攻防

 里の僅かな駐留軍は、異変を知って丘の頂を目指した。目と鼻の先にも関わらず、そこに敵軍が展開しているなど、想像もしていなかった。

 駐留軍の大半は工兵で編成されていた。明確な指示もなく、的確な指揮もない。気付けば、斜面に潜む敵兵に悉く阻止され、結局、城を覗き見ることさえできなかった。

 彼らは一旦、里に留まり、マグナフォルツ本隊との合流を待った。ところが、先に里に到着したのは、夜を徹して山道を越えたディースの機械化部隊だ。

 急襲された駐留軍は、立て直す間もなく森に散り散りになった。

 殿下とラーズ隊長一行の機械化部隊は、古城に到着するや、丘の頂で転身し、峡谷を塞いで砦を築いた。

 里の駐留軍はあくまで資材番だ。本体は間もなく押し寄せるだろう。攻城戦があるとすれば、これからだ。

 ただ、セレンとディースは、マグナフォルツ代表の入城を打診するよう指示を残していた。この地の戦闘行為は、無意味である以上に危険を孕んでいる。

 無論、マグナフォルツにその意思があればの話だが。

「隊長殿、後は宜しく頼む」

 城までの走破を労う間もあらば、セレンが城内に入ったと聞くと、ディースは軽く手を振って、あっさり堀の石橋を渡ってしまった。

 ラーズは半ばあきれ顔で殿下を見送り、ヨハンナを呼び寄せた。

 渡しの障壁を何なく抜けるディースを横目に、ヨハンナは隊長の前に立った。傍らのロタに目を遣る。

「お行儀よくしてた?」

「ちび共かい?」

「貴方のことよ」

 鼻白むロタを一瞥して、ヨハンナはラーズに状況を告げた。

 ヨハンナの報告を聴きながら、ラーズは整列する第八特技研鑽房の隊員を眺めた。哨戒を除いて、ここにはまだ一人足りない。

 城の復活はマグナフォルツ本隊にも知れた筈だ。当面、鍵の捕獲は優先順位が落ちる。兵員はすべてこちらに向けられるだろう。

 ただ、山岳一帯に展開した部隊に、伝令はいつ行き渡るか。駐留地を空にするほどの山狩りを、二人は逃げ延びることができただろうか。

「敵軍、合流を開始しました」

 殿下の部隊と組んだ哨戒が、駆け込んで声を上げた。思いの外、早い。

 ラーズの欲した情報の一方、大量の山狩りの行方は、眼下の里にあった。

「囮を読まれたようですね」

 ヨハンナが言った。

 確かに早いが、中途半端だ。まるで、山狩りの帰投地を禁足の里に設定することで、捕獲指示の面子を立てて見せたかのようだ。

「小狡い奴がいるようだね」

「面倒な上官がいるのだわ」

 ロタとヨハンナが互いに言った。

 境界の森が蠢いて、途切れなく兵士を吐き出して行く。里の広間は見る間に埋まり、人で黒々とし始めた。

 山狩りの兵、駐留地の兵、そして荒野の探索から呼び戻された兵力が、禁足の里に集結しつつあった。

 ラーズは丘の突端に立ち、マグナフォルツの編成を眺めた。傍らにはサハルの小型車両が停まっている。ディースの気まぐれでエルルに下賜された一台だ。

 ラーズの背後の大型車両は、丘の峡谷を埋めて、城への唯一の道を封鎖していた。城へは、これを越えて行くより他にない。

 里には秩序が生まれつつある。簡易の指揮所も設けられていた。どうやら小分けに持ち込んだ資材を解いて、荷車を兵器に組み換えている。

 できあがった車付きの大盾や投石器が、丘の下に集められて行く。いずれ本隊の輸送と兵站が繋がれば、進軍はあちらの意思ひとつだ。

 相手は話にならぬほど多い。蟻のように群がって圧せば、城の優位も危ういだろう。

 だが、こちらに城を護り切る意図はない。撤退も自由だ。つまり、果たすべき任務は嫌がらせに過ぎない。

 ただし、後退はできない。城に入れない以上、物理的に袋小路だ。

 ラーズの計画には、城そのものの助成はなかった。ただ、セレンとディースの安全は城に委ねている。むしろ、それさえあればよかった。あとは、自軍への責任だけだ。

 じりじりと陽光が増すうちに、城の住人がひとり、渡しを通って現れた。

 少年だ。皆が微かに騒めいた。少年も興味深げに辺りを見渡している。

 少年はフュンフと名乗った。城の使用人だと云う。動きがあれば知らせるよう、伝令役として寄越されたらしい。恐らく、マグナフォルツとの交渉を見越してのことだろう。

 城の住人とあって皆も興味津々だったが、フュンフは至って普通の少年だった。

 自行車や戦車を物珍し気に見て回り、せしめた携行食をひとくち齧って気の毒そうな顔をした。里を埋めて行く軍隊を見おろし、「うへえ」と顔を顰めると、後は渡しの袂で雑談に興じ始めた。およそ緊張感がない。

