第十三章 策略
カロンはエンプーサをタクシーで送り出して部屋に戻ろうとしたところを、ヒュプシピュレに呼び止められた。
「ヒュピー。いつ来たんだ?」
「たった今よ。エンプーサとはお楽しみだったようね」
「ビジネスの一貫だぞ。嫉妬は見苦しいな」
カロンは歩き出した。ヒュプシピュレはカロンを追いかけた。
「正直言って、今回の貴方のやり方、少し強引過ぎるわ。月にいくらもらったのか知らないけど、ディズムを殺るなんてできっこないのよ。やめて、お願い」
「大丈夫だよ。エンプーサが手引きしてくれる。ディズムがいつ外に出るか、彼女が教えてくれるんだ」
「……」
ヒュプシピュレは不服そうにカロンを睨んだ。カロンは振り返って、
「お前の部下はもうディズムに近づけないだろう。奴はピュトンが殺されたので、かなり警戒しているらしい」
「エンプーサが言ったの?」
「ああ。彼女は自分専用のSSを持っている。ディズムのことは、他の誰よりも知っているよ」
「そう。なるほどね」
カロンはサッとヒュプシピュレを抱き寄せ、彼女の唇を貪るように吸った。ヒュプシピュレもそれに応じ、カロンの唇を吸った。
「口直しに、お前と楽しみたいな」
「たっぷりとね」
ヒュプシピュレは嬉しそうに笑った。
ゲスは、ヘルミオネの家に戻るリムジンの中で、考え込んでいた。
(スキュラ作戦に、核融合砲作戦か。ディズムめ。これではどちらが奴の真の目的か、測りかねるな)
「それが奴の狙いか」
ゲスはそう呟き、目を閉じた。
「捨て駒を考えねば、チェックメイトをかけられてしまうな」
とゲスは再び目を開いた。
翌朝になった。シノンの邸はまだ朝靄の中にあった。
マーンはスーツに着替えると、廊下に出た。するとカシェリーナがそこにナイトガウン姿で立っていた。
「やァ、おはよう、カシェリーナ」
「先生、ちょっといいですか?」
カシェリーナは部屋の中を右手で示した。マーンはキョトンとして、
「何?」
「ナターシャさんのことです」
「……」
マーンは無言で頷き、中に入った。カシェリーナがこれに続き、ドアを閉めた。
「ナターシャのこと? どういうことかな?」
「ナターシャさんとはどういうご関係なんですか?」
カシェリーナはベッドの片端に腰を下ろして、マーンを見上げた。マーンは部屋の隅にある丸椅子に座って、
「別に何でもないよ。大学院の時、共に学んだ仲というだけだ」
「でもナターシャさんはそうは思っていないみたいです」
マーンはハッとしてカシェリーナを見た。彼女は憤然としていた。マーンは苦笑いをして、
「そうか。昨夜ナターシャと話していたのを聞いていたのか」
「はい」
「不作法だね、カシェリーナ」
「あっ……」
カシェリーナは赤面した。しかしマーンはニッコリして、
「わかった。君の言いたいことはね。確かに私はナターシャに対して冷たかった。今日、きちんと正面を向いて話すよ。ありがとう」
「は、はい……」
カシェリーナは追い立てられるようにマーンの部屋を出た。
(結局私、何をしに来たのかしら?)
エンプーサは久しぶりにディズムの隣で眠った。しかし彼はエンプーサに指一本触れることはない。それは彼女が子を生めない身体と知ってからだった。
(この男は、女を自分の子種を宿す物のように思っているのだわ)
エンプーサは憎らしげにディズムを見た。
(いっそ今この場で私がカロンの代わりにこの男を……)
そうまで考えた時、ディズムが彼女の殺気に気づいたのか、目を開いた。
「何だ?」
「いえ、別に……」
エンプーサはベッドから出て、ドレッサーの前に座り、ブラシで髪をとかした。ディズムはベッドから出てガウンを羽織ると、煙草に火を点けた。
「昨日は一日どこに行っていた? 夕食も外ですませたらしいな」
「あら、少しは私のことが気になりますの?」
エンプーサは鏡越しにディズムを見た。ディズムは煙草の煙を眺めたままで、
「そうではない。今私は殺し屋に狙われているのだ。お前もターゲットなのかも知れんぞ」
「まさか。私を殺しても、何の得にもなりませんでしょ」
とエンプーサは振り返って言った。ディズムは煙草を揉み消すと、
「お前を人質にして、私を脅迫するかも知れぬ。気をつけろ」
「私が捕まっても貴方は私を助けるつもりなどないのでしょう? 返って好都合ですものね」
「そうは思わんな。お前が囚われの身になれば、私はお前を何としても助け出そうとするよ。妻を見殺しにする男では、地球の国民は支持してくれぬ。よって月にも勝てぬ」
とディズムは立ち上がった。エンプーサはキッとして彼を見上げた。
「結局貴方は私のことを損得でしか見ていないし、考えていないのね。何て人なの!」
「何とでも言え」
ディズムは寝室を出て行った。
(殺されるがいい、カロン・ギギネイに!)
