第五章 独裁者二人

 ゲスはコペルニクスクレータの端にある邸に戻っていた。とは言っても、ここは別宅、所謂いわゆる妾宅である。

「テセウスが誰かに狙われているらしいんです」

 ゲスが玄関に入るなり、迎え入れた女が言った。彼女の名はヘルミオネ・アス。金髪を肩まで伸ばした今にも泣き出しそうに見える顔立ちの美人である。身体は病気ではないかと思われる程細いが、顔にはしわがなく、とても四十歳には見えない。ゲスはヘルミオネの肩を抱いて、

「知っている。ドリュアスだろう」

と応じた。ドリュアスというのはゲスの本妻である。嫉妬深い彼の妻は、愛人であるヘルミオネとの間にテセウスという今年で十七歳になる男の子が生まれてから、何度となく彼の命を暗黒街の連中を使って消そうとした。しかしゲスがそれを事前に察知し、カロンに命じて刺客を逆に殺させ、そのボスに二度と手出ししないように脅しをかけさせたのだった。ところがどうやら、ドリュアスは他の組織を見つけたらしく、またテセウスの命を狙い始めたのである。

「いっそあの女、殺してやろうかと何度も思った。しかし、身内を殺した奴で大成した者はおらん」

 ゲスはそう言いながらソファに腰を下ろした。ヘルミオネは涙を拭いながら、

「とにかくテセウスだけは……」

「わかっている。ドリュアスにはもう子は望めん。お前ももう無理だろう。となれば、テセウスに私の後継者となってもらわねばならん。断じてあの女に殺させたりはせんよ」

 ヘルミオネはゲスの横に座って彼の手を取り、

「あの方にもお子があれば、これほどまでにテスのことを憎まれたりしなかったでしょうに……」

「それは違うな。あれは子があればなおのことテスの命を狙うはずだ。自分の腹を痛めた子を跡継ぎにするためにな」

「……」

 ヘルミオネはゲスの言葉に目を見張った。

(この方はもう決して奥様のところに戻りはしない。私のそばにずっといて下さるわ)

「私はお前こそ全てを打ち明けられ、安心して心を開ける唯一の者と思っている。ヘルミオネ、必ず私は地球人共を平伏させて、統一国家を築いてみせるぞ」

 ゲスはそう言うとヘルミオネの唇に自分の唇を押し付けた。ヘルミオネは目を閉じ、されるがままにした。しかしゲスの手が彼女の服のボタンにかかった時、

「テスが帰って来ますわ」

とそれを拒絶した。明るいうちからの情事には抵抗があったようだ。彼女はゲスの手を振りほどくと、キッチンに逃げるように駆けて行った。ゲスはニヤリとして満足そうにヘルミオネの後ろ姿を眺めていた。


 カシェリーナとマーンはオオサカ行きの便に乗り、ニューペキン空港を後にした。

「随分情報が混乱しているようだ。オオサカに着いてみないと、スーパーエクスプレスがどこまで走っているのかわからないらしい」

 マーンは乗務員と話したことをカシェリーナに告げた。カシェリーナは窓の外を見ながら、

「この戦争どうなるのでしょうか?」

 マーンは腕組みをして、

「さァね。戦力的には三対一くらいの開きがあるが、月は地球に対して攻撃しやすい位置にあるからね。それに対して地球が月に攻撃を仕掛けるには、大気圏という邪魔なものを突破して行かなければならない。五分五分というところかな」

「まァ……」

 軍事力では地球は月の数倍であるという話は、カシェリーナも聞いたことがある。しかしいざ戦争となればどうなるかわからないというマーンの答えも、何となく説得力があった。地球も月も戦争をしなくなって百年が過ぎようとしているのだ。やはり演習と実戦では違う。

「もしスーパーエクスプレスが途中までしか動いていなかったら、そこからは車を借りて行くことにしよう」

「はい」

 カシェリーナはそう返事をしてから、急にレージンのことを思い出した。

(レージンもオオサカで足留めされているのかしら?)


