赤紫の女魔族

「亜人!?」

 いきなり大きな翼を出現させたイレーネに、ホークは驚く。

 一瞬前までどう見ても人間だったからだ。

 しかも、見せた姿は全く知らない種族だ。

 田舎で比較的よく見かける鳥人族ではない。翼の色や羽一本の大きさには細かなバリエーションがあるが、鳥人族の翼がこんな動物的だったことはない。

「全然知らねえ種族だ」

「……ただの亜人ではない。これは……魔族だ」

「ロータス」

 ロータスは黒い刀を逆手で握り、ジリジリと押されるように後ずさっている。

 対するイレーネは、そんなロータスと、驚くには驚いてもイマイチ緊張感を欠くホークやメイを見比べ、可笑しそうに笑った。

「若い連中の方が度胸があって良いのう。いちいち怯えすぎじゃぞ、ロータスとやら」

「何をっ……」

「あるいは、絶対的な一芸を持たぬゆえか。……そちらの娘を見よ。儂が何であろうと関係ないという面構えじゃ。さすがは魔王を平らげようというだけのことはある」

「あ、えーと……」

 メイはそこまで殺気を放っていたわけではなく、ただイレーネの飄々とした態度に困惑していたのだが、妙な感じに褒められてさらに戸惑ってしまう。

「そして、ホークとやら。……良いぞ。儂の急所を目で追っておるな」

「えっ……い、いや、他意はないんだ」

「正体のわからぬ相手に怯えておらん。何なら殺してみせると考えておろう。……それに引き換えなんと無様なのか。年長者が」

 ホークも無意識にしていた目配りを見透かされて薄気味悪くなる。そんなにじっくり観察されていたとは思えないのに。

 だが、例え相手が勇者だろうが魔族だろうが、短剣の刃が心臓に、喉に、脳天に届くのであれば殺せる……とも思っていた。

 とはいえ生まれて初めて会う種類の相手だ。まだ手の内が分からない。二人より率先しようとも思わなかったが。

「……イレーネ殿。貴殿はなぜここにおられる。ここは元よりただのエルフの里だ。貴殿の如き魔族の逆鱗に触れるはずもなし」

「逆鱗。……ククク、なるほど。報復で踏み潰し、居座っておる……とでも考えたか」

「違うと仰るか。魔族は他者に興味なし。貴殿が新たな魔王でなければ、領地を増やすはずもなし」

「それはお前たちの勝手な推論じゃろう。儂らの生態の全てをエルフ如きが断じられるとでも思うか」

「…………」

「まあ、剣は下ろせ。どうせ役にも立たぬのに振りかざしていては疲れように」

 イレーネはそう言って肩をすくめ、そしてホークの肩に気安く手を回す。

「腐肉は御免じゃが、干し肉は嫌いではない。儂にも喰わせよ」

「え、な、何」

「この里の者どもは肉を忌みよる。久しく喰えなんだ」

「……俺たちの保存食を分けろってことか?」

「喧嘩を望まぬのなら、場の主には貢ぐのが筋じゃろう」

 ポンポン、と肩を叩いてニヤッと笑うイレーネ。

 ホークは溜め息をつく。

「そう言うってことは、干し肉をやったら喧嘩する気はない、ってことだよな」

「せめて献上するとか納めると言わんか。儂は犬コロか」

「所詮異国の盗賊に礼儀を期待するなよ」

「……ま、よかろう。とにかくそのエルフを宥めよ。それと死体じゃが、あとで修復してやる。腐ったままではこちらが参る」

「……そんなに?」

「お前ら完全に鼻が駄目になっておるぞ。木々がゾンビの匂いと思うてザワつくほどじゃ」

「…………」

 死体袋にしている布を開けなければそんなには臭っていないものだと思っていた。

 下手をしたら自分の体にも匂いが染みついているのかな、と少し憂鬱になる。


       ◇◇◇


「領地替え……そんなことを魔族がするのか!?」

「他の奴が最近やっておらんからと言って、儂がやってはならぬ理由にはならん」

 里の共有施設である公会堂で、イレーネに食料袋の干し肉を半分ほど渡し、彼女と落ち着いて話をする。

 どうもこのイレーネという魔族、最近まではロムガルドよりも南の方で森林蛮族を率いて暮らしていたらしい。

 が。

「気まぐれに領地を出てしばらく旅をしたら、儂の眷属どもの匂いに耐えられなくなってのう。奴ら、垢を落とすということを生涯ほとんどせぬ。ねぐらに寄り付くのも嫌になって放り出してきた」