 フュンフに、城に入った二人の様子を訊いたところ、掃除をさせられていると答えた。ロタとヨハンナは顔を見合わせ、何かの隠語かと勘ぐったが、どうにも想像がつかない。

「隊長、使者です」

 呼ばれてラーズは頷いた。

 坂を登って来るのは、居丈高な魔術師を囲んだ兵士たちだった。見るに、バフェット・アンブラその人がいる。

 指揮官が現れるのは、小刻みな交渉を重ねた後のことだと思っていたが、先方は思いの外、辛抱が足りなかったようだ。

「いきなりやり合う気はなさそうだね」

 心持ちつまらなさそうに、ロタは鼻を鳴らした。

 直接の来訪は、圧倒的な兵力差を確信してのことだろう。確かに、それに間違いはない。

「フュンフ殿、ご来客をお伝えください」

 この状況を物珍しげに見回していた少年に向かって、ヨハンナが告げた。フュンフが頷いて城に駆け出した。途中、見様見真似で敬礼し、皆の笑いを誘った。

「このまま無血開城なわけ?」

 ロタが眉を顰めてヨハンナに囁く。

「ここまでは茶番よ。お楽しみは、あと」

「上手い逃げ方を考えてよ。あんた、そう云うの得意でしょ?」

「逃げるより面白くしてあげるわ」

 大型車両の隙間を抜け、十名ほどの一団がやって来た。復活した城を目の当たりにして、一様に驚きを噛み殺している。

 中央にいる縮れた銀髪の男が、バフェット・アンブラだ。武装した兵士を前に立たせ、幾人もの魔術師を従えている。

 その横には、癖のある蓬髪と無精髭の男がいた。襟元を開け、だらしなく軍服を着崩しているが、将校だ。辺りを物珍し気に見回している。

 その後ろに、黒い外套の男がいた。ふと立ち止まり、目深に被った頭巾の縁を微かに上げて、じっと城を見つめている。

 ラーズとサハルの司令が一行に対峙した。

 バフェットは渡しの障壁を知らず、兵士に確かめさせるまで、不審の表情を崩さなかった。一転、障壁が実在すると分かると、今度はセレンの仕業ではないかと疑い始める。

「あいつ、やっちまおうか」

 苛々と囁くロタを、ヨハンナが小突いた。見れば城からフュンフを伴って女がやって来る。

「城にご用の方は、どちらでしょうか」

 フィーアと名乗った女官が、一行を見渡して問う。広間を埋める兵も車両も、眼前に立つ威圧的な一団さえも、彼女は日常の風景のように冷えた目で見つめていた。

「あんたと気が合いそうじゃない」

 ロタがヨハンナを小突き返した。

「マグナフォルツ正魔術院のバフェット・アンブラ師である。城主にお目通りを願いたい」

 バフェットの後ろから、魔術師の一人がそう告げた。

 フィーアは声を発した魔術師を見て、それは誰かと改めて訊ねた。中央の居丈高な男をあからさまに無視している。

 縮れた銀髪の初老の男は、頬に血を登らせて自分がバフェットであると言った。

「さて、困りました」

 フィーアは紙の帯を取り出し、その数をかぞえて見せた。入城の認証符だと云う。

「五名さまなら、今すぐに。明日まで待って戴けるなら、もう五名さま分を用意させますが?」

 あくまで障壁は解除しない方針のようだ。

 バフェットは、交渉する立場にあると思うのかとか何とか小声で呟いたが、フィーアは無表情のまま、礼儀正しく聞かぬふりをした。

 彼は渋々、自身と頭巾の男、そして配下の魔術師三人を選んだ。

「私もお城を探検してみたかったんですがね」

 さして残念でもなさそうに、軍服を着崩した将校が呟いた。

「貴公は予定通り任務に戻れ」

「このまま帰っちゃいけませんか?」

 表情を欠いた目でバフェットを見返した将校は、思いの外、真顔で訊ねた。バフェットは一瞬たじろいだものの、将校を思い切り睨め付けて、フィーアに向き直った。

「城主のところにご案内いただこう」

 フィーアにそう告げる。将校はバフェットの背中に一礼し、ラーズを振り返った。

「仕方ない。では、こちらもお送りいただけますか」

 フィーアは視界の端に引き上げて行く兵士たちを冷めた目で見つめながら、認証符を着けたバフェットら五人に付いて来るよう促した。

