第十五章 暴露

「何の前触れもなく現れて、迷惑だったかしら?」

 エンプーサはカロンに屋敷の中に招き入れられながらそう言った。カロンはフッと笑って、

「別にそんなことはない。直接来る以外、一切の間接会話を禁じたのは俺の方だ。何の前触れもなく来るしか方法はないからね」

 エンプーサはニコッとして、

「他に誰もいないの?」

「いない。メイドは夜にならないと来ないのでね」

「そう」

 エンプーサはリヴィングルームのソファに腰を下ろした。カロンはソファの肘掛けに腰掛けて、

「それで一体どうしたというのだ?」

「あの男が明日出かけることがわかったの」

 エンプーサは不敵な笑みを浮かべて言った。カロンも真顔になり、

「どこへ?」

「南極にあるピュトンの工場へ視察のためにね。軍が制圧したのは知っているでしょう?」

「ああ、それはね」

 カロンはエンプーサの隣に座り直した。彼女はカロンの首に両腕を回して、

「あの男は南極に行くために、ナリタに向かうわ。空港は閉鎖されているから、誰も近づかないし、近づけないの。あたり一帯は完全に軍の警備が敷かれて鉄壁の守りになるわ」

「それでは俺の仕事はできない」

 カロンもエンプーサの首に右腕を回して言った。彼女はニヤリとして、

「でも大丈夫なのよ。軍の中にも私のSSがいるの。その連中が配備される場所がわかっているわ」

「……」

 カロンは無言で立ち上がった。エンプーサも立ち上がり、

「どうしたの?」

「ナリタ付近の地図がある。それを見せるから立体的に説明してくれ」

「ええ」

 カロンはリヴィングルームの隅に行くと、壁の一部をスライドさせ、出て来たパネルを押した。するとソファの前に高さ1メートル縦横1メートルの立方体が現れ、その上に3Dの地図が浮かび上がった。エンプーサはそれをびっくりして見つめていた。カロンはパネルを操作して、ナリタ空港付近を映し出した。

「それがナリタ空港付近の地図だ。君のSSが配備されるのは、どのあたりだ?」

とカロンは地図に近づいた。エンプーサは地図の位置関係を把握すると、

「ここね。この空港の前の大通りの始まるところにあるビルよ。ここが一番空港のエントランスが見えるところなの。私がそうなるように仕向けたんだけど」

「なるほどな」

 カロンは立体地図に目を向けた。確かにエンプーサの指摘したビルからだと、空港の前はよく見える。しかしこちらからよく見えるということは、相手からもよく見えるということだ。

「だが、危険な位置だな」

「大丈夫。そのビルは私のSSで固めるわ。貴方は仕事が終わったら、安全にここに戻れるのよ。そう手配するわ」

「そんなことができるのか?」

 カロンはエンプーサを見た。エンプーサはフッと笑って、

「私はあの男の妻よ。誰よりもあの男を見ているし、知っている。そして何よりもあの男は、私と貴方が通じていることを知らないわ。私に対して全く警戒していないから」

「……」

 カロンはまたじっと地図を見た。

( 確かにディズムを殺るには絶好のロケーションだ。問題は逃走経路のみだな )

「大丈夫よ、絶対。私のSSはあの男のSPよりもずっと優秀だし、私の命令しか聞かないわ」

「うむ……」

 カロンは一応エンプーサの言葉を信じることにした。何はともあれ、この女を利用するしかない、と彼は思った。

「あの男は、明日午前十時発の特別機でナリタを発つわ。私も一緒に行くことになるかも知れない」

 エンプーサは少し動揺しながら言った。いくら憎んでいても、自分の夫が殺されるのを見るということは、ひどくショックなことかも知れない。

「わかった。君のSSには、俺の素性は話すな。それに目的もだ。俺という人間のことは一切話してはいけない。ただ、一人の男が入って出て行くまで何もするなとだけ言っておいてくれ。でないと、失敗の可能性が高くなる」

「わかったわ。じゃ、また明日ここで会いましょう」

「ああ」

 カロンはエンプーサを送り出した。二人の交わした会話が、まさかそれで最後になろうとは、どちらもその時考えていなかったろう。

「全く、あの女、油断も隙もないわね」

 ヒュプシピュレが奥の部屋から出て来た。カロンはニヤリとして、

「エンプーサは本気でディズム暗殺に協力してくれているんだ。そう目の敵にするなよ」

と言った。ヒュプシピュレはカロンの腰に手を回して、

「もうあの女とは楽しまないでよ。もちろん、パイアともね」

「ああ。それより、パイアの部下をそろそろ解放してやったらどうだ? パイアが怒り出して、地球に降りて来たら厄介だぞ」

「まさか。でももういいわ、十分虐めてあげたから。貴方に言われるまでもなく、そろそろそうしてあげようと思っていたところよ」

 ヒュプシピュレはカロンを誘うようにソファに座った。カロンはヒュプシピュレをソファに押し倒し、唇をむさぼった。

「カロン……」

 ヒュプシピュレが呟いた。

「……」

 ところがその二人のやり取りを、戻って来たエンプーサが窓から見ていた。

( カロン、やっぱり他の女と…… )

 エンプーサの顔が険しくなった。しかし彼女は中に入ることはせず、門へ歩き出した。

「カロンは私のものよ。あんな小娘に渡してたまるもんですか!」

と彼女は呟いた。


 カシェリーナとマーンは、タクシーで再びシノンの邸に向かっていた。

「先生」

 カシェリーナは意を決して言った。マーンは彼女の意志を感じ、ハッとして、

「どうしたんだ、カシェリーナ?」

「新聞に掲載してもらったり、インターネットで掲示してもらったり、テレビやラジオで報道してもらえば、確かにあの計画は広く一般の人の知るところとなるでしょう」

「そうだね」

「でも、何か一つ弱い気がするんです」

「弱い? どういうこと?」

 マーンはカシェリーナの言いたいことがよくわからなかった。カシェリーナは一度息を大きく吸い込んでから、

「訴えるものがないと思うんです。ニュースと同じでは、知ってもらえても、理解してもらえないと思うんです。心を動かし、行動を起こさせる何かが必要だと思うんです」

「……」

 マーンは考え込んだ。

( カシェリーナの言う通りかも知れない。単なるスクープニュースでは、ファーストフードを食べた後のゴミのように、捨てられて忘れられてしまうのがオチだな )

「だから私、テレビに出て直接訴えかけたいんです」

「何だって?」

 マーンが大声を出したので運転手がルームミラー越しに二人を見た。マーンは声を落として、

「それはどういうことだ?」

「だから、私がテレビに出て、地球と月の人達に直に話したいんです。ディズム総帥の行おうとしていることが、どれほど恐ろしいことなのかを」

「危険だよ」

「危険なことを避けていたら何も進展しません。それに一刻も早く地球と月の人達に、現状を認識してほしいんです」

「うーむ」

 マーンは腕組みをして考え込んだ。

「シノン教授に相談してみよう」

「父に? 反対されます」

 カシェリーナは首を強く横に振った。マーンは彼女を見て、

「しかし教授に内緒でテレビに出る訳にはいかないだろう?」

「それはそうですが……」

 カシェリーナは困ったように外を見た。

「とにかく教授に話そう。それから先はその後考えればいい」

「はい……」

 カシェリーナは不承不承頷いた。


 アタマス・エスコは大車輪の活躍をしていた。

 局内にあるコンピュータをフル稼働させて、核融合砲計画の書類を全共和国中の報道機関とインターネットサイトに流した。当然、発信元はわからないようにして。

「これから忙しくなるぞ。まず架空の人物を捏ち上げて、そいつの名前で各紙の政治部に電話する。逆探知ができないように携帯電話を三重に使って中継する。そして、テレビ局にも同じようにして連絡し、ニュースソースは明かさないという条件で、情報を提供する」

 アタマスは政治記者達に説明した。

「電話するときは必ず音声変換器を使えよ。それから、決してここからの電話だとわからないようにな。軍が動いて制圧されたら、折角の計画が水の泡になってしまうからな」

 アタマスは久しぶりに燃えていた。

(こんなワクワクすることは随分なかったな。ディズムの鼻を明かすのが楽しみだ )

 彼は実に嬉しそうにテキパキと指示を出していた。


 その頃ディズムは官邸の私室で寛いでいた。するとそこへ荒々しいノックの音が聞こえて来た。

「入れ」

 ディズムはムッとして応えた。入って来たのはジョリアスだった。彼の顔は蒼ざめていた。

「どうした?」

 ディズムはジョリアスの異変に気づいたが、冷静に尋ねた。ジョリアスは近くにあった大画面のテレビに近づき、

「とにかくこれをご覧下さい」

とリモコンを操作した。ディズムはそのテレビ画面を見て、目を見張った。

「……?」

 彼は椅子から立ち上がった。

「何だ、これはどういうことだ?」

 ディズムはジョリアスを睨んだ。ジョリアスはハンカチで汗を拭いながら、

「全くわからないのですが、どうやら核融合砲計画がどこかからリークしたようで……」

「そんなことはわかっている。何故こんな放送を放っておくのかと尋ねているのだ!」

 ディズムは声を荒げて言った。ジョリアスはビクッとして、

「そ、それがどのテレビ局もこのニュースを流しておりまして…。そればかりでなく、ラジオも、インターネットサイトもそうなのです。街では、新聞の号外がバラまかれているようです」

「……」

 ディズムは忌々しそうにテレビを睨んだ。

( 何故だ? 何故漏れた? まさか月の連中がこちらの情報を逆に流し、地球内部の混乱を狙ったのか?)

「月の仕業か?」

 ディズムはジョリアスに背を向けたまま尋ねた。ジョリアスはハンカチを握りしめたまま、

「いえ、その可能性はありません。ある人物が各報道機関及びインターネット会社に電話やメールで連絡して来たらしいのです。月の人間にできることではありません」

「月のスパイの仕業かも知れんぞ。とにかく情報部を使って調べさせろ」

「それはもう行いました。しかし、どこが発信源かわからないのです。連絡は一方向ではなく、波状に行われているようでして。情報部としても、手の施しようがないほど、広がってしまっているようです」

「……」

 ディズムは椅子に戻った。

( 誰だ? ゲスならそんな手の込んだことはしない。大っぴらにテレビに現れて、演説でもするだろう。それにこの情報を月が握っているということは、月のスパイが地球にいることがはっきりしてしまうので、自分の立場が危うくなる。奴がそんな危ない橋を渡るはずがない )

 ジョリアスは探るようにディズムを見て、

「いかがいたしましょうか?」

 ディズムはキッとジョリアスを睨むと、

「あまり強く否定すると、奴らを煽り立てることにもなりかねん。政府の見解は、調査中だ。そうやって時間を稼げ」

「はっ」

 ジョリアスはホッとした顔になって出て行った。ディズムは右拳で机をバンと叩いた。

「忌々しい連中だ!」

 その怒りが誰に向けられたのかはわからない。


 カシェリーナとマーンはシノンの邸に着くと、早速カシェリーナの考えをシノン達に話した。ナターシャはびっくりしたようだったが、シノンは至って冷静だった。

「教授、そんな危険なこと、させてはいけません!」

 ナターシャが異を唱えた。しかしシノンはニッコリ笑って、

「大丈夫だよ。私はカシェリーナを信じている」

と言ってからカシェリーナを見て、

「カシェリーナ、やりなさい。いや、やるべきだ。いやしくも政治学を専攻したお前は、そういうことをなす義務がある」

「ありがとう、お父さん!」

 カシェリーナは思ってもいなかったシノンの同意に大いに感激して、彼に抱きついた。

「おいおい、カシェリーナ、抱きつく相手が違うだろう? レージンが悲しむぞ」

 シノンは照れながら言った。カシェリーナは目を潤ませて、

「うん」

と応えた。するとナターシャが、

「さっきのテレビで流されていたニュースを見てみたら、情報の出所がほとんどわからないようで、安心しました。すぐにでも教授のことがわかってしまうのではないかと思って、少し不安だったんですけど」

と言うと、マーンが、

「その点は大丈夫だ。アタマス・エスコというデイリーアースの政治部の記者が、ニュースソースがわからなくなる方法で情報を流すと言っていたからね。デイリーアースが発信源だということすら、わからないと思うよ」

と答えた。シノンはマーンを見て、

「しかし政府、いや、ディズムはどう出て来るかな?」

「あの男は恐らく何もしませんよ。へたに騒ぎ立てると、肯定したことになると考えるでしょう。だからこそ、カシェリーナの発想が生きて来るんです」

「なるほどね。ディズムは反応しないでやり過ごし、国民の関心が薄れるのを待つつもりか。しかしそうはさせるかと、カシェリーナが追い討ちをかける」

とシノンは頷いて言った。マーンも頷き、

「そうです。私も最初はカシェリーナの話に反対でしたが、あの男の考えを読もうとして、やはりやるべきだという結論に達しました。奴の広告宣伝術を逆に利用させてもらって。そして媒体は男より女、それも若い女性の方が国民も関心を向けるから、私がやるよりカシェリーナがやる方が得策だと考えました」

「そうだね。確かにその通りだ。私やマーン君では、若い女性は関心をもってくれようが、男には反発されてしまうからな」

 シノンが真顔で言ったので、カシェリーナが呆れ顔で、

「全く、お父さんは先生と同じレベルだと思っているんだから、随分自惚れているわね」

「ハハハ」

 シノンは頭を掻いて苦笑いした。ナターシャが、

「それでカシェリーナさん、どうするつもりですか?」

と尋ねた。カシェリーナはナターシャを見て、

「とにかく難しい話をしてもだめだと思うんです。取り敢えず、今の軍政に無関心でいることは非常に危険なのだということ、そして一人一人の力は小さくても、それが集まれば巨大な力になり、どんな独裁者も追放することができるのだということを訴えます」

「地球政府の非だけではいかんぞ。それでは月の手先だと反発を受けることになる。ゲス政権も同時に批判すべきだ。どちらも甲乙つけ難いほどの独裁者でテロリストだというふうにな」

とシノンが口をはさんだ。カシェリーナは大きく頷いた。マーンが、

「スキュラ作戦のことにも触れたらどうだろう? セカンドムーンを核付きミサイルを搭載した爆撃機で襲撃するのだから、人道的に許されるものではないよ」

と言うと、ナターシャが、

「でもそうすると、レージンさんが危ないのでは? カシェリーナさんとの繋がりは軍では掴んでいるのでしょう?」

「うーん、そうかァ」

 マーンは考え込んだ。しかしカシェリーナは、

「いえ、やりましょう。いずれにしてもレージンは、私がテレビに出ただけで危ないはずですから、この際できることは全部やってしまう方が正解です。スキュラ作戦の無謀さを説けば、作戦続行ができなくなります。そうすれば、誰も参加する必要がなくなるはずです」

と賛成した。ナターシャはびっくりしてカシェリーナを見た。シノンが、

「この際だから、少々情報としては不確かかも知れんが、中央政府の評議会議長はすでに殺されているらしいことも言ってしまおう。ディズムの偽善者ぶりを暴いておいた方がいい」

と言うと、マーンが相槌を打って、

「そのことなら、私が大学の研究室に置いている資料の中に議長の死を裏づけるような証拠や証言を収録したDVDがあるので、それを取りに行って公表しましょう」

「でも大学は軍に封鎖されているのでは? どうやって中に入るつもりですか?」

とナターシャが尋ねた。マーンは困った顔になって、

「問題はそこだな。軍の注意が別の方向に向いてくれれば、あるいは大学の封鎖も解けるかも知れないんだが……」

「ならば明日はその可能性が高いぞ。ディズムはナリタに行くから、警備の多くがナリタまでの道に向けられることになる。恐らく二ューペキンの軍は手薄になった箇所の補完のために、ニホンに動く部隊があるだろう」

とシノンが言った。マーンは、

「南極のピュトンの工場に行くつもりですね」

「そうだ。しかし何故そんなことを突然考えたのか、よくわからないのだがね」

「あの男の考えを全て読むことは不可能ですよ。だからこそ、中央政府を潰せたんです」

「そうだな」

 シノンは微笑んで応えた。

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