 パイアは全裸の身体にシーツを巻き付けて、ソファに座っていた。皮のつなぎは床に投げ出されており、下着はソファの端にかかっていた。一方カロンはトランクス一枚の姿で立ち、煙草を吸っていた。

「素敵な報酬だったわ」

「そうか」

 カロンは嬉しそうに彼を見つめているパイアをチラッと見た。パイアはシーツをギュッと絞るようにして身体に巻き直して立ち上がり、

「ところで、この報酬に対して私が提供すべきものは何?」

「船を一隻。地球のレーダーにも、もちろん月のレーダーにも引っかからない奴をな。それから部下を三人ほど連れて行きたい」

「若くて綺麗な方がいいかしら?」

 パイアはいたずらっぽく笑って尋ねた。カロンはソファの脇の小さなテーブルの上にあるガラスの灰皿で煙草を揉み消すと、

「そうだな。お前が好きなように選べ。但し、仕事ができる女がいい」

「私の部下で仕事ができない娘なんて、一人もいなくてよ」

 パイアはカロンの背中に抱きつきながら応えた。カロンはフッと笑って、

「そうか。それは失礼したな」

と言った。


 ディズムは官邸の奥にある狭い密室のような場所である人物と二人きりで会っていた。

「月が暗殺を企てているというのは確かなのだな?」

 ディズムは声を低くして尋ねた。相手の人物は年は五十代後半、ロマンスグレーの髪を七三に分けた、いかにも会社のトップといった雰囲気の男であった。彼の名はケパロス・ピュトン。地球と月の中立領として定められている北極圏と南極大陸に巨大な軍需工場を有する、大企業家である。

「もちろんです。私には確実なニュースソースがあります。殺し屋の名前はカロン・ギギネイ。月の連邦政府の要人を尽く殺し、ダン・ディーム・ゲス上院議員のテロを成功させた男です」

とピュトンは答えた。ディズムは椅子に身を沈めて、

「なるほど。今度はそのカロンという男を使って、私を殺すつもりなのか」

「そういうことです」

 ピュトンは念を押すように言った。ディズムはギロリとピュトンを見て、

「ところでな、ピュトン」

「はい」

 ピュトンの額に汗が滲んだ。こういうものの言い方をする時、ディズムは機嫌が悪いのだ。

「お前は一体どちらの味方なのだ? 私か? それともあの反乱軍の愚か者か?」

「私はもちろんディズム閣下の味方です」

「ならば何故中立領などに会社を置いているのだ? ん?」

 ディズムは身を乗り出してピュトンを見た。ピュトンはギクッとしながらも、

「そ、それはその、中立領は免税地帯ですから、雇用とか納税とかで、有利なことが多いので……」

「つまり共和国政府に税金を払いたくないということか?」

「め、滅相もありません。私はただその……」

 ピュトンはすっかり慌てふためいて口が回らなくなっていた。すると突然ディズムは大笑いをして、

「わかっている。世を渡るための術であることはな。脅かすつもりはなかったが、あまりお前の反応が面白いのでな」

と言った。ピュトンは心臓の高鳴りが抑えられないまま、呆然としていた。

(この人は私を試したのだ……)

 腋の下を冷たい汗が流れるのをピュトンは感じた。

(それとも私がゲスとも通じていることに気づいているのか……)

 ピュトンはその不安を拭い切れないまま、議長官邸を出た。

「ディズム総帥……。やはり器が違った……」

 ピュトンは自分の専用車に乗り込み、そう呟いた。車はニュートウキョウの破壊された街を走り抜け、空港へと向かった。

「ネズミがこれからどう動くか、大いに見物だな」

 ディズムはピュトンの車が走り去るのを議長室の窓から眺めていた。


 コペルニクス・クレータの一角にあるホテル・ルナは、月で最大にして最高のホテルである。地上300階、地下10階で、宿泊人数最大一万人という、一つの町にも匹敵する規模である。

 そのホテル・ルナの最上階のスイートルームのベッドの上で、中年の女が微睡んでいた。髪は茶で目は鳶色。四十代なのだろうが、化粧がうまいのか、実際若いのか、三十代前半くらいに見える童顔である。

「前はあの男に気づかれて、逆に殺し屋を消されたけど、今度はそうはいかないわ。最高の腕を持つ男を雇ったんだから」

 女は天井を見たままそう言った。相手の男はシャワールームに入っているらしく、返事はない。

「あの泥棒猫の生んだ薄汚い野良猫を始末してくれるわ。必ずね」

 女は男の返事がないので、半身を起こしてシャワールームを見た。

「ねえ、聞いてるの?」

「ああ、聞いてるよ」

 男はバスローブ姿で出て来た。女はニヤリとして、

「何と言っても、今度雇った男は、あのカロン・ギギネイですものね。失敗はないわ」

と言った。男はベッドの端に腰を下ろして、

「そうだな、ドリュアス」

 ドリュアス。そう、女はあのゲスの妻であった。そしてベッドの端に座っているのは、あのガルガロイ・ダンドルであった。


 カロンはパイアから小型船と部下三人を借り、パイアの城アイトゥナを出発した。

「このまま月軌道を離脱して地球に向かえばよろしいのですか?」

 船の操縦を受け持った赤毛の女が尋ねた。彼女はソバージュのかかった髪を頭の後ろで大きく束ねて上に突き立てるようにしていた。カロンはキャプテンシートに座ったまま、その不思議な頭を見て、

「そうだ。決して地球に気取られるなよ。着陸地点はニュートウキョウの奥の林だ。そこに俺の別荘がある」

「はい」

 他の二人は、レーダーと通信を担当していた。一人は黒髪で肌の浅黒いアジア系の顔立ちの女で、頭に着けたインカムが妙に似合っている。もう一人は金髪を刈り上げた少しボーイッシュな顔立ちの女で、レーダーに見入っていた。

「地球の艦隊は今どのあたりまで来ているんだ?」

 カロンがレーダーを見ている金髪に尋ねた。彼女はカロンを見て、

「月から20万キロメートルのところまで来ています。只今、月のテイア級(巡洋艦級)の艦隊と交戦中のようです。数は地球が千に対して、月が五百。突破されるのは時間の問題のようです」

と答えた。するとカロンは、

「違うな。ゲスという男、直接話したことがあるからよくわかるのだが、そんな間の抜けた作戦を展開する男ではない。何かある」

「はァ……」

 金髪の女はそう言ってレーダーに目をやった。カロンは、

(ネオ・モント……。静か過ぎる。ゲスめ、一体何を企んでいるんだ?)

と思った。


 地球艦隊はその圧倒的な数の差にものを言わせて、グイグイと月の艦隊を押していた。テイア級の巡洋艦は、その数を二百七十隻まで減らしており、そのうちの三分の一近くが撃沈寸前で交戦していた。

 勝った。地球艦隊の司令官は、旗艦であるケルベロスのブリッジで悦に入っていた。ところがその時、いきなり足下から攻撃を受けたのである。地球に住む人間の欠点だった。宇宙に上下はないのだ。月の艦隊は搭載機であるアラクネというステルスタイプ(レーダーに反応しない機体)の重爆撃機を迂回させて地球艦隊の下方に回り込ませ、奇襲をかけさせたのである。

 全く不意を突かれた地球艦隊は反撃する間もなく、次々に機関室を撃破され、沈んで行った。司令官も何が起こったのかわからないまま、ブリッジを破壊されて宇宙空間に放り出され、絶命した。

 ゲスは地球艦隊全滅の知らせを、ヘルミオネの家から自宅に向かうリムジンの中で受けた。クレータの中は、夕暮れ時にさしかかっていた。

「さてと。次はいよいよ我が軍の反撃開始だな。ディズム、貴様は眠れぬぞ」

とゲスは呟き、ニヤリとした。


 ディズムは艦隊全滅の報告を官邸の寝室のコンピュータで受けていた。彼はピュトンがどう動くかと楽しみにしていて、機嫌が良かったのであるが、それは二時間ともたなかった。

「これは作戦上のミスだぞ、ガールス。戦力的には我が軍は反乱軍の二倍、交戦三十分後には三倍になっていたのだ。それが何故反乱軍に破れたのだ?」

とディズムは怒鳴り、モニターに映るガールスを睨みつけた。ガールスはすっかり怯えており、

「も、申し訳ございません、閣下。すぐに艦隊を編成して…」

「もういい。お前は休んでいろ」

「はっ?」

 ガールスは一瞬何を言われたのかわからなかった。ディズムは、

「休んでいろと言ったのだ! この戦争が終わるまでな。そして戦争が終わったら……」

と言って言葉を切り、コンピュータの電源を切った。

「ゲスめ。しかし、長期戦にすれば、ピュトンを抑えて補給を断つことができるのを忘れるな」

 ディズムは窓の外の夜空に輝く半月を見て呟いた。

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