「くれぐれも、その符を切らぬようお気を付けください」

 視線で問うバフェットらに怯えを見たのか、フィーアはにっこりと微笑んだ。

「いえ、死にはしません。傷つくこともない。運が良ければ、何十年か研究を積んだ誰かが目覚めさせてくれるでしょう」

 石橋を渡る一行の足取りがぎこちなく揺れた。

「それでは、こちらへ」


 バフェットらが入城する間にも、丘の麓は次々に隊列が編成されていた。盾車と槍兵が坂の径を進みつつ、後続の歩兵に向けて斜面に梯子を架けて行く算段らしい。

 急角度で蛇行する斜面の径は、上から見れば赤裸だ。彼らは最初から巨大な城壁に挑んでいるような状態だった。

 ただし、数は圧倒的に多い。例え丘の坂道を屍で埋めても、まだ余りある兵士がいる。長期となれば、勝敗は見えていた。

 共に引き所の問題に過ぎなかった。

「願わくば、速やかに退去いただきたいのですが」

 車両を抜けて峡谷を通る際、将校はラーズにそう言った。

 肩を竦めて見せる彼女に、将校は困ったように顎の無精髭を掻いた。

「こちらも上の命令でね、本当は無駄なことなどしたくないのです」

 麓を見おろすと、ラーズにひらひらと手を振って、兵士を連れて坂を下って行った。

「まあ、アンブラ師が迎えを寄越せと言ったら、使いをくださいな」

 右に左に降りて行く将校らを見送ると、ラーズは直ちに臨戦指示を出した。

「先制ですか?」

 サハルの司令が驚いて問う。

 殿下の指示で、サハルの機械化部隊もラーズの指揮下に置かれている。たが、セレンとディースの厳命は、可能な限りの戦闘回避だ。最終的には投降を命じられている。

「じき、仕掛けて来る」

 ラーズは憮然とした表情で言った。

「指揮官はまだ城の中ですよ?」

「大方、殲滅しておけとでも命じられているのでしょう」

 無精髭の将校が言ったように、宮仕えには選択肢がないと云うことなのだろう。戦闘は避けられない。ラーズの任務は、その上で二人の時間を稼ぐことだ。


 里の麓より丘を見上げた左手には、湖と荒れた草原があった。朽ちた民家も幾棟かあったが、駐留軍は広場に拠点を構えたため、それらは打ち捨てられたままだった。

 丘の麓に集結した隊列からは、よほどの後列でなければ里の全景は見渡せない。ましてや、踏み固められた径からは視界の外だ。

 坂を登って行く大盾は、既に術式を展開しており、頂が射程に入り次第、投石器が炸裂岩を投擲する手筈だ。今まさに動き始めた部隊には、それが見えなかった。

 騒めいたのは森の際、里の広間に待機する大勢の兵士たちだ。彼らは丘を一望できた。

 左手の湖、そこから点々とある朽ちた民家の間を、二人の人影が抜けて行く。

 大柄で長い髪の女と、痩せた黒衣の男だ。何故か二人の腕と腕は、長い鎖で繋がれている。

 広間の兵士が周りに促され、二人に向かって駆け出した。優先順位こそ変わったが、どうやら夜を徹して捜索していた二人だ。滝壺に落ちたと聞いていたのだが。

 そうした麓の様子に、坂の本隊より早く気付いたのは、丘の上だった。

「アリスだ」

 ミストが声を上げた。丘の突端で索敵していたエルルの小型車両の上だ。ミストは天枠に腰掛けて、遠視鏡を覗いていた。

「迎えに行こう。エルル、車を出せ」

 ミストが操縦席の背を蹴った。エルルが振り返って抗議する。

「ちゃんと座らないと危ないんだからね」

 エルルの隣に座っていたクリスが、慌てて二人を押し留めた。

「駄目だよ、勝手にそんなこと」

「迎えに行くだけだって」

 ミストが噛み付く。

「おや、また命令違反かい?」

 何の気配もなく、ミストの首筋にロタの息が掛かった。

 ミストが悲鳴を上げて座席に逃げ込んだ。ロタが鼻を鳴らして車両から飛び降りる。ラーズとヨハンナもそこにいた。

「困った奴らだ」

 少しも困っていないような顔で、ラーズが言った。当たりを付けて遠視鏡を覗く。

 長い髪を束ねたアリスが駆けて行く。甲殻繊維の軽鎧が、左手の二の腕だけ欠けていた。腰に巻いているのは、確かゼノのしていた前掛けだ。どうやら、片脚の膝上も、鎧を欠いているらしい。

