国境の守護者

 ピピン王国を抜けると隣国・レイドラ王国に入ることができる。

 ここは魔王の侵攻に対して頑強な抵抗を示す「反魔王国家」のひとつで、既に制圧されたピピン・クラトス両王国のほか、北東にアスラゲイト帝国、東にレヴァリア王国やベルマーダ王国、南にロムガルド王国といった有力国と国境を接している。

 互いに違う文化を醸成しながら、直接貿易をするのは歴史的な対抗意識、また様々な国民感情が邪魔をするこれらの国々の間で、レイドラは緩衝材として、あるいは大動脈として交易を行うことで栄えていた。

 そして魔王戦役が始まって以来、周辺国家は物心さまざまな支援でレイドラを支えている。

「勇者」による討伐作戦とは別に、防衛戦略の面では隣国の応援要請を無視しているわけにはいかないのだった。

 隣が落ちれば、直接自国が戦場になり、民と国土を犠牲にしなくてはならない。

 理想としては自国が安全なまま、限られた国々が侵略を引き受けているうちに、勇者が魔王を捉えて討伐してくれることだ。

 魔王を失えばその他の雑兵は遠からず瓦解する。彼らの戦略は魔王の存在なしに持続するほど安定してはいない。


 しかし逆に、魔王というユニットがあるということは、大いに無茶が有り得るということでもある。

 現在までの六度の魔王戦役で、魔王と呼ばれたものが見せた常識外れの戦略的行動は枚挙にいとまがない。

 全く離れた三点で同時に魔王軍が決起したこともあるし、大軍団を囮に、魔王が単独で逆に勇者の出資者である王侯貴族を狩り歩いたこともある。

 なにもなかったはずの地域が突如魔物で溢れて阿鼻叫喚の地獄が現出したことも幾度もあるし、昨日まで平原だった場所が突然峻厳な山峡地帯にされたこともある。

 あまりにも人の限界を嘲笑ったそんな狼藉にも、人類は自分たちのできる範囲で応戦するしかない。

 いつ、そんな無体な出来事が起きるかもしれない……と戦々恐々としながら、人は勇者の勝利を祈り続けるしかないのだ。


       ◇◇◇


 ホークたちは国境まで辿り着いていた。

 ピピン領内ではその後、大きな戦いもなく、ジェイナスたちの死臭につられた野犬数頭の群れが現れたので追い払った程度だった。魔物ですらない。

「レイドラに入れば、もう後はレヴァリアまで邪魔はないよね」

「そうだな。そうだといいが……」

 あくまで懐疑的に構えるホーク。

 メイが信じるならホークは疑う。それが役割分担だと思っている。

「そういえばロータス、お前は俺たちがレイドラ入りしたら姫さんたちのところに戻るのか?」

「何故に」

「遊んでる暇ないだろ?」

「ジェイナス殿が戦場に戻るまでが私の仕事。ひいては姫の望みとも言える。姫は私にそれ以外の貢献など望んでおるまい」

 澄まして言い切るロータスだったが、メイはジト目。

「……もう護衛の必要もないのに変態につきまとわれるのもヤなんですけどー」

「私は性癖はストレートだぞ。メイ殿にやましい思いを抱いた覚えはない。錯覚だ」

「ホークさんの貞操の方が大問題ですー」

「ちょっと待てメイ。なんでお前が俺の貞操を守るんだ。っていうかロータスお前、俺にはやましい思いを抱いたってのかよ!?」

「童貞が突っ張ったり慌てたりする姿に興奮しないと言えば嘘になるな」

「エルフってわりと融通の利かない真面目な種族って聞いてたんだがな!?」

「どんな種族にも善人もいれば悪人もおろう。全体傾向で個人を語るほど価値のないことはない。私は平均よりユーモアを解するし耳も長いし肉食にも寛容だし乳輪も若干大きい」

