襲撃

 無支配地帯の大半は、峻険な山嶺と風化を待つ荒野だ。刃物のように起立した岩山が放射状に拡がり、ごく僅かな平地さえ、今なお岩喰い蟲が幅を利かせる岩と砂の荒地だ。領有する価値のない土地。ゆえに支配者もいない。

 この荒野を四つの国が取り囲む。それぞれの国境は、左右の隣国に接している。大雑把には、北にワーデンラント、南に汎テランフロンタ、東にブラウンシュタイン、西にマグナフォルツが位置する。無支配地帯とは、その中央に穿たれた大きな空白そのものだ。

 無支配地帯の街道は外周を巡る。巨大な円を描いて四ヶ国を繋いでいる。障害や高低差の少ない道筋を選んだ結果だ。中央を直行する路線は、開通コストに見合わないと判断され、開拓は断念された。

 軌道協会の国家間主本線は、その外周街道に沿って敷かれている。東西南北それぞれの国への乗り入れを兼ねて、輸送拠点となる大分岐点と、幾つかの車両基地がある。

 サテラ・バンドゥーンは南方にある拠点のひとつだ。

 深夜、車両基地を出た貨物列車は、行く先の大分岐点で貨物を引き継ぎながら、広大な無支配地帯を東回りで一周する予定だった。

 一周でおよそそ二五から三〇日を要する行程だ。

 小休止を挿んで五日。貨物列車はマグナフォルツの入口となる西の大分岐点、ゲイレンに到着した。一日の停車を経て夕刻に立ち、更に三日を走破していた。

 深夜、列車は真暗闇の荒野を北北東に走行している。

 その貨物列車は、国家間主本線としては小規模の一〇両編成。書類上、貨物が主体で旅客はない。

 前から動力車、給水車、角柱のような形状の貨物車を六両挿んで、片側に細いデッキを備えた小型車両、最後にもう一台の貨物車が連結されている。

 バンドゥーンを出発した折は、後尾に貨物列車がもう四車両あったが、先のゲイレンで切り離された。このまま主本線を北に向かい、アステリアナで後尾の二車両も引き替える予定だった。真北はワーデンラントの大分岐点だ。

 列車を引くのは、巨大な魔導機関だ。軌道を走るものを軌道車、軌道のないものを自行車と呼ぶ。動力と触媒車両を有する軌道車に対し、それらが一体化した自行車は小型化が最大の課題だった。

