雨の町の死闘
敵は見える範囲で残りおおよそ5人。とはいえ、駐留部隊がまさか総勢でそれだけではないだろう。
ホークの得物は刃渡りで1フィート弱ほどの短剣。ほとんどの兵士が持つ棍棒や長剣相手には相当な技量差がないとやり合うことはできない。
無論、ホークにそんな技量はない。盗賊の本分は「相手に気付かれない動き」であり、正面から切り結ぶなどというのは、その状況になった時点で大失敗といえる。
現在、衆人環視の広場の真ん中……つまり逃げも隠れもできない場所で、三人殺しながら登場という致命的状況だ。ここから短剣で改めて不意打ちさせてくれる間抜けはまずいないだろう。
しかし、やりようはまだある。
「貴様! 堂々と魔王軍に逆らうとは……楽に死ねると思うな!」
「おっと、そんなに隙だらけでいいのかい」
ホークはギラリと光る短剣を魔王軍兵たちに素早く順番に向けてみせる。
ギクリと止まる魔王軍兵たち。
「急所丸出しの雑な鎧で、よくもまあそんなに自信満々でいられるもんだぜ」
魔王軍兵の武装は革や錆びた鉄の古めかしい胴鎧が主で、兜はちゃんとしたものを被っていない者が多い。亜人の頭は真面目に守ろうとすると特殊な形の加工が必要なことが多く、飾りをつけた帽子で真似しているだけで、あまり本物は普及していないようだった。
おかげでホークにも、不意打ちさえできれば仕留めるのは難しくない。
“盗賊の祝福”さえ残っていれば、の話だが。
しかし。それでも。
「お前らもそこに転がってるお仲間みたいに、喉の風通しをよくしてもらいたいか? それとも貧相なイチモツ刈り取ってもらいたいか? 目玉の奥の奥までブッ刺してやるのもいいな」
この切り札は魔法などの一般的な技術と違い、存在自体ほとんど知られていない。
それがどういうことなのか。才能を持つ者自体が魔術師よりもはるかに希少なのか、あるいは使い手がみな「うまくやって」いるだけか。
ホークにはそのどちらなのか、わからない。
とにかく、“盗賊の祝福”がどういう限界を持つ技なのか、理解している相手を見たことはない。
ならばハッタリはいくらでも利かせられる。
「やられたい奴からハシャいでこいよ。不思議な体験させてやるぜ? どうして死んだのかわからないままコロッと死ぬ、っていう、な」
「お……おのれ、この小僧が」
「待て、焦るな! 現に三人も殺られている、奴の挑発に乗るな! スリングを呼んでこい!」
「へい!」
「どうせ逃げられまい、なぶり殺しにしてやればよいのだ……!」
魔王軍兵たちは、雨の中で必死に疲労を隠すホーク相手に、いい具合に警戒してくれる。
そう、何秒でもいい。時間を稼ぐ。
「使った」直後は本当に一瞬でクタクタになってしまうが、深呼吸を何度かする暇があれば、重装の兵士相手ならなんとか駆け比べできる程度の余裕は生まれる。もっと休むことができれば、その分だけ、逃げられる距離にも余裕ができる。
メイは困惑しているだろう。もうそちらを確認する余裕はない。いちいち目くばせしたり、口で指示を出すのも、みすみす敵に教えるだけだ。
メイはどう動くのか。敵を倒すのか、やられた人々を救うのか。
あるいは……ホークを置いてサッと離脱し、逃亡を再開してくれるか。
そんなにクレバーな娘なら、今この苦労なんてしているわけがない。苦笑いしつつ、ホークはとりあえずメイの動向を頭から追い出す。
ホークが想定していない行動まで含めて、メイには自主的な行動に任せる。
動くな、と命じながら、ホークは自分でそれを破って馬鹿なことをしてしまったのだ。
そこでメイに泣きついて切り抜けるというのはあまりにも理不尽だ。
今この場の責任くらいは自分で取る。
そして、うまく凌ぐことができたなら。
その時はメイにも“祝福”の……“呪い”の効能を教えて、納得してもらおう。
だから、ホークは、生き残りを期して策を考えながら疲労を回復する時間を作る。
雨はずっと降り続けている。飛び道具を扱うには不適だ。視界も悪く弾道も手元も安定しない。