「……それって、いいの?」

 メイが怪訝な顔をしてロータスに尋ねるが、イレーネ自身が先に答える。

「良いか悪いかは儂が決めることじゃ。魔族は誰にも管理されぬ」

「でも、その……元の眷属さんたちって、イレーネさんがいなくなったら困らない?」

「困るかもしれんが知ったことではない。儂はもう近づかんのじゃからな」

「せめて……えっと、解散! って言ってあげたりとか」

「言ってどうなる。捨てることには変わりはない。その後栄えるも滅ぶも、儂は興味はない」

「えええ……」

 凄い無責任ぶりだ。

「一応……眷属って人たちには、色々奉仕させてたんだよね? なんかこう……愛情とか愛着とか、責任感とかって」

「無いな」

「……つ、冷たい」

「敢えて潰さずに放り出すだけ、儂はまだ慈悲ある方と思うがの」

 しれって言い切って、干し肉をむしむしと食むイレーネ。

「眷属などとは言うが、その場にいるから使うに過ぎん。邪魔なら邪魔でどうにでもするのが魔族の流儀よ。ま、儂はそんな手下を作ったり消したりに年月と労力を使うほどマメではないというだけじゃ」

「テキトーなんだなぁ……」

「この里もそのように扱う。その代わり、儂がいる間は外敵は潰してやる。そういうことで、話はついている」

 喋っている間も干し肉を齧り続け、久しぶりの味付き肉は美味いのう、と喜ぶイレーネ。

 見た目はリュノと似たような妙齢に見える。しかし、フレンドリーな態度と裏腹に、その目には時々ゾッとする冷たさが垣間見える。

 気が向いたから手を止めただけで、本来この女は魔王にも近いモノなのだ、と、ホークにもジワジワとわかってくる。


「ごめんねぇロータス。森がアンデッドだって騒ぐものだからみんな公会堂に集まって様子を見ていたのよ。この山でゾンビなんて100年くらいなかったから」

「……そうか」

 ロータスの知己だというマギーというエルフ女性は、会ってすぐにそう言って謝ってきた。

「私の気配は死臭より弱かったのか……森でも動物の死体くらい出るはずなのに」

「言わせてもらうと、アンタの気配は森がよほど静かじゃないと伝わらないのよ。本当にわかりにくいったら」

「そんなにか」

 ロータスは落ち込んでいたが、ホークやメイは顔を見合わせて、当たり前だよな、だよね、と頷き合う。

 森の木々というのがどうかは知らないが、ロータスは気配を消すことにかけては本職であるホークすら足元にも及ばない。

 目の前にいても時々見失うのだから、ゾンビ並みの腐臭と存在感で勝負にはなるまい。

 そして、イレーネはだいぶ腐敗の進んだジェイナスとリュノの死体をウーンズリペアの呪文で修復しにかかっている。

「腐った死体にウーンズリペアなんて初めて見た」

「普通はやらんじゃろうな。そもそも死体といっても対面するのはゾンビ化した奴くらいじゃろう。直す意味がない」

 本来は外傷をくっつけ、傷を消す魔法だ。リュノほどの使い手になると失った手足までモリモリ再生してしまう。

 黒ずみ、崩れ、汚汁を滴らせる腐肉の塊と化した死体にも有効で、どんどんその姿が生前のものに戻っていく。首は別にしてあるが。

「っていうかパリエスの神官しか使わない魔法じゃないのか、これって。魔族でもパリエス信仰するのか」

「神官? クククク」

 イレーネは魔法をかけ続けながら笑う。

「魔法に信仰も何もありはせん。純粋な才能と技術じゃ。心の良し悪しで効果は変わらんぞ」

「……そうなのか」

「おおかた、重要な技術ゆえ、秘匿し保存するために技術集団を作り、権威づけに教義をでっちあげたのじゃろう」

「そ、そんなもんなのか……」

 信徒というほどに敬虔ではないが、それなりにパリエス教会の文化圏で育っているホークは少したじろぐ。

 魔族が言うからにはそうなのだろうが、少々嫌な現実を見てしまった気分だった。

「だいたい、これはパリエスが考えた魔法ではないぞ」

「……えっ」

 違和感に瞬時動きが止まるホーク。

 今のセリフの何がおかしかったのか。反応しておいてよくわからず、考え込んでしまう。

 メイの方がその違和感を言葉にするのは早かった。

「パリエス様は神様なんだから……魔法なんて作るわけないんじゃないの?」

「なるほど。そうか、パリエスは神か。ククククク」

 イレーネは可笑しくてたまらないとばかりに忍び笑った。

「まるで知ってる人みたいに……」

「知っておるぞ。いや、こう言うべきか。奴は元気に生きておる」

「!!」

「幸いにしてロムガルドなどに住んでおったわけではないからの。癒しの業を全部己の恩恵とでっち上げられ、さぞや尻の痒い思いをしておろう」

「……か、神様って本当にいるの!?」

 メイの受けた驚愕と同等かそれ以上の驚きが、ホークを呆然とさせる。

 神とは、概念だと思っていた。

 誰も見たことがないのが当たり前の存在であり、会って顔を見て握手ができる相手とは根本的に違う何か。

 ……だからこそ、偉い奴が金を積んでも変えられない、何か。

