ドラゴンベインと海の王

 最初の船に問題はなかった。

 船酔いをする客もいたがドラゴンライダーのピッピにとっては、船の揺れなど大した問題ではなかったようだ。

 残念ながら私は生まれてはじめて酔うという現象を知った。彼女はため息をつきながらも面倒を見てくれたよ。


 問題は凍りの森へ向かう船の乗り継ぎで起きた。唯一の発着地である港町から船の運行が休止していたのだ。原因は海上に出没する海の王ルヴィアタンと言われる化け物らしい。


 航路がいつ復旧するかも分からないとなれば、私に騎竜して凍りの森へ向かう他ない。私は役に立つだろうと胸を張って主張をしたが、ピッピは無視をして他の手立てを探した。

 彼女は冒険者組合ギルドに張り出されていた、海の王ルヴィアタン退治の一行に参加するという手段を取ることを選んだ。商人と領主が出資し、大規模な討伐隊が編成されつつあったのだ。


 旅人が簡単に参加できるはずもない。

 討伐隊精鋭チームにより審査され、すでに残りの枠も限られていた。ギルドに所属していないピッピは、課題を受けて参加する必要があった。


 ギルドが提示した課題は無理難題が多く、ピッピは「バ・ドゥ・ファ50連勝」を課せられた。

 バ・ドゥ・ファは卓上の決闘とも呼ばれている。互いに卓上を挟み向き合い手を組み、相手の手の甲を卓上に押し付けた方を勝ちとする試合だ。

 求められるのは引く力、パワー、バランス力、瞬発力。

 あらゆる能力が求められる。

 ピッピは私を都に置いていくつもりだったようだが、私にも意地がある。

 同じ試練をこなして随行した。


 私も彼女も城壁都市の外について多くを知らない井の中の蛙であったが、敵国からの侵略を防いだ城壁都市のピッピは伊達ではなかったよ。

 第二次侵略攻防戦中にも敵軍の中に散見された獣のごとき勇士の握り拳を、ギルドの経営する酒場で次々と叩きつけていった。賭け事まで始まり、ピッピは屈強な戦士や冒険者に囲まれ気に入られ、蜂蜜酒や果実酒を酌み交わしていた。

 私は絡み酒を躱しながら「細っこい兄ちゃん」などと呼ばれてピッピの保護者のように扱われたが、実際の保護者がピッピだった事は言うまでもない。

 都市でピッピが受け止め続けるしかなかったあらゆる鬱憤の発散を、猛者たちが晴らしてくれたと礼を言うべきかもしれないな。

 城壁都市とその関係諸国で、良くも悪くもピッピは知らぬ者のいない英雄になっていた。今生きて共に暮らす者達に個をないがしろにされるというのは、彼女には窮屈だったろうが、ここではそれがなかった。

 世界は広いと言うだけで、人を救うのだ。


 海の王ルヴィアタンによって難破沈没した船は15を超えている。討伐隊として雇われた傭兵たちは、この危機を打破するための実力者が揃えられていた。

 そこには城壁都市で貴婦人クロヌ・ド・レを撃破した傭兵、ドラゴンベインのベオルフもいた。奴めはこの討伐隊の指揮官だったのだ。

 貴婦人クロヌ・ド・レを屠り戦場から突然姿を消した彼は、新しい仕事をこなしていた。


 封鎖された海域に向かう中、船中では傭兵たちからドラゴンベインの歴戦の逸話を山ほど耳にした。

 生まれは一国の王子であったとか、3歳でライオンをひねり殺したとか、一騎当千で国土を広げたが裏切りにより国を追われたとか。

 両手で足りない伝説級の逸話の最後に城壁都市の最古のドラゴンクロヌ・ド・レを討ち払った逸話が華々しく添えられていた。


 ドラゴンベインを無視することはできたが、ピッピにはそれができない理由があった。奴の甲冑には歴戦の印が下がっておりそこに貴婦人クロヌ・ド・レの鱗が下げられていたからだ。


