私の希望は

私の第一の希望は、戻る場所確保でした。

もし、片方目が見えなくなったら?もう仕事は出来ないのか?

自分に問うてみました。三年後、厳密には二年半後、介護福祉士になれた場合。。

それでもまだ重労働は避けられない。。当然片目だけで仕事となれば、周りに迷惑な話かもしれない。

でも、順調に資格を取れば、その二年後ケアマネの立場になれたら。仕事の仕方はぐんと違ってくるのではないか?

それに利用者様やそのご家族様との距離も今とは違ってくる。

言ってみれば五年実務経験をなんだかんだ言われながらでも耐えてしのげば、後は勉強次第でこの仕事は続けられる筈。三年の実務経験は最低でもないと介護福祉士の受験資格は得られ無い。。認知症ケア専門士すら受験できない。その後、二年の実務経験が無いとケアマネの受験資格を得られない。

それに片目になるという事。。この経験。。特に心や体が感じるプロセスは、障害を持つ人の心を理解するうえでは無駄になる事はない。

五年、否、四年半の辛抱だ。。ただし、こういう考え方はよい訳がない。みんなあっちが痛いこっちが痛い言いながら仕事をしているのだ。。出来れば目を治したい。治してみんなと同じように仕事をするのがベストだけれど。。私のこの先はどうも、暗いらしい。庇ってもらわねばならない体で何が介護だ!と言う思いも募る。思いは錯綜し出口が見えない。。

まだ目がダメだとハッキリ決まった訳ではないけれど、マイナス要素をを視野に入れたうえでも、又まだ治療の可能性があるなら二度と出血させないような環境の職場であってほしい。

話し合うなら前を向いた話し合いがしたい。。そんな風に思っていました。細かい話はあの女性社員に話したのだから、もっと根本的な話がしたい。。しかし相手あっての話し合い。。どういった切り口で話せばよいのだろう。。どんな人と話さねばならないのだろう。。目を労わらねばならない中でそれとは逆の事をせねばならない。。非常に歯がゆく感じました。


人事部統括の難波さんは非常に穏やかな方でした。まぁ人事部には往々にして穏やかな方が多いのだと思いますが、言葉に乗っかっているモノが温かい人でした。

私が話した事で後藤さんと吉田さんにはお咎めが無いようにお願いしました。あの方たち二人は随分と変わってくださった。あの二人の話は本来したくは無かったのです。ただ、経緯を説明するうえで話さざる得なかった事を言いました。それと、宮本さん。立場上会社としては上司としての責任のようなものがあるのかもしれないけれど、昨年からずっと私の相談相手になってくれていた事も説明し、穏やかな対応を願い出ました。そのうえで、私の病気がどのような結果になろうと安全に働ける場所の確保をしてほしい事。その為には、出来れば深澤君と内田君の移動と豊田さんの移動もしくは降格は考えられないのか?と言いました。なぜなら、病気療養後、私としては元の職場に戻りたい。その方が仕事の手順は熟知していて仕事がやりやすい事と、利用者様とお別れしたくない事。特に豊田さんは私が大出血した際の話を作り替え、保身なのか全く違う内容に挿げ替えている。そんな人の下では働く事はできない事。。最低でも豊田さんへの対応を厳しくしてほしい事。などなど希望を言いました。それとフェアでありたいため、父親の事も話しました。

一回目の出血は明らかに父のことがキッカケですから。でもこれは迷いました。。父親との事は世間ではタブー視されています。公の場で話すという事はそれだけで敬遠されてしまう。纏まる話もそれだけで纏まらなくなる。話して嫌な結果になる事はこの人生で何度か経験していました。しかし、父親がそんな状態で、自分の目もそんな状態で仕事どころではないだろうと思われるのも癪でしたし、父親の事は見放しているから仕事優先でと言ったところで、介護放棄なのか?ととられるのも癪です。まして介護産業の会社なのです。。

世の中と言うものはこの手の話を聞くと、娘に手を付けた親の所業より、話をした娘の方をまるで犯罪者のような目線で汚らしい、話すべきではない。と蔑視する傾向にあるのです。迷いましたが。。私の動物的勘?。。。難波さんはそういう方ではないような気がしました。


難波さんは「気持ちは凄く分かる。でも、昔のようにバッサバッサと人を移動させたり首を切ったりって出来ない状況です。。ここ最近は働く者の権利と言うものが問われている。。ただし、何もしないわけではない。それなりの対処はします。北尾さんの事をないがしろにするというのではなく、会社として一番怒っているのは利用者様を巻き込んだり、不利益になる事をしていた。。という事です。その点についてはしかるべき対応をします。但しすぐにやめさせたり、移動は無理です。。

でも、言い換えれば逆に北尾さんの事も会社は見放さないという事です。たとえ右目を失明と言う結果になっても北尾さんの様に働く意欲のある人を会社は絶対に見放さない。という事を信じてください。そして、北尾さんが戻って働きやすい環境は会社として出来るだけ努力する事も忘れないでください。その件に関しては宮本と良く相談してください。彼は真剣に考えると思いますよ。。」とおっしゃいました。

難波さんは元々教師だったそうです。どういういきさつで介護の会社に入られたかは存じませんが、なるほど、、穏やかな物言いや、伝わるものが違うのだなと思いました。私の希望は叶いませんでしたが、私はこのエピソードの冒頭にも書いたように実務経験が必要なのです。この会社を手放してはいけないような気がしました。そしてやはり宮本さんのエリアは離れてはいけないような気がしました。

最後に「くれぐれも宮本さんは勿論、後藤さん吉田さんに関しては穏便にお願いします。」と私が言ったら。難波さんは「北尾さんはご苦労なさったのですね。まず、色々考えず治療に専念して少しでも元気になってください。手術が控えているのだからお大事に。」と言ってくださった。。


そして朗報としてはずっとパート勤務でしたのでこういう時に傷病手当というものがあるとは知りませんでした。給料の三分の二は傷病中で仕事をしていなくても出るそうです。有難いと思いました。その用紙を送ってくださることになりました。

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