利用者様からいただいたもの
最初は無表情だったハルミさん。。少しづつ表情が変わり、時には言葉を話してくださいました。あの泣いていた日、あの後どうされたのでしょうか?私は気になっています。。
朝一番にお迎えに行くと、いつも寝起きの状態で、車内でハルミさんの髪の毛を手櫛で梳く時、「今日一日よろしくお願いします。。」って心でつぶやく。。手櫛ぐらいで綺麗になる訳もないけれど、「ハイ!きれいになりました!」って言うとハルミさんはオスマシしたみたいに微笑んでくださる。。その瞬間私に幸せ気分がわいてくる。。
根本さんと言う百歳近い方の髪の毛も朝、私が手櫛で良く梳いた。
このお二人の髪を梳かせていただく時、私は一瞬、遠い記憶へ飛ぶ時がある。
髪を切らしてくれなかった母が朝になると私の髪の毛を三つ編みやマーガレット、アップ等様々な髪形にしてくれた。。母が生きていたら今度は私が母の髪を梳いてあげたかった。
お二人の髪をさわりながら「今日は楽しく過ごしましょう。」「元気でいてくださいね。」そんな気持ちを込める時、私の方がこのお二人から元気を貰っていたのだと今になって思います。
根本さんは向上心のある方。体操も脳トレをやる時の鉛筆を持つ時も、一心不乱に全神経を集中して、細くなった筋肉を震わせながら取り組まれる。生きるってすごいな~そして美しいとさえ思える。そんな根本さんがある時トイレでおっしゃった。「やってらんないんですよ。行けと言われれば何処へでも行く、やれと言われれば何でもやります。でも出せ出せ言われたって出やしない。。やってらんないんですよ。」って。。「そんなこと言わないで!お小水出そうですか?」って明るく言ったら?合格点でしょうか?
あの時、私は不意に「ホント!やってらんないですよね~私もやってらんない!世の中、やってらんないことだらけですよね~。」と言ってしまいました。そしたら「あら!あなたもそうなの?私も同じ。。生きていたって何の楽しみもない。。」
「確かに。。私もそんな風に考えた事あるんですよ。。でも、ここで根本さんに出会えた。。世の中にはたくさん人がいるのに。。。これって凄くないですか?これからは私には何でも言ってくださいね。」と言ったら、「あなたのような方に出会えるなんて!」とおっしゃった瞬間に出るモノが出てくれました。
お腹だけでは無くて、心も温まると出るモノは出るんだと教えてくださった。。
介護は時間が無いとはよく聞く話です。でも隙間のような時間がある。添乗しながら、ただ添乗席に座って必要な事を間違えないようにって過ごす時のほんの一瞬の隙間の時間。。トイレ介助で見守りの時、興味があるのは出るか出ないかより、同じ時間なら違った会話をするチャンスでもある。。そのほんの隙間の時間が、もしかしたら心に寄り添える時間に変えられるのかもしれない。お二人にはそんな事を教わりました。
朝やお昼時、急須を、持ってお茶のおかわりをしたい方に薦める。。
時田さんは元々おしゃべりで明るい方、一時期、水分制限されるようになってから、時々一点を見つめるしぐさが目立ってきた。
お茶のおかわりをお薦めする時、おのずと時田さんを見ないようにするというのが心理かも知れない。でも、こういった場合の人の気持ちって触らないようにされる事が辛いって事。。私は子供の頃に預けられた先で何度も経験したような気がした。私はあえて目線を合わせ笑顔だけは今までと変わりないようにする。すると時田さんが「私もおかわりしていいの?」って。。。「ごめんなさい。」と言っておかわり出来ない事を言えば良いのだろうか?。。瞬間、私は違う動作をしてしまいました。「待ってください。」と言って急須をテーブルに一時的に置かせてもらい、「今、スペシャルドリンクを用意します。」と言って両手で何かをすくう振りをして、見えない飲み物を時田さんの空になった湯呑に注ぎ入れた。。「いっぱい愛情が入っていますから。」と言って。。。そしたら時田さんもそれを飲み干すようなふりをして。。「ああ~~美味しかった!愛情がいっぱいだった。」とおっしゃった。それから私が急須を持ってまわると「ねぇ~あれ頂戴!」とおっしゃるので「いつものやつですね。」と言って注ぐのです。
自分には事情がある。。ただでさえ自分が腫れものだと嫌なほど認識しているのです。疎外感を味わう人の気持ち。。私は痛い程わかります。