 ドラゴンベインはピッピのことを、竜の魔女と呼び気さくに声をかけてきた。

 神経を疑う行動だったが、それはドラゴンベインが持つ陽性でもあったし、分かりやすさでもある。

 海の王ルヴィアタンと遭遇するまでの船旅の中で、奴はピッピになぜ戦場を去ったかを語った。

 城壁都市攻略に興味はなく、ただ与えられた金の分、約束の分だけ働いただけ。

 殺したものが、どんなものであるか何であるかは問題ではないし、知って戦に臨むことはないと言う。

 ドラゴンベインの契約は「城壁都市最古のドラゴン・クラウンミルを撃破すること」であり「城壁都市を攻略し勝利すること」ではなかったのだ。

 怒りも、恨みも、名誉も、忠誠も、そこにはない。

 あらゆる称賛も絶望も、全て飲み込んでそこに立っているという気迫があった。

 改めて対峙し感じたのは、天災のような人間だということだ。

 ただこの天災の行動は「金と契約ビジネス」で進路を変える。

 それによって城壁都市が救われたことも事実だろう。


 ドラゴンベインはピッピがこの地にいる理由を聞かないままに、ピッピがドラゴンマスターでなくなったことも、都市から追い出されるような形になったことも自分のことのようにあらゆる感情を把握していた。