 軌道車はそもそも巨大だが、走行中の制御は少ない。運航に必要な乗務員は四名だ。さらに自動化の恩恵に与り、二名ずつが交代で運行を管理している。

 旅客車両がないため、応対する軌道協会の人員も省かれていた。つまり、後尾より二両目の小型車両に世話係はいない。

 そこに陣取る一団は、公式には貨物として扱われていた。

 鉄の引戸を半ばまで滑らせ、ロタは風の鳴るデッキに潜り出た。

 冷たく乾いた荒野の外気が、轟々と肌に押し寄せる。鉄と油と微かに木屑を燻した香りが、緩やかに巻いた黄金の髪を激しく弄った。

 猫のように尖った眼を眇め、ロタはデッキを渡って行った。手摺に縋らねば飛ばされそうな剥き出しの通路だ。

 先には、人影が佇んでいる。ロタに気付いても確かめる素振りはなく、手摺に腰を預けたまま、嬲る風に身を晒している。

 ラーズ・クロンシュタットは、長身で肉厚、筋肉質だが理想的な曲線を残した女だ。銀の髪のと猛禽の眼を持っている。

「待ち惚けね、隊長。やっぱり餌が悪かったのかしら」

 ロタが声を掛けた。隣に滑り込んでラーズの身体を風除けにする。

 共に、婀娜な女が纏うには、無骨で無粋なジャケットとカーゴパンツ、厳めしいブーツ姿だ。一様に黒く、厚手で、所々に鎧留めが付いている。

 もっとも、ロタの場合はジャケットの前を深く肌蹴けて、十分すぎるほど女を主張している。

「都合の良い期待が外れただけだ。予定通り、明日、引き込み線で降りる」

 吹き荒ぶ風と列車の轟音の中でも、ラーズの声は聴き分けられた。億劫とも取れる苛立ちが、微かに吐息に混じっている。二人の仲もそれなりに長い。

「なら、のんびり行こうよ。ヨハンナなら上手くやる。今頃はお得意の妄想に耽ってるわ」

「だが、相手は急いている。思った以上に。下手をすれば、向こうでやり合うことになる」

 独り言のようなラーズの声に納得いかず、ロタは喉の奥で唸った。

 ならば、とおに仕掛けて来ていてもよさそうなものだ。大分岐点まで五日を掛け、さらに相手の目と鼻の先で丸一日も停車していたのだから。

「最悪、あれを捨てて時間を稼ぐことになるな」

「あら勿体ない。せっかく苦労して捕まえたのに」

 驚いてみせるロタに、ラーズが初めて目線を向けた。

「副長殿は、しこたま好きに呑んで来ただけだろう」

「だって仕事だもの」

 見上げて鼻に小皺を寄せる。ラーズの呆れたような吐息に、声も立てず笑った。

 暫し轟々と鳴る風に身を任せ、ラーズはふと思いついたように訊ねた。

「あれを、どう思う?」

 ロタは応えようとして思い直し、微かに眉根を寄せた。普段は大仰に表情を作ることの多いロタが、珍しく素で戸惑っていた。

「城を氷漬けにするなんて、あいつにそんな大それたことができるかしら」

 捉えた男は、あいも変わらず愚痴と軽口を繰り返している。調子は良いが怠惰で小心、そのくせ人を揶揄うのが好きなようだ。

「確かに、顧問に叶う魔術師には見えんな」

 ラーズは独り言のように呟く。

「ただの馬鹿かもね」

 ロタは応えて言った。

 どうにも惚けた男だが、多少なりとも見栄えの良いところが問題だ。女所帯に唯一の男とあって、皆も興味がないわけではない。風紀と規律の守護者たるヨハンナが不在の今は尚更だ。

「ただの馬鹿なら苦労はない」

 ラーズの興味深げな視線が居心地を悪くする。ロタは小さく肩を竦めた。

「でなきゃ餌にならないでしょ?」

「そうだな」

 ラーズが呟いて車両に目を遣った。

 板張りの壁と鉄の桟、見掛けに反してその内側にはもう一枚の鉄板がある。備えはあるが過剰ではない、微妙な位置を狙った装備だ。中には五人の部下と一人の捕虜がいる。

「あの餌に食いつく奴の顔が見たかったな」

 広さの割りに乗員が少なく、比較的ゆとりのある車両の後方に、鉄板と格子と垂れ幕で仕切られた隙間がある。辛うじて人ひとり横になることができるほどの広さで、簡易の洗面と便器が備えてある。

 そもそもが車両の前後にある便所を改装した牢屋だ。

 取って付けたような、それでも十分に厳つい壁と格子があり、腰ほどの高さに金属の手摺が通っている。車両の左右の端の支柱で固定されたその手摺は、体を支えるためでなく、一本の鎖を通すために用意されたものだ。

「せめてさ、こいつだけでもどうにかしてくれないかな」

 ゼノが不貞腐れた声を上げた。もう八日にもなろうと云うのに、同じ愚痴を溢している。バンドゥーンから数えれば、幾百回にも及ぶだろう。

 両腕には一掴みほどの大きさの鉄の輪が嵌り、そこから伸びた鎖が壁の手摺を潜って繋がっている。鎖は身の丈ほど長く、行動に支障はないものの、不自由は極まりない。便座に板を渡して腰掛けている今も、身動ぎするだけで鎖が床を擦って音を立てた。

「食事は、できる」

 目の前にアリスが立っていた。手には盆を持っている。夜の食事を用意したところだ。環境も待遇も最悪だが、飯に不自由はしなかった。優雅さを求めなければの話だが。

「重いんだって、この手錠。飯のときくらい外してくれ」

 腰掛けたゼノが見上げるに、彼女は首が上を向くほど背が高い。しかも距離が近づくと、胸で顔が隠れてしまう。

「だめ」

 酔客を装った副隊長ことロタ・ビストリツァに連れ出され、気づけばこの有様だ。拷問や尋問を受けるわけでなく、監禁と輸送が当面の目的らしい。ただ、隔離の具合がいささか酷い。この八日、着の身着のままで便所に繋がれている。

