勇者姫
勇者王国ロムガルド。
広大な国土の中には魔族が一人とておらず、彼らから奪った古代の遺産たる数十本の「魔剣」、そしてそれを自力で生産する知識すらも手に入れた、大陸随一の武闘派国家。
しかし近年は華やかな話題もなく、凋落を噂され続けていたその国が、ついに動き出した。
「き、貴様ら、人質がいるのが見えんのか!」
「見えていますよ。……愚かなこと。敵前で戦う自由も逃げる自由も捨てたことに、気づくこともできないとは」
「こ……この男が殺されてもいいのか!?」
「殺した後はいかがなさいますか?」
豪奢な金糸の髪を精緻に結った少女、“勇者姫”ファルネリア。
他の騎士……ロムガルド的に言えば「勇者」たる従者たちの中には、四十路にかかろうという貫禄ある者もあるにも関わらず、それらを完全に脇役にする威厳を持つ少女。
彼女は抜いたまま光を放つ「魔剣」を構えることもせず、急ぐ素振りもなければ躊躇もない足取りで無造作に魔王軍兵に近づいていく。
「あなたは誰かを脅せるかもしれぬ種を手に入れた。その代わりに私たちは、あなたを容易く斬る好機にあります。人質から離れることもできず、人質を抱えながら攻撃することも叶わず。そして人質を手にかければ、無論あなたの運命は終わる」
「ゆ……勇者が、市民を見捨てるというのか!」
「今一度、剣を捨てよと言わねばなりませんか? これはその者に対する温情の話ではない。あなたに、命と剣、どちらを手放すか選ばせているのです」
彼女が近づくのは、それだけで威圧。
美しい少女ではあったが、その振る舞いには王族の風格と、武人の覚悟が溢れている。
ただの貴人のお遊びでないというのは、遠目に見ているだけのホークにすら伝わってきた。
そんな彼女の横に駆け寄る、ホークと同じくらいの若い「勇者」。
「姫様、まどろっこしいィ! 俺がやっちまっていいですかァ!」
「下がりなさい」
「……はい」
ファルネリアは一人で決着をつけるつもりのようだった。
すごすごと元の位置に戻る若い「勇者」。
魔王軍兵の副長は、“勇者姫”の接近におののき、自分の有利な点が何一つないことに今更気づきながら、残った十歩ほどの間にどうリアクションするべきか焦って考えている。
そして。
「……小娘がぁ!!」
結局、身なりがいいだけの貴族が「勇者」ごっこをしているだけ、という線に賭けた。
剣を振り上げ、“勇者姫”に一太刀浴びせようとする。その後は知らない、という破れかぶれの突進。
“勇者姫”は落胆したような顔をしながら「魔剣」をそっと持ち上げ……間合いの二歩手前で、手首で返すようにヒュッと振る。
瞬間、副長は二つに分かれて落ちた。
「が……!?」
「残念です」
ドシャッ、と水たまりに落ちる、袈裟懸けに裂かれた副長の肉体。
ホークの目には、2フィート足らずの“勇者姫”の剣が、瞬時、長槍の長さまで切っ先を伸ばしたように見えた。
「魔剣」はそういうデタラメを可能にする武器だ。いや、むしろ「魔剣」としては可愛らしい「効果」と言えるかもしれない。
そして、副長が倒れた今、メイを戒める物はない。
ホークは副長が突撃する瞬間から自分も走り出し、メイに槍を突き付ける兵に短剣を突き立てるべく突進した。
「なっ……貴様」
「おおおおおおっ!」
槍兵に気付かれる。それはいい。
短剣では勝負にならない。知っている。
自慢の足の速さも、未だ万全とはいかない。わかっている。
それでもホークが槍兵と相対することに、意味はある。
何故ならば、その槍が向けられていたのはメイだからだ。
人質という障害が消えた今、一瞬あればメイには充分。
「ハイッ!!」
メイはホークの意図を正確に理解し、槍兵の気が逸れた一瞬に、血を流していない方の手を鞭のように振るってしゃがんだまま一回転。
両足の骨を叩き折られながら、槍兵は宙を回転する。
それでとりあえずの脅威は消えた。
「大丈夫か、肩!」
「ふ、深手じゃない……けど」
メイの二の腕を横一文字に裂いた傷は、派手に出血している。筋まで切れていたら一大事だ。
リュノならば筋どころか、手足ごと切断されていても癒せると豪語していたが、そのリュノがいないのだから、下手をすればこれからの旅を片腕で過ごす羽目になる。
いや。
「……意地張ってないで、あいつらを頼るか」
ホークは、新たに現れた残りの魔王軍兵を瞬時に斬り伏せる「勇者」たちを横目に、算段を始める。
そんな二人を、ファルネリアがまっすぐに見ていることにメイが気づく。
「ほ、ホークさん。“勇者姫”が……」
(黙っておけ。……いいか。俺たちは“正義の大盗賊ホーク一味”だ)
(えっ?)
