第十一章 進展

 カロンとヒュプシピュレは久しぶりの逢瀬を楽しみ、ベッドでぐっすりと眠っていた。

「まだ寝ているの?」

 ヒュプシピュレがカロンの胸を右手で撫でながら尋ねた。カロンは天井を見たままで、

「いや、もう起きてるよ」

「夕べは久しぶりに燃えたわ。やっぱり貴方は最高ね」

「ということは、他にも燃えた男が何人もいるということか?」

 カロンはニヤリとしてヒュプシピュレを見た。すると彼女はムッとして、

「まァひどい。私をパイア・ギノのような女と一緒にしないでよね。こんな世界で生きているけど、身持ちはいいんだから」

「冗談だよ」

 カロンは起き上がって応えた。彼はトランクスを履いてベッドから出た。ヒュプシピュレもバスローブを羽織ってベッドから出た。

「どうするの? 総帥を殺る方法は見つかった?」

「ああ。奴の女房を何とかしよう」

「まさかあのヒステリー女と……」

 ヒュプシピュレはカロンの「何とかする」が、常に男の武器を使うことを意味しているのを知っていたので、仰天した。

「お察しの通りだ。楽しむのさ」

「あんなオバさんと?」

 ヒュプシピュレはエンプーサの顔を思い浮かべた。テレビや雑誌で何度か見かけたことがあるが、昔ディズムの上官だった男の娘で、そのことを鼻にかけている、嫌な女という印象が強かった。

「彼女はそれほど老けていないよ。ディズムに相手にしてもらえないので暇を持て余していて、随分エステとかに通って若返っているらしいからな。うかうかしていると、お前の方が老けてしまうぞ」

とカロンは言った。ヒュプシピュレはプーッと頬を膨らませた。

「まァ!」

 カロンはそれを見てフッと笑った。

「彼女はディズムと冷えきった関係の上、奴を憎んでいる。うまく抱き込めば、これ以上のスパイはいない。ディズムの動きが掴める。いくら奴でも、自分の妻を疑ったり、身体検査させたりはしないだろう」

「なるほどね」

 ヒュプシピュレは半分呆れながらも、カロンの話に納得した。

(この人、ホントに女が好きなのね)


「もう泣くのはやめろ。テスが変に思っていたではないか」

 ゲスはいつまでも泣いているヘルミオネに言った。ヘルミオネはドリュアスが死んだというニュースを見て、ひどくショックを受けていたのだ。テセウスはそんな母親を見て少し変に思いながらも学校へ行った。

