盗賊の呪い

 切り通しの関所を抜けたホークとメイは、足早に王都ディアットを横目にすり抜け、魔王軍支配圏から抜けるコースを取ろうとしていた。

 が、今までの山地から平地に変わり、道の見通しも良くなってしまった。

 このピピン王国は山と湖畔の王国である。山の部分を通り過ぎて湖畔部分に出てしまったのだ。

 こうなると死体を背負った二人組は目立つ。

 王都周辺は魔王軍も頻繁に行き来する。雨風に隠れて進むといっても限界はある。

「国境沿いに細々続いてる山の中を無理やり進むって手もあったが……本当、何日かかるかわからないし、『正義の大盗賊』を山狩りで狩り出そうとされたら終わりだしな。本当は関所の奴ら全部ブッ殺して、話が漏れるのを遅らせるのが一番だったんだが」

「あれしかなかったじゃん」

「わかってるわかってる。俺がヘマったのが全部いけないんです。はいごめんなさいごめんなさい」

「ぞんざいだー」

「とにかく、ここから先は出たとこ勝負。予想や計画でなんとかなる状況じゃない。出会った端から倒すか逃げるか、とにかくこの先は魔王軍の手が届かなくなるまで休みなしだと思え」

「安全なとことか、あればいいのに。……ねえ、他の魔族の人のナワバリとか利用できない?」

「あのな。どうしてそういう発想になる」

「魔王だけなんでしょ? あたしたちの敵って。それに、どこにでもいるって言ってたじゃん。みんな強くて、それもみんな魔王の味方ってわけじゃないんでしょ?」

「……最初から説明しないと駄目か」

 ホークは溜め息をついた。

「魔族ってのは確かに魔王の味方じゃない。魔族同士でも助け合ったりしない。あいつらは完全に独立した連中だ。でもそれは誰に対してもそうだ。自分の縄張りと、自分が認めた手下の一族に手を出す奴は誰であれ、その化け物みたいな力で排除されることになる」

「何も悪い意味で手出しをしようって言ってるわけじゃないのに……」

「縄張りに逃げ込んで魔王軍を撒こうっていうんだろ? それは要するに縄張りを犯すってことじゃねえか。魔王軍も追ってこれないだろうが、俺たちもタダじゃ済まないぞ」

「そこは……ええと、その手下の一族さんと話をつける方向とか……」

「話をつけるのがアリなら魔王軍もそうするだろうさ。でもって勇者の死体持って必死に逃げてる俺たちと、勢い真っ盛りな魔王軍、どっちに義理立てる? ……なんにしたって無理だよ。あいつらには近づかないに越したことはない。だいたい、あいつらが魔王に味方しない理由もよくわかってないんだ。もしうっかり干渉したせいで、魔王が二人になったらどうする?」

「うぅー……」

「その案は諦めろ。……せめて他の国の討伐隊が動いてくれていれば、的が散って楽なんだが……俺たちがまだ安全なレイドラ歩いてた頃に、ロムガルドが討伐隊出すって話もあったっけか」

「なんでロムガルドが一番にどかーんってやらないんだろうね。あそこ勇者が二百人いるんでしょ。自称だけど」

「……本当に自称だしな。あいつらの基準では魔剣使えばみんな勇者らしいから」

「勇者」の基準もそれぞれだ。

 レヴァリアあたりでは「巨竜を倒せるほどの騎士」をみなが自然と勇者と呼ぶ。騎士の上位称号といった感じだ。

 王家に伝わる上等の魔剣も与えられたので、ロムガルドの基準でもジェイナスは「勇者」ということになる。

 竜を倒せる、と一言で言っても、それはまともな人間ではどうやっても不可能な難事だ。一人どころか千人の部隊で砦に立てこもっても、これといった策がなければ歯は立たず、壊滅を覚悟しなくてはならない。

 それが魔剣を持ったジェイナスならば可能なのだ。どれだけ他と隔絶した実力を持つ証か、というのがよくわかる。

 対してロムガルド王国は、「勇者」の基準が先述のように緩い。

 古代の貴重な遺物である「魔剣」をロムガルドは低質ながら自力で生産できるようになったため、作られた魔剣の数だけ勇者が増えるという、勇者の大安売りといった事態になっている。