 付いて走るのはゼノだ。相変わらずの惚けた表情で、面倒くさそうにアリスを追い掛けている。バンドゥーンから着の身着のままの黒の上下は、あちこちが擦り切れていた。

 聞いた通り、二人の腕は長い鎖で繋がれている。

「指令殿」

 ラースがサハルの士官に声を掛けた。

「仕掛けます」

「ほら、行け」

 ロタが車両を蹴飛ばした。

 エルルは反射的に魔動機を起こし、折った四脚を立ち上げた。

「たー」

 気合とも答礼ともつかない声を上る。

 車両は前脚を振って丘に転がり出た。忙しなく四つの脚を振り上げながら、径を無視して斜面を走り降りて行く。

「投擲始め」

 ラーズの声で、坂の上の敵軍に炸裂岩が降った。射程は圧倒的にこちらが有利だ。

 展開した盾壁術式のおかげで直接的な被害はないが、爆ぜる岩片に横から打たれ、隊列が鈍った。道を埋める兵士が波打って押され、蛇行する径の端から幾人もが放り出される。

 三人の乗った自行車は、すわ奇襲かと身構えた隊列の脇を、見向きもせずに走り抜けて行った。


 湖の下に続く暗渠を抜けたアリスとゼノは、濡れた服を干す間も惜しんで、城に向かって駆けていた。無言で鎖を引いたのはアリスだ。

 麓に集まった軍勢は、既に坂を往き始めており、このままでは城への道が断たれてしまうと危惧したのだ。

 無論、身を晒せば追われるのは目に見えていた。案の定、振り返れば大勢の兵士がぞろぞろと追って来る。

「アーリースー」

 丘から声が降って来た。

 明らかに意図した速度を越える四つ脚の車両が、丘を転がり落ちて来る。誰かの悲鳴が尾を引いていた。車体が跳ねるたび声が途切れ、遂には短い叫びが延々と連なる。

 勢い余って、自行車が二人の傍を走り抜けた。

 追って来た兵士たちが、悲鳴を上げて逃げ散った。幾人かが巻き込まれて飛んで行く。

 行き過ぎて、ぐるりと廻って方向を変える。ふらついた車両が、また幾人かを蹴散らしながら走って来た。

「おかえり、アリス」

 ようやく二人の前に停まった自行車から、ミストが身体を乗り出した。

「うん」

 アリスが頷いた。それだけだ。言葉を繕う必要もなかった。

 アリスはミストの手を取って、後部座席に這い上がった。鎖を手繰ってゼノを引っ張り上げる。

「よくこんなので降りて来たな」

 エルルの隣で白目をむいている少女を眺めて、ゼノが呆れて呟いた。

「大丈夫? 変なことされなかった?」

 エルルが振り返ってアリスに問う。

 アリスは一瞬、きょとんとして、不意に全身を真っ赤にした。頬を押さえて俯いてしまう。

 愕然とするエルルとミストの目線が、ゆっくりゼノの方を向いた。

「ちょっとまって。説明させて貰っていいかな?」

 挟撃を恐れた坂の隊列が、自行車に向かって投擲肢を跳ね上げた。

 我に返ったクリスの悲鳴で、エルルがペダルを踏み付ける。

 ゼノの抗議は跳ねて途切れた。

 独立駆動輪が地面を掻き毟り、自行車は混乱した猫のように猛然と走り出した。


