隠れ里
レイドラは魔王と対峙し、未だ健在の国家だ。
仮にも国境の守備隊が30人ぽっちということは、もちろんない。
ホークたちは勢いでその場の守備兵を蹴散らしてしまったが、国境柵の向こうにある駐留地には最低でも数百名の戦力がいる。
柵を突破されても、数百ヤードから1マイル程度の距離を置いて第二防衛線、第三防衛線を構築しておくことで、広い範囲を少ない人数でカバーして侵攻に対処できる。
つまり、ホークたちにとっては面倒な状態だ。
この場の兵たちを全滅させたとしても、レイドラに入るには無防備に数マイルを駆け、守備隊の背後に突き抜けなくてはいけない。
「馬鹿貴族の思いつきで殺されそうになった……なんて言ったところで、こっちの言い分を聞いてくれる兵隊なんかいるわけねぇよな」
「我々の義を証明するものは何もない。とはいえ、あそこで無抵抗に吊るし首になるわけにもいかなんだ」
「せめて捕まえて牢屋にぶち込んでおけーっていう人だったら、ホークさんの得意分野だったと思うんだけど。脱獄とか得意そうだし」
「縄抜け鍵開けは確かに心得てるけどな。見張りのキツい中じゃ煙みたいにドロンってわけにもいかねぇよ。結局力任せにはなってたかもしれない」
とりあえずの戦闘が片付いたので作戦会議。
さすがに数百人相手に戦うのは無理が過ぎる。ロータスの魔剣「ロアブレイド」も(ロータスの見立てによれば)連射速度は低いし、メイも遠近多くの武器に狙われて完全な乱戦に持ち込まれれば、無傷で勝つのは厳しい。
「……づっ」
「おい、メイ。どっか怪我してるだろ。見せろ」
「かすっただけだよ。もー、ヘタクソな人ってまっすぐ構えてすらくれないから綺麗に避けづらくて……」
「お喋りは後だ」
メイが隠していた傷を見る。左のふくらはぎに一筋、刀傷がついていた。
「止血布あったよな。縛ろう」
「だ、大丈夫だってば。こんなのほっとけば治るよ」
「治るまでほっとく時間がねえんだよ。レイドラに入れるかどうかの……くそっ」
現実的に考えれば、諦めてどこか別の経路からレヴァリアを目指すべきだろう。
同じレイドラ国境でも、数十マイルも場所を変えればクロイセルの部下は追ってはくるまい。
だが、そんなに手間取っていては死体はどうなる?
いや、死体が腐るのは我慢しよう。最悪、白骨化したっていい。
だが、そんなにモタモタしている間に、数少ない味方勢力といえる“勇者姫”を見殺しにしてしまうことになるかもしれない。
「……メイと姫さんの約束をナシにしたくはねぇよな」
「急ぐしか、ないよね……」
「だが無理押しは禁物だ。いくら手間取るとしてもジェイナス殿が復活できなくては意味がない」
「そうは言っても……無理じゃない手があるのか?」
「……むぅ」
「あたしや真っ黒女は壁でも何でも強引に乗り越えて抜けることもできるし、ホークさんも『アレ』でなんとかなると思うけど、ロバさんたちはゆっくり歩けないと」
「ロバはもう放しちまうか? 死体だけなら強行突破にも堪えるだろ」
「壁越えができればいいという話ではないだろう」
「だから、別の案はあるのかって言ってるんだよ。少なくともあの馬鹿貴族が来た時点で、俺たちがレヴァリアの勇者を名乗ったことは駐屯地までは伝わってる。で、この有様だ。よその守備隊が守ってる検問を探して通ろうとしても、俺たちが国境のお尋ね者には変わらない」
「……仕方ない」
ロータスは溜め息をついた。
「こっちだ。メイ殿は怪我もある、しばらくロバに乗るといい。リュノ殿と一緒する程度ならロバも耐えられるだろう」
「こっちってなんだよ。いい案でもあるのか」
「レイドラ軍とこのままやり合うよりは、多少マシだと私は思う」
ロータスは二人を先導して歩き出す。
◇◇◇
「この先に何があるんだ、地図には何もないぞ」