スリングを用意されたところで、そうそう致命傷を負うことはあるまい。
問題はどこで敵がホークが窮したとみて包囲を狭め、一斉に襲い掛かってくるかだ。
その決断をするギリギリを読み、逃げ場があるうちにそこらの屋根に上り、盗賊らしく逃げる。
今のところホークにできることはそれだけだ。
「しかし“正義の大盗賊”か。こんな小僧が……こうして見ると大盗賊などという風情ではないな」
「副長、やっちまいましょうぜ! さっきは何やったか知らねえが短剣で槍に敵うわきゃねえ」
「慌てるな。無抵抗の町民を嬲るよりずっと面白い……それにピピン本陣の手配した首だ。うまく捕らえれば褒美も出るぞ」
「でも隊長が殺られちまってるんだ、情けなんて無用じゃねえですか」
「死んだ奴のことは捨ておけ。俺が今から隊長だ。あんなセンスのない吟遊詩人かぶれ、隊長の器ではなかった」
「……へい」
ホーク相手にじりじりと間合いを計りながら、魔王軍兵たちはどこか余裕のある会話をする。
ホークが仕掛けないことに何か感づいているか、あるいは誘っているか。
「小物同士が世知辛いな。それよりもっとこっちに来いよ」
ホークは短剣の先を指先のように扱って、招くようにジェスチャーする。
副長と呼ばれた男は目をすがめた。
「なるほど、間合いが鍵か……?」
「……さあなぁ」
「ふ。まあ何でもいい。……我々の勝ちだ」
ホークは不意にゾッとして、副長の視線の先を追う。
自分を見ているようで、僅かに角度がズレている。
背後にいる誰かを確認していたのだ。
そこには小柄な男がいた。広げた両手の間に紫色の光球を作って。
初歩的な「ボルト」系の魔法。魔力の塊を飛ばすだけの、それでも人間に当てればたやすく吹き飛ばす威力を誇る。
「残念だったな。“スリング”は隠語だ」
副長が勝利を確信した顔で言う。
魔術師。いてもおかしくはない。失念していた。
あれに当たれば致命傷は負わなくとも、石つぶてを命中させられるよりはキツい。そのダメージを負ったところで兵たちは一斉にホークを襲う腹積もりだろう。
「くそっ……」
ホークは咄嗟に短剣を投げた。
だが雨の為か、焦りの為か、狙いは逸れて魔術師の顔の横を飛んでいく。
雨は飛び道具には不利なのだった。
「食らえェェェ!」
小柄な魔術師はエキセントリックな叫び声をあげて、手の中に発生させた魔法を放つ。
……その時、誰かが投げた石が予想外に魔術師に当たり、その手元が僅かに狂い……身を投げ出して伏せたホークに命中せずに魔法は空に消える。
石を投げたのはホークでもメイでもなく、ただの町民の若者だった。
「あっ……」
自分がやってしまったことに恐怖する若者。
激高した魔術師はその若者に向かって魔法を詠唱し始める。
ホークは立ち上がって、自分の手にもう武器がないことに気づき、それを見て取った魔王軍兵が一斉に襲い掛かってくる。
いくら謎の絶技があるとはいえ、肝心の武器がなければ喉を割られることも局部をチョン切られることもない。そう思った魔王軍兵に躊躇はなかった。
もともとホークとしてもただのハッタリで時間をもたせていたのだ。それ以上の手はない。
一目散に逃げるしかないが、ただ重装軽装の差で逃げ切るには、まだ体力が回復できていない。
そこで、メイがようやく飛び込んできた。
「ごめん、ホークさん」
まるで気配も感じさせずに現れた、手ぬぐいで顔を覆ったメイは、くぐもった声でそう言いざまに手近の魔王軍兵に回し蹴りを叩き込み、近くの建物に直撃させて壁を崩壊させる。
「さっきのおじさん、安全なところに運んでたら遅くなっちゃった」
「……いや、全然遅くないぜ」
ホークは安堵し、メイに襲い来る魔王軍兵の相手を任せる。
そして自分は、魔術師だ。
魔術師は若者に対してさっきと同じ紫色の「ボルト」──炎でも氷でもないので、最も原始的な「マナボルト」の類だろう──を、発射し終わっていた。
若者は吹き飛ばされている。しかし、よほど当たり所が悪くなければ死にはしないだろう。
ホークは魔術師に飛び掛かり、殴りつける。