「あいつら、何をやってるんだ」

 丘の上から状況を見て、ラーズは唸った。遠視鏡を外し、援護の強化を指示しようとした。

 本隊をぶつけて矛先を向けたのは、自行車のための陽動だけではない。このまま敵軍を頂に引っ張り上げ、自行車全機で一気に丘を下る算段だった。

 今、敵を散らされては敵の損耗が減る。

「賑やかで結構」

 ラーズは傍に佇む老人に目を剥いた。

 いつの間に現れたのか。まるで別の場所から切り取って置いたような、およそこの場にそぐわない執事服を着ている。それが一分の隙もない。

「城に勤めるアインスと申します」

 弾が飛び交う中、アインスはラーズに向かって丁寧に腰を折る。

 ロタもヨハンナも出鼻を挫かれ、ただ呆気に取られてアインスを見つめた。普段なら、ロタが鼻先にナイフを翳していてもおかしくない。

「主人を迎えに参りましたが、さて、路が混み合うのは宜しくありませんな」

 淡々と言って、アインスは片手を掲げた。

「フィアノット」

 傍に控えた者でもいるかのように、呼び掛ける。

 応えたのは橋を渡った堀の向こう、前庭に敷かれた幾つもの石板の下だった。石が一斉に跳ね上がり、中から幾本もの金属の筒が立ち上がる。

 丘の突端には一拍遅れて、槌で打つような金属音が続けざまに響いた。

 何かが頭上を越えて行く。砲弾ではない。歪な金属片を圧縮したような塊だ。それらは径の只中に、丘の斜面に、盾の上に、幾つも幾つも降り注いだ。

 不意の出来事に、皆が手を止めて注視した。

「不発か?」

 ロタが見おろして呟く。

 落下した塊が動いた。捩れるように震えて、不意に四肢を伸ばして立ち上がった。

 それぞれ人を戯画化したような、不揃いの姿形をした鎧の兵士だ。誰も着る者のない、がらんどうの全身鎧だった。それが人のように動いている。

 セレンかディースがこの場にいたら、それが城内の至る所に置かれた飾り鎧だと気づいただろう。ただ、こうして動くフィアノットは、まだ目の当たりにしたことがない。

 両軍の驚きはもはや度を越して、気の抜けたような震えた悲鳴になって、ゆっくりと丘に響いた。

 鎧は兵士を掴み上げ、紙屑のように径の外に投げ落とし始めた。突こうが斬ろうが怯みもしない。傷さえ碌に付かなかった。

 径を埋める兵士は混乱を極めた。中には自ら斜面に落ちて逃げる者もいる。丘を遠目に眺めれば、人がぽろぽろと零れ落ちて行くのが見えただろう。

 一方、ラーズたち丘の上の自軍は、城に向かって逃げ惑う兵を押し返すのに必死だった。攻めると云うより、逃げ込もうとしている。

 アインスは平然と立っており、奮闘を他人事にように眺めている。

「なるほど、これほどの城が奪われもせず残っているわけだ」

 指揮の隙間にラーズが呻いた。輝く塊となって何人も立ち入れぬと思いきや、息を吹き返せば魔導の兵士が侵入者を容赦なく叩き出す。これでは軍隊も盗賊も寄り付かないだろう。


 遠巻きの兵士を再び追い散らし、エルルは丘に向かって車両を寄せた。四つ脚を立て、脚先の車輪を大爪に換えて、蜘蛛のように斜面を登って行く。

「なに、あれ」

 ミストは呆然と呟いた。

 揺れる外の風景の中で、おかしな全身鎧が片端から敵兵を放り投げて行く。

 ミストは前の支柱と椅子の背に身体を突っ張り、両手で天枠にしがみ付いている。車体は天を仰ぐ角度のまま、斜面に爪を打ち込むたびに激しく上下に揺れ動く。

 半ば手足を操縦桿で支えたエルルは仁王立ちだ。クリスもアリスもミストとと同じように、車体に身体を突っ張っている。

「城なんだから、衛兵くらいいる」

 ゼノが惚けて応えた。彼はアリスを支柱代わりにしている。回した手の位置を見れば、以前ならアリスに殴られているところだ。

「あれ、どうやって動いてるんですかっ?」

 エルルの隣のクリスが訊ねた。跳ねた勢いで、質問が悲鳴になる。

「知りたきゃ城で調べろ」

 応えつつ、あっと叫んで、ゼノがアリスの上に身を乗り出した。アリスに押されて潰れたミストが悲鳴を上げる。ゼノはお構いなしに前の座席にしがみ付き、エルルの肩を突いた。

「ちょっと、あっちに寄せてくれ」

 敵軍で埋まった径を指して言う。

 坂道を埋めた隊列は、魔導鎧の乱入に逃げ場がなかった。上からも下からも押されて、径そのものが波打って見える。

 その中に、犇めく兵士に挟まれて、必死に指示を飛ばす無精髭の将校がいた。

「これ以上、ややこしいことわっ」

 クリスが抗議を言い終わる前に、エルルがゼノの指示に反応した。車体が急に方向を変え、クリスは言葉の途中でまた悲鳴を上げる。

 外に放り出されそうになったクリスを、アリスが咄嗟に手を伸ばして引き戻した。

 巨大な虫のような四つ足の車両が、径に向かって走って行く。

 ぎゅうぎゅう詰めの兵士たちは、得物を構える場所も余裕もなく、ただ互いの隙間から自行車を見つめるしかなかった。

「やあ軍曹」

 天枠に身を乗り出したゼノが呼ぶ。

 二〇年以上昔の階級で呼ぶ声に、ラルファスは自分だと気が付いた。この奇怪な状況に目を眇め、車両のゼノを見てあんぐりと口を開けた。

「出世したな軍曹。面倒なことやってないでさっさと帰れ」

 車両の上からゼノが声を掛ける。

「なんてこった、あんた絡みか」

 ラルファスが気の抜けた声で呟いた。

「城の爺は戦好きだ。引かなきゃ鎧が殲滅戦をやり出すぞ。早いとこ引き揚げろ」

 能天気な笑顔で物騒なことを言い捨てる。

「しかし、こちらにはこちらの都合と云うものが」

「まだ死んでなけりゃ、大将は返すよう言ってやる。口を利けなくしといてやるから、そいつにケツを拭かせるんだな」

 ゼノが操縦席の少女に声を掛けると、自行車はさっさと径を離れて行った。再び脚を振り上げて、丘を登り始める。

 ふと思い出したように、ゼノが振り返って声を張り上げた。

「森で待ち伏せなんて考えるんじゃないぞ。今度こそ熊の餌になるからな」

 ラルファスは溜息を吐いた。二〇年前と変わらぬ姿の上官は、わざと皆に聞こえるよう言ったに違いない。

 何れにせよ、こんな予想外の伏兵を相手に隊列を立て直すのは容易ではなかった。そろそろ言い訳に頭を捻る頃合いだ。

「下方に伝令、隊列を保って撤退。駐留地で待機の後、本国に引き揚げる」

 告げて、丘を登って行く車両を見送った。

 バフェットから殲滅の指示は出ていたが、ラルファスにとっては、元より切り上げ時を見極めるただけ戦だ。

 あの人はバフェットを返すと言ったが、いっそ死体の方が後がやり易いのでは。ぼんやりと考えたラルファスは、肩を竦めて自嘲した。

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