第六章 降臨
マーンとカシェリーナはオオサカ空港に到着し、ロビーに出ていた。
「オオサカステーション行きのバスが出ているはずだ。たぶんそれが最終になる」
マーンは走り出した。カシェリーナはショルダーバッグを背負い直して、マーンを追いかけた。
オオサカ空港は、ホンシュウとシコクの間にあるオオサカベイに浮かぶ人工島にある。滑走路は造成に造成を重ねて、現在十二本あり、地球のあらゆる都市と結ばれている。
「先生、ちょっと!」
カシェリーナがロビーの外を走って行くバスに気づき、マーンを呼び止めた。マーンはゼイゼイ言いながら、
「間に合わなかったか……。参ったな」
と立ち止まった。カシェリーナはロビーのソファに目をやり、
「掛けません?」
「そうしよう」
二人はドサッとソファに腰を下ろした。ニューペキン空港に比べると、夜になってもオオサカ空港は人が多かった。マーンは周りを見て、
「恐らくたくさんの人が、ニュートウキョウに行けずにここで降りているんだろう。でなければ、この時間にこの人手はないよ」
「ええ」
カシェリーナは生まれて初めてオオサカに来たので、すっかりその人の多さにびっくりしていた。ニューペキンの繁華街でも、こんなに人はいないのだ。それもそのはず、オオサカ空港の一日当たりの乗降客数はニューペキンの全人口より多いのである。
「とにかく、タクシーでも拾って駅に行こう。もしスーパーエクスプレスが走っていなかったら、オオサカのホテルに泊まればいい」
「はい」
カシェリーナは一気に疲れが出たようにグッタリした。マーンは気遣うように、
「疲れたろう、カシェリーナ。悪かったね、こんな遠くまでつき合わせて」
「いえ、いいんです。レージンのことも、ニホンでなら何かわかるかも知れませんし」
「そうだね」
二人はやがてソファから立ち上がり、ロビーを出てタクシー乗り場に行った。ところがその乗り場には200メートルはあろうかという行列ができており、タクシーに乗れるのは夜中過ぎになるかも知れないような状況であった。
「どうする?」
マーンはいささか参ったような顔でカシェリーナを見た。カシェリーナは思案顔で、
「空港の中にホテルがありましたよね。そこに泊まりませんか? 私、お腹も空いてますし」
「そうか。じゃ、そうしよう」
二人は今度は空港の一角にあるホテルに向かった。
ところがそのホテルもほとんど満室。一つ空いているのはスイートで、一泊でニューペキンまで帰れるくらいの料金がかかる。カシェリーナが、
「どうしよう? 私、カード持ってますけど、泊まったら破産しちゃいます」
と悲鳴に近い声で言った。マーンは、
「仕方がない」
と言うと、フロントの受付嬢に、
「スイートを一室頼む」
カシェリーナは一室と言われて、ドキッとした。
(ま、まさか、私、先生と同室……?)
しかしマーンがそんな大胆なことを考えるわけがない。
「カシェリーナ、スイートをとったから泊まりなさい。私はロビーで一夜を明かすから」
マーンに言われて、カシェリーナは一緒に寝ようと言われるのより驚いてしまった。
「で、でもそれじゃ先生に悪いです。私別に平気ですから、先生も一緒に……」
「そういうわけにはいかないよ。仮にも君は私の教え子だよ。何もなくても、それはまずい」
マーンはきっぱりと言った。カシェリーナは申し訳なさそうに、
「わかりました。ごめんなさい」
「とにかく、部屋のキーを受け取って。アタッシュケースだけは一緒に持って行ってほしい」
「はい」
カシェリーナは申し訳ない思いで押し潰されそうになりながら、スイートルームに向かった。
彼女は部屋に着くとマーンのアタッシュケースをベッドの脇に置いて、自分のショルダーバッグをベッドの上に置いた。そしてすぐに部屋を出てロビーで待つマーンのところに戻った。マーンはカシェリーナの姿を見つけるとソファから立ち上がり、
「最上階にレストランがある。そこで食事をしよう」
「高いんじゃないですか?」
「大丈夫。こう見えても私は印税生活者だよ」
マーンはおどけて言った。カシェリーナはクスッと笑って頷いた。
