第二章 開戦

 地球共和国は全部で十州からなる連邦国家である。いや、であったと言うのが正確かも知れない。現在の共和国政府の中枢は共和国軍が掌握し、国民に対して様々な統制令を発しているからである。

 中央政府があるのはニュートウキョウ。以前日本と呼ばれていたアジア大陸の東の島にある。もともと共和国の首都は別の場所にあったのだが、気候が温暖で四季の変化に富み、一級の都市化がなされているため、十年前に遷都されたのである。

 その政府機構の中に評議会議長官邸がある。言わば、内閣総理大臣のような立場の人物の邸である。しかし、今は主人が不在だ。言うまでもなく、議長は軍のクーデターによって監禁され、政治の実権は軍が握っているからである。

「破壊された衛星の残骸はどうした?」

 議長室の議長席に座った将軍らしい男が言った。眼は三白眼で、鼻は尖ったように突き出ており、口は唇が薄くて小さい。オールバックの髪には白いものが混ざっている。尋ねられた士官は、

「残骸は連邦軍が回収したようです」

「そうか…」

 議長席に座っていた男はスッと立ち上がり、

「大義名分は得た。内部での反乱を阻止するためにも、この戦争は絶対的な正義の論理が必要だ。よって以降、月連邦軍のことは全ての報道において『反乱軍』と呼称させよ」

と言った。士官はバッと敬礼して、

「わかりました、ディズム総帥!」

と応えた。ディズムと呼ばれた男はニヤリとした。この男こそが、クーデターの首謀者なのだ。

「戦いを制するのは力ではない。情報だ。先に報道機関を抑えてしまえば、奴らの論理など全て紙屑同然となる」

 ディズムは知略に長けた将軍だった。彼はクーデターで一人も殺さなかった。いや、と言うよりは、殺したことを公にしなかったと言うべきだろう。彼は無血革命を成したと宣言し、共和国政府を廃して、軍による政治を始めたのである。大衆は自分の身が安全であれば他に何が起ころうと、無関心である。ディズムの狙いはまさにそこにあった。人々は知らぬ間に見えない枷をはめられていたのである。


 月に人類が住み始めて百年余になる。重力が地球より小さいことを利用して、様々な技術革新が起こり、地球より優れた製品や素材が生まれた。その昔地球の州の一つでしかなかった月は、その力をもって独立を得た。地球側から言えば分離である。

「地球人共が打ち上げたスパイ衛星を撃墜した愚か者はどうした?」

 月連邦の穏健派の尽くを粛清した男、ダン・ディーム・ゲス上院議員が尋ねた。彼は暗殺した大統領の代行として大統領官邸に入り、大統領以上の権勢を振るっていた。

「は、すぐに拘束して、処刑しました」

 側近の一人が答えた。ゲスはギシッと椅子を軋ませた。その太った身体には、大統領が座っていた椅子は小さく、固過ぎたようだ。彼は頬に生え揃った髭を撫でながら、

「捏ち上げが必要だ。俄テロ集団を作り出し、そいつらに犯行声明を出させろ。政治犯として捕らえた連中でいい。そしてすぐに始末しろ」

「はっ!」

 側近は敬礼した。ゲスはニヤリとして立ち上がり、

「ディズムめ。スパイ衛星を撃墜したことを理由に宣戦布告して来たのなら、願ってもないことだ。返り討ちにしてやる」

と呟いた。


「コーヒー飲むかい?」

 研究室に入るなり、マーンが尋ねた。カシェリーナは折り畳みの椅子を出して座りながら、

「ええ、頂きます」

「あっ、俺も」

 レージンが嬉しそうに言った。彼はカシェリーナの後ろに立ったままで、まるでマーンを警戒するかのようである。マーンはパーコレーターのスイッチを入れてから、

「そうだ。君の名前を聞いてなかったね」

とレージンを見た。レージンは妙に気取って、

「俺はレージン・ストラススキーです。カシェリーナの恋人です……」

 するとその時、カシェリーナの肘鉄が脇腹に入り、口籠ってしまった。カシェリーナは、

「違います! この男、妄想が酷いんです。全然そういう関係じゃありません」

と大声で言った。マーンはカシェリーナに近づいて、

「別にそんなふうに思っちゃいないよ。でもカシェリーナ、暴力はいけないな。君はこれで私の目の前で二度、レージンに暴力を振るったよ」

「は、はい……」

 カシェリーナはすっかり沈んでしまった。マーンは慌てた顔をして、

「あ、いや、カシェリーナ、何もそんなに深刻に受け止めなくてもいいよ」

「はい……」 

 カシェリーナは顔を上げてマーンを見た。その近過ぎる距離が、彼女の顔を朱に染めた。

「あっ、失礼」

 マーンもハッとしてカシェリーナから離れた。レージンはすっかり膨れっ面である。彼は、

「先生、それよりさっきの答え、早く聞かせて下さいよ」

とぶっきらぼうに言った。マーンはレージンを見て、

「そうだったね」

と応じ、自分の机から椅子を持って来て、カシェリーナの向かいに座った。

「私は今日という日が来ることを、一年程前から予測していた」

「ええっ?」

 仲がいいのか悪いのかわからないが、この時ばかりはカシェリーナとレージンの驚きの声はピッタリのタイミングだった。カシェリーナはすっかり興奮して、

「ど、どういうことですか、それ?」

 マーンはフッと笑って、

「まァ、そう急かさないで。地球と月が分離したのは、互いの考えが合わず、相手に合わせるのも嫌だったからだ。それをさらに拡大解釈すると、最後には相手を滅ぼして統一国家を造ろうという発想になる」

「ええ」

 カシェリーナは大きく頷いた。レージンもすっかり真顔になっている。マーンは立ち上がってパーコレーターからコーヒーをカップに注ぎながら、

「そして、共和国政府はディズム将軍率いるクーデター部隊に倒され、月連邦はゲス上院議員の息のかかったテロリスト達によって倒された。これが約一年前だ」

「つまり先生は、共和国政府が軍事政権になり、月連邦がタカ派政権になった時から、今度の戦争を予測していたということですか?」

 カシェリーナが尋ねた。マーンはコーヒーカップをカシェリーナとレージンに渡し、

「まァ、そういうことだね。しかし、大方のマスコミや政治評論家達は甘かった。ディズムの実力を過小評価し、ゲスの狡猾さに欺かれた」

「先生は、何故気づいたんですか?」

 カシェリーナが重ねて尋ねると、マーンは自分の分のカップを手に取って、

「ちょっとした偶然さ。しかしその偶然は、私にとっては忌ま忌ましかったがね」

「まァ……」

 カシェリーナは意外そうな声を発した。

(マーン先生、何か隠してる。どういうことなのかしら?)