「食べて、はやく」

 世話役を押し付けられたと思しきアリスは、とかく口数が少ない。少ないどころか、聞き手が意味を解かねば、何を言っているのかも分からない。

 黙っていれば、体躯が並外れている上に、怜悧な美貌が凄みを増し、相当に迫力がある。だが、どうやら当人にはその自覚がないようだ。

「なら、いっそ食べさせて。ほら、あーん」

 ゼノの仕草にアリスはたじろいだ。凍り付いたまま変な汗をかいている。

 このなりだが、アリスは面子の年少組だ。歳若い以前に、度を越した人見知りだった。男どころか人馴れしておらず、相当に初心だ。

 ゼノは早々にアリスの痛いところを見つけ出し、こうしていつも退屈を紛らわせている。

 しかし、今回ばかりはアリスも反撃に出た。盆からパンを掴み取るや、思い切りゼノの口に捻じ込んだ。

 ゼノが声にならない声を上げた。振り回した鎖が格子に撥ねて派手な音を立た。

 音を聞きつけ、少女が二人、垂れ幕を覗き込む。白目を剥いたゼノの口に、アリスはぐいぐいとパンを押し込んでいた。

「死んじゃう、死んじゃう」

 慌ててアリスの背中にしがみついたのはエルルだ。背丈はアリスの胸ほどしかない。小柄で童顔、ふわふわと癖のある金髪の少女だ。

「またかよ。こいつに冗談なんか通じねえんだから。いつか本当に死んじまうぞ」

 赤毛の少女が呆れたように言った。二人の脇から涙目で咳き込むゼノを眺めている。

 このミストを含めた三人が、列車の面子では同期にあたる。囚人とアリスが何かしら騒動を起こすのを止める役回りだ。

「アリスもいい加減に」

 不意の浮遊感に、ミストは言葉を途切れさせた。

 身構える前に強烈な逆加速があり、内に外に警笛が鳴った。甲高い金属音と断続的な蒸気の破裂音が続く。

 ミストは監禁室の仕切りに辛うじて半身を掛け、車内に転がり出るのを堪えた。その背中に、皆の舌打ちや呻きが聞こえた。

 アリスは背中にしがみついたエルルを庇って、正面から格子に打ち付けられた。だが、感じたのは鉄の感触ではなく、柔らかい人の身体だ。

 蛙を潰したようなゼノの声が、胸の下から聞こえて来た。格子とアリスの間で拉げている。

 制動の金属音が長く尾を引いて止み、軽く弾き出されるような反動があった。列車は漸く停車したようだ。

 伝声管から、遠い遣り取りが意図せぬまま流れていた。内容までは聞き取れない。

 送信口を取って状況を問い質そうとしたカーラは、車内に戻ったラーズに身振りで止められた。

「何を食ったらそんなにでかくなるんだ」

 ゼノが呻いてアリスの胸を鷲掴みにした。

 アリスは笛のような音を立てて息を吸い込んだ。皆が止める間もなくゼノの頸を絞める。このまま圧し折りかねない勢いに、エルルが悲鳴を上げた。

「おまえら、遊んでる場合か」

 ロタが顔を覗かせて舌打ちする。ミストが蒼褪めて身を縮めた。

「エルル、おいで」

「死んじゃいます、副長」

 ロタはエルルに有無を言わせず、腕を取って引っ張り出した。ついでに、アリスの腰に器用に蹴りを入れる。

「まだ殺すな、アリス」

 我に返ったアリスから解放されて、ゼノが床に崩れ落ちた。

「エルル、索敵」

 言い捨ててエルルを放り出し、ロタはラーズの許に歩いて行く。

 エルルは跳び上がるように答礼し、壁際に固定された装備に飛びついた。一抱えほどの薄い木箱を引っ張り出して机に載せる。索敵盤だ。

 固定具を外して捲るように上下左右に展開すると、硝子で覆われた四角い盤と、その四方に操作箱ができる。携帯した魔術書を覗き見て確かめると、エルルは詠唱を開始した。

 アリスは床に伸びたゼノを放り出し、ミストと共に装備の許に走った。

 アリスは駆けながら手早く長い髪を後ろで束ねた。服の留め具を弾いて上衣を肌蹴る。肌着を捲り上げようとして、不意に手を留めた。胸元を押さえて駆け戻り、監禁室の垂れ幕を端まできっちり引いた。

