幻のなかの真実を追って
続く『凍りの森のエルフ』の話を催促した時、彼は足を止めた。
夢中になって話を聞いていた私は、自分がどこを歩いているのかさっぱり分からくなっていたが、岩窟に囲まれるばかりであったのに、頭上に光りが見えていた。
滑落した時よりずっと光りは近かった。
この時私は、疑い半分で会話をしていた彼を本物だと信じ切っていた。
そらで『赤靴下のピッピの冒険』を語れる人間は珍しい。
城壁都市研究者には何人かいるだろうが、該当者は全員私は顔を知っている。ここまで躍動感ある話をできるものはいない。
「続きは?」
まるで子供のように私は彼に続きを強請ったが、氷結王は上に救助の人間がいるのに気づいたのだろう。私の視線を上へ誘導した。
「自分の命が助かることを優先したらどうだ」
私は夢中だった。
話しの続きが聞きたかった。
時代を生きた存在に、その時の記憶を語ってもらえる奇跡があるだろうか。食い下がるように言うと、彼は首を横に振った。
「私の目だけで語るだけで全てが示せるほど、城壁都市は小さく短い奇跡を刻んだ訳ではないよ。それは今を生きるお前達が見つけ、思考し、学んでいくんだろう」
彼の言葉はもっともだ。
都市とは集合体であり個ではない。彼は私やフィーニーが探求したものが氷結王という個ではなく、城壁都市であることを私以上によく分かっているらしい。
ここで彼の口から城壁都市の刺繍のパターンや、水車や風車の隠された機構を知っても着想の源が彼では根拠として示すことができない。
彼が氷結王であるという揺るがない真実を証明しなければ、全て虚構になるだけだ。
逆をとれば城壁都市を証明することで、氷結王を証明することにも繋がるはずだ。
そこまで至るとマルタン・フィーニーがクラウンミル──氷結王の滑らかな発音で示すところならば『クロヌ・ド・レ』の鱗を見つけた時の感激はどれほどのものであったかと思う。虚構が現実に存在した感動と、友人を証明する足がかりができたことに、感嘆尽くせぬ思いだっただろう。
「あなたは、今……思い出以外、とても空っぽなのですね」
「仲間は──だれひとりいないのですか、
氷結王からの反応の代わりに、頭上から複数の人の声が降り注いだ。救助隊員のヘッドライトが目に刺さる。私の名前を連呼するので、顔を上げて「ここです」と叫んだ。
「右肩と腰を痛めました」
続けて叫ぶとロープ伝いに降りてくる救助隊から短い応答があった。
「
私が暗闇へ視線を戻した時、もうそこには彼の姿はなかった。
このインタビューは、日の目を見ることは無いかもしれない。
冒険家の娘が記した貴重大切な日記を無くして幻を見た、などと言い訳がましいレポートになってしまう。
だが私はアンヌマリーに説明と謝罪の義務があった。
到底信じがたい出来事を、私は頭を垂れ真摯に説明した。
ロワとは生きる歴史の姿であり、都市の魂をつなぎ合わせようとしていること。
その中でフィーニー家を家族として愛したこと。
マルタン・フィーニーという人は、過去の遺跡の幻を狂ったように追ったのではなく、
彼女は私が命を失うほどの高さから滑落し、肩を骨折し腰を痛めてまでつく嘘だとしたら随分と支払いが多いと言ってくれたし、私の話を信じてくれた。
「花を持ってきてくれて、オフィスを整理してくれていたひとが、ロワだったのですね」
アンヌマリーは白いエプロンのポケットから、緑色の
「この石を彼は持っていかなかったのですよね?」
彼は両方持ち去ることもできただろうにそうしなかった。意図があってのことだろう。頷くとアンヌマリーは青空を見上げてから皺の入った瞼を閉じた。
「オフィスの祖父のデスクに飾っておこうかしら。冷めてしまうかもしれないけれど、明日から紅茶を淹れて置いておくことにするわ。いつあなた達や、彼がいらしてもいいように」