「お前らが思い描いた理想とは、全くの別物かもしれんがな」

 イレーネは確かに頷く。

 ホークは狼狽した。

 魔王との戦いは、間に国同士や個人同士のくだらない意地のぶつけ合いや足の引っ張り合いがあるとはいえ、「神」は別だと思っていたところがある。

 魔王がどんな存在であれ、勇者がどんな俗人であれ。

 もっと大きなところで、人を守り、導き、魔王の覇権を阻止するのを良しとする「神の意志」はあるものだと思っていた。

 それはホークが特別敬虔なのではなく、この時代の人間なら誰もが漠然と持っている世界観だった。

 それは、神が肉を持った存在であるとなれば話が変わってしまう。

 しかもイレーネのような魔族が……「魔王」と同種のものが知己であるとなれば、それは。

「ロー……」

 ホークは誰かにグラついた足を止めてほしくて、ロータスに救い求めてしまう。年長者に。

 しかし。

「…………」

 ロータスは憂い顔をして、目を背けている。

 反論も驚きも、ないようだった。

「ロータス……お前は」

「貴殿らには嫌な話かもしれんな」

「っ」

 最初から知っているらしい。

 そうであってほしくはなかった。それがイレーネだけの言葉なら、まだ笑い飛ばすことはできたのだから。

「……本当に、嫌な話だ」

 つまり。

 それは、同じ高さの「魔族」同士の意志を、片方蔑み、片方を崇めているだけの代理戦争でしかないということになる。

 いや、もしかしたら代理戦争ですらなく、人間たちが一方的にパリエスを神輿に上げ、旗印にして、無関係のまま加護を祈っているだけということですらあるかもしれない。

 それは、全く救いがない。

「ほ、ホークさん、どういうこと……? 神様って、いたらいけないのかな?」

「さあな。……少なくとも、魔王の同類に『知り合いだ』って形で消息を聞きたくはなかったよ」

「……え、ええと」

 メイは「神」の実在に驚きはしたものの、それが意味するところまでは思い至っていないらしく、ホークが暗い顔をする理由が想像しきれない様子だ。

 そこに、さらにイレーネの嘲笑が重なる。

「魔王の同類か。……ククク。なるほどな」

「何が言いたい」

「いや。これ以上つまらん入れ知恵はせんよ」

 イレーネはそういうと、ジェイナスとリュノの死体から手を放す。

 二人の死体はすっかり綺麗になり、首があれば今にも軽快に起き上りそうなほどに修復された。

「これで腐敗臭はしばらく気にせずに済むじゃろ。……防腐の護符ももう少し良い物があるじゃろ、エルフどもよ。一枚二枚くれてやれ」

 いつか抱かせた食料用の護符を取り上げ、ポイと投げ捨ててエルフたちに命令するイレーネ。

 そしてドヤ顔をして、しばらくして顔をしかめる。

「……まだ臭うのう。お前たち、食料も腐っておらんか」

「……まだあるんですけど」

 メイが両手に紐でぶら下げた頭の包みを差し出す。

 イレーネは無表情になり、そして怒った。

「頭か! なんで後から出すんじゃ!」

「首がついてないんだから気付くでしょ!?」

「ええい、よこせ! そっちも直してやる……くっさ! お前たちよくこれに耐えとるのお!」

 文句を言いながらも頭にもウーンズリペアを掛け始めるイレーネ。

「……魔族がここまで親切ってこともあるのか」

「油断はするでないぞホーク殿。自分の基準で物をやるのが悪党であるなら、魔族は究極だ。何しろどんなに気分で他人を弄ぼうが、誰も咎め立てはせぬ」

「…………」

 ロータスの言葉にイレーネがふて腐れたらどうするんだ、とホークはヒヤリとしたが、イレーネは肩をすくめるだけ。

「儂は臭いのが嫌いじゃと言ったはずじゃ。そしてお前は肉をくれた。これは匂いが消えて肉を美味く喰えるよう計らっておるだけじゃ。儂は暇と魔力は余っておるからの」

 そしてホークとメイを見て。

「儂がただ快適でありたいだけで、親切をしているわけではない。……無用に争うつもりもないがな。そちらのエルフはともかく、お前たち二人は儂に怪我くらいはさせることができるのじゃろ」

「……え」

「……何が見えてんだ」

 見透かすような赤紫の髪の魔族の物言いに、薄気味が悪くなるホーク。

 この魔族の前で、ホークはそんなに不審な動きをしていないはずだ。少なくとも“盗賊の祝福”が割れるような真似は。

「ククク。お前たちはレヴァリアから来たと言ったな。……ならばこんな古臭い魔剣使いと魔術師は保険。お前たちが、今回の魔王戦役のメインディッシュということじゃろうて。おお、怖い怖い」

「意味が分からねえよ」

「レヴァリアはそういう場所。……ああ、そういう場所のはずじゃ。そうじゃろ、黒いエルフもどきよ」

「もどっ……」

「さて」

 ロータスを狼狽させたイレーネは、これまた綺麗になった勇者と女神官の生首をホークとメイに投げ渡す。

「さあ、親切をして欲しいならここからじゃ。何を差し出し、何を願う?」

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