 エルルの施術は、硝子の盤の中の敷かれた砂を騒めかせた。岩山と荒地、軌道と列車が形作られて行く。人ほどの大きさのものなら、すべて盤上に再現される筈だ。ただ、車両の先頭周辺だけは思い通りに形を成さない。

「歪んじゃいます」

 列車の先頭は動力車だ。巨大な魔動機が影響している。砂の形状が整わず、エルルは操作板と格闘した。

「術痕は?」

 ラーズが横から問うて盤を覗き込んだ。

「あ、えっと。盾壁術痕、索敵術痕、そのほか施術痕は、ありません」

 気づいて、慌てて状況を告げる。

「生物痕に切り替えて索敵を続けろ」

 エルルの答礼に頷き、ラーズは伝声管の近くに陣取るカーラに合図した。

 伝声管は雑音も消えて、先ほどから沈黙を保っている。カーラは改めて伝声管を取り、停車の理由を問い質した。

「軌道上に障害が」

 伝声管の向こうで状況を遣り取りする声が一通り続いた。

「枯草のようです。撤去はもう終わりましたので、点検後、直ちに発車します」

 送信口を持ったまま、ラーズを振り返り、カーラは器用に片方の眉を上げて見せた。

 ラーズの周囲には身形を整えたロタ、アリス、ミスト、そしてフェリアも既に待機している。厚手の上衣に収納と留め具を寄せ集めたベスト、カーゴパンツと硬質の長靴、もしくは半長靴といった衣装だ。