エンプーサは心の中でそう叫んだ。
レージンは一日目の訓練があまりにも過酷だったので、まさしく泥のように眠っていた。昨夜から彼等は、本部の一角にある訓練所の宿舎に寝泊まりしているのだ。
「うわっ!」
レージンはけたたましい起床のサイレンに仰天して飛び起き、自分が二段ベッドの下の段に寝ていることをすっかり忘れて立ち上がり、上のベッドで頭を強打した。
「いってえ!」
レージン達は食堂で朝食をとった後、講堂でスキュラの操縦方法や作戦内容の説明を聞き、その後シミュレーションルームでスキュラの操縦訓練をした。
「いいか、地球上での戦闘と大きく違うことは、スキュラが破壊されれば、脱出してもまず助からんということだ。地上のように友軍が発見してくれる確率は極めて低い」
と教官が言った。レージンはその話を真剣に聞いていたが、大半の者はあまり真剣に聞いていなかった。真面目に訓練を受けて、スキュラ作戦に参加させられたくないからである。だが、スキュラ作戦はそんな小賢しい考えで参加せずにすむほど、生易しい計画ではなかった。
(しかし、もしあの原発の話が本当だとするとこの作戦は一体どういうことなんだ? マーン先生の言うように陽動だとしたら……)
レージンには軍の上層部が何を考えているのか見当がつかなかった。
ゲスは中央作戦指令室に幹部を召集し、作戦会議を開いていた。
「ディズムの仕掛けたこの戦略はちょっと奥が深い。迂闊にどちらかに比重をかけると、片方がやられる。どちらの作戦を本命ととるか、なのだが」
ゲスは幹部を見渡した。彼等はガルガロイを殺させたのがゲスだということを知っているので、内心ビクビクしていた。
「やはり、スキュラを陽動と考えた方がよろしいかと思います」
ララルが意見を言った。一同はララルを見た。ゲスは目を細めて、
「何故だ?」
「ネオ・モントの本格的な展開には、まだ一週間はかかりましょう。ならばここは一旦ネオ・モントを捨てても、核融合砲を阻止した方が、我が国の受ける損害は少なくてすむと思われます」
「理屈だな。確かにそうだ。ネオ・モントはまた造ればよいが、月そのものを破壊されては、どうにもならん」
「はい。それに、仮にスキュラが陽動でないとしても、ネオ・モントに駐留させる艦隊を全てダミーにしておけば、実質失うのは、未完成のネオ・モントだけです」
とララルが言うと、ゲスはにやりとして、
「それと、無能な科学者共だ」
一同は騒然とした。ララルの額に汗が伝わった。
(閣下はやはり、マレク達を処分するおつもりか)
「ララル、スキュラのことはマレク達に話す必要はない。艦隊のすり替えも、奴らに知られぬようにやれ。手痛い犠牲となろうが、月のためにはやむを得んことだ」
「はっ!」
ララルは汗が首筋を伝わるのを感じた。
カシェリーナとナターシャは、キッチンで洗い物をしていた。そこへマーンが入って来た。カシェリーナはそれに気づくと、マーンに目で合図して、キッチンを出て行った。
「カシェリーナ、ナターシャにワインを持って来るように言ってくれ」
シノンがキッチンに入って来ようとしたので、カシェリーナは彼を押し戻した。
「何だ?」
「今、先生とナターシャさんが話しているの。そんなの、後にしてよ」
「ほォ」
シノンは嬉しそうに頷き、リヴィングルームに戻って行った。カシェリーナも、二度の立ち聞きは申し訳ないと思って、シノンを追うようにしてリヴィングルームに行った。
「ナターシャ」
マーンはカシェリーナ達がいなくなったのを見届けてから、ナターシャに声をかけた。
「はい?」
ナターシャは濡れた手をエプロンで拭うと、マーンを見た。
「夕べはすまなかった。もっときちんと話し合うべきだった」
「……」
ナターシャは無言のままキッチンの椅子に座った。マーンも向かい合って座った。
「君のことは好きだ。でも私は人を愛せるような男じゃない。父と母のことが頭から離れないんだ。私は君を幸せにすることなどできない。あの男と同じことをしてしまうかも知れない」
「あの男って、ベン・ドム・ディズムのことですか?」
とナターシャが言うと、マーンはハッとしてナターシャを見て、
「知っていたのか?」
「ええ。シノン教授から伺っています。そのことと貴方とどういう関係があるというのですか?」