 悔恨にピッピが苦しみ耐えていることも理解し、それを英雄の孤独と名付けた。

 それがこれまで我慢をしてきたピッピの逆鱗に触れたのだろう。

「英雄だったら貴婦人クロヌ・ド・レを守れた。あの時彼女のところに駆けつけて、お前の兜を飛ばしてやれたよ!」

 ピッピが怒号すると、ドラゴンベインはギルドで歴戦の猛者たちの拳を地に付けた話を聞き出し、バ・ドゥ・ファで敵討ちを受けてやると言い出してきた。

 甲板に樽を置き肘をつけてピッピとの再戦を煽りピッピはそれに応じた。

 リッシオワール草原でかつて刃を交え、互いの命を奪い合った二人が海上で再びみまえることになったのだ。


 私が代わろうと前に出るとピッピは私を押し出した。今度こそ邪魔をしてくれるなと、燃えるような瞳で私を射貫いてきた。そうなればもう私は動けない。

 動ける訳がなかった。

 戦場でピッピの命を優先することでドラゴンマスターとして、戦士として、そして貴婦人クロヌ・ド・レを愛する市民としての彼女の心を私は折った。

 この時私にはピッピの拒絶はトラウマだった。


「認めたくなくともお前は英雄だよ。その孤独は、英雄にだけあるものだからだ。俺はお前の気持ちが分かる」

 手を握り合い向き合った時、ドラゴンベインはそう言った。

「そしてその孤独は、それを越えた者でなければ拭えない」

 私はすべてを知ったような口上を述べるこの男の手を、すぐに払いのけてやりたかった。

 いくら弁を重ねてもこの男は同類殺しで名を上げた殺戮者。聞く耳を持たないで欲しかった。しかしこの時ピッピは私の事も周囲のギャラリーの事も認識していなかっただろう。

 彼女の精神は第二次侵略攻防戦の最中、土埃と血と煙が制する残酷な戦場に立ち戻っていたに違いない。そして向き合うのは彼ではない、彼女は自身と対峙していたのだと思う。

 戦場でピッピが取りこぼしてしまった感情をドラゴンベインは理解していた。のちに知ることだがこの男もかつて、人の心を持って戦に望み咆吼し嘆きを重ねた男だったのだ。

 ドラゴンベインはドラゴンマスターの中にかつての己を見ていた。

 向き合うふたりは、互いが鏡のような存在だったのだ。


 ドラゴンベインは圧倒的な強さだった。

 半神人と揶揄されるのを納得せざる得なかった。手加減なしにピッピの手の甲を何度も酒樽に叩きつけ続けた。

 赤く腫れ血が滲んでも、ピッピは彼の握り拳から一度も視線を動かさず再戦を要求した。戦場で見た痛ましい彼女の顔を思い起こす。

 だがドラゴンベインは本気で臨む挑戦を、何度も簡単にねじ伏せた。

 これが試合でなく戦場であればピッピはすでに死んでいることになる。

 この光景を見続けなければならないのは苦痛だった。

 もうやめてくれと、私は我慢できずに乾いた口で漏らしていた。奴めはその懇願ではじめて私の存在を認識し、煽るように微笑んだものだ。

「竜の魔女よ、お前を案じてくれる者がいるのに、その声は届かないのか? 横を見てみろ、お前のためなら俺の靴を舐めてもいいと言わんばかりの顔をしてるやつがいるのに」

 誰が貴様の靴を舐めるか、と思ったのは忘れまい。

 ピッピは鬼のような形相をしたままだ。

 耳を貸すわけがない。そう思ったが、一度だけ瞬きをして手に力が入るのが分かった。

「まだ分からないのか竜の魔女。お前程度がどう足掻こうと結論を覆すことはできなかったんだよ」

 ドラゴンベインがピッピを納得させようとして、こんなパフォーマンスをしているのだと、再挑戦をするピッピの横で私は気づきはじめていた。

 奴めの言葉が過去の自分に投げられているということは気づいていなかったが。

 私が気づくのだから、ピッピも何か気づいていただろう。

「英雄は戦に生かされる。その事実を受け入れなければその孤独がお前を殺すぞ」


 ドラゴンベインは10回目の連勝で手を引いた。

 拳が台座となる酒樽を打ち抜いて破壊されてしまった為だが、次にピッピの拳を無碍に叩きつけるようなら殺すと私の目が変化しはじめていたのに気づいたのかもしれない。

「何度挑戦しにきてもいいが、俺は絶対に負けない」

 ドラゴンベインは無敗の傭兵だった。

 彼はその強さで全てを振り払った。

 彼女の無念も、無力さも。

 ピッピは目に大粒の涙を溜め嗚咽を飲み込みながら、崩れる言葉を懸命に縫い止めて、私に──いや、第二次攻防戦で彼女が守りたかった全てに向かって吠えた。


「守りたかったんだ。守られたかったんじゃない」


 その願いが叶わなかったことを示すように、哮りを波音が飲み込む。

 ピッピは海上の草舟だった。嵐の荒波に勝つことなどできない。

「守りたかったんだよ!」

 同じ言葉を彼女は涙を落として悲痛の思いで何度も繰り返した。

 大きな私の手を掴むのが精一杯のピッピの指が、痺れて震えている。

 かつて戦場で彼女を引き留めた時のように血に濡れて熱かった。

 咽せる彼女の背を撫でる。小さいのは知っていたことだが、しみじみと私の方が大きくなってしまったと思った。

「ピッピ、私もお前を守りたかった。だから、受け入れてほしい」

 私はピッピを守れた。

 だがピッピは貴婦人クロヌ・ド・レを守れなかった。

 その差が私と彼女の関係に溝を作っていた。

「私も貴婦人クロヌ・ド・レも、お前に生きていて欲しかったんだ」

 ドラゴンベインは私が人ではないことに、この距離にあって気づいたのだろう。

 ドラゴンマスターはやめても、ドラゴンは使役できるのか、それは助かる。と手を叩いて私とピッピを相互に見た。

「竜の魔女、討伐を前に使い物にならない傭兵は意味がない。次をやるなら船を下りてからだ」

 ドラゴンベインめに感謝するのは腹が立つが、彼女の全力を奴が受け止めて諭したおかげで、私はやっとピッピと和解できた。

 諦めや結論というものは、それが動かしがたいものだと理解できてやっと得られるものだ。ピッピはやっと得ることができたのだ。


 数日後、彼と向き合った時に持ち上がったのは、再戦ではなく交渉だった。

「お金を出せばその鱗を渡してくれる?」

 彼にとっては貴婦人クロヌ・ド・レの鱗には勲章程度の価値しかないだろう。

 ドラゴンベインは「この仕事でお前が役割を十二分に果たしてくれたなら、褒美に渡してやってもいい」と言った。

 あんな男、私のドラゴンブレスで凍らせて海に放り投げてやると言ってやったが、ピッピはドラゴンベインに勝つには練度が足りないと奴に背を向けた。

 第二次侵略攻防戦では、この男を初手で押さえなかった城壁都市のミスだったとピッピは結論付けたようだった。


 この時ピッピは手帳に自身の思いを書き綴っている。


"彼はただ生きるために行動をしているだけだった。敬愛する貴婦人クロヌ・ド・レを死地へ導いた張本人ではあるが、彼個人が望んで行った私怨ではないということは明確になった。

 貴婦人クロヌ・ド・レを守りたかった気持ちが消える訳じゃないけど、戦時中に感じ、今も自分を縛る悔恨からは解き放たように思う。

 失われたものは返ってはこない。

 私が貴婦人クロヌ・ド・レを守れなかった分、これから城壁都市で彼女が守りたかったものを代わりに守っていけるようになりたい。私を守ってくれたドラゴンや市民たちの思いを受け入れていきたい。私は弱い英雄なんだと思うけど、自分に価値がないとはもう思わない。本当に価値がなくなってしまったのならば、これから新しく自分で作っていこうと思う。城壁都市に帰る時、私は強いピッピになって帰りたい"


 船旅の中でピッピは彼と何度も会話を重ねた。私はこの男を一層嫌いになったが、この時彼女に必要だったのは私ではなくドラゴンベインだった。

 ドラゴンベインはピッピとの会話を通して貴婦人クロヌ・ド・レの意義を察したように見えた。ピッピが求めたことではなかったが、そのことで二人は船上での連携が上がったのは言うまでもないだろう。

 ピッピはドラゴンベインとの再会で、英雄の孤独というものを理解し、共有できる存在を見つけた。ピッピは奴の中に悪は見出さなかった。



 ドラゴンベインはピッピを竜の魔女から呼び改め、船を下りるころは赤靴下、と愛称で呼ぶにまで至った。

 その進展を横目で見守りながら私はというと、船倉で拗ねていた。

 だがそれも無意味なことではなかった。船底が海を裂いて軽快に進む音を感じていたが、数日前から違和感を感じはじめていた。私は水竜属性を持っていたから水の動きには敏感だった。船の航行を阻害するように巨大なうねりの併走を感じるようになっていたのだ。


 海の王ルヴィアタンが姿を現した時、その姿が難破した船員たちが語ったとおりの巨大な怪物であることが確認できた。

 船の側面に体当たりをするのを堪えたが波が逆巻き舵をとられる。爬虫類然とした巨大な体躯は、波に体を絡ませて大きなうねりを生み出して船の進行を妨げた。

 ルヴィアタンだ、と船員たちが口々に怪物の名前を呼ぶ。傭兵たちが甲板に湧き出してくると、ドラゴンベインの指示に従いまず弓の斉射が行われた。

 矢は波間に消え、当たったと思った一撃は頑丈な鱗が跳ね返していた。

 仕返しとばかりに跳ね上がった尾が船尾にいた傭兵たちを薙ぎ払い黒い海へ突き落とす。

 大きく揺れる船体で自由に動き回れる熟練者アデプトは一握りだった。


 ドラゴンベインがその巨大な体躯と同じほど大きな剣を引き抜いた時、私は耳のあたりから足のつま先までびりびりと痺れるような思いをしたことを覚えている。

 ルンテングという名の剣は生きていた。

 文字通りの意味でドラゴンベインと呼応し剣としての力を遜色なく発揮させていた。私は立ち上がる気配に震えたし、この男に勝てるとは思えない怖じ気づきようだった。とはいえ、奴の剣は雷鳴を呼ぶわけでも飛び道具でもない。

 海の王ルヴィアタンが船に近づかない限りその刃に血を吸わせることはできないのだ。


 ピッピがかかとにCDTを付けて私の元へ飛び込んできた。

「私と飛んでくれる?」

 しぶきが横顔を打ち付ける中で、彼女は当然の事を問うた。

 傷だらけの手を握りしめてから、返答の代わりに私は本来の姿に戻った。

 鋭く鋭利な白銀の鱗、たちこめる氷雪、ぴんと張った翼に傷ひとつない爪。

 ドラゴンへの変成の勢いで起きた質量変化で傾く船に添ってピッピの体が傾いた。

 対処が遅れれば甲板をすべり落ちて海の藻屑だったが、彼女の姿は私の背にあった。小さいけれど大きなぬくもりを久しぶりに乗せて、私は海の王ルヴィアタンに立ち向かったのだ。


 こちらから突如現れたドラゴンに、あの時船員は激しく動揺したが、ドラゴンベインは仲間だと一喝して沈静化させていた。無駄にでかい声の男だったが、こういう場所では役に立った。