「勇者王国」という異名は、かつて第三魔王を討伐した勇者ロミオが建国したことに由来するものだが、近年ではその勇者濫造に対する揶揄の響きも込められていた。

「本当に強い奴が相手となると、半端に力があっても虫けら同然だ。カトンボよりアブの方が強いからってそれがなんだって話だからな。ロムガルドがなかなか出てこないのは、他の国が功を争っている間に、アブがせめてハチになるくらいは鍛えよう、って腹積もりかもしれない」

「慎重っていうかずるいっていうか……勇者王国の看板が泣くよね……」

「それは連中も承知の上だろ。モタついてたら手柄は『また』よその国に取られる。それでも出遅れようってんだから、それだけ戦力が心もとないんだろうよ」

「『また』?」

「前回の第六魔王、その前の第五魔王は、両方とも他の国の勇者に倒されたんだ。勇者の国を自称してるロムガルドは面目潰れてるんだよ。今回こそは、って思いはあるだろう」

 第三魔王、第四魔王を連続して倒したのはロムガルドの勇者だった。

 しかし第五魔王はレヴァリアの勇者、前回はアスラゲイトの魔術師団が撃破している。

 第五魔王の時には意気揚々と差し向けた勇者が早々にやられて古の魔剣が三本も失われてしまい、続く第六魔王の時には国内の魔族との戦争で疲弊して魔王討伐ができない状態だったのだ。

 第六魔王戦役勃発時、ロムガルドは魔王との戦いの予行練習と称して国内の魔族を一体ずつ仕留め、それによって魔剣の生産技術にも通暁したのだが、肝心の魔王との戦いができなかったのは王国史の汚点とすら言われている。

「そう聞くと……魔王討伐ってなんか、世界の危機なのに国同士の変なゲームみたいなところあるね」

「世界の危機だからだろ。みんな自分とこが『英雄の国』になりたいんだ」

「みんなで団結して、協力して当たればいいのに」

「ある程度は協力してるだろ? 味方の国は『勇者』ってだけでもてなしてくれる。それ以上を求めるのは横暴ってもんだ」

「でも負けたらみんな死んじゃうんだし、大陸連合軍とか作ったらいいのに」

「魔王がいなくなっても世の中は続くんだよ。その後ってもんがあるんだ。最初の勇者の国はそれで滅んだんだぞ」

 最初の勇者ジルベルトは多大な犠牲を払って魔王を倒した。

 どれくらい多大かというと、祖国アーバル王国の王城に、王が我が身を呈して魔王を誘い込み、勇者は王城ごと魔王を潰したのだ。

 後に残った姫君と結婚し、アーバル王国を継いだ勇者ジルベルトは五年後に隣国との戦争に敗れて死んだ。

 世界を救ったという誇りはいつしか傲慢となり、王となって我が侭放題を始めた勇者に、周囲が保てた忍耐の時間がその五年だった。

 王城も城下町も近衛軍も失い、臣下からも見放され、魔剣も持たなかった時代の勇者は、ひどくあっけなく追い詰められて醜く死んだ。

 以来、魔王との戦いという熱狂ゆえの軽挙は、どの国も慎むようになった。

 世界を救ったという功績は偉大だが、それだけで周囲がなにくれとなく良くしてくれるのにも限度がある。

 現実はお伽噺ではない。時間が経てば腹も減るし天災もあるし戦争も起きる。幸せだけでは終わってくれない。

 ハッピーエンドにもバッドエンドにも、その続きはあるのだ。

「もちろん誰だって世界を救いたいさ。もしもできるなら、どこからだって協力者は募りたい。でも終わった後には分け前の話になるんだ。俺たちはこれだけ働いた、それなのに報いはこれっぽっちか……ってな。あんまり揉めたらそのせいで戦争なんてこともあり得る」