(待たせてる“二人”のことは、ないもんとして振る舞え)
(なんで?)
(敵の敵は味方とは限らない。弱みなんて見せるな)
肩で口元を隠しながら、メイに作戦を伝える。
綺麗なお題目を唱えながら登場するのはいい。
だが、それはありふれた民衆向けのポーズだ。余裕のある勝ち戦なら、誰だって恰好の良さを気にすることはできる。
だからいって、魔王戦役における「ライバル」であるジェイナスの不幸に対してまで、すんなりと支援をしてくれるとは限らない。
魔王討伐に関しては国家戦略の問題で、たかだか一部隊の見栄と同列ではないのだ。
(『奴らに対する怒りで立ち上がった、善意の市民』で通せ。それでも手当くらいは受けられる。それと食料をもらうアテもできる)
(……う、うん)
(もともとそれ以上を望むのは高望みだ。頼ったからってこの場で奴らが蘇るわけでなし、運搬の手伝いをしてくれそうな奴らでもないだろう?)
(そうだね……)
こそこそと顔を寄せ合っている二人。だが。
「内緒話は終わったかヨ?」
周囲の警戒を他の「勇者」に任せた、特別元気のいい若い「勇者」がスタスタと近寄ってくる。
さっきまで土砂降りだったのに、濡れた様子は少しもない。それは他の勇者も同じで、いつかメイと話したような雨粒除けの魔法でもかかっているようだった。
「なんのことだ」
「ボソボソなんか言ってるのは丸聞こえだ。狼人族の耳ィなめんな」
「!」
よく見れば、赤い癖毛で目立たなくなってはいたが、確かに彼の耳は狼だった。
腰にはスカート型の鎖の腰鎧もつけているが、その下には尻尾も出ているのだろう。
「怪しい連中だぜ。俺たち正義の勇者隊に隠し事かァ?」
「やめなさい、ゲイル」
ゲイルという狼人勇者を制し、ファルネリアもツカツカと寄ってきた。
バツの悪そうな顔をし、ゲイルは一歩下がってファルネリアの邪魔をしないように立つ。
「魔王軍への抵抗、立派でありました。我々はロムガルドより参った勇者隊。その隊長にしてロムガルドはウィルフリード国王の第四子、ファルネリアと申します」
「……“勇者姫”ね」
「そう呼ぶ者もあります。……あなたのお名前をお聞かせ願えますか」
「…………」
決然と剣を振るう“勇者”として敵に対峙した時と違い、こちらの警戒を解こうというのか、優雅な笑みを浮かべる姫君。大人びた雰囲気が急に幼くなったようにも思える。ホークよりも年下なのではないか。
完璧なまでに清潔に整えられた美貌と所作の美少女というのは、何もかも泥臭く埃にまみれたこの時代、ただそれだけで衝撃的な存在ですらある。普通の男なら微笑みかけられただけで屈してしまうだろう。
そしてホークは普通の男以下だった。全然女慣れしていない。
それまでの警戒の決意も忘れかけて呆然としてしまったが、むくれたメイに服の裾を引っ張られ、慌てて取り繕う。
「う、うぉっふんっ……お、俺は……ええと」
「正義の大盗賊ホーク。と、その相棒のメイです」
メイが少し低い声で勝手に自己紹介してしまった。
立ち上がったメイの二の腕を見て、ファルネリアは気の毒そうな顔をし、ゲイルに手を軽く上げて何かを命じる。
ゲイルは慌てて走っていった。
「ピピンでずっと魔王軍と戦っているのですか?」
「この前からです」
まだ思考がフワフワしているホークを差し置き、メイが勝手に受け答えを始めてしまう。
だらしないホークへの失望からか、あるいは嫉妬心からか、メイは先に打ち合わせた以上にファルネリアに隙を見せまいとする。
その間にホークはなんとか自分を取り戻し、ファルネリアとの会話に割って入る。
「と、とりあえずコイツの手当て……できれば神官級の治癒魔法でサクッと治して貰えたら嬉しい。先を急ぐんだ。それと……食料も少し欲しい」
「急がれるのですか? できればその志、私たちと共にピピンを取り戻すために……」
「魔王軍狙いだが、盗賊なんでね。お行儀のいい勇者様たちとはご一緒出来ねえよ。それに」
ホークは少しわざとらしく溜め息をつく。
「言っちゃ悪いが、個人的にロムガルドはあまり好きじゃなくてね。厚意に甘えようとしておいて悪いが、そんなに気が合うとは思えねえんだ」
半分演技、半分本音。
ロムガルドの何が気に食わないかと言えば、その覇権主義だ。
いつか魔王を名乗って蜂起するかもしないとはいえ、放っておけば害を為さない国内の「魔族」を、自分たちの都合のために駆逐し尽くすというその野蛮さ。
横暴な正義を叩きつける大勢力は、アウトローとしては迎合し難い。