「戦争は続くんでしょうかね? さっき法学部棟のロビーにあったテレビで放映していたニュースだと、一月もしないうちに月側が降伏するだろうと言ってましたけど」

 レージンが口を挟んだ。カシェリーナは少しムッとしてレージンを見た。マーンが、

「そんな簡単にはいかないと思う。月と地球が分かれて半世紀近い。互いのことが全てわかっているわけではない。二国間の往来は、特定の人間達しか行っていないからね」

「テレビや雑誌、その他のメディアによって目や耳に入る情報だけでは、メディアの妖怪を造り出してしまいますね」

とカシェリーナが言うと、マーンはニッコリして、

「メディアの妖怪か。それ、シノン・ダムン教授の著書に出て来るね。確か『戦争と政治学』という本だったな」

「ええ。私の父です、シノン・ダムンは」

 マーンは、ああそう、だからというふうに頷き、

「君はあのダムン教授の娘だったのか」

「はい」

「道理で政治に興味があるわけだね」

 マーンは笑って言った。カシェリーナもニッコリして、

「あら、でも私、そればかりで先生の講義に出席しているんじゃありませんよ」

と応えた。レージンは膨れっ面をして、二人のやりとりを横目で見ていた。


 戦争はまさにマーンの言う通り、そう簡単には終わらなかった。

 地球軍は主力艦隊を月へと発進させ、全面戦争の構えに入った。月も艦隊を繰り出し応戦体制に入った。

 ゲスはメディアを使って、地球のスパイ衛星を破壊したのは反連邦を掲げる過激派の仕業だという情報を流した。

 こうして両国共に強引に戦争をする大義名分を手に入れた。

 地球と月の間でまさしく総力戦が始まった。数で優る地球共和国軍がジリジリと月連邦軍を押して行った。しかしゲスには奥の手があった。

「いい気になるなよ、ディズム。月と地球、どこが違うか、これからたっぷり思い知らせてやる」

 ゲスはその太った身体をズシリと大統領の椅子に沈めて呟いた。


 カシェリーナとレージンがマーンの研究室を出て、ガイア大学構内にあるバスターミナルに着いたのは、あたりがすっかり暗くなった頃だった。

「送ってくよ」

 レージンが嬉しそうに言うと、カシェリーナは疑いの眼差しで、

「送り狼になりそうだから遠慮しとくわ」

 レージンはさすがにすごくショックを受けたらしく、ションボリして背を向けた。カシェリーナは少し言い過ぎたと思い、

「ご、ごめん。冗談よ。貴方のアパートも私のアパートも同じ地区でしょ。お願いするわ」

「おう!」

 レージンは全く陽気な顔で応えた。カシェリーナは呆れ顔で、

「ホントに貴方って、お気楽な性格してるわね」

「ハハハ」

 レージンは頭を掻いて苦笑いした。


 戦争が始まって一週間が過ぎた。ガイア大学を始め、学校と名のつくところは全て休校となり、レジャー施設は軍が封鎖して、観光会社などは営業を禁止されていた。

 宇宙での共和国軍と連邦軍の戦いは、一進一退を繰り返していた。

 戦艦同士の砲撃戦では数で優る地球軍が押していたのであるが、月側は奇策を講じて来た。

 人工衛星の残骸は二十世紀の頃のものからまさしく星の数程地球の周りを回っていた。連邦軍はそれを破壊し、地球に降らせたのである。

 数が数なので、冷静沈着なディズムも慌てた。月側は破壊する強さと衛星の位置をコンピュータで計算し、確実にニュートウキョウ付近に落下するように仕向けた。

「連中が衛星軌道まで接近していたのに、何をしていた?」

 ディズムはコンピュータのモニターに映る司令長官に怒鳴っていた。司令長官はダス・ガールスと言い、ディズム直属の部下である。鋭い眼と尖った鼻が印象的な顔である。

「申し訳ありません。我が共和国の艦隊は連邦、いえ、反乱軍艦隊との交戦に追われており、奴らのセカンド・ムーンから発進した爆撃機には手が回りませんでした」

 ガールスが弁解すると、ディズムは、

「数が足らんのなら、オセアニア基地からすぐに増援部隊を出せ」

「はっ!」

 ガールスは敬礼した。ディズムは不機嫌そうに、

「しかしな」

「はっ?」

「しかし、何故これほど手間取るのだ? 反乱軍など、我が軍の半数にも満たぬはずだぞ。あと一週間以内に必ず月を陥落させろ。いいな」

「はっ!」

 ディズムはガールスがまだ何かを言おうとしているのを無視して通信を切った。


 一方ゲスは、大統領官邸の最高幹部会議室で作戦会議中であった。

「人工衛星の雨をディズムの頭に叩き落とす計画は、勝利への第一歩に過ぎん。戦いはこれからだ」

 円卓の議長席に座るゲスが言った。ゲスの右腕である軍作戦司令長官のガルガロイ・ランドルが、ゲスの右側でジッと話を聞いていた。立派な口髭の彼はゲスとは違い、スマートな紳士然とした男である。

「地球人共は、宇宙空間での戦いに慣れておらん。上下左右のない空間での戦いにおいては数でこそ劣っているが、我が軍の方が、圧倒的に優位である」

 ゲスの話は続く。

ネオモント新しい月は完成間近だ。これが完成すれば、ディズム達は眠れぬ夜を過ごすことになる。昼夜を問わず、我が軍に狙われることになるからだ」

 ゲスの左側に座っている、額に深い皺が三本入っている男は、バラムイア・サランドと言い、連邦軍基地の司令官である。そしてその隣にいるのが、イリアンド・ララルという宇宙空域軍の司令官だ。ララルはネオモントの基地司令官も兼ねており、今回の人工衛星の雨作戦の立て役者でもあった。歳は四十歳だが、同年代のサランドに比べて、髪の毛が大分寂しくなっている。

「それから、ギギネイとの接触はうまくいっているか?」

 ゲスが正面に座っている若い官僚に尋ねた。その官僚は、

「はい。明日、中央の入り江付近の都市ドームで会うことになっています」

と答えた。ゲスは満足げにニヤリとし、

「そうか、うまくやれ。地球をあまり破壊したくない。できればディズムだけを殺して、そっくり我が連邦に地球を併合するのが私の理想だからな」

「はい」

 若い官僚は頷いた。

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