「ひどい」

「だからこそ、『心づけ』で済む程度の協力で満足しとくしかないんだよ。それ以上を求めたら、気持ちよくは終われなくなる」

「なんかモヤモヤする。大人のいやな都合って感じ」

「世の中を動かしてるうちの半分はその嫌な大人だ。残りの半分は祈ってるだけで奇跡が起きると思ってるマヌケだ」

 アウトローらしい拗ねた物言いでまとめるホーク。

「さしあたって、ありもしない救援の話なんかしても仕方ない。まずは目の前のことだ。……とりあえず食い物が後一日分しかない」

「……買えたらいいね」

「このあたりはもう魔王軍の圧政下だ。気取られる危険は犯したくない。強制的に買うってのも考えとけ」

「強盗?」

「代金は払う。物は貰う。両方黙ったままでやる」

 盗みを嫌がるメイへの妥協として考えた案だ。

「レヴァリアの勇者一行」というお題目は、二人の死体を隠して、街に一人ないし二人で紛れ込めばバレることはないだろう。

 しかし怪しい旅人が食料を求めているという情報は、どこからジェイナスの仲間という結論に繋がり、魔王軍を本格的に動かすことになるかわからない。

 とにかく自分たちの位置を魔王軍に知られたくないのだ。それには人と接触しないことが一番。

「……う、うーん……それもやっぱり迷惑なんじゃないかなぁ」

「俺たちが国にたどり着けずに終わるのが、回り回って一番の迷惑なんだ。どうしても気に入らないなら、盗賊と子供だけ残して死んだジェイナスに文句を言え」

 メイが悪事に抵抗を示すのは、邪魔臭くも思う一方で、どこか安心もする。

 誰も彼も悪事に慣れるのが、いいことであるはずはない。

 メイには、いつか自分がしてしまった悪事を償いに来れるような娘であってほしい、とホークは思う。

 ホークにだって、世界を救う英雄に「理想像」はある。

 それは魔王軍という「毒」を同種の「毒」で制す、暴力も悪事もなんとも思わない人物たちではない。

 たとえ完璧でなくとも、できるだけ良くあろうという善性のある人物こそ、人々の声援を受ける英雄であってほしい。

 そうであってこそ、いつか自分が老いた時に、彼らを助けて旅したことを良き思い出と呼べると思う。

「ジェイナスとリュノは……このあたりに隠すか。この雨ならそうそう匂いも広がらない。野犬に齧られるってこともないはずだ」

「魔法使いなら、その辺にほっといても見えなくなる魔法とか使うんだろうね……いいよねあれ」

「あれ思ったほど効果ないぞ。匂いもわかるし影も付く」

「そうなの!?」

「あれで安心だと思ってたマヌケ魔術師から何度か盗んだことあるからな」

 二人の死体を岩陰に押し込み、ホークとメイは街に潜入する。


 王都ディアット近郊の、名前もわからない小さな街。

 半分農村、半分貿易港といった風情の、都会の活気と田舎の鈍臭さの混ざり合った感じが、どこか誰にも懐かしい……そんな街。

 その街の片隅に二人は忍び込む。

「静かだね……」

「雨、だからな……」

 言葉少なにメイに同意しつつ、違和感を抱くホーク。

 いくつか人家に近づいたが、どこも人の気配がない。まるで廃墟のようだ。

 だが、略奪や打ち壊しで荒れているわけでもない。魔王軍に占領されたその時点で人を殺し尽くされ、食料や物資を奪われていた……と考えるには、まだ綺麗過ぎる。

 家畜も少ないながら、いる。

 それらも出がけに失敬するべきかとホークは考える。できれば老いた従順な家畜がいい。死体運びにはそれで充分だ。

 そんなことを考えながら慎重に家々の間を忍び足で歩く。

 魔王軍に急に出くわさないとも限らない。

 メイがいれば、突然囲まれでもしない限りは平気だと思うが、あえて軽率な動きをする必要もない。

「なんだか様子がおかしい気がするが、深入りしてもしょうがないよな……その辺の家の食糧庫から必要な分を失敬させてもらうか」

「ちょっと待ってホークさん。……街の真ん中の方で何かやってるみたい」