それに、基準が緩いとはいえ「勇者」をこれだけ擁しながら、あえて姫君を前線に出す魂胆も気に食わない。
他の国であるならば貴人の義務で片付く話も、ロムガルドのやることなら、何か生臭い物を勘ぐってしまう。
「……ふふっ」
そんなホークの態度に、ファルネリアはなぜか微笑んだ。
「正直なのですね。あなたとは気が合いそうです」
「合わねえって言ってるんだが」
「ロムガルドとは、でしょう?」
「……姫さん、あんた……いや」
自分の国に不満でもあるのか、と言おうとして、ホークは口をつぐむ。
誰にだって自分の生活に不満はある。宮廷で安楽に暮らしているならともかく、こんな場所に派遣されてくるなら当然、気に食わない気持ちだってあるだろう。
自分の手で敵兵を殺すことをああも簡単にやってのけるなら、姫君に似合わない修行もずいぶんさせられたに違いない。
年頃の姫にそんな真似をさせる自分の国のあり方に、疑問がないほど愚かではない、ということだろう。
「察しの良い方は好きです。ええ、口に出すわけにはいきませんが」
「な、何? なんの話……?」
ホークとファルネリアの間で行われた、無言の了解含みの会話に、メイはついていけずに説明を求める。
そこにゲイルが他の「勇者」を連れて戻ってきた。
「姫様ァ! マリンを連れてきましたァ!」
「ご苦労様。それと私への報告は叫ばぬようにしなさい。あなたの声は耳に障ります」
「申し訳ありません、騎士団の教練では、はっきり聞こえない報告は殴られましたのでッ!」
注意されても相変わらず声の大きいゲイルに、迷惑そうな顔をするファルネリア。
ホークも耳を軽く塞ぎたい声の大きさに辟易した。
「こいつアホか……」
「なんだ汚いチンピラめがァ!」
即座にホークに顔を近づけて凄むゲイル。
が、ホークの襟首に伸ばそうとしたゲイルの手首を、横にいたメイが掴んで止める。
いきなり肉食獣の目になっている。ゲイルはもちろんホークも驚く。
「……な、なんだ小娘。手を放せヨ」
「離れて。殴るよ?」
「…………」
いきなり反則な美少女にホークがグラッときたり、わけのわからない会話に疎外されたり、気に食わないことが重なったせいか、メイもイラついているのだろう。
その威圧感は戦闘時のファルネリアに勝るとも劣らず、ゲイルは自分より1フィート近く小さい少女の視線に思わず耳を倒して降参し、離れた。
そしてゲイルが連れてきたマリンという名の女勇者は、その鎧にパリエスの聖印を張り付けている。
「怪我をしていると聞いてきたのですが」
「……ここ」
メイが腕を見せる。血汚れのドロリとついた腕は、その半分が固まりかけている。
ホークはふと違和感を覚えた。
その腕は、今ゲイルの手を掴んだ方ではないだろうか。
動かないほどではないにしろ、だいぶザックリやられていたはずだが……。
「……かすり傷ですね、見た目ほどひどくはありませんよ」
マリンは印を切ってウーンズリペアの魔法を発動し、メイの傷をみるみるうちに消す。
ますますホークはおかしいと思う。
かすり傷? そんなに浅くはなかったはずだ。
「……メイ、大丈夫なのか?」
思わずメイに漠然とした質問をしてしまう。
「?」
メイは不思議そうな顔をする。それはそうだ。今、癒してもらったのに「大丈夫か」もない。
狼人族は人間より治りが早いということだろうか。それにしても少し異常な気はするが。
他の勇者たちも残敵掃討を終え、続々と広場に戻ってきた。
その彼らを見渡し、ファルネリアは万事大過なし、と頷き。
「それでは、今日はここに宿を取りましょう。リディック、宿の交渉を。そちらの彼らの分もよしなに」
「はっ?」
「どういうことです姫様ッ!」
年配の「勇者」が訊き返し、次いでゲイルも勢い込む。
ファルネリアは微笑んで。
「レヴァリアの勇者たちに意地悪をして、何になるのです?」
ホークは心臓を掴まれたように硬直した。
何故バレたのか。どれが切っ掛けだ。
バレていない前提で、さらに田舎者ぶろうとしてものすごく失礼なことを言ったのに、大丈夫か。
「……ホークさん」
「…………」
「多分、だけど……ほら、あたしってホークさんほど無名ってわけでもないから……戦い方とかでアタリつけられちゃった、かも」
「…………」
ホークは全力で逃げたかったが、我慢した。
“正義の大盗賊ホーク一味”などという、辺境で使い捨てるつもりだった言葉をあの姫君に堂々と聞かせてしまったのが、とりあえず一番心理的にきつい。
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