第十章 運命
ジョリアス・ダロネンは自宅に戻る車の中で、ディズムが言ったことを思い出していた。
『スキュラ作戦は恐らく月にその情報が伝わっているだろう。しかしそれは偽の情報だ。スキュラ作戦の本当の狙いは、お前にも明かしていない。ゲスは今度こそ慌てふためく。そして停戦を申し入れて来るだろう』
(総帥は恐ろしい方だ。スキュラの完成予想図を見せられた時は、まさしくその名の通り、怪物を見る思いがした)
ジョリアスの額に汗が吹き出した。
スキュラとは、ギリシア神話に出て来る下半身が六頭の犬となった女の化け物である。まさにスキュラという爆撃機は、そういう形をしていた。六角形なのだ。全方位に死角がない造りになっており、三人で操縦する仕組みになっている。しかも大きさは小型の戦艦並みで、とても爆撃機と呼べる代物ではない。エンジンは巨大な核融合エンジンなので、至近距離からの攻撃では、巻き添えを食らうことになりかねないのだ。さらにその上、ミサイルまで核付きなのである。月の軍はへたに攻撃を仕掛けられない。
(セカンド・ムーンは、スキュラが三機突撃すれば十分だという。しかもスキュラの最終的な操縦は、パイロット自身に関係なく、セカンド・ムーンとの距離により、勝手にコンピュータが行うようになっている。これでは作戦に参加する連中は、決して生きて帰れない)
ジョリアスは身震いした。
(しかも、作戦の指揮をとるのはあくまで私だ。失敗すれば私が潰され、それで終わりだ)
ジョリアスは外を眺めた。夕日がまさに山の端にかかっている。
「夕日の見納めかも知れんな」
彼は呟き、目を細めた。
レージン達はその日は本部から外に出ることになった。作戦の性質上、夜は基地にはできるだけ人を留まらせない方針なのだ。おかげでカシェリーナはレージンとマーンと三人で、焼失を免れたレストランで夕食をとることができた。
「随分嬉しそうだね、カシェリーナ」
マーンがカシェリーナを席に着かせながら言うと、
「ええそりゃもう。レージンとは二度と一緒に食事できないって思っていましたから」
「今まで一緒に食事してくれたことがないくせに、よく言うよ」
レージンが向かいの席に座りながら言うと、カシェリーナはちょっとバツが悪そうに、
「そうね。私、今まで貴方に本当にひどいことを言ったし、して来たわ。ごめんなさい」
「別にそんなこといいよ」
レージンはマーンをチラッと見て言った。マーンは微笑みながら、二人の横の席に座った。
「でも本当よ。私、今まで自分でも嫌になるくらい、素直じゃなかったわ」
「そうだよな」
レージンが言うと、カシェリーナはむくれた顔をして、
「ひっどーい! そういう言い方ってないでしょ!」
二人のやり取りをマーンは楽しそうに見ていた。
(こんな会話が交わせる世の中を消そうとしているあの男は、決して放ってはおけない。必ず阻止してみせる)
マーンは心の中で決意を新たにした。
ゲスは会議室を出て、各人が散会したのを見届けると、ガルガロイの後を追った。
「ダンドル」
ガルガロイは、ドリュアスから自分とドリュアスの件をゲスが知っていることを聞かされていたので、心臓が止まるかと思った程であった。
「何でしょうか?」
ガルガロイは顔が引きつっているのを感じながら、振り返った。ゲスはニヤリとして、
「どうした? 身体の具合でも悪いのか?」
「いえ、別に……」
ガルガロイは心臓の高鳴りをゲスに聞かれてしまうのではないかと思った。しかしゲスは平然として、
「例のスキュラ作戦の対策だがな」
「は、はい」
ガルガロイは内心ほっとして返事をした。ゲスは声を低くして、
「妙だと思わんか? 核付きのミサイルを搭載した爆撃機をネオモントにぶつけて、ネオモントを潰す。そんな単純な作戦のために、ディズムは極秘命令を下したりするだろうか?」
「はァ、言われてみれば、そのようで」
「そうか、お前もそう思うか」
ゲスはガルガロイから離れて歩き出した。ガルガロイもその場を立ち去ろうとした時、
「ドリュアスとはどうだった? 感じたか、感じさせたか?」
と言われた。ガルガロイが言い訳をしようと思って振り向いた時、ゲスはすでに廊下の角を曲がって姿を消していた。
(ど、どうすればいいのだ……)
ガルガロイの全身から汗が吹き出した。
ニューペキンにも夜が訪れていた。その郊外は閑静な高級住宅街で、その中の一つの邸宅にカシェリーナの父、シノン・ダムンは住んでいた。若い愛人(と言うよりは恋人だろう、カシェリーナの母テミスとは離婚しているのだから)はもう寝ついていた。彼女の名はナターシャ・ミストラル。シノンが大学にいた時の助手の一人である。