「ん?」

「声がする」

 メイは顔を隠すように巻いていた手ぬぐいを解いて狼耳を出し、真剣な表情で、耳をせわしなく動かして様子を探る。

 狼人族は嗅覚こそ大したことはないが、聴覚に関しては他の獣面の種族やエルフと比べても遜色はないとされている。

「なんか荒っぽい声で……演説? みたいなのが聞こえる」

「……関わり合いになるの、やめとかないか? 俺たちはあくまでメシが手に入ればいい」

「うーん……でも、気にならない?」

「どうせ魔王様がどうとか終末がどうとか言うだけじゃねえか」

 魔王軍では、元々非文明的な亜人領で暮らしていた奴らが「眷属」として中心となり、それに従う諸族を取りまとめている。

 つまり、演説なんてする権利を持つのは「道理」の通じる奴ではない。何でも暴力でねじ伏せるのが正義とされている世界の住人だ。繰り言のような魔王礼賛と自己正当化しか話の種があるはずもなく、ロクに聞く価値があるとも思えない。

 が。

「……演説ごときで住民がもぬけの殻になるってのも、確かに少し気にはなるけどな」

 どうも嫌な予感はする。

 しかし好奇心が働くのも事実だ。魔王軍は占領後にどう行動しているのか。この国の国民はどういう扱いを受けているのか。

 既にここまで踏み込んでしまったのだから、もののついでで様子を見てくるぐらい、大した違いではない……と、心の中で誰かが囁く。

「ホークさん、大盗賊なら例え人が戻ってきた後でも『強制的に買う』なんて簡単でしょ?」

「大盗賊って何だよ。……ったく、そうだな、魔王軍にこのあたりがどんな雰囲気にされてるのか……少し知る価値はあるかもな」

「うんうん」

「……お前、今『上手くノセたぞしめしめ』って思ってるだろ」

「え、そ、そんなことないよ?」

 メイが最近、ホークを操縦しようとしている気がして面白くないが、それは置いておき、物陰に沿うような足取りで街の中心部に向かう。


 町の広場に人々は集まっていた。

 彼らは一様に声もなく、街が静かすぎると感じたホークたちの感想を裏付ける。もし集まったことで相応の喧騒があるなら、最初から訝ることなどなかったのだ。

 そして、広場の中央には何人かの町民が引き出され、ひときわ体の大きい魔王軍兵が町民を跪かせて大声を張り上げていた。

「ピピンの民よ! 本当に何も知らぬと言い張るか! 口を噤み続けるか! ならばいいだろう、その覚悟に報いてやろうぞ! この男の命! 次はあの子供、その次はその母親だ! 口を割るなら今の内だ! 我々はどちらでも構わぬ! 時間はゆっくりかけてやる! いつでも情報を持つものは名乗り出よ! ただし嘘は許さん! さあ……」

 たっぷり気を持たせて。

「“正義の大盗賊”なるふざけた連中のことを知る者はないのか!」

 ビクッ、と隣でメイが震えるのを感じ、ホークは反射的に彼女の肩を抱えて止める。

(ホークさん、あれって)

(ああ、そうだよ。お前だ)

 あえて「俺たちだ」とは囁かない。

 メイがやったことの結果は、ここに回ってきた。

 ホークたちの行軍を上回る速度で魔王軍に曲者の情報は回り、こうして何気なく立ち寄った街でもその名を叫ばれている。

 強引なことをすれば、こうなる。

 やられかけたホークにも無論責任はあるが、メイには結果を受け入れさせなければいけなかった。

(……止めなきゃ)

(駄目だ。下がるぞ)

(なんで!?)

(あいつらを倒してそれで済むと思うのか?)

(っ……)

(ここ以外にも街はある。全部の街で似たようなことをやっているだろう。お前はピピン中でそれを止められるのか?)

(……でも、見て見ぬ振りなんて……!)

(例え、ここだけでも助けたとしよう。だが俺たちはジェイナスを運ばなきゃいけない。この場の何人かブチのめして無責任に去ることになる。改めてこの街に来る他の魔王軍は、半端に抵抗した「この街」に対して、何もせずにいると思うか?)

