第三章 別れ

 カシェリーナは夢の中にいた。周囲は見渡す限り焼け野原で、無数の死体が転がっている。

「いやァッ!」

 カシェリーナはその絶叫と共にガバッとベッドから飛び起きた。彼女は眠る時は下着すら着けない。身体を締め付けると、安眠できないのだ。しかし彼女は全身汗まみれだった。ニューペキンは一年を通じて寒いところだというのに。

「何時?」

 彼女は枕元の置き時計に目をやった。まだ明け方の五時である。外はまだ暗かった。

「ここ何日か、続けざまに変な夢を見るなァ」

 カシェリーナはベッドから出ると、バスローブをはおって寝室を出てリヴィングルームを抜け、バスルームに行った。

「何かしら?」

 カシェリーナは不思議な感じだった。

(何なの? 何か起ころうとしているの?)

 彼女はバスローブを脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。白い肌にお湯の玉が伝わって落ちて行く。髪が濡れて項にベットリと張り付いた。

カシェリーナは顔にお湯を浴びせた。

「ふう」

 彼女はバスローブ姿で、寝室に戻ろうとリヴィングルームに戻って来た。

「誰?」

 カシェリーナは、玄関のドアの向こうに誰かが立っている気がして、叫んだ。

「俺だよ、カシェリーナ」

 それはレージンの声だった。カシェリーナはムッとして、

「もう、脅かさないでよ。こんな時間に何の用なの?」

と尋ねた。すると、レージンは絞り出すような声で力なく答えた。

「オヤジが宇宙戦で死んだ。ついさっき軍から連絡があったんだ」

「ええっ?」

 カシェリーナはびっくりして玄関を開け、レージンを中に入れた。レージンの顔は、悲しみに溢れていて、いつもの彼からは想像もつかないような雰囲気だった。

「だって貴方のお父さんは、オセアニア基地の将校でしょ? 今回の出撃はヨーロッパと北アメリカからだったんじゃ……」

とカシェリーナが言うと、レージンは、

「月の攻撃が予想以上だったらしい。オセアニアの軍は増援部隊として出撃したんだ。だが、もともと宇宙戦に不慣れなために全滅したそうだ」

「そんな……」

 カシェリーナの目から涙がこぼれ落ちた。

「レージン」

 カシェリーナは思わずレージンを抱き締めた。

 しばらく時が止まったようになった。

「カシェリーナ」

 レージンがカシェリーナをスッと押し戻した。カシェリーナは涙を拭って、

「何?」

とレージンを見上げた。彼もカシェリーナを見て、

「俺も一週間後に月と戦うことにした。それで今日、ニュートウキョウに行く」

「ええっ?」

 カシェリーナは仰天した。レージンは苦笑いして、

「オヤジの死を無駄にしたくない。俺は必ずこの戦争をやめさせてみせる。地球の勝利でね」

「レージン……」

 レージンはジッとカシェリーナを見つめた。

「その前に君に会っておきたかった。たぶんもう会えないだろうから」

「そんな……。嫌なこと言わないでよ、レージン!」

 カシェリーナは叫んだ。レージンは彼女の両肩に手を置いて、

「俺、いつも君の前ではふざけてばかりだったけど、君のことが好きなのは本当だ。愛している」

 カシェリーナは現実を認識するのが怖かった。レージンはスッと手を引いて、

「それじゃ、元気で」

と玄関に向かって歩き出した。カシェリーナは咄嗟に走り出し、レージンの前に立った。

「約束して! 生きて帰るって!」

「それはでき……」

 レージンがそこまで言いかけた時、カシェリーナの唇が彼の言葉を封じた。

「……」

 レージンはびっくりしたが、やがてカシェリーナを優しく抱き締めた。カシェリーナの腕もレージンを抱き締めた。

 激しいキスだった。まるで何年も前から恋人同士だったような……。

「…」

 カシェリーナは無言で離れた。レージンは軽く敬礼して、玄関から出て行った。

「レージン……」

 カシェリーナはそれから一時間くらい大声で泣いた。涙が涸れ、声が出なくなるまで。


 月側の人工衛星の雨作戦で、ニュートウキョウには甚大な被害が出ていた。何十万という人が死に、多くの建物が破壊され、山が崩れ、川が埋まり、森が焼かれた。そんな恐怖も一時停止し、ニュートウキョウにはいつもの時の流れが戻りつつあった。

「戦いには勝っていながら、何故首都攻撃を受けるのだ? 情報部の報告によれば、地球側の戦死者は七十万、反乱軍側は一万にも満たないということだぞ」

 ディズムは机の上に報告書を叩き付け、椅子にドカッと座った。向かいに恐縮して立っているのは、ダス・ガールスである。

「我が軍の主力艦隊はあと一週間で月に到達します。そうすれば、反乱軍の鎮圧は時間の問題となりましょう」

「セカンド・ムーンを忘れるな」

 ディズムはガールスを見上げた。ガールスはハッとなって、

「忘れてはおりません。オセアニアからさらに増援部隊を派遣して、セカンド・ムーンの完成を阻止します」

 ディズムは立ち上がって窓に近づき、

「今さらながら思うのだがな。地球は大気圏があるから守るに堅い」

「はい」

 ディズムは振り返ってガールスを見、

「しかし、大気圏があるからこそ、攻めるのも難しい。大気圏を離脱するところを待ち伏せされれば逃れようがないからな」

 ガールスはギクリとした。

(総帥はオセアニア基地の増援部隊の全滅理由を知っておられる…。何故だ?)

 ガールスはオセアニア軍の全滅の理由をディズムに報告していなかった。しかし彼はどうやら別のルートでそれを知っている。そしてその事実を自分に告げなかったことを暗に非難しているのだ。

「オセアニアからの増援の情報が、反乱軍に漏れた可能性があるな」

「は……」

 ガールスの顔は汗まみれだった。

(責任をとれということか…?)

 ディズムはそんなガールスの心の内を見透かすかのようにフッと笑い、

「案ずるな、ガールス。私はそんなことは考えてはおらん」

「は、はァ」

 ガールスは思わずハンカチで顔の汗を拭った。ディズムは再び窓の外を眺めた。

 官邸はニュートウキョウの中心部にあるが、核の直撃以外にはビクともしない造りなので、周囲の建物や林が破壊され炎上して残骸と化している中に、まるで何事もなかったかのように建っていた。

「スパイがいるな」

「はァ、私もそう思います」

「ならば毒入りのエサをそのネズミに採らせて巣まで運ばせるか」

「……?」

 ガールスにはディズムの考えがわからなかった。戦略家としては有能でも、情報戦に疎いのが彼の欠点であった。ディズムは恐ろしいことを考えていたのである。


 マーンはガイア大が閉鎖されて以来、ニューペキンの郊外にある閑静な住宅街の一角のアパートに籠り、戦争の行方を検証していた。そのため書斎兼寝室は、本や資料でいっぱいになっていた。一晩中起きていたのか、パジャマ姿である。髪も乱れていた。

「あの男、これからどうするつもりだ……?」

 マーンが思索に耽っていると、玄関の呼び鈴が鳴った。彼は時計を見た。午前九時になっていた。

「もう朝か」

 カーテンを閉めたままでいたため、全く時間の経過に鈍感になっていたのだ。彼は立ち上がってドアのところに行くのが億劫だったので、

「どうぞ。開いているよ」

と大声で応えた。ドアが開かれて入って来たのは、黒皮のタイトなミニスカートに、黒のパーカーを着たカシェリーナであった。マーンは振り向いてびっくりし、慌てて髪に手櫛を入れた。

「失礼します」

 カシェリーナはリヴィングルームに入って来た。マーンは、

「ソファにかけてて。ちょっと着替えるから」

「はい」

 カシェリーナはリヴィングルームの中を見回してから、ソファに腰を下ろした。マーンはリヴィングルームを通らずにキッチンからバスルームに回り込み、シャワーを浴びて、そこにあったTシャツとジーパンを着ると、リヴィングに行った。

「やァ、カシェリーナ、ちょっとびっくりしたけど、よく来たね。どうしてここがわかったの?」

 マーンはカシェリーナの向かいに座った。カシェリーナはマーンを見て、

「父に電話して調べてもらったんです。ガイア大の総務に知り合いがいるので」

「なるほど」

 マーンは立ち上がって、

「コーヒーでいいかな?」

「あ、はい」

 マーンはキッチンに行くとパーコレーターのスイッチを入れ、冷蔵庫を開いた。しかし中には二十代の女の子が喜びそうなものは何も入っていなかった。仕方なく彼はリヴィングに戻った。

「悪いね。何もないんだ」

「いえ、おかまいなく」

 カシェリーナは妙に物憂げだった。マーンは変に思ってカシェリーナの隣に座り、

「何か用があったのかな?」

と尋ねた。カシェリーナは意を決したようにマーンを見て、

「実はレージンが今日ニュートウキョウに出発しました。どうやら軍の召集に応じたらしいんです」

「レージンが? それはまた急だったな」

 マーンはびっくりしたようだった。カシェリーナは、

「彼のお父さんは、オセアニア基地の少佐で、宇宙戦に出撃して戦死したそうです。それで…」

「そういうことか……」

 マーンは悲しげに立ち上がった。カシェリーナはマーンを見上げて、

「私、友達に相談しようと思ったんですけど、みんなもう実家に帰ってしまっていて……。それで先生のところに……」

「なるほどね」

 マーンはパーコレーターからカップにコーヒーを注ぎ、持って戻って来た。そして、

「それで?」

とカップをカシェリーナに手渡した。カシェリーナはカップの中でクルクル回るコーヒーの泡を見つめて、

「私、こんな時になってやっと気づいたんです。小学校の時からずっと一緒で、いつも嫌な奴だなって思っていたのに……。レージンが戦争に行くって知ったら、その時何もかもわかったんです。私、彼が好きだったんです。愛していたんです」

 マーンはニッコリして、

「フーン。そうか」

 カシェリーナはハッとして真っ赤になり、

「あ、いえ、私、別にそんな話をしに来たわけじゃないんです」

 マーンはコーヒーを一口飲んで頷いた。カシェリーナはカップをテーブルに置き、

「私に何かできないものかと……。この戦争を一日でも早く終わらせるために」

 マーンもカップをテーブルに置いた。

「難しい話だな」

「はい」

 マーンは恥ずかしそうに、

「それよりカシェリーナ、朝食はすんだの?」

「あ、いいえ。まだです」

「じゃ、ちょっとその辺で何か軽く食べないか。徹夜明けでお腹がペコペコなんだ」

「はい」

 カシェリーナはクスッと笑って応えた。

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