ナターシャはカシェリーナと違い、ひどくおとなしい性格で、あまり目立つ方ではなかった。しかしシノンはそこに惹かれた。ナターシャもシノンの大人のところが好きで、彼の誘いを承諾し、もう五年もつき合っている。二人は身体を重ねたことはないが、ほとんど恋人同然だった。シノンはナターシャの肉体に惹かれたのではなく、彼女のその性格と知性に惹かれたので、決して彼女に欲情することはなかった。しかし同じベッドに寝ることはあった。それでもプラトニックな関係なのだ。
ナターシャの存在はカシェリーナも知っている。だから彼女はシノンと離れて暮らしているのだ。しかし別にナターシャのことでシノンを嫌っているとか、ナターシャを敵視しているとかいうことはない。父には父の生活がある。それがカシェリーナの考えであった。
「妙だな。停止して何十年も経つ原発の解体工事が、何故今になってこんなにあちこちで行われているんだ?」
シノンは白髪まじりの総髪を掻きむしりながら、ノートパソコンのキーボードを叩いた。
ここは彼の書斎である。周りには資料が散乱しており、四方にはたくさんのDVDが納まった棚が並んでいる。
「ディズムは一体何を企んでいるんだ? 工事の発注元は全て軍になっているぞ」
シノンは傍らにある灰皿からシケモクを取り、ライターで火を点けた。
「まだ起きてらしたんですか」
パジャマの上にガウンを羽織ったナターシャが眠そうな目をして書斎に入って来た。黒髪を肩の上でカットしている彼女の顔は、活動的なカシェリーナと違って落ち着いた顔立ちで、若干垂れ気味の目も、愛らしさを感じさせた。シノンはナターシャを見てニヤリとし、
「ちょっと気になるデータがあったものでね。もう寝るよ。起こして悪かったな」
「いえ、それはいいんです」
ナターシャはニコッとして、書斎を出て行った。シノンはシケモクを灰皿に押しつけると、パソコンの電源を切り、立ち上がった。
「明日、軍のメインコンピュータにアクセスしてみれば、詳細がはっきりするだろう」
彼は書斎の明かりを消し、廊下に出た。
「そう言えば、カシェリーナは今ニュートウキョウに行っているんだったな。何か掴めるか」
とシノンは呟き、寝室に向かった。
カシェリーナは朝早くホテルの電話が鳴ったのに腹を立てながら受話器を取った。
「シノン・ダムン様からです」
「はい」
カシェリーナは父から何の用だろうと思いながら、シノンの声がするのを待った。
「カシェリーナ、起きてたか?」
「寝てたわよ。今まだ朝の五時よ。そっちも夜中なんでしょ。あ、でもよくここがわかったわね。ホテルの名前までは連絡しなかったのに」
「まァな。ちょっとキーボードを叩けば、すぐわかることさ」
「まだそんなハッカーみたいなことしてるの? 捕まるわよ」
「大丈夫だよ。ダイレクトにアクセスするようなヘマはしとらんから。絶対にばれることはないさ」
「全く」
カシェリーナはシノンのコンピュータ好きに少し閉口していたのだが、考えてみれば仕方のないことだ、とも思っていた。
「ところで何の用? こんな時間に、わざわざ私の泊まっているホテルを探し出してまで連絡して来たのは?」
「実はな、停止している原発が二十基ほど、ここ何日かの間に一気に解体されているんだよ」
「それがどうかしたの?」
「わからん奴だな。その発注元が全て軍なんだ。妙だと思わんか?」
「軍が?」
カシェリーナはとっさにスキュラ作戦のことを思い出し、シノンに話した。
「なるほど、そんなことが。何か関係があるかも知れんな」
「ええ、そうね」
「とにかく、私もいろいろ調べてみる。明日の夜にでも私のところに連絡してくれ。こちらからお前に連絡するより、その方がいいだろう」
「ええ。私もマーン先生に話してみるわ」
「そうそう、まさかマーン君、お前の隣に寝ているんじゃないだろうな?」
「お父さん!」
カシェリーナは真っ赤になって怒鳴った。
「ハハハ、すまんすまん。お前はそんな娘じゃなかったな。じゃあな」
カシェリーナは受話器を戻して、夕べ食事の後、レージンの部屋に行きたい衝動に駆られた自分を恥じた。
「お父さんに反論できないわね。私、夕べ本気でレージンに抱かれたいと思ってた」
レージンが参加するかも知れない作戦は、彼を確実に死に追いやるものだ。そう思うとどうしても彼との愛を確かめ、その証を手に入れたかった。レージンの子を生みたいという衝動に駆られたのだ。決して欲望を満たそうとした訳ではない。純粋な種族保存本能とも言うべきものだったのかも知れない。
「さてと。もう一度眠りましょうか」
彼女は明かりを消して、ベッドに身を沈めた。