「わざといらねえ情報混ぜるのやめようぜ!」

 このエルフが入ってきてからというもの、すっかり雰囲気が緩み切っている気がする。

 ホークは流されないように気を強く持つ。ジェイナス復活を成し遂げるまでは油断してはならない。遊びではないのだ。


「止まれ」

 国境は当然ながらレイドラ兵たちが守っている。

 魔王軍の侵攻を許すわけにはいかない。警戒は厳しくなって当然だ。

「俺たちは魔王軍じゃないぜ」

 ホークは手を挙げて兵たちに話しかける。

 行き道には守備兵の存在など気にもしなかった。みんなジェイナスを見れば、そこらの村人同様に舞い上がって拳を振り上げ、声援を送っていただけの連中だ。

「ならば何だ。身分を明かす物はあるのか」

「……俺たちはレヴァリアの勇者一行だ。レヴァリアにいったん戻らなきゃいけなくなった」

 ホークは口頭で説明するが、兵士たちは顔を見合わせて首を振る。

「その勇者はどこだ。どう見てもお前も女たちも勇者という風情ではないが」

「ジェイナスなら死んじまった。不幸な偶然が重なってな。そこに死体はある」

「…………」

 ホークがロバに背負わせていた死体包みを親指で指すと、兵士たちは黙ってその包みを開き、あからさまに顔をしかめた。

 ここ数日はホークたちも包みを開いていない。顔を向けていなくても匂いが漂ってくるのが分かる。

「……こ、これが……レヴァリアの勇者だというのか?」

「そうだ。……何か問題でも?」

「裸の腐りかけた死体では何もわからん」

「……ま、そりゃそうだな」

 ホークは肩をすくめる。王家の紋章の付いた装備の一つも残してあれば話は早かったのだろうが、鎧一式は埋めてきてしまった。こういう時のために残しておくべきだったか、と後悔するが、背負って運搬しなければならなかったことを考えれば余計なものは持ちたくないのは当然だ。

「靴だけならあるが、それで判断できるかい」

「何故靴だけ残ってるんだ」

「金にしやすそうだったからさ。俺なら履くのにもちょうどいいしな」

「……貴様は何だ? 勇者一行というには怪しい奴」

「自分でもそう思うが、それは選んだレヴァリアの王家に言ってくれ。盗賊のホークってんだ。こいつは獣人拳法のメイ。そっちの一番怪しい奴はロムガルドのロータス」

「一番怪しいとは何だ。せめて一番黒っぽいと言えホーク殿」

「お前は一体どんな扱いを望んでるんだ」

 兵士たちはヒソヒソと何かを話し合い、ホークたちにスピアを向けながら仲間を後方に走らせる。

「……大人しく待っていろ。今から上に連絡を上げる」

「は? なんだよ、魔王軍にやられてるっていうのにいちいち通す奴審査してるのか?」

「当たり前だ。不憫だからと言って我が国に次々文無しの無法者を入れ続けては、収拾がつかんだろうが。それに難民を装った魔王の手先だとしたら目も当てられん」

「……世界の危機にセコい奴らだな」

「口には気を付けろ。お前たちは我々に頼んで通してもらう立場だろう」

「へいへい」

 ホークは手を上げ続ける。ロータスとメイもその横で倣う。


 やがて、国境柵の奥から身なりの良い男が現れた。

 リンズとは違い、服と中身が合っていない感じもなく、根っからの貴族のようだ。だからといって安心できるわけでは全くないのだが。

 むしろアウトローのホークとしては、ちゃんとした貴族の方が気に食わない相手である。

「レヴァリアの勇者一行と名乗っているのは貴様らか」

「その通りだよ」

 その男はツカツカとホークに歩み寄り、いきなり手の甲でパンッと打ちつけた。

「ぐっ……」

「作法も知らぬ下民が許しもなく口を開くな。私を誰だと思っている。ハプロニス公爵公子クロイセルだぞ」

「……なんだ、レイドラの貴族ってのは勇者一行にも偉ぶりやがるのか。行き道は素通りだったから知らなかったぜ……ぐふっ」

「親切な忠告が聞こえなかったようだな。これだから下民は困る」

 クロイセルと名乗った貴族はホークの腹に膝蹴りを叩き込み、膝をつかせて髪を掴む。

「跪くかひれ伏して顔を伏せ、その汚らしく濁った目で私の心を汚さぬようにして丁寧に口を開くのだ。それができぬうちは鼻声一つ出すことも罪だ」

「…………」

 ホークは腹立ちまぎれに短剣を抜こうか迷ったが、やめる。

 貴族はこれだから嫌なのだ。自分が下にも置かぬ扱いをされるのが当然で、自分に不従順な口を利いた相手は罰して当然と思っている。

 もちろん中にはもっと温厚な貴族もいるのだろうが、ホークが今まで接したことのある貴族は会話の通じない奴が多かった。

 これで自分が何の使命も持たない立場なら、すぐにでもやり返してやるのだが……レイドラは穏便に通りたい。

 魔王占領地のようにビクビクしながら歩くのはもうゴメンだ。外交問題となれば、レヴァリアでジェイナスを生き返らせた後にも響くだろう。

 ホークはニタつくクロイセルに向けた目を閉じ、髪を引っ張られながらも強引に顔を伏せる。

「我々がレヴァリアの勇者一行。当の勇者ジェイナスと、パリエス教会の聖印を預かる神官リュノは不幸な事故により命を落とした。どうか、通行の許可を願いたい。確か手形もあったはずだ」