「昔馴染みがいる。無沙汰が過ぎるので少々気まずいのだが」
「……エルフの里ってことか?」
「まあ、そういうことだ」
エルフ族はその数百年とも数千年ともいわれる長命ゆえ、あまり人の社会には馴染めない。
一年や二年どころか、十年二十年の歳月をも「たったそれだけ」と鼻で笑うような時間感覚の持ち主たちは、何をするにも人と認識が違ってくる。建国百年の国名さえ「最近そんな名前も聞くな」とすっとぼけられてしまうのだった。
そんな彼らの多くは、自分たちだけの集落をひっそりと作って生活する。
「エルフでも無沙汰が過ぎるって、何年会ってないんだ」
「第五魔王の時に会ったのが確か最後だな」
「200年近くかよ! っていうか、本当に今もそこにいるのか」
「わからん。何しろ無沙汰だからな」
予想していたとはいえ、あまりに雑な時間感覚にクラリとするホーク。
ロバに横座りで乗っているメイが代わりに話を繋いだ。
「……それで、そこに行ってどうするの? 助けてもらえるの?」
「そ、そうだ。そうだよ。そもそもエルフの里ってことは、レイドラとは特に関係ないんじゃないのか」
「まあ、レイドラを通るための決定的な助力にはならないかもしれん。だが、兵に囲まれながら三人で唸るよりは多少マシだろう」
「……そ、そりゃそうだけどさ」
孤立無援よりは、たとえ微力でも何かをしてくれる味方がいた方がいいに決まっている。
それは事実なのだが。
「モタモタはできないって、お前が一番わかってると思ってたが」
「私は一日二日の遅れを気にするよりは確実を期す。貴殿こそ、それを言う立場のはず」
「……そうだな」
「すんなり行くと思った場所で躓いて、気が逸るのはわかる。だがそういう時こそ冷静になるべきだぞ、ホーク殿。考えることをやめて捨て鉢になるのが、常に一番の悪手だ」
「説教はいいって」
「次は貴殿がまとめてほしいのでな。私はただの助っ人なのだ」
「はいはい」
ふて腐れるホーク。
事実、少し無理をしてでも強行突破するという選択肢しか思い浮かんでいなかった。非戦闘員の「盗賊」であるという、自分本来の位置を忘れた考えだ。
どうも規格外の暴力の只中にいると、それに沿った考えになってしまう。
しばらく山中の獣道を進むと、やがて木々の間から遠目に人家が見えてくる。
「本当にすげえ隠れ里だな」
「エルフにとってはこれが一番快適な環境なのだ。木々が守ってくれる。嵐も魔物も侵入者も、全て木々が教えてくれる。道らしい道なんていらない。木々の根が、エルフにとって踏みやすいように伸び、エルフたちはその上を快適に歩ける。懐古的なエルフの中には、猿のような生活が一番エルフらしい、というものまでいるほどだ」
「猿……?」
「裸で木の上にまどろみ、草木の恵みによって糧を得て、鉄とも血とも縁を持たず、言葉によらず森の木々の心と感応して思索を巡らせ続ける毎日。さすがにそれはどうかと思うがな」
「実践してるエルフっているのか……?」
「遥か西方のアロリウスの森には、そういう集団がいるという噂はある」
「マジかよ……」
アロリウスはキグラス亜人領よりさらに西にあるという、エルフの支配する森林王国。人間の入国を禁じている。
しかし見目麗しきエルフ族がそんな猿生活をしているのは、果たしてどんな光景だろう。
想像してみたが、ホークにはそれがパラダイスなのか哀れなのか、判断がつかなかった。
話しているうちに大きな家の前に出る。里とは言うが、他の家が近くにあるのかわからない。少なくともその場から見渡しても見当たらなかった。
「私の訪問の気配はだいぶ早いうちに木々を伝って届いているはずだ。急に矢が飛んでくることはないと思うが……」
「死体運びの俺らをちゃんと入れてくれるもんかね」
「駄目だったらどうしよう……」