ガルガロイは、ゲスにドリュアスのことを指摘されたにも関わらず、またドリュアスとホテルで一夜を共にした自分が情けなかった。彼はダブルベッドから這い出し、隣で眠っているドリュアスを見た。確かに彼女は美しい。自分の妻などよりずっと若く見える。しかも品がある。それに本当に愛し合える存在だ。しかしゲスに知られた以上、このままこの関係を続けて行くことは、身の破滅を意味した。
「本当にどうすればいいんだ」
ガルガロイはそう呟いた。すると彼の動きで目を覚ましたのか、ドリュアスも起き上がった。
「どうしたの? まだ早いわよ。昨日はあの男は家に戻らないで、あの女のところに行っているから、そのまま官邸に行くはずよ。心配ないわ」
ドリュアスは全く焦っている様子がなかった。ガルガロイは憤然として、
「君は呑気過ぎるぞ、ドリー。ゲスは私達のことを知っているだけではなく、私達がカロンに依頼して奴の愛人の息子を殺そうとしていることまで知っていたんだぞ。私は下手をすれば身の破滅だ」
「それはそうだけど。でもそれはあの男が私と離婚すれば全て丸く収まることよ」
「そんな単純なことではないと思うがな」
その時ガルガロイはチャイムの音を聞き、ドアに近づいた。
「ダンドル様、軍本部から緊急のメールが届いております」
ドアの向こうで低い男の声がした。ガルガロイはこの状況の不自然さに気づくべきだった。しかし彼は少しも警戒せずにドアを開いた。するとそこには、サングラスをし、黒ずくめの服を着た男が、サイレンサーつきの銃を構えて立っていた。
「あっ!」
それがガルガロイの最後の言葉だった。ガルガロイは心臓を撃ち抜かれてドサッと仰向けに倒れた。男はガルガロイの遺体を跨いで部屋に入って来た。
「きゃーっ!」
ドリュアスが倒れたガルガロイと黒ずくめの男を見て叫んだ。男は冷静に銃口をドリュアスに向け、その眉間を撃ち抜いた。ドリュアスは声もたてずにそのままベッドから転げ落ちた。男は銃をガルガロイの胸の上に置くと、さっさと部屋を出て行った。
ゲスはその男からの報告を、ヘルミオネが眠っている横で受けていた。
「そうか。愚か者が。あの時別れていれば、追放だけですませたものを」
と言うと、ゲスは携帯電話を切り、ベッドの傍らにあるテーブルに置き、横になった。
「これでテスを公式の場にも出せるようになったな」
ゲスはニヤリとした。
カシェリーナはホテルのレストランで、マーンとレージンと三人で朝食をとっていた。
「なるほどね。廃棄された原発が二十基あまり、解体工事をされ、しかもその発注元が軍か」
マーンはフォークとナイフを使いながら言った。レージンはロールパン一個を丸ごと口の中に放り込んで、
「原発解体してどうするつもりだ? 今さら巨大な発電所を造ってもどうにもならないだろ。発電の主力が太陽光になってから、もう三十年以上経ってるんだぜ」
「他の目的に使うとしたら? 例えば、軍事に」
カシェリーナは手を休めてレージンを見た。レージンはパンを呑み込んでから、
「まさか。スキュラ以外にも、何か秘密の作戦があるっていうのか?」
「考えられるな。スキュラ自体、あまりにも単純で、陽動作戦のような気がしていたんだ。その可能性は大いにあるよ」
マーンも手を休めて言った。カシェリーナはマーンを見て、
「一体どうするつもりなんでしょうか?」
「そこまではわからない。でも、原発を二十基も解体しているんだ。たぶんとてつもないことが始まるんだと思うよ」
とマーンは答えた。カシェリーナとレージンは顔を見合わせた。
その当のディズムは、官邸のプライベートルームで朝食をすませ、立ち上がったところをまたエンプーサに邪魔されていた。
「夕べはあの女を呼ばなかったらしいわね」
エンプーサは皮肉たっぷりに言った。ディズムは、
「何のことだ?」
とシラを切り、椅子に腰を下ろし、机に向かった。エンプーサはその向かいに立ち、
「あの売女のことよ! 昨日は例の日じゃなかったの? まだ後継者はできないの?」
と怒鳴った。ディズムはうるさそうにエンプーサを見上げて、
「何をわけのわからんことを言っているのだ。私は忙しいのだ。出て行け」
「何ですって!」
エンプーサは激怒したようだ。彼女はディズムの横に回り込んだ。
「貴方が浮気をしているのを黙って見ていられるほど、私はお人好しではなくてよ。そろそろ自粛してほしいものね、いい歳をして!」
「出て行けと言っているのがわからんのか!」
ディズムの平手打ちがエンプーサの頬に当たった。エンプーサはその勢いで一歩二歩とよろめいた。
「くっ!」
彼女は赤くなった頬に手を当てて、キッとディズムを睨むと、プライベートルームを出て行った。
「全く、あの女は……」
ディズムはいらいらしてそう呟いた。
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