「ふん。所詮はもてはやされた勇者と言えども、ちょっとしたことで死ぬ程度の器か。しばらく前に通った勇者姫の方がよほどマシだな」

「…………」

「いや……待てよ」

 クロイセルは引っ張り続けていたホークの前髪を手放し、クルリと背を向けて数歩歩く。

「そもそも、こんな怪しい奴らが勇者殿の死体を引きずり歩いているなんて、おかしいことだ。こいつらはもしや勇者の死体を騙って我が国に潜り込み、悪さを働こうとする食い詰め者では?」

「さすがはクロイセル様」

「我々は鵜呑みにしてしまいました」

 クロイセルに取り巻きの兵士たちが同調する。

「あるいは真に勇者ジェイナスだとしても、その死体なら金になると踏んだ野盗やもしれん。持ち物がそいつらの懐から出たとしても信用ならんな」

「見事な推理ですクロイセル様」

「我々では及びもつかぬ知恵」

「くだらぬ辺境守備に座らされて半年、ようやく面白くなってきたかもしれん。よし、その者たちを吊るし首にせよ。それからその死体と所持品を調べ、もしもレヴァリアに繋がる品が出てきたのなら、私がレヴァリアに運ぶとしよう。うまくすれば魔王戦役の英雄だ」

 クロイセルは晴れやかな笑顔で向き直る。

 ホークはギリッと歯を食いしばり、腰の短剣に手をかける。

 だが周囲には30人以上の兵が出てきていて、それぞれが完全武装している。隠れ場所もない。

 メイやロータスといえども無傷で全員を片付けるのは少々難しい。

「ねえホークさん。こいつら殴っていいよね」

「すまぬ、ご両人。私が普段から堂々と歩いていれば誤解など生じぬはずだが、レイドラあたりを通った時には見えぬ場所から姫をお守りしていた。ここもそのまま通ってしまったのだ」

「全員知名度低いってのはツラいね」

 三人が構える。

 クロイセルの周囲にはその十倍以上の兵士。

 負けるとは思わない。だが、無傷で勝つのも、逃げるのも少々難しい状況になってしまった。

「ここだけは、穏やかに通りたかったんだけどな……」

「しょうがないよ。あいつ感じ悪すぎるから。あと、殺していいよね? ホークさんにあれだけやったんだから死ぬ覚悟できてるよね?」

「全く全く。我々を不当に吊るし首にする算段をしていた愚か者たちには、正当防衛というものを教えてやらねばなるまい」

 メイが深く構え、ロータスはロバの背から布巻きの魔剣を取って振るい解く。

 ホークもそっと道具袋から、ロータスに譲られた短刀を三本抜き取り、顔の前に構え。


「メイ、ロータス。しばらく任すぞ」


 極度の集中とともに、それを投擲する。

 いや、投擲したという感覚が意識を打つ吹雪に飲み込まれ、気付けばそれらはクロイセルの額、心臓、そして股間に突き刺さっていた。


「任されたぞ!」

「いいけど全部一人に投げなくてもよくない!? あとあそこに刺した奴再利用するの!?」

 クロイセルがゆっくりと倒れるのを兵士たちが呆然と見る中、メイは矢のような速度で正面の槍兵を蹴り飛ばし、地面をひと蹴りして続けざまにその両隣の兵士を両足で左右に弾き飛ばす。

 ロータスは黒い蛇のように面妖な動きで敵の列の側面に入ったかと思うと、敵を多く巻き込んで魔剣の白光を解放する。

「食らえ『ロアブレイド』!」

 ドォン、と雷のような音とともに、十数人の兵士が光に叩き斬られ、吹き飛ばされる。

 結局シンプルな名前に落ち着いたのだった。

「お、おい、あの女、勇者だっ!?」

「聞いてないぞ!?」

「クロイセル様!! クロイセル様ー!?」


 ホークのところには、結局それから敵は寄ってこなかった。

「……助かるけど、何となく楽過ぎるのも腑に落ちねえな……」

 全身を襲う疲れと重みが、クロイセルにやられた痛みを倍加するのを感じながら、ホークは全身の力を抜く。

 やってしまった。

「……さて、次はどうしたもんか……また隠れ進むか、それとも話の通じる貴族探して、俺たちの説明を頼むか」

 まだ楽にはいけそうもない。 

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