いつも叫び声しかあげられない登美子さん。私も最初は先輩方と同じように登美子さんの側へ飛んで行って「どうしたのですか?」「大丈夫ですか?」「静かにしましょうね~。」って言っていた。。ある時気づいたのです。叫ぶまでに辿った感情。。これを言葉にして確認してみようって。。入所された時。。「寒かったでしょ~寒いですよね~。」というと叫びがぴたっ!っと止まった。
トイレに行って叫んでらっしゃった時、根本さんの言葉を拝借した。「やってらんないですよね~」って。。そしたらぴたりと止まった。。そして手を触ってもいいですか~と聞いたら目が動く事も知った。。この方にはスキンシップは大切。。
さすったり、手を握ったり。。同意を求めて目で確認して。。そうすると叫んだりする。。「気持ちいいですね~」とか「うれしいですね~。」とか私が感じる事を言葉にしてみた。。すると叫びが止まる。。この方こそコミュニケーションを欲しているのだと思った。。これは私の母から最期の昏睡の時に違った形で習っていたような事を思い出させてくれた。
登美子さんとはまだまだ、試してみたいことがたくさんあったのに。。。
お帰りの時間を待ってらっしゃる時ののしりとりの時間。。。これが単調でつまらない事が多いです。。
例えば司会の私は利用者様が「うさぎ」とおっしゃったら「うさぎ。の。ぎ」と言って「ぎ」ではじまる言葉を待つのですが。。
体操を最初は机の下で足だけコッソリしていて、今はちゃんとしてくださる島田さん。。私がアーモンドの「ど」と言ったら、「ドレス」ときた。。私が「買って?」と言ったら「似合えばね」。。「似合うわよ」と言ったら「似合わない」で、爆笑。。
私の事をXLと呼ぶ及川さん。しりとりで、「る」から始まる言葉を。。例えば前が「シャトル」だったら「シャトルの、る」と私が言わねばならない時。。
「ル~ルルルル~♪」と夜明けのスキャットを歌いだすと。。「何だよルばっかりじゃねえかよ。」と突っ込みを入れてくれた。。
しりとりの担当の時、及川さんは何かと突っ込んでくださる。。私もコメディアンでもないのに必死なのです。。いつも助けてくださっていた。。
私が入れ歯洗いばかりやっていた時、「大したもんだ」と言ってくださった佐藤さん。初めてレクリエーション担当に私がなった時、「初めてなので、助けてくださいね。」と言ったら「よし分かった!まかせなさい!」と力強く言ってくださった。。この方は私の父と似ているところがあって、それは。。仕事に対する姿勢。。高みを目指そうとする姿。。そんなところが嘗ての佐藤さんのお仕事の話から感じられて。。私は佐藤さんと話をするのが大好きでした。。父が狂っていなければ、きっとこの方みたいだったのだろうな~って。。勝手に思ってしまって、佐藤さんとお話する時、理想の。。幻の父との時間の様に感じていました。疑似体験をありがとうって言いたいです。
もう一人はとっても母と似てる人。。長洲さん。。
この佐藤さんと長洲さん。。とっても仲が悪い!なほどな!と納得。。
父と母。。最後には嫌い合っていたのだから。。。
長洲さんと母は同じ出身地。。生い立ちの事情まで一緒です。そして母より三歳年上の長洲さんと母は中学高校と全く同じ女学校に上級生下級生と言う関係でニアミスしていたのです。母と同じ髪形をしていて、洋服のセンスまでそっくり!長洲さんと一緒に居る時は関西弁がうつり、母としゃべっているような錯覚を覚えた。。
一度お帰りの時ドライバーが小池さん。私と長洲さん3人だけになった時。私が「これから小池さんに責任を押し付けて三人でパ~ッとドライブでも行きましょ!」と言ったら「行こ、行こう~~!」って。。海の話や長洲さんが乗っていた車の話や盛り上がって。。。降りられる時、「本当にドライブに行ったみたいだった。楽しかった。」って。。私も楽しかったです。。
今回、いろんな事があって、このお二人とお別れしなくてはいけなくなったのは。必然だったのかなとも思います。介護士としてこれ以上は思い入れが強くなっては仕事になりません。。ただ、この疑似体験がたとえ他人様であっても心を通じさせることの大切さだけは得られたような気がしています。
インドネシアのマデさん。。あなたがどういったいきさつで日本国籍を取って終の棲家を日本で迎えられるのかはわかりませんが、ほとんどもう日本人のようでした。。お友達の方が一度ボランティアでワヤンクリ(影絵)を見せに来てくださいました。。そのリーダーの方が一つ言葉を覚えてマデさんに声をかけてあげてくださいって言われた言葉が<スラマッパギ>おはよう。。でした。ならば私も知っている言葉をと。。お帰りのベッドまでの介助の時、<スラマティドール>(おやすみなさい)で、週末には<サンペイジュンパッラギ>(また今度!)と言うとマデさんは「どこで覚えたの!」って嬉しそうでした。。
米倉さん。。私はもう一度米倉さんのトイレ介助を試してみたかった。。
米倉さんさえその気なら私は何時でもよかったのに。。。
近所のスーパーで良く会う安藤さん。家が近くで家へ遊びに来てっていう竹本さん。っ偶然会った時、なんて言ったら良いのか?ドキドキしています。。
園田さん他皆さん。。今回、私を気遣ってくださってありがとうございます。
それから服部さん。。「私。。心理学勉強してたのよ。。だから分かるの。。」っておっしゃってた。。あなたには何もかも見透かされていたように思います。
あれだけあからさまに怒鳴られたりいやがさせもエスカレートしていましたから。
それでも私が必死に笑顔を作って踏ん張っていた事をもしかしたら一番心配していてくださったのでは?とあなたがおっしゃる言葉を今思い出しながら考えています。ありがとうございました。。
まだまだ、ここに書き切れない皆さん。。私に介護の仕事の喜びを教えてくださってありがとう。。
障害を受けた方の心の適応段階として五段階あります。
一、ショック、起こっている事を信じがたい。。
二、否認、そんなはずは無い。。として依存的に陥りやすい。
三、混乱・怒りや悲しみ、苦しみの時代
四、解決への努力。自分の責任で立ち上がるしかないと悟り前向きな努力が出来 る。
五、受容 障害を持ちながらも生きがいを見出せる。
実はこれは私のような虐待被害者が心を回復させていくのと同じ段階を経るのです。
もしかしたら、心の障害の方が各段階を経るのに時間がかかるのかもしれない。。
各々の段階の利用者様を見ながら。。私は身をもってその方々の心の在りようを察知する事が出来るのではないか?と思いを深めました。
その上、私自身、右目を喪失するかもしれないという現実を経験した事でより明確にその段階を感じ取る事が出来ました。そして私は早い段階で努力と言う行動を起こそうとしていた。過去に踏んだ経験を知っているからだと承知しながら。。。
昼食時先輩たちは必ず言います。
「お待たせしないようにさっさとやってください。」って。。私はそうではないと思います。必ず誰かはお待たせしなくてはならないのです。どのように待っていただくか?によって待たされた感覚が変わるのです。
時間は変化します。同じ時間でも違った感じ方が出来るのだと思う。
これは長きに渡り様々な接客商売を経験していたことが役だった。。
フロアに居る時、ある先輩がツカツカやってきて私の前に立ち止まり
「顔。。笑ってるよ!もっと真面目な顔して仕事して!」と言われたことがあります。。接客業からしたらとても考えられない事です。。
ダンスも歌もおしゃべりも私がかつて目標を持ってやっていた仕事が
脳トレ、レクリエーション、体操で役立っています。
恩師から習った明るさや元気を与える事の喜び。。
運を天に任せながら勘を頼りに彷徨うように生きた経験でさえ、その経験からくる、悲しみや苦しみ、優しさを求める渇望感を知っているからこそ、言葉と言うツールを使う事が叶わない方の気持ちを図るバロメータとなってコミュニケーションに役立っているのだという事を教えてくださった。。
これらはすべて利用者様がいたからです。
介護職は私の歴史のすべて。。良いも悪いもすべてが糧になる。。
だから私は介護のお仕事が大好きです。これから新しい事業所での再スタート。
希望を持って利用者様の心に寄り添える介護士、今までの既存の介護観念を乗り越えて、みんなが幸せになれる介護士を目指して頑張っていきます。
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