持ち主と私の間で解決したことであるならば、何を言われる立場ではないとは思うが、この小さなインタビューの旅を発表する機会が叶ったとして、氷結王との邂逅を非難する人々の気持ちは当然上がるだろう。
信じがたい作り話だと言われれば、笑って返すことしかできない。証拠となるものは何もない。彼が本当に氷結王であるかの証明はされていないのだから。私は批判も受け止める気持ちでいる。
しかし甘んじて妄想だと叩かれる気もない。
ここに滑落した際に、私が手にしていたライトがある。
杭を打たれたように凹んでいた真鍮製のカバー付きライトだ。
私は落下の際に石に強打したためについた跡だと思っていたのだが、事故形跡・衝撃研究所のディーン氏、化石解析の権威フォンレー博士によって分析された結果を併記しておく。
ディーン氏の分析によると、衝撃跡を照合すると、この凹みは巨大生物の門歯によって垂直に力が加えられた結果であると分かった。
門歯というのは口の全面に並ぶ歯のことだ。
そして私が骨折に際して撮ったX線写真果も照らし合わせてもらいたい。
あの高さから落下し、私がなぜ肩の骨折と腰を痛めただけで済んだのか。
それは
フォンレー博士によると、私は「
私の骨折のX線写真の肩の骨折状況と、図表につけたシュミレーション結果を見て欲しい。博士の解説によるとカバーにかけられた力と同じだけの力が加わったことが分かる。
真鍮カバーについた門歯の傷跡、そして私の肩のX線写真から門歯の大きさが計算された。ドラゴンの化石と比べることで、千歳以上の成熟したドラゴンの門歯であることが分かった。
フォンレー博士はこう言う
「君は"甘噛み"をしてもらえたんだね。あくまで推定値でしかないが、成熟したドラゴンが力一杯歯をかみ合わせた場合、そこに特別な力が働かないとしても丸太くらいは簡単に咀嚼できるはずだから」
私が発見された1区アズールクローネの井戸下は、彷徨い歩いてたどり着ける場所ではなかった。私を救助してくれたアンダーソン氏、ダン氏も私以外の声を聞いたと証言してくれている。
井戸は落盤事故に備えて城壁都市が作った
私は最新の発掘調査チームに直接関与していなかったが、アズールクローネの井戸は最近発掘され地下への秘密通路として今月から調査が進められていた場所だった。つまりあそこで待てば、必ず救助の手が届くということだ。
氷結王はそれを分かって導いてくれたのだ。
捏造だとか偶然の一致であると言われも反論はできないが、私は会話を許しながらも、確たる証拠を残さずに消えた
彼は今はまだ、表舞台に出るつもりはないのだ。だから印は残さない。
私たち城壁都市研究者は歴史の中から氷結王の在り方を追わねばならない。彼はA.D期の人間が、城壁都市の姿を見つめることを望んでいる。道の果てには彼に再会することができるだろう。それが私ではなく、次の世代の研究者だとしてもだ。
この体験を広めれば研究者から空想家の肩書きをつけられ、周囲から誹られる。
テレビ番組に出たことで有名になって調子にのった大馬鹿者と言われるだろう。
今は私と当事者であるフィーニー家の中だけで完結すればいいこと。
氷結王は私を試しているのだと思う。
私は『貴婦人の図書館』の記述を読み、知っている。彼と
私は彼と最初の試練を越えたと思っている。色彩に乏しい地下城壁都市の鉱床跡という場所ではあったが、あなたと2人で歩いたのだから、それを「でーと」と言ってもいいのでは?
長い道の果てで私が城壁都市の姿を真摯に追ってこそ、私の言葉がまことになるたったひとつの
私がここで氷結王──現代の城壁都市への道
アンヌマリーにも、氷結王にも、そして未来の城壁都市研究者のためにも、私はこの道を進むことを誓う。私の道は歴史の発掘だけでない、今を生きる王の空白を埋めるための、確かな行いなのだと信じて。
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