書かねば首をヘシ折る。インクはお前の血じゃ。この掌に、その血で契約の印を書け」
「……おい。話がおかしいぞ」
「良いことを教えてやる。若造」
女魔族は瞳孔を縦に細め、ギタリ、と笑う。犬歯の長さが印象的な笑顔。
「これは善意ではない。拒否しておけば無関係で済むという甘い考えは持つな」
「っ……!?」
「その気になれば儂は今すぐにでもお前らの何もかもを絶ち、奪い取り、打ち壊すことができる。お前らが他人にそんなことをするならば、許されるだけの大義名分が必要じゃろうが、儂にそんなものは一切ない。その儂が大人しく取引をしてやろうと言うておる。意味がわからぬならはっきり教えてやろう。儂は首を突っ込むと決めた。敵にするか味方にするか、今なら決めさせてやると言うておる」
「な、何でそんな……」
「この里はまだ儂の領地にしたてで、大して愛着も湧いておらん。そして儂の前にレヴァリアの新しい剣たちが現れ、祭りを告げた。それだけで気まぐれを起こすには足るじゃろう。さあ、ホークとやら。決めよ。ここで命ごと奪われるか、儂の良い客となるかじゃ」
女魔族は掌をホークに向け続ける。
しかし、ホークは迷った。
絶対にこいつは、まずい。
魔族は介入させてはいけない。これは言わば、魔王にいつ転ずるかわからないモノなのだ。
だからこそ、なんらかの暴力が必要な今の場面には介入させたくもなかった。勇者を蘇らせるため、魔王をもう一人生み出したと言われてはかなわない。
しかし、この女魔族は強引にでも首を突っ込もうという。
「…………」
短剣を抜く。それを女魔族は笑ったまま見ている。
印を描くにはホークの血を出す必要がある。そのための刃物だと思っているのだろう。
ホークはその短剣をギュッと握り、目を閉じる。
視線の動きを悟られないためだ。
視線を作らず、心の中だけで……女魔族の腕を叩き斬り、首を飛ばし、そして心の臓に剣を突き立てる動きをイメージする。
今まで目を見開いて見ていた光景だ。目測を誤りはすまい。
そして深呼吸して、目を開き、“盗賊の祝福”を、発動する。
意識を横殴りの吹雪が、埋め尽くしていく。
それは、誰の目にも一瞬の出来事。
動作の軌跡すら追えない。音すら聞こえない。その一瞬で。
ホークは、刃をイレーネのいた場所に……心臓のあった場所に、構えていた。
「……!?」
「なるほど。それがお前の能というわけか。面白い」
イレーネの声はすぐ後ろから聞こえた。
「馬鹿なっ……!?」
「じゃから、儂に勝てるつもりでいたのじゃな。いやいや、良い芸じゃ。儂にも見えんかった」
ニヤついたまま、背後でイレーネは腕組みをしていた。
何が起きたのか、わからない。
ホークは急激に重くなった手足を必死に動かして構え直す。
もはや切り札はない。だが剣は向けてしまった。もう、戦うしかない。
イレーネの背に、メイが飛び掛かっていた。
「ハイィィィっ……ヤァァァァァ!!」
ドゴッ、とメイの拳を背に受けるイレーネ。笑みが一瞬消え、その体がホークのすぐ横を掠めて吹き飛んでいく。
その飛んでいくイレーネをメイは駆けて追い、追撃の蹴りを叩きつける。
「カハッ……!!」
「ホークさん、殺っちゃっていいよねっ!?」
「メイ!」
地面にめり込んだイレーネを前に、ホークに顔を向けるメイ。
だが、そのメイが一瞬視線を外した隙に、イレーネはバッと起き上がって巨大な翼を打ち、宙に浮かんでいた。
「っ……逃がさないっ!」
メイはその足に飛びつき、複雑な動きで体を駆けのぼって痛烈な肘打ちを叩きつけ、翼を片方折る。
イレーネはうめき声を上げて墜落。そのイレーネに巻き込まれないようにいったん離れて着地したメイは、今度こそ油断なく拳を構え直し、イレーネの次の動きを待つ。
だが、イレーネはゆっくりと体を起こすと、なおも楽しげに笑う。
「……クククク、良い良い。これがレヴァリアの用意したモノか……!」
「まだ動くの……!?」
「小娘」
イレーネは翼をメキメキと音を立ててまっすぐに戻し、自らも拳を構える。
「少し遊んでやる!」
「きゃっ……くぅぅっ!」
翼も使った踏み込みからの掌底突き。
メイはそれをガードして吹き飛ぶ。
間髪入れずにイレーネは、突きと逆の手から雷の球を打ち放つ。
「あんな速さでサンダーボルトかよっ!」
「メイ殿!」
ロータスが飛び込み、「ロアブレイド」で打ち消す。
少量の魔剣開放を伴えば、その刀身は魔法を打ち消せる。ロータスは未だ恐れを抱きながらもイレーネの前で剣を構えた。
「かくなる上は……!」
「ロータス、先走るな! 攻めはメイに任せろっ!」