 ロタとカーラは黒の色調だけが同じで、輪郭は大きく異なっている。

 ロタは体型が露わな皮革の装備で、着膨れがない。身体の至る所にナイフを収めた嚢が貼りついている。まるで虎の文様だ。

 カーラは腰に小瓶と譜の詰まった嚢を下げ、傍らに背負子の付いた大盾と機械弓を置いている。敵を射るのではなく、施術用の触媒を展開するための弓だ。

 盾壁術が一般化した現在、銃砲類は使い処が限られている。彼らの中には好んで装備する者はいなかった。

「そこの、ちっちゃいの」

 エルルの背中に、ゼノの抑えた声した。エルルは索敵で装備に出遅れ、慌ただしく荷造りをしているところだった。

「ちっちゃくないです」

 振り返って、エルルは取り敢えず小声で抗議した。ゼノは垂れ幕を手繰って、格子から顔を覗かせている。

「この列車、何人車掌がいるの」

 格子から手を出して、ゼノは放置された索敵盤を指した。膨らませた頬をそのままに、エルルは律儀に指を折って数えた。

「乗務員さんは四人です」

「でも、ほら。二〇人は居るんじゃない?」

 索敵盤を振り返る。顔を上げるとラーズと目が合った。遣り取りに気付いていたようだ。

 連結管のぶつかり鳴る音が断続的に響いたかと思うと、車両が前後に揺さ振られ、列車が再び動き始めた。

「展開準備」

 ラーズが低く通る声で告げると、周囲の空気が変わった。

「ロタ、フェリア、カーラ。私と動力車の確認。場合によっては確保する」

 呼ばれなかったミストは小声で不満を呟き、アリスは表情こそ変えないものの憮然とした。

「アリス、ミスト、エルルは全装備で待機」

 改めて指示を下し、惚けた表情で皆を眺めているゼノを一瞥した。

「指示があれば、あれを残してこの車両を切り離せ。装備を回収する必要はない」

「酷い」

 ゼノが悲鳴を上げた。

「勝手に拉致しておいてそれはないだろう。せめて煤熊亭まで送ってくれ」

「他をあたって戴こう」

 ゼノの抗議を軽くいなして、ラーズは会話を打ち切った。踵を返して歩き出す。

 アリスが何か言いたげに数歩ほどラーズを追い掛け、立ち止まった。

 引き開けた扉を潜るラーズの傍らを、身を摺り寄せるようにロタが擦り抜ける。

「勿体なくない?」

「餌の使い所だ」

 ラーズはロタにそう応えた。

 列車はさらに速度を増した。今なお加速が続いている。引戸の隙間から暴力的な風が吹き込み、車内を掻き回した。

「大人しくしているのよ?」

 フェリアが三人に声を掛けて出て行った。

 ぼんやりと優しい顔立ちで、動作も何処かふわふわした女性だが、腰に差した得物は身の丈より大きな長刃だ。背嚢は治癒装備が中心だが、合わせて圧しきりの太刀も佩いでいる。

 後になったカーラが、棒立ちのアリスに髪留油の小壜を手渡して出て行った。二人はリースタンの英雄に倣って髪を腰まで伸ばしている。

「用意して、アリス」

 ミストが小突いて促した。自身は四人を追って外に出ると、前の貨物車両の梯子を登って列車の先を睨んだ。

 動力車に至るには、給水車と貨物車を合わせて七両を越えねばならない。無論、貨物車両に人の抜けられる通路はなく、すべて荷主に封をされている。

 四人の選んだ経路は比較的手掛かりの多い天板だ。身軽なロタが綱を引いて先行し、端に至るごとに車両に綱を固定して道筋を付けて行く。居残りの三人が同行していれば、職域が同じミストにお鉢が回って来ていた筈だ。

 鼻先も覚束無い闇の中、靴底が浮いただけで引き剥がされてしまうだろう暴風の中を、四人は影が滑るが如く留まることなく進んでいく。

「もう。アリス、早く」

 風と列車の轟音に紛れて、エルルの声がする。装備でいっそう大きく見えるアリスを、引戸からぐいぐいと押し出している。

 アリスに比べて子供ほどに小柄だが、エルルの背負った背嚢は、その身体の半分ほどもある。ひどく危なっかしい。

 案の定、エルルは風に押されて転がりそうになり、アリスに抱えられた。エルルはそのままアリスにしがみつき、二人でミストの許までやって来る。

「隊長たちは?」

「もう、かなり先だ。まだ始まっていないみたいだけど」

 ミストが闇に眼を凝らした。夜目の点眼を施していないため、良く見えない。カーラが大盾を外している様子が何となく伺える。何らかの施術を行う算段をしているのだろう。

「かなり、速いよね」

 エルルが不安げに呟いたのは、列車の速度だ。停車前よりも速度を上げている。遅れた分を取り戻すためにしては、性急すぎた。

 轟音に交じって、何やらゼノの喚き声が聞こえた。

「開けっ放しだったね、扉」

 エルルの言葉は微妙に的外れだ。

「変な音が」

 耳を傾けていたアリスが言った。ゼノがそう言っていると言いたいのだろう。

 ミストがそれに気づいたのは、二人に視線を返す途中だった。ゼノの言う音は、視界に入った連結器の仕掛けが発していた。

 爆ぜる勢いで車両が離れた。恐らく、単に切り離されただけでなく、後ろ二両に制動が掛けられている。

 ミストは咄嗟の判断も何もなく、ただ反射的に梯子を蹴って飛び出した。アリスが急制動の勢いに乗って半身を投げ出し、ミストの腕を辛うじて捉んだ。慣性を残したままのミストの身体は、言葉を交わせるほど長く宙に浮いていた。

 手摺を越えた上体を逸らし、アリスがミストの腕を引く。もう一方の手が肩に届くや、ミストを抱えるように引き込んで通路に転がった。

 アリスにしがみ付いて身体を押さえていたエルルが、二人に潰されて悲鳴を上げた。

 甲高い制動音が延々と続いた。

 手摺の端に身体を食い込ませながら、アリスは風が緩んで行くのを感じた。喘ぎながら目を凝らすが、四人を乗せた前の車両は、成す術もなく闇に消えて行った。

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