古い古い、石積みの家。
周囲を薄暗く囲む木々のせいで底知れない雰囲気もあり、ロータスが「そういうもの」という態度を取っていなければ、廃墟かと思うほどだ。
「マギー! 私だ、『漆黒の黒き暗黒』のロータスだ」
いきなり変な肩書きを大声で名乗ったロータスにギョッとする二人。
「何だその……なに?」
「『漆黒の黒き暗黒』のことか」
「意味被りすぎじゃない!?」
「ああ、これは節ごとに違う意味があって……ぬっ!?」
気安く説明しようとしたロータスは、何かを感じたらしくバッと身構える。
ホークとメイも反射的に身を低くし、周囲に目を巡らせる。
二人はロータスと違って森の気配に疎く、実際に何を感じたということはないのだが、あのロータスが身構えているのにぼんやりしていられるわけもない。
しばらくそのまま、何が来ても対処できるように……例えそこら中から射掛けられても伏せるくらいはできるように、気を張り詰める。
「……おいロータス。何だ、何を感じた」
「……明確に、我々の仲間とは違うものが近くにいる……と、感じたのだが」
「なんだよ。どう違うんだ。魔物か。それとも魔王軍兵か」
「はっきりとは……っっ! メイ殿!」
「え……きゃっ!?」
ロータスが凄まじい勢いで振り返り、「ロアブレイド」でない普段使いの漆黒の刀を手に跳躍する。
ホークも振り向き、ことによっては“祝福”でもって対処しようと考えながら「敵」を探す。
と。
「臭い。臭いぞ、お前たち」
メイの後ろに積まれているリュノの首なし死体を、無遠慮に開いて覗く女がいた。
見た感じはエルフではない。耳が尖っていない。赤紫のどこか不自然な髪色が特徴的だ。
ロータス同様に少々若さに欠ける言葉遣いが耳に残る。
そして飛び掛かるロータスにも驚きを示さず、その一撃を虫でも払うようにペッとはたいて逸らし、特に追撃することもなく腰に手を当てる。
「何故人間の死体など持ってここに踏み入る? 儂は悪臭が嫌いじゃ。じゃからここに来たというのに」
「何者!?」
「それは儂が先に問うべきことよな。お前たちこそが侵入者じゃろう」
「……こ、ここはエルフの里のはず! この家に住まうマギーはどうした!」
「はて。……儂は問うたぞ」
女はロータスの構える刀をまたもや無視し、彼女の間合いに無造作に踏み込む。
ロータスは一瞬驚いた顔をして、刀を振らずに大きく飛びのく。下手に振り当てても効かないという直感があった。
「っく……わ、我が名はロータス! ロムガルド王国第四王女護衛官!」
「ほう。して、お前とお前は」
「……メイです。レヴァリアの勇者様の従者」
「同じく、盗賊のホークだ」
「ほう。つまりあれか、魔王を倒すと息巻いておる口か。さしずめこの腐った肉は勇者か」
赤紫の髪の女はつまらなそうに鼻を鳴らし。
「あいにく、死者復活はこの里ではやっておらんぞ」
「そうではなく! き、貴殿は……」
「儂か」
女はなおも焦るロータスを見てニヤニヤと笑う。ロータスがここまで余裕を失っているのをホークは初めて見た。
それだけの実力があるということか。ホークは武術の達人というわけではないので、そういう強者同士の直感は理解できないのだった。
「儂はイレーネという。しばらく前にここを領地とさせてもらった」
「領地……!? エルフの里を領有だと!?」
「何か問題があるか?」
「人の支配にエルフを従えるのは蛮行だ!」
「ああ、なるほど。儂が人に見えよるか」
イレーネは微笑み、次の瞬間にバンッと音を立てて背から巨大な白い翼を出現させる。
それは蝙蝠を思わせる、羽毛でなく被膜を張った翼。
「まあ、儂が野蛮でないとは言わぬ。が、人ではないぞ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます