第十四章 漏洩(リーク)
ゲスは大統領官邸に戻ったところで、地球軍が南北両極の中立領を制圧したことを知らされた。
「ピュトンの奴が死んだのでついに工場を抑えにかかったか。だが、全面戦争になれば、我が軍の方が圧倒的に優位に立てるのだということを思い知らせてやるぞ、ディズム」
ゲスは秘書から携帯電話を受け取り、
「全艦隊の展開を急がせろ。核融合砲が完成する前に、ディズムの息の根を止めるのだ」
と命令し、秘書に携帯を渡しながら、
「コペルニクスクレータはもう危ない。全市民に他の区域への避難命令を出せ」
「はい」
ゲスは官邸のエントランスを進みながら、
「月が割れるのが先か、地球が焦土と化すのが先か。見ものだな」
と呟いた。
ディズムは議長室の椅子に身を沈めたまま、中立領制圧の報告をジョリアスから口頭で受けていた。
「明日にでも我が軍のプロジェクトを実行に移せます」
「うむ。作業員は丁重に扱えよ。計画の速やかな遂行のためにな」
「はっ!」
ディズムは椅子を回転させてジョリアスに背を向け、
「それより、スキュラの方はどうだ? 良い人員は確保できたか?」
「はい。二日後には、セカンドムーンを沈められましょう」
「そうか。楽しみだな」
ディズムは向き直ってニヤリとした。ジョリアスは少々緊張気味に、
「それと、例の殺し屋の件ですが……」
「何かわかったか?」
ディズムの顔つきが険しくなった。ジョリアスは額の汗をハンカチで拭いながら、
「カロン・ギギネイらしき人物が住んでいる場所がわかりました。ニュートウキョウ郊外の、広大な敷地を有する別荘地帯です」
「別荘地帯? ここからそれほど遠くないな」
「はい。如何致しましょう?」
ディズムはほんの一瞬考えたようだったが、
「放っておけ。いずれ動くだろう。動いたら、対処しろ」
「はい」
ジョリアスは敬礼をして議長室を出て行った。ディズムは目を閉じて、椅子に深く沈んだ。
カシェリーナとマーンは、タクシーでガイア大に向かっていた。
「いいんですか、先生、ナターシャさんのこと?」
カシェリーナが尋ねると、マーンは外を見たまま、
「私はまずこの愚かな戦争を何としても止めたい。ナターシャとのことは、それから考える。彼女も承知しているよ」
「でも……」
そう口にしてはみたが、自分がこれ以上干渉することではないとカシェリーナは感じ、話すのを止めた。
「何か責任のようなものを感じるんだよ。こうなる前に何とかできなかったのかってね。少なくともディズムに関しては、私はそれができたはずなんだ」
「……」
カシェリーナは無言だった。
(いくら憎んでいるとは言っても、自分の父親ですものね。先生、苦しんでおられるのね)
「核融合砲の計画は新聞社やインターネットサイトに協力してもらって、地球中に広めてもらう。できれば月にも送りたい」
「はい」
マーンはマスコミの力で戦争に対して異義を唱えようと考えているのだ。
「ディズムもゲスも、国民の支持なしで権力を握っていられる程のカリスマ性も資金力もないだろう。マスコミの報道を一番恐れているのさ」
「でも、軍が制圧してしまったところもありりますよ」
「ニュートウキョウやニューワシントンはそのようだが、ニューペキンのマスコミはまだ無事だ。しかも、全国紙であるデイリーアースの支局があるよ。そこを発信源にして、各地の新聞社やテレビ局、そしてインターネットプロバイダに情報を流す」
カシェリーナはすっかり感心していた。マーンは苦笑いして、
「これは実は軍にいた時、情報部の将校の講義で学んだ方法なんだ」
と言った。そして再び外を見て、
「その前にガイア大のコンピュータを使って、デイリーアースのホストコンピュータにアクセスしておかないとね」
「ええ」
カシェリーナは、自分にもできることがあると思うと、何か胸が高鳴った。
パイア・ギノは、アイトゥナの中にある自分専用のバスルームで大きなバスタブに浸かっていた。
「五千万、振り込んで来たか。いよいよ月が侵攻を開始するのね。コペルニクスの中も騒がしいみたいだし」
そこへ部下の一人が一糸まとわぬ姿で入って来た。
「何?」
「はい、カロン・ギギネイ様から電子メールが届いております」
とプリントアウトした紙を渡した。パイアはタオルで手を拭ってからそれを受け取った。
「ピュトンを殺したことで、八方塞がりになったみたいね。さすがのカロンも打つ手なしってとこかしら」
彼女は紙を投げ捨て、部下を見た。部下はパイアに向かい合ってバスタブに入った。
「きれいよ、マルガリータ」
「ありがとうございます、パイア様」
パイアはマルガリータの唇を吸った。
「やっぱり、男より女の方が、きれいね」
パイアは再びマルガリータの唇を吸った。今度はさっきより激しく、マルガリータは後ろに倒れ、バスタブに沈みかけた。パイアはマルガリータが溺れないように栓を抜き、湯を流した。
「ああ、パイア様」
二人の秘め事は続いた。
「何てことだ……」
マーンとカシェリーナは呆然として立っていた。ガイア大学が軍に接収され、封鎖されていたのだ。
「仕方がない。会ってもらえないかも知れないが、直接デイリーアースに行ってみるしかないか」
マーンが言った。するとカシェリーナは、
「父に話してみます。父のコンピュータでデイリーアースのホストコンピュータにアクセスしてもらって、資料を提示してもらえば」
と提案した。しかし、マーンは、
「それも一つの方法だが、大学の研究室の資料もできれば手に入れたい。やはり、ここには入らせてもらわないといけない」
「あっ、そうか、先生は軍に顔が利くんですよね」
カシェリーナが嬉しそうに言うと、マーンは首を横に振って、
「それはニホンだけだよ。ニューペキンには知り合いの軍人がいないから、どうすることもできない」
「そうですか……」
カシェリーナはがっかりして、あたりを見渡した。すると、客が全くいなそうな小さなインターネットカフェが目に入った。
「あそこから父に連絡してみます」
彼女はカフェに向かって駆け出した。マーンはそれを頼もしそうに見ていたが、すぐに彼女を追ってカフェに入った。
「会員証なんて後でいいから! 早く使わせてよ。時間が惜しいのよ」
カシェリーナは、悠長なことを言っている受付の女の子に怒鳴った。女の子は、自分と大して歳が違わないカシェリーナに大声を出されて、すっかり面喰らってしまい、ブースのキーを渡すと、奥の事務室に逃げて行ってしまった。
「さっ、先生、早く!」
「あっ、そうだね」
マーンもカシェリーナの迫力に圧倒されて、一瞬唖然としてしまっていたようだ。
「お父さん、家にいるかしら?」
と言いながら、カシェリーナはコンピュータを操作した。
「おお、カシェリーナか。どうした?」
シノンがモニターに映るなり言った。
「大学が軍に接収されているのよ。本当は大学の研究室にある資料も手に入れたいんだけど、時間がないの。お父さんの力でデイリーアースに証拠の資料を送ってほしいの」
「なるほど。少し時間をくれれば、大学にも入れるようにできるが、まずはデイリーアースの方を片づけるとするか」
「お願いね」
カシェリーナは電源を切り、マーンを見た。
「取りあえず、資料の件は父に任せましょう」
「そうだな。我々はデイリーアースに向かおう」
「はい」
カシェリーナは受付の女の子から会員証を受け取ると、スタスタとカフェを出て行った。マーンは女の子に愛想笑いをして、外へ出た。
「タクシーが全然いないな」
マーンは隣のブロックまで探しに行ったが、タクシーどころか一般車両も走っていない。
「さっきのタクシー、待っててもらえば良かったですね」
マーンは考え込んでから、
「ここからだと、私のアパートと君のアパート、どちらが近いかな?」
「私のアパートの方が近いと思います。どうしてですか?」
「ひと休みして、デイリーアースに電話を入れてみようと思ったんだ。シノン教授が資料をデイリーアースに送信してくれていれば、話はしやすくなるだろう?」
「そうですね」
とカシェリーナは頷いた。
エンプーサはディズムの息のかかった連中の尾行をかわすため、タクシーを乗り継ぎ、籠抜けまでしてカロンの別荘へ向かっていた。
(明日、あの男はピュトン軍需工業の工場視察に出かける。チャンスだわ。早くカロンに知らせてあげないとね)
エンプーサは情報を提供するためではなく、カロンに抱かれたい一心で行動していた。
(カロンは私のものにする。今までは籠の鳥だったけど、今度は私が籠の鳥を手に入れる)
エンプーサはカロンを独占しようと考えていた。
デイリーアースは、地球共和国ばかりではなく月連邦にも支局を持つ最大手の新聞社である。その支局がニューペキンにもあるのだが、本社ビル(ニュートウキョウにある)を人工衛星の雨作戦で潰され、その機能の半分をニューワシントン支局と分け合い、フル稼動していた。
その中の政治部のメインコンピュータが誰も触っていないのに起動し、いきなりメールを受信し始めた。
「何だ?」
政治部の中でも、スクープを扱うことが多い、アタマス・エスコがコンピュータに近づいた。グリースでベットリと固めたブロンドで、眼は青い。数少ない、白人系の人間だ。彼はメールを開いて驚愕した。
「こ、こいつは……」
それはシノンが見つけた、例の見積書だった。
「何だ、どうした?」
他の何人かが、アタマスの後ろからモニターを覗き込んだ。アタマスはすぐさまメールをプリントアウトした。
「あっ、また何か受信したぞ」
その声にアタマスは再びモニターを見た。彼はメールを開いた。今度は核融合砲計画の資料が現れた。アタマスは混乱していた。
「何だ、これは? 軍のトップシークレットらしいぞ。何でこんなものが、ウチに送られて来たんだ?」
「誰かがコンピュータを外部から起動させて、送信しているようですね」
その中にいた一人が言った。アタマスはプリントアウトされた見積書と計画書を手に取り、
「何にしてもとんでもない情報だな。軍がこんなことをしているなんて」
と呟いた。するとその時、アタマスの机の電話の内線が鳴った。
「俺だ。そうか。わかった。第二会議室に通してくれ。すぐに行く」
「何だ、どうしたんだ?」
同僚の一人が尋ねた。アタマスはプリントアウトされた書類を振ってみせて、
「こいつの送り主が連絡して来たんだよ」
と答え、政治部のフロアを出て行った。他の一同は顔を見合わせた。
ディズムはエンプーサが再び行方をくらませたことを知り、苛立っていた。
「あの女、一体何を考えているのだ? 私を困らせるのが目的か? それとも何か企んでいるのか」
ディズムは議長室を落ち着きなくうろうろしていた。そしてインターフォンに手をかけると、
「エンプーサを探せ。何をしているのか、探り出すのだ」
「はい、総帥閣下」
と声が答えた。ディズムは椅子に腰を下ろした。
「まさかとは思うが、あの女、月と通じているのではあるまいな」
とディズムは呟いた。さすがの彼も、自分の妻がカロンのスパイだとは夢にも思わなかった。
そのエンプーサはカロンの別荘の前に着き、タクシーから降りたところだった。
「カロン……」
まるで恋人に会いに来たかのように彼女の顔は喜びに満ちていた。彼女は玄関に向かって歩き出した。
「誰か来たみたいよ」
モニタールームでヒュプシピュレが言った。庭に侵入した者がいるとセキュリティシステムが作動し、モニターに侵入者を映し出すのだ。
「エンプーサらしいな」
カロンはモニターに映る女を見て言った。ヒュプシピュレはムッとして、
「また貴方と楽しみに来たのね」
「いや、何か情報を掴んだのだろう。俺との接触は、通信は一切禁止しているからな」
「フン!」
ヒュプシピュレは面白くなさそうにモニタールームを出て行った。カロンはそれを見てフッと笑った。
「さてと。どれほどの魚を釣って来てくれたのかな、エンプーサ」
カシェリーナとマーンは、第二会議室でアタマスが来るのを待っていた。
「いきなり警察とかに連れて行かれないかしら?」
カシェリーナが独り言のように言うと、マーンは笑って、
「まさか。デイリーアースは、軍政に批判的な新聞社だから、それはないと思うよ。まだここが接収されていないのが不思議なくらいだよ」
と言った。その時、アタマスが会議室に入って来た。
「ウチは独自の情報網がありますからね。軍の一個師団ごときに接収されはしませんよ」
「アタマス・エスコさんですか?」
マーンはアタマスに近づいた。アタマスは右手を差し出して、
「そうです。ダウ・バフ・マーン教授と、カシェリーナ・ダムンさんですね」
「ええ」
マーンはアタマスと握手を交わした。アタマスはカシェリーナとも握手して、
「シノン教授の娘さんですね。以前、お宅でお会いしたことがありますよ」
「父を御存じですの?」
カシェリーナは意外そうに尋ねた。アタマスはニヤリとして、
「政治記者で貴女の父上を知らない奴がいたら、会ってみたいですよ。そのくらい有名なんです、我々の間では」
「そうなんですか」
カシェリーナはますますびっくりした。マーンが、
「シノン教授がそれを見つけてくれたんです」
とアタマスが手にしている紙を見て言った。アタマスは、
「ほォ。さすがですね。教授のコンピュータ好きは、我々の間でもよく知られていますよ」
と言いながら二人に椅子を勧めると、自分も腰を下ろした。そして、プリントした紙を会議テーブルの上に置いて、
「こいつがもし本当だとすると、軍いや、ディズムの奴は、何をしでかそうとしているんですか?」
「そこに書いてある通りです。月を割るつもりですよ」
マーンは答えた。アタマスは呆れ顔で、
「あの男、軍の広報官をしていた頃から知っていますが、途方もないことを考える男ですね」
「ええ」
カシェリーナはマーンの顔を見た。
(先生、複雑な心境よね)
彼女はアタマスを見て、
「それでその内容を、明日の朝刊とインターネットサイトのニュースで報道してほしいんです。それから、系列のテレビ局やラジオ局、系列以外のテレビ局やラジオ局にもその情報を伝えて下さい」
と訴えた。アタマスはカシェリーナを見つめて、
「メディアを使って、ディズムを告発するつもりですね?」
「そうです。そうすれば総帥も考えを変えるかも知れません」
アタマスはポケットから煙草を取り出して火を点けると、
「確かに奴は情報に敏感です。そんなことをされれば、立場が危うくなりますからね」
「ええ」
アタマスは煙を吐き出しながら、
「しかし、この情報が確実なものだという証拠がないと、掲載は無理ですよ」
「証拠を探し出してからでは手遅れになるんです。勇み足でも仕方ありません。やってもらえませんか?」
マーンはアタマスに詰め寄った。アタマスは煙草を灰皿に投げ捨てて、
「危険ですよ。下手をすると、命を狙われる。私だけじゃない。貴方達もです」
「仕方ありません。私には命を懸けてでもこの戦争を止める義務があるのですから」
マーンは力強く言った。アタマスはそのマーンの迫力に気圧されていた。カシェリーナもアタマスの手を取って、
「お願い、エスコさん。力を貸して下さい」
「……」
アタマスには理解ができなかった。
( 何だ? どうしてこの二人はこんなに真剣なんだ? 月が割れたって、俺達には直接関係ないことなのに )
「返事をする前に一つ教えて下さい」
「はい」
マーンとカシェリーナは同時に答えた。アタマスは二人を見比べながら、
「何故です? 何故それほどまでに真剣になれるんです? 確かにディズムのやろうとしていることは、人道的に許されることじゃない。しかし……」
「あの男は、私の実の父親なんです」
マーンはアタマスの言葉を遮るように言った。アタマスは唖然としてマーンを見た。マーンは続けた。
「ですが、それだけが理由ではないんです。私はこんなことになるのではと、一年も前から考えていたのに、何もしなかった。事が起こってからやっと動いたんです。これはあの男に協力したも同然の愚劣さです」
「マーンさん……」
アタマスはやっと口に出した。マーンはさらに、
「だから私は、命に代えても、あの男の愚行を止めなければならないんです」
と付け加えた。アタマスは頷いてからカシェリーナを見た。カシェリーナは、
「私、私の愛する人が軍の作戦に参加することになって、いても立ってもいられなくなったんです。最初はそれだけでした。でも今は違います」
「違う?」
「はい。人は一人では権力に立ち向かえないけど、大勢の人が力を合わせれば、たとえ最高権力者でも、倒すことができるんじゃないかって、思うようになったんです。父のように、多くの人に自分の考えを広めて、同じ気持ちになってもらえれば、何かができるって。マスコミの力って、そう使うのが正しいんだって、父も自分の著書に書いています」
カシェリーナは力強く語った。アタマスは苦笑いをして、
「そうですね。時の権力者に利用され、そのプロパガンダ( 宣伝活動 )のためだけに存在するのなら、報道機関なんてない方がましですからね」
と言ってから再びマーンを見て、
「わかりました。全面的に協力しましょう。そして必ずディズムを失脚させましょう」
「ありがとう、エスコさん」
マーンとカシェリーナはアタマスの手を握って言った。
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