ホークも短剣を構え、イレーネを威嚇する。
いずれはバレるだろうが、まだ“祝福”があると勘違いさせている間は迂闊には近づけまい。
イレーネはそんなホークの視線を鼻で笑い、跳ね戻ってきたメイに再び掌打を放つ。
今度はメイもかわした。カウンターの拳をイレーネに叩き込む。
ドゴム、と重い音が響いたが、イレーネは一歩下がっただけですぐに回し蹴りを放つ。
メイはその一撃もインパクト前に手で弾き上げる。
軸足がズレ、イレーネは翼を使って制動しようとするが、メイはその脇腹に鋭い蹴りを打ち込む。
接近戦ならメイに分がありそうだ。
が、その蹴りが入った瞬間にメイは驚いた顔をした。
イレーネは一歩ぶん、ズレた場所に倒れている。
いや、蹴りで倒されるのを我慢せずにいれば、倒れていたはずの場所に。
「……魔法の幻像かっ!」
ホークの先制が効かなかった理由がわかった。最初から彼女は警戒していたのだ。
おそらく一番、種が分からないホークから挑発し、その芸を出させるために。
「そういうことじゃ」
イレーネは軽快に跳ね起き、跳ぶ。
後ろに。いや、前に。横に。斜め後ろに、斜め前に。まるで岩に弾かれる滴だ。
跳ねた先でもイレーネはまた幾人にも分裂しながら跳ね、あっという間に場はイレーネだらけになる。
そして。
「さて……まだやるか、若造?」
「っ」
視界内の全てのイレーネが消える。
最後に残ったイレーネに、猫をつまむように首筋に手をかけられ、ホークは短剣を落として手を上げる。
「ホークさん……」
「……我らの負けだ。メイ殿。ここまでだ」
メイとロータスも手を上げる。
「さて。諦めはついたか?」
「ああ。煮るなり焼くなりだ。……だけどメイたちは見逃せ。あの死体がレヴァリアに届かないと世界が終わる」
ホークはどっかりと地面に腰を落とし、膝を叩く。
勝てなかった。無謀だった。
今さら足掻こうにも、もう手品の種はない。いきなり襲い掛かったホークは殺されても文句は言えない。
だがせめてメイたちは逃がそうと、ホークは殊勝な態度を取る。
「あいつらは俺に乗せられただけだ。わかるだろ」
「ああ。お前が進退を決める立場なのはわかっておる」
にゅ、とイレーネは再び手を出した。
「……何だよ。立てってのか」
「儂はお前に何を求めたか。もう忘れたか」
「は?」
美女は促すように手をクイと振る。
「契約の印を書け」
「……え、まだそれ続いてんのか?」
「なんじゃ、死んでも契約せぬつもりか」
まるで戦いなどなかったかのような顔をするイレーネ。
いや、彼女にしてみれば、戦いなどではなかったのかもしれない。
これが、魔族。
ホークたちとは、次元が違う。
……だが、なおのこと、底の知れたホークたちに契約を求める意味が分からない。
「……悪いがこっちは払うアテなんかねえぞ? 少なくとも魔族の喜ぶようなもんは……」
「安心しろ。まだ儂も何を貰うかは決めておらぬ」
イレーネはニタリと笑う。
「しばらく見てから決めるとしよう。……さしあたって、狼藉の許しはお前の童貞で払って貰うか?」
「おっ、おいっ!?」
「冗談じゃ。ま、捧げるというなら食ってやらなくもないが」
イレーネはクククと意地悪く笑う。
「ホークさん、やっぱ倒そうコレ」
「落ち着けメイ殿。それくらいはくれてやれ。後からでもチャンスはあろう」
「いやお前ら真顔で何の話!?」
ホークは短剣の切っ先で指を切り、イレーネの言う通りに印を書く。
それは魔術的に効力のある呪印であり、指定の代償の支払いを拒絶すれば血の主に不可避の苦しみを与えるものである、というのは、魔導帝国生まれのホークも知識として知っていた。普通は紙に描く。
「……どこまでついてくる気だ? 魔族引き連れてレヴァリアまでとなると、俺もタダじゃすみそうにないんだが」
「さてな。儂の自由を縛る物は何もない。せいぜい見物をさせてもらおう」
完全に面白がる姿勢の介入者に、敗者であるホークは何も言えない。
こうなればこの女をせいぜい利用しつつ、魔王になるのだけは避けよう、と考えるしかない。
「……それで、国境越えの手段にアテはあるのか。なければ俺たちはだいぶ遠くまで回って、身分を偽ってレイドラに侵入するしかないんだが。力ずくはナシだぞ? 国境が弱体化するとそれはそれで魔王軍に与することになるし……」
「その程度は任せろ。魔族を武力しか能のない創造体などと一緒にするでない」
イレーネは胸を張った。
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