カシェリーナが考えていたことと違っていたことがある。レージンは足止めなどされていなかった。彼はニホン時間の正午にオオサカに着くと、そこから地球共和国軍カンサイ支部に向かい、志願した。そして軍用の大型バスに乗り、ニュートウキョウに向かったのである。バスはすでにトウカイ地区まで来ていた。
「あんた珍しいな。志願兵なんだって?」
真っ暗に近いバスの中で、レージンの隣に座っている黒縁メガネのひ弱そうな痩せ細った男が言った。
「ええ。珍しいですかね?」
レージンはその男をチラッと見て言った。男はフッと笑ったようだ。レージンはムッとした。
「このバスに乗っている連中の大半は、家族に軍関係者がいて、半強制的に入隊させられ、次の戦闘に駆り出される奴らだ」
「なるほど。貴方もそうなんですか?」
「ああ。俺のオヤジが軍の下っ端でね。ニュートウキョウの陸軍本部にいたんだが、月の連中の人工衛星の雨でやられてね。そのせいでオオサカの自動車工場で設計図を書いていた俺に、召集令状が来ちまったのさ」
男は三十歳くらいだろうか? レージンはその顔を軽蔑するように見てから、窓の外に目をやった。男は、
「自己紹介をしていなかったな。俺はリカス・アイドだ。あんたは?」
とレージンを見た。レージンは男を見返して、
「レージン・ストラススキー。俺のオヤジも軍人でした」
「フーン。普通オヤジが軍人だと、反発して軍とは違う道を歩むものだけどな」
「俺のオヤジはオセアニアに配属されていて、地球艦隊の増援部隊の指揮をとり、月へ向かう途中で戦死しました」
「……」
リカスは何も言わずに前を見た。
(こんな奴らが一体何の役に立つんだよ?)
レージンは、リカスやその他の連中を見回して思った。どの顔も、何でこんな目に合うんだよ、と言っているように見えたからだ。
イリアンド・ララルは、ネオ・モントの展開を急がせるため、旗艦ポルピュリオン(大型戦艦ニケの中で、特別仕様のもの)に乗り、月を飛び立った。地球と比較して重力も小さく、大気もない月からの離脱には、それ程のGはかからない。ララルはキャプテンシートに深々と座り、ブリッジの窓の外を見やった。遠くには小さく輝くネオ・モントが見える。
「あれが完成すれば、地球人共を皆殺しにできる、か……」
ララルはゲスの考えを知って恐ろしくなった。
(政治家はいい。自分達は直接手を下さず、俺達軍人にやらせる。何かあった時は軍の独走だったとか、そんな指令は出していなかったとか言って、言い逃れができるからな)
「ネオ・モントの進行状況を報告させろ。今現在でだ。昨日とか、今日の正午とか、そんな遠い昔の話は聞く耳持たんぞ」
とララルは通信士に言った。
「はっ!」
通信士はすぐにネオ・モントの現場に回線を合わせて通信を始めた。
「
ララルが呟くと、それを聞き付けたコ・パイロットが振り返り、
「衛生班を呼びますか? 宇宙酔いではないですか?」
「大丈夫だ。気遣い御苦労」
ララルはそれを手で制した。コ・パイロットは前を向いた。
(私は地球で生まれて三十年も生活していたのだ。月で生まれ育ったお前達とは違うのだよ)
ララルは心の中でブリッジにいる部下全員を罵った。
一方カロンの乗る小型船は夜の闇に紛れて大気圏に突入し、その軽さ故に易々とニホンに接近してニュートウキョウの郊外にある、カロンの別荘の広大な庭に軟着陸した。
「俺の別荘の敷地内は、対レーダー装置があるから発見される恐れはない。とにかく御苦労だった。中で休め」
カロンは三人に言った。三人は大きく頷いた。
「あの、ギギネイ様、誰がその……」
金髪の女が少し赤くなりながら言うと、カロンはフッと笑って、
「パイアに何か言われたか。お前らが望むのなら、俺は三人共相手になってやるが、別に強制はしないよ」
と言うと、先に小型船を出て行った。三人の女は顔を見合わせてホッと息を吐いた。
「パイア様がおっしゃるほど、女癖が悪くはなさそうね」
黒髪の女が言った。すると赤毛の女が、
「そうね。何か私、本気で惚れちゃいそうだわ」
「だったらお願いすれば」
金髪が茶化した。赤毛の女は真っ赤になって、
「そんな大胆なこと、できる訳ないでしょ!」
