歴史が私に会いにきた


 自分が暗闇の中に「誰か」といることに気づいた。

 この暗闇がどこであるか思い出すために、記憶の整理をする。



 リッシーオワル草原はドキュメンタリー撮影ぶりだった。

 アンヌマリーに見送られ、国際空港から飛行機で10時間。

 私はインタビューをまとめ、メールの返信をしてから、託されたローズ・フィーニーの日記を読んでいた。帰るまでに重要そうな記述は写しを取らせてもらおうと思っていたのを覚えている。


 ロワと呼ばれた助手の存在は、日記の中で父であるマルタンが家に住み込みで仕事を手伝う人物として紹介したところからはじまる。

 ローズは父が連れてきた助手の印象を、数日に分けて記載していた。


『父さんは彼を私たちに紹介する気はなかったようだ』

『握手をしたら、手が冷たかった』


 好印象とは言えない記録ののち、1年の間に記述は好意的な記録へ変わっていた。


『ロワに肩車をしてもらった。しぶしぶという様子だったけど、高い所にあるものを取りたかったのだし、家族なのだから手伝って欲しい』

『ロワは私をピッピという名で呼ぶようになった、なんで?』

 

 ローズ自身もなぜピッピと呼ばれるようになったかを理解