 船から引き離すために、ピッピは海上を旋回をして怪物を挑発してみせる。

 接近して海の王ルヴィアタンと向き合うと、彼には心はなく、飢えの意思だけを感じた。心を通わす家族も友もなく孤独の末に陥る生き物の末路だった。

 船ごと飲み込むこともできそうなほど大きな口をあけると、海の王ルヴィアタンは私に向かって何度も黒鉛と炎を撒き散らした。騎手のピッピはまともに食らっても炎の加護を受けているので、髪ひとつ焦げることはない。だが炎には強いが水には弱い。ピッピが私から落ちてしまえばドラゴンの姿をした私では救うことはできない。しかしそんな心配は一切していなかった。

 私のピッピは、城壁都市でもっとも騎竜に優れたライダーなのだから。


 海の王ルヴィアタンが渦巻く海流に煽られて船が大きく傾いた時、ピッピは船を取り巻く海面を私のブレスで凝固させて固定させた。しかし荒波と怪物の接触で氷原は砕氷されてしまう。

 足止めを狙ったのでないことは分かっていた。

 ドラゴンベインは船から飛び降り、私が作った板氷を足場にして海上に飛び出したのだ。人間が持ち得る度胸でできる行為とは思えない。

 氷上でバランスを取る感覚をすぐに会得すると、鋼鉄の鱗を有した海の王ルヴィアタンの胴体にルンテングを振り下ろした。大砲を跳ね返す鱗をものとせず、ルンテングは海の王ルヴィアタンを切り裂いた。

 長体のどの部分であるかは、海中に巣食う怪物であるから分からないが、壮絶な咆哮が上がり海面に青黒い体液が広がるのが分かった。

 再び足場を固定し、海上に強固な氷原が確保できると、ドラゴンベインはルンテングへ何か話しかけているように見えた。海面ぎりぎりを飛行すると、海の底から膨れ上がる気配を感じたのを今でもよく覚えている。

 ここから来る

 私がピッピに告げるのと、ピッピがドラゴンベインに告げるのは同時だった。

 私は反射的に飛翔し距離を取った。ドラゴンベインの刃が自分に向けられることを無意識に恐れたのだ。

 海面から海の王ルヴィアタンが顔を出した次の瞬間、怪物の首は胴体から分割されていた。それだけの圧倒的な力差が、ドラゴンベインには存在した。

 顔は見れないが、CDTで繋がっていた私には、ピッピが何を思って海面に浮く亡骸を見ていたかを察していた。貴婦人クロヌ・ド・レの亡骸を思い出していたに違いない。だから私はそこで彼女にこう言った。

「ピッピを守れてよかった。これまでもこれからもずっとお前は私の友だ」


 海の王ルヴィアタンの亡骸をくくりつけ、帆船が凍りの森に近い船町に寄港し、補給を受ける。私たちはここで任務完了だった。

「君がぶっ壊していったものが、どれだけ素晴らしいものかを、今度は私が教えてあげるよ」

 こともあろうにピッピは、仕事がない時に城壁都市に遊びに来てとドラゴンベインを誘っていた。奴は快諾し、望みの通りにピッピに貴婦人クロヌ・ド・レの鱗を手渡してくれた。

「次はちゃんと君を味方に付けて大事に臨む」

 ピッピが頬を引き締めて放った言葉に、奴は報酬金の革袋を重ねながら、穏やかに笑ってみせた。

「金を貯めておけ。安くないぞ」

 貴婦人クロヌ・ド・レの鱗はドラゴンベインの甲冑を飾る他多くのドラゴンの鱗の中でももっとも美しく繊細で、七色に輝いて見えていたが、次はそこに海の王ルヴィアタンの鱗が飾られるのだろう。


 私が城壁都市からくすねてきた鱗の価値は、この旅においての価値はなくなった訳だ。ピッピは盗んできた鱗を持って城壁都市に帰れ、と言うかと思った。だが私を船に押し込めるようなことはしなかった。

 今日の宿を探さなきゃ、急ごう。

 ピッピは外套を翻して、街へと歩き出していた。

 私が鱗と共に帰っていれば合わずに済む困難があったことを、この時は知るよしもなく、だ。

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