「でも……。貴方は悲しくないのですか、奥様が亡くなられて?」

「悲しくはないな。あの女は私の部下と通じていたのだぞ。あんな死に方をしても、仕方がなかろう?」

 さすがのゲスもヘルミオネに、自分が命じて殺させたとは言えなかった。

「そんな。貴方だって、私だって、同じことをしていますわ」

「私やお前は、あの女とは違う。あの女はただ欲望を満たすためだけに、ダンドルと寝ていたのだ。我々とは次元が違う。只の売女だったのだ」

 ゲスはまさしく吐き捨てるように言った。ヘルミオネは涙を拭って、

「とにかく、葬儀はきちんとしてあげて下さいね。あんな亡くなり方をされたのですから」

「わかっている。出かけるぞ」

「行ってらっしゃいませ」

 ゲスはドアを開いて振り返り、

「もう私にはここしか戻るところがない。これからは毎日会えるぞ」

と言ってから出て行った。ヘルミオネは複雑な思いだった。


 カシェリーナ達は、軍本部に来ていた。

「レージン、絶対死なないでよ。でないと、私……」

 カシェリーナは高速ヘリに乗り込みながら、見送りに来たレージンに言った。レージンは笑って、

「わかったよ。それより、気をつけてな」

「ええ。愛してるわ」

「えっ?」

 レージンはカシェリーナの最後の言葉を聞き逃した。レージンが聞き返しているのに気づかず、カシェリーナはヘリの扉を閉じた。

「いいかい、カシェリーナ?」

 マーンが振り返って尋ねた。カシェリーナは静かに頷いた。

「さよなら、レージン。必ず生きて帰ってね」

 カシェリーナはヘリの巻き起こす砂塵の中で目を細めて立っているレージンを見下ろした。

「カシェリーナ、お父上に会えないかな?」

 マーンが言った。カシェリーナはその声に現実に引き戻されて、

「え、ええ。父はニューペキンの郊外に住んでいますから。大学からもそんなに遠くないです」

「そうか。もう少し詳しい話が聞きたいな」

「ええ。父は今夜また連絡をくれって言ってました。何か調べるつもりのようです」

「なるほど」

 高速ヘリは軍本部を離れ、西の空に消えた。


 ジョリアス・ダロネンは、軍が莫大な費用をかけて解体した原発をディズムの命令で太平洋の中央の小さな島に集めていることを知り、議長官邸に来ていた。

「何だ、ダロネン?」

 ディズムは実に落ち着いた様子で議長の椅子に座っていた。ジョリアスは憤然として、

「一体どういうつもりです? 原発を解体し、しかもそれを太平洋の中央にある小島に運ばせているそうではないですか」

「わからんのか?」

 ディズムはとぼけて尋ねた。ジョリアスは、

「わかりません」

 ディズムはフッと笑い、

「これが私の真の目的だ。スキュラ作戦は陽動に過ぎん。太平洋の中央に巨大な核融合炉を建設し、それを動力源として原子エネルギー砲塔を造る」

「何ですって? 原子エネルギー砲塔?」

 ジョリアスは仰天した。ディズムは立ち上がって、

「月の連中は、このことを知らん。スキュラ作戦が本命だと考え、この原発解体の動きには目もくれんだろう。それが私の狙いだったのだ」

「はァ……」

 ジョリアスは唖然としてしまった。

(あれほど大袈裟に秘密作戦と謳い上げ、二百名もの人間を地球中から極秘に集めたというのに。陽動作戦だというのか。しかし、これだけの作戦が陽動だとは誰も思うまい)

「わかるか、ジョリアス? 戦争とは数や力でするものではない。頭でするものなのだ。いかに戦いに勝とうとも、回復できぬほどのダメージを受けていては、何もならぬのだ」

「はい」

 ジョリアスは今やディズムに対して恐怖を感じていた。

(この方は底知れぬお方だ……)


 シノンは書斎でナターシャの入れてくれたコーヒーを飲みながら、コンピュータと睨めっこしていた。

「さすがに軍情報部のコンピュータはガードが堅いな。これ以上続けると、逆探知されかねんか」

 シノンは軍情報部のホストコンピュータにアクセスするのを諦めて、原発の解体を請け負った業者を調べ、そのコンピュータにアクセスした。こちらは呆気なくパスワードをクリアし、侵入に成功した。

「妙だな。解体するのに、何故こんなに時間と金をかけるんだ? これはやはり、移転のための解体と考えた方が正しいな」

 彼はその手の大物を運搬できそうな輸送会社をピックアップし、その一つにアクセスした。

「やはりここか。軍への見積書だ。中央太平洋の小島に運ぶのか。しかし、これは……」

 シノンは、あまりにも呆気なくことが運ぶことに少々警戒感を覚えた。

(罠、か?)

 シノンはコーヒーを一口飲み、思索に耽った。そこへナターシャがトーストとハムエッグを持って来てくれた。

「教授、少しお休みになってはいかがですか? 全然眠ってらっしゃらないんでしょ?」

 ナターシャはにっこりしてトレイを机の上に置いた。シノンは彼女を見て、

「そういう君も休んどらんだろう? 少し横になった方がいい。年寄りの道楽につき合うと、身が持たんぞ」

「まァ」

 ナターシャは微笑んで、

「ではあちらで少し休みます。何かありましたら、お声をかけて下さい」

「いや、私もこれを食べたら少し休むから。あっ、そうそう、カシェリーナから連絡が入ったら、寝ていても起こしてくれるかな」

「はい」

 ナターシャはにこっとして書斎を出て行った。シノンはそれを見届けると、トーストをほおばり、コーヒーで流し込むようにして食べた。


 カロンはニュートウキョウの歓楽街の一つ、シンジュクに来ていた。その一角に巨大なビルがある。そこは百三十階だったが、月の『人工衛星の雨作戦』で、今はその半分も残っていない。しかし、焼け残ったテナントは営業を続けていた。

 そのテナントの一つに、あのエンプーサが通っているフィットネスクラブがあった。エンプーサは何の仕事もしていないので、一日中そんなところに行っているしか時間の潰しようがないのである。

「ふう……」

 彼女は温水プールで泳いでいた。ゴーグルを着け競泳用の水着を着、防水帽を被った彼女はとても四十歳には見えなかった。彼女は飛び込み台に上がり、バッと空中を舞い、水飛沫を上げて飛び込んだ。クロール、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎ。彼女はメドレーで泳いだ。

「あれか」

 カロンもその鍛え上げられた肉体を曝して、プールサイドに現れた。周囲の女性が一斉に彼を見た。その筋肉が見事についたカロンの肉体は、女性にとって官能的で、何か惹かれるものがあった。ほとんどスーバービキニといった感じの水着も、中年女性達の目を惹いた。逆に男達からは嫉妬の目が向けられていたが。

「フッ」

 カロンはそんな周囲の目に気づいて苦笑いをし、ゴーグルを下げるとエンプーサに近づいた。

「失礼」

 カロンに声をかけられて、エンプーサはドキッとして彼を見上げた。二人の身長差は二十cm以上あった。カロンはそんなエンプーサを見てにっこり笑い、

「エンプーサ・ディズムさんですね?」

 エンプーサはプールから上がりながら、

「ええ、そうですが。私に何かご用かしら?」

「はい。ここではちょっと。あちらで……」

 カロンはプールサイドの隅を指差した。エンプーサは、何かわからないけど若い男の誘いは楽しいわと思い、

「ええ」

とカロンに従った。

 二人はブールから出て、廊下を歩いた。そして男子トイレの前まで来た時、カロンは、

「失礼」

とエンプーサを抱き上げ、個室に入った。エンプーサは口を塞がれて、声を出せなかった。しかし彼女は声を出すつもりも抵抗するつもりもなかった。若い男に求められている。そう思うだけで、彼女は燃えてしまった。

「奥さん、前からずっと貴女のことを思っていました」

 カロンは口から出任せのことを言い、いきなりエンプーサの唇を吸った。エンプーサは抵抗せず、彼の舌を受け入れた。

「あっ」

 カロンの右手が水着の下に入って来た。知らぬ間にエンプーサは水着を脱がされた、しかし彼女は全然抵抗しなかった。カロンはエンプーサの唇をむさぼりながら、激しく彼女を攻めた。エンプーサはその振動が伝わるたび、ディズムには与えてもらえなかった喜びを生まれて初めて味わった。そして彼女は昇りつめて気を失った。カロンはにやりとしてエンプーサから離れた。

「これからが本番だよ、エンプーサ」

 彼は呟いた。


「あんた達! 一体何してたの!」

 パイア・ギノは激怒していた。三人の部下が揃いも揃ってカロンと楽しんだ上、カロンに行方をくらまされたことに、彼女はこの上ない憤りを感じていた。三人は宇宙船のモニターの向こうにいるパイアが、画面から飛び出して来るのではないかと思うほど、彼女の迫力に圧倒されていた。

「何のためにカロンと一緒に行かせたと思ってるの? あの人が誰と会ってどこへ行くのかが知りたいから、あんた達をつけたんじゃないの! それがカロンにしてやられて……」

 パイアの怒りの半分は嫉妬だった。こんな小娘共にカロンを渡してなるものか、という思いがあった。

「たぶん、ヒュプシピュレのところよ。行って確かめなさい。宇宙船を提供したんだから、カロンがどこにいるのかくらいは知っていてもいいはずよ」

「は、はい」

 三人の女はすっかり脅えて答えた。モニターの中のパイアは消えた。三人はホッと溜息をついた。

「首領の嫉妬って、もう並ぶ者がいないくらい、壮絶よね」

 赤毛の女が言うと、黒髪の女が、

「そうね。特に、ヒュプシピュレという女のことに関しては、首領はほとんど親の仇のように思ってるわよ」

「まァ、何にしても、その女のところに行きましょうよ。でないと、私達本当に首領に殺されちゃうわよ」

と金髪の女が言った。赤毛と黒髪は黙って頷いた。


 カシェリーナとマーンがニューペキン空港に降り立ったのは、日がすっかり西に傾いた頃だった。

「あっ、そうだ、父に連絡して来ます」

 カシェリーナはロビーに出るなりそう言うと、サッと駆け出した。そして通信端末があるブースに入ると、ショルダーバッグから小型パソコンを取り出して接続し、シノンのパソコンにアクセスした。

「お帰りなさい、カシェリーナさん」

 画面にナターシャが映って答えた。カシェリーナはほんの一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直して、

「ただいま、ナターシャさん。父はいますか?」

「はい、いらっしゃいます。今お呼びしますね」

「はい」

 カシェリーナはナターシャの上品な話し方に憧れていた。

(でも私、逆立ちしたってああはなれないな)

 仕方ない、とカシェリーナは溜息を吐いた。

「お帰り、カシェリーナ。どうだ、何かわかったか?」

 シノンは画面に映るなり尋ねた。

「いえ、こちらは何も。お父さんの方は?」

「こっちはいろいろわかったぞ。まァとにかく、私の家に来い。飯でも食ってから話そう。お前も腹が減っているだろう?」

「ええ。もうペコペコよ」

「そうか、じゃ、すぐに来い。ナターシャがおいしい料理をたくさん作ってくれているからな」

「はいはい。じゃあね」

 カシェリーナは少し呆れ気味に答えて接続を切ると、マーンのところに戻った。

「父は何か掴んだみたいです。夕食を食べてから、話すそうです」

「そうか、何か悪い気もするが……」

「そんなことないです。本当なら私が先生に何か作って上げたいんですけど、私、料理全然だめですから」

 カシェリーナはにこにこしながら言った。マーンもつられて微笑み、

「わかった。じゃあ、シノン教授には、夕食の後たっぷり熱弁を振るってもらおうか」

「ええ」

 カシェリーナは大きく頷いてみせた。


 カロンは自分の邸宅にエンプーサを連れて来ていた。

(あの三人がいないのはどうしてだ?)

 彼はそのことがほんの少し気にかかったが、構わずエンプーサを中に入れた。

「随分立派なお屋敷に住んでらっしゃるのね」

 エンプーサが周囲を見渡しながら言った。するとカロンはニヤリとして、

「ここは別荘なんですよ。私は実は月に住んでいるのです」

「まァ、月に?」

 エンプーサもバカな女ではない。カロンが月の人間だと知ると、急に警戒心を強めた。カロンは当然彼女のその変化に気づき、

「別に貴女をどうこうするつもりはありませんよ、奥様」

「エンプーサでいいわ」

 彼女は微笑んで答えた。

「もうどうこうされてしまったと思うけど? 違う?」

「……」

 カロンは黙ってエンプーサを見つめた。彼女は頬を赤らめて俯いた。

「食事の用意ができています。どうぞ、こちらへ」

 カロンはエンプーサの右手を取って食堂へ案内した。

 廊下を歩きながら、

「何のために私に近づいたの? あんな強引な、でもとても楽しいやり方で?」

とエンプーサは尋ねた。カロンはエンプーサを見ないで、

「貴女のことをもっと知りたいからと言っても、信じてもらえないでしょうね」

「そうね」

 エンプーサはフフッと笑った。

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