解凍

 外の時間に換算するなら、城主に詰め寄るレイズの声は、十年もの間途切れたままだった。

 その言葉と言葉の瞬間に、十年分の塵埃が身体の内と外を覆っていた。目に口に咽に、多量の埃が入り込み、レイズは喉を掻き毟りながら激しく咳き込んだ。

 城主も他の者も、およそ似たような状況だった。辺りに積んだ白い埃。差し込む陽射しの違い。一瞬で変わってしまった世界に気付く余裕は、まだなかった。

「それほど、長くはないようですね」

 断絶の瞬間は目も口も閉じて備えていただけに、フィーアの立ち直りは早かった。

 机の上に指を走らせ、埃の深さを無意識に測った。彼女にとっては、幾度も繰り返して来たことだ。フィーアが最初に思うのは、手入れの度合いと、城を空けた者の行方だけだった。

 俯いて泣いていたノインはそれを咳に変え、気遣うように傍にいたツェーンも、折り重なって埃に塗れた目を押さえている。

 フュンフは階上の書架の上に立ち、盛大なくしゃみをして転げ落ちそうになっていた。

「やれやれ、里の畠はまた全部やり直しだね」

 ドライが夫の埃を叩いてやりながら呟いた。盛大なくしゃみを飛ばした後の立ち直りが早い。大柄な妻の張り手に、ツヴァイの背が折れそうになっていた。

 ドライとツヴァイが城の中庭に植えていたのは、香草や飾り野菜くらいで、主な食材は里に頼っていた。だが、こうなった後の里の状況は想像が付く。住人はみな土に還り、手入れをなくした畠は野放図に荒れているだろう。

 稀に、人や獣が里に住み付くこともあったが、古城の恩恵を欠いた土地は使いでが悪く、結局、制御された鎮守のいる地を探して出て行ってしまうことがほとんどだった。

「狩りは久しゅうございますな。こちらの鎮守の様子も見ませんと」

 黒い執事服のアインスは、ひと払いでいつもの状態に戻っていた。手にしたポットは未だ湯気を立てている。

「あんた達、何言ってるの」

 レイズは未だこの状況が理解できなかった。皆の会話と態度の差に、まるで理解が追い付かない。

 身体は真っ白、顔は埃と涙で汚れて黒い。微妙な環境の違和感、明るさ、匂い、空気の違い。すべてが気持ち悪い。

「城の外で、長い時間が経った」

 城主はレイズの傍に立ち、悔いるような目で彼女を見た。

「君に酷いことをしてしまったな」

 ほんの少し前の口論を思い出し、レイズの頬に朱が射した。言い返そうとして口を開き、城主の目を見た。

 徐々に不安が込み上げてくる。言葉を呑み込んで、ようやく開いた目で辺りを見回した。

 大広間の中は一面、白い埃に覆われていた。綿埃にしては目が粗い。何処かの隙間から吹き込んだ砂埃だ。

「取り敢えず、城は正常だ。試験印もゼクスの言う通りにしてある」

 伝声管から双子の声がした。埃のせいか、心なしか先程より声が割れて響いている。

「状況は了解しました」

 フィーアが伝声管を取る。

「それと、ゼクスはまだ帰っていません」

「そりゃあ残念。晩餐の仕入れに行くと言ってたが」

 レイズがゆっくりとフィーアを振り向いた。

「凍ってた、そう云うこと?」

 フィーアが口を開きかけ、ふと、その背後に目線を走らせた。

「君には一瞬だったと思うけれど」

 開け放たれたままの大広間の扉から、細身の男が歩いて来る。

 頬が削げて硬質になり、左目は黒い眼帯に覆われている。あの優し気な顔立ちが、すっかり変わっていた。

「十年、掛かった」

 隻眼を眇めることが多いせいか、かつての気弱な目には、刺すような鋭さが増していた。

「君がいたら、もっと早く解けたかも知れないが」

 十年後のセレン・ギースベルトは、呆然とするレイズに硬い微笑みを向けた。

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