(そんな……)

(現実は受け止めろ。……お前を責めているわけじゃない。俺も同罪だ。だが、俺たちは誰かを見捨てて、身代わりを誰かに押し付けてでも、行かなきゃいけないんだ)

 いつかメイにもわからせなくてはいけなかったことだ。

 この瞬間まで、悪漢の自分だけが負っていた業。

 助ける命は選ばなくてはいけない。……目の前で失われるとしても、命を助けないという選択をしなくてはいけない。

 自分たちは無限の力を持つ神では、決してない。手当たり次第にあらゆる悪と戦える、本当の英雄でもない。

 今の自分たちは、逃亡者なのだ。

(そもそも、ここは……この国は、魔王に占領された時点で生殺与奪を握られてるんだ。いつだって皆殺しにもできる。なのになんでわざわざ虐げる理由をつけてるかわかるか? 魔王軍じゃなく、他の奴のせいで酷い目に遭っているんだ、と錯覚させようとしてるんだ。そうすることで不満の方向を逸らせる。利用されたんだ)

(…………)

(メイ?)

 メイは俯いたまま、囁きにも答えなくなっていた。

 歯をギリギリと食いしばり、拳を握り締めて。

 それは今にも爆発しそうな感情を無理やり飲み下そうとする、彼女の努力の表れだった。

 彼女の力なら、この場のすべての敵兵を皆殺しにだってできる。

 だが、それでは今日、目の前にいる相手の命しか救えない。

 ジェイナスを復活させることができなければ、この何百倍も、何千倍も人は死ぬ。

 今ここで暴れず、さっさと逃げる方がいいに決まっている。少しでも楽に行かなければ、自分たち二人は帰りつけない。

 それを念じて、拳に漲る力を抑えて、散らして。

 ……ホークはそんな彼女の葛藤が手に取るように分かってしまう。

 やるせない。

 悔しい。

 腹立たしい。

 彼女は正義を信じるからこそ、奇跡を信じるからこそ、勇者とともにこんな旅をしてきたのだ。

 悲劇はその手で止められる。勇気と覚悟をまっすぐぶつければ、蹴散らしていける。

 それがメイの戦いを支えてきたのだ。

「よーし、それでは始めるとしようか! まずは……足だ!」

 魔王軍兵は、その手に持った鈍器で何の躊躇もなく町民の膝を打った。

 ゴキャッ、と広場中に響く音がして、町民は絶叫しながら崩れ落ちる。

「ハッハァ! よく我慢して受けた! 家族を思う父の愛、泣けるなァ!」

 広場の中央に引っ立てられた町民たちのうち、男の次に殺されると指名された子供と、その次だと言われた女が「父ちゃん!」「あんた!」と叫ぶ。

「少しでも抵抗したら番を次に回していた! だがこの偉大な父は、僅かでも我が子や妻が痛めつけられるのを遅らせようと、その身を挺した! なんという素晴らしき物語! そしてなんと卑劣なり、“正義の大盗賊”!」

 魔王軍兵は、叫んでもがく男に負けじと大声で酔ってみせる。

 遠巻きに見る町民たちは顔を見合わせる。

 彼らの声は大きくなかったが、雰囲気は明らかに「なんて迷惑なことをしてくれたんだ、正義の大盗賊とかいう馬鹿は」といった密やかな怒りに誘導されていた。

 メイの肩が震える。怒りが伝わる。

 ホークは彼女の肩を抱き寄せて抑えながら、自分でも敵を殺す手順を数え始めてしまう。

 ホークにだって怒りがないわけではない。目の前の非道に対して無反応でいられるほどにすり減ってはいない。

 メイをたった13歳の子供と言いながら、ホークもその実、まだ17歳と少し。

 酒もようやく許されて、勇者には「坊主」と侮られるような歳でしかない。まだ、青い。

 ……かつて盗賊の道に踏み込んだ時、その生き方を教えてくれた男が言っていた。

 ──悪党は正義の反対じゃあない。やっていいことの基準を自分で決める生き方だ。

 ──この稼業を選んだのは本意か不本意か知らないが、どれだけ薄汚れたとしても、許せねえモンは許せねえって気持ちだけは捨てるなよ。

 ──自分自身を信じるために、たまには割に合わないプライドに身を任せたっていい。

 ──骨のある悪党になれよ。小賢しくズルく欲張って、がめつく長生きしたいだけの奴は、悪党としても下の下だぜ。

(くそ……っ)

 小さく、舌打ちをする。

 危険だ。

 広場の周縁部から中央まではホークやメイの足なら数瞬で届く。

 そこにいる魔王軍兵にだって、手が届く。

 それが問題なのだ。

(動くな……勝手に出るんじゃねえぞ……!)