「奴は私の父親だ。私の身体の中には、奴の血が半分流れている。あの冷酷な男の血がね」
「でも後の半分は、優しいお母様の血ではないのですか?」
ナターシャの言葉にマーンはビクッとした。ナターシャはマーンの右手を両手で包んで、
「ダウ、そんな後ろ向きの人生、いけません。もっと前を見て下さい。あの人はあの人、貴方は貴方です」
「ナターシャ」
「結婚してくれなんて言いません。そばにいさせて下さい。私、貴方と暮らしたいんです。それだけです」
ナターシャの目が潤んでいた。マーンはニッコリして、
「わかった。ありがとう、ナターシャ。何か救われた気がするよ」
「ダウ」
二人は立ち上がって、しっかりと抱き合った。
カシェリーナはリヴィングルームのソファに腰を下ろして、
「いいの、お父さん? ナターシャさんを先生にとられちゃうわよ」
と問いかけると、シノンはフフンと笑って、
「かまわんよ。ナターシャと私は別にそういう関係ではない。ただ、料理を作ってくれる人がいなくなってしまうのは、残念かな」
すると、カシェリーナがニコニコして、
「じゃ、私が来てあげようか?」
「お前の手料理を食べるくらいなら、ファミリーレストランかファーストフードの店で食べた方がマシだよ」
シノンがニヤリとして言うと、カシェリーナはふくれっ面をして、
「まァ、ひどい。私の料理、そんなにまずいってこと?」
「ハハハ。それより、お前こそいいのか? マーン君がナターシャとよりを戻してしまって?」
「お父さん!」
カシェリーナは真っ赤になって怒鳴った。シノンは声を殺して笑った。
カロンはキッチンでヒュプシピュレが作った料理を食べていた。
彼女はこの世界に入る前は、料理学校に通う普通の女性だった。ところが、卒業を間近にして両親を自動車事故で失い、一気に不幸のどん底に陥ってしまった。彼女は死に物狂いで働き、どんな屈辱にも耐えて今の地位を築いたのだ。カロンと出会ったのは十年前である。お互いまだ駆け出しの頃だった。そして今二人は、共にその世界の頂点に立っている。
「お前がこんなに料理が得意だったとは、知らなかったな」
カロンが言うと、ヒュプシピュレは嬉しそうにカロンを見て、
「貴方に話したことなかったわね。私、本当は料理学校の先生になりたかったのよ」
「ほォ。そうだったのか。随分、今の人生、ギャップがあるな」
「ええ。でも後悔していないわ。力一杯生きて来たし。貴方にも出会えたから」
カロンはニヤリとした。
「お前と最初に会った時、俺はこの世界に入ったばかりの青二才だった。銃すら使えないような男だったんだ」
「それが今では地球と月に並ぶ者のいない殺し屋ですものね」
「十年たったんだな。長かったか、短かったか、よくわからんが」
「ええ」
ヒュプシピュレはワインをグラスに注いだ。二人は乾杯して、グラスを傾けた。
「私、毎日貴方とこうしていたいわ」
「それはできないな。俺の仕事の性質上な」
「わかってるわよ。ちょっと言ってみただけよ」
ヒュプシピュレの顔は、心無しか寂しそうだった。
レージン達はスキュラの実物を見せられた。それは全長が30メートルほどもあり、もはや小型戦艦とも言うべきものだった。
「シミュレーションとは違う。中の操縦系はエンジンの始動まではできる。やってみろ」
三人一組となり、レージン達はスキュラに乗り込んだ。
「凄い。こいつはほとんど自動制御だ」
レージンは居並ぶ計器類を見て言った。
(これなら、本当に勝てるかも知れない)
彼はマニュアルにある通り操作を開始し、エンジンを始動させた。
「おや?」
レージンは操縦系の脇に全く別系統の計器類があるのに気づいた。
「な、何だ?」
レージンはその計器類をじっと見つめた。
(変だな。このパネル部分は全く作動していないし、何のボタンもスイッチもないのに計器類がひしめいている。どういうことだ?)
「よし、次と交替!」
と教官の声がした。レージンは詮索をあきらめて外へ出た。
(気になるな。夜ちょっと調べに来るか)
彼はスキュラを見上げて思った。
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