まだ疲労のしっかり残る体では、ひ弱な魔術師相手でもあまり大したダメージを与えられない。
だが、魔術師にトドメを刺すのはメイがやればいいのだ。自分はこれ以上魔法を使わせなければいい。
殴る。殴る。体当たりで打ち転ばし、蹴りで顔を狙う。
水はけの悪い石畳の上で、バシャバシャとみっともない格闘。
それでも、ホークにはそれしかない。短剣は路地に転がっている。取りに走れば、戻ってくる間にもう一発くらい「マナボルト」を撃たれてしまうかもしれない。
それがメイに向いたらいけないのだ。メイが怪我をしても、癒してくれるリュノはいない。武器持ち数人相手に戦わせておいて今更だが、メイに怪我をさせるのは避けなくてはいけない。
そんなホークの必死な姿に、吹き飛ばされた若者以外の町民たちも感化されたのか。
「大盗賊さん! これっ!」
路地からおばさんが短剣を拾ってきて、ホークの足元に投げてよこす。
それをホークは拾い、魔術師にトドメを刺しにいく。
魔術師も必死の抵抗。ホークも弱っているので一発で決めきれず、それでも執念で魔術師に幾度も短剣を振り下ろしてどうにか殺害に成功する。
雨で2インチも水が溜まる中、血が広がっていく。およそスマートでなく、あまりにも不格好な殺しだ。
それでもホークは自分の役目を果たし切れて、少しだけホッとする。
そしてメイはどうなっただろうと顔を上げ、雨のカーテンの向こうに目を凝らすと……メイは、片腕から血を流してしゃがみ込み、槍を突き付けられていた。
「!? おい、どうしてっ……!」
「そこまでだ“正義の大盗賊”。剣を捨てろ」
そして、副長の声が全然別の場所からする。
首を巡らせれば、副長は倒れた若者に剣を当て、逆らえば殺す、と明確に伝わるポーズでこちらを見ていた。
「…………」
メイも、それを見て動けなくなったか。
ホークの口の中に苦いものが広がる。
人質を取られたくらいでこんな。いや、それを言い出すと、自分の乱入からして間違っている。
最初から、人質を無視できないがゆえの行為だった。
ならばこの戦いは、最初から勝ち目なんかないのだ。人質はいくらでもいたのだから。
ホークは力を込めて短剣を握り、脱力する。
まだ“祝福”が戻るには早過ぎる。今の自分では一人で抵抗してもたかが知れている。悪党ならぬメイに抵抗しろというのは、なおさら無理な話だ。
雨が小降りになる。小さな街の小さな抵抗劇は、結局無価値に終わろうとしている。
「そこまでです」
雲間から差し込み始めた光の中から、声がした。
「魔王の手先よ、剣を捨てなさい」
「な……っ!?」
副長がうろたえる。
その声は、メイでもホークでもなく、聞き覚えすらない。
だが、決然とした意志と、道理を超えて蒙昧な者を従えてしまう神々しさを備えた、ただ一言二言でも只者でないとわかる少女の声。
その声は、石畳を優雅に打つ十数の靴音とともに、彼らに近づいてきた。
「何だ……こいつらの仲間か!?」
「ええ。正しくはあなたたち魔王軍の天敵です」
少女は凛とした中に、どこか微笑みにも似た余裕すら感じさせる声で答える。
雨は止んだ。
通りを塞ぐように、格調高い鎧を纏った男女十二名が立ち並んでいた。
「ロムガルド勇者隊、第四隊。あなたたちの時代を終わらせるために参りました」
中央に立つ、別格の存在感を放つ金髪に白鎧の少女がそう言うと、彼らは両翼から次々と抜刀していく。
「観念しろや雑魚どもォ! この爆炎勇者……イテッ」
いきり立った若い男が何かを名乗ろうとして、即座に隣にいた年配に殴られ、そして改めて言い直す。
「この……“勇者姫”ファルネリア殿下がここに来たからには! 何一つ好きにできると思うなァ!」
呆然とするホーク、メイ、そして魔王軍兵たち。
曇天の雲間から差し込む光を背負って、輝く「魔剣」を抜いた異国の勇者たちは、反撃を宣言する。
「剣を捨てなさい。さもなくば命ごと捨ててもらうことになりますよ」
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