 石畳のどこを蹴る。何歩で届く。後ろ腰に収めた短剣はどのタイミングで抜いて、魔王軍兵の体のどこを切り付ける。

 それを想像して、時間感覚がだんだんと遅くなっていく。

 あの男に言われた言葉がこだまする。

 ──自分自身を信じるために、たまには割に合わないプライドに身を任せたっていい。

(違う……そんなもんは、今は違う……!)

(……ホークさん……?)

 メイを引き留めるためだった呟きは、いつしか自分を侵食する「予感」への抵抗となる。

 メイがいけないのだ。

 メイが、「目の前」のそれを見捨てることは、苦しいのだ、と、辛いのだ、と、訴えるから。

 それが「メイはいなければならないのだから、できるだけ立ててやろう」というホークの決意、そして、普段は無視しているが燻っている餓鬼臭い正義感と、間違った形に噛み合ってしまった。

 これはマズい。

 何故なら……。

(暴走……しちゃ、いけねぇだろうがよ……ホーク!)

 それはただ気持ちだけが引き金であり、「やれる」という確信は限りなく「行動の予約」に似ていて、そして彼の厄介な切り札は、一度発動してしまえば自分でもその過程を知覚できず、やり遂げてしまう「力」なのだから。


 メイの肩を強く掴んで踏みとどまろうとしたが、ホークの中に生まれてしまった「可能性の認識」は、責任感という儚い一線を蹴散らして動き出す。

 横殴りの吹雪が、心持ち遅く、しかし容赦なくホークの意識に襲い掛かってくる。

 民衆を威圧していた魔王軍兵二人、そして今まさに次なる一撃を哀れな町民に振り下ろそうとしていた、中央の魔王軍兵。

 手の届く範囲ではそれだけしか殺れない。

 ホークは最後まで抵抗しながら、しかしせめてマシな形に着地させようと、僅かに粘る。


 音もなく、三人の魔王軍兵は喉首を掻き切られていた。

「……ひゅっ?」

 痛みもなく、襲われたという認識もなく、ただパクリと裂けた自分の喉に不思議そうに触れようとして……突然、血を撒き散らしながら倒れ、悶える三人の魔王軍兵。

 混乱した民衆から悲鳴が上がる。

 そして、彼らを駆け抜けた位置にしゃがみ、息を荒らげるホーク。

「……最悪だ」

 後悔、そして諦め、それから開き直り。

 ホークはそれらをまぜこぜにして一言で呟き、微笑む。


“盗賊の祝福”。あるいは“盗賊の呪い”。

 それは上手に使えば恐るべき才能であると同時に、その資質を持つ人間を「盗賊」にせずにはおかない力でもある。

「手順」を強く思い浮かべ、やりたいと思ってしまえば、それだけでいい。躊躇を挟むより前に、奪ってしまっているのだ。

 相手が誰でも、欲しいと思えば確実に奪い取ってしまう……という事実は、人の人生を歪めずにはいられない。

 今まで無意識に、あるいは不本意に……こんな風に暴発したことは幾度もあった。

 だからホークは日の当たる道を諦めた。

 幼稚な正義感が腹の奥にあるのを自覚しながら、自分は生まれついての盗賊である、という厳然たる事実を受け入れた。

 それならば相応に損得勘定をして、盗賊なりにしなやかに生きていくしかなかったはずだ。

 だが、そんな自己定義すら貫けないとは。笑うしかない。

 笑うしかないが。

「“正義の大盗賊ホーク”をお探しかい。……ここだぜ」

 ならば、やれるだけは演じよう、と腹を決める。

 矛盾した……ああ、まさに矛盾した、それを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る