と言い返した。
ネオ・モント。月の軌道上に建造されている、地球と月を結ぶ直線を一辺とする正三角形の頂点にある人工衛星である。直径は約20キロメートルに及ぶ。このネオ・モントのある位置が、所謂ラグランジュの重力平衡点である。
「お待ちしておりました、ララル司令」
ポルピュリオンがネオ・モントの第一ハッチに接舷し、ネオ・モントとポルピュリオンがエアパッセージで接続されると、その向こうに立っていた技術者の男がそう言った。ララルは技術者という人種が好きになれない。自分達がこのネオ・モントを造っていると考えているからだ。ララルの前に現れた男は、ロマンスグレーの髪が酷くボサボサの、五十代の小男で、技術師団の団長であった。名をレソス・マレクという。
「出迎えはいいと言ったはずだ、マレク」
ララルは不機嫌そのもので言い、マレクに近づいた。これを二人の側近が慌てて追い掛ける。
「いや、しかし……」
マレクはララルがネオ・モントの進行状況の報告が曖昧なのを怒っているのに気づいていた。しかし何と言っても、ララルは聞いてはくれないだろう。ララルはマレクの目の前で立ち止まり、
「閣下の御命令を伝える。三日以内にネオ・モントを展開可能にせよ」
「三日?」
マレクの額に汗が吹き出した。
(無茶だ。どんなに少なく見積もっても、あと十日はかかる)
「宇宙軍の艦隊の半分をこちらに向かわせる。ハッチの整備を急がせろ。地球人共が次の艦隊を繰り出して来る前に、コペルニクスの防衛ラインを固める必要がある」
「はァ……」
マレクはすっかり焦っていた。ララルはそんなマレクを尻目に、
「とにかく休ませてもらおうか」
「は、はい!」
マレクは慌ててララルを先導した。
(ブタが!)
ララルは心の中でマレクの怠惰を呪った。
カロンは、結局自発的に彼の寝室にやって来た三人を、心行くまで楽しませ、彼自身も楽しんだ。三人共まだあまり男経験がないようだな、とカロンは思った。彼はベッドに三人が寝付くと、寝室を出て地下にある通信室に行った。そこには決して盗聴できない特殊回線仕様のコンピュータがあった。カロンは、コンピュータを作動させて通信回線を開いた。
「まだ起きているか、ヒュピー?」
彼は画面に映った長い黒髪の美女に言った。するとその美女は不機嫌そうに、
「もちろんよ、カロン。遅かったわね」
「ああ。パイアが好き者の女を三人つけてよこしてな。三時間かかってやっと寝かし付けたところだ」
「まァ、嫌らしい。しばらく私の身体に触れないでよね」
カロンはニヤリとして、
「まァ、仕方ないだろう。あの女、俺とお前の仲を妬いているんだ。お目付役のつもりなのさ」
「まさか、あの女とも?」
美女の顔と声に怒りが満ち満ちているのをカロンは感じて苦笑いした。そして、
「それも仕方ないだろう。パイアのようなプライドの高い女は金じゃ動かん。楽しませてやるしかない」
「私も楽しませてほしいわね」
カロンは美女の言葉にフッと笑った。
「それより、パイアが私に連絡して来たわ。私は居留守を使ってあの女とは話さなかったけど。貴方のことを聞いて来たようよ」
「なるほど。いつの話だ?」
「たぶん貴方がパイアに会う前ね。今朝よ」
カロンは不審に思った。
(俺が城に行く前に、パイアがヒュピーに俺のことを尋ねたとなると……)
「そう言えばあの女、会うなり、『地球へ行ったんじゃなかったの?』とか言ってたな」
「貴方の仕事のこと、嗅ぎつけたのかしら?」
「さァね。仮にそうだとしても、邪魔はしないだろう」
「だといいけど」
美女の声には棘があった。カロンは、
「とにかく、頼んでおいた手配の方、進んでいるか?」
「もちろんよ。ピュトンには連絡をとったの?」
「いや、まだだ。奴にはあまり時間を与えたくない。コウモリ男だからな」
「そうね」
「それじゃ明朝、よろしく頼む」
「ええ。愛してるわ、カロン」
「俺もだ、ヒュピー」
とカロンは言うと、通信回線を閉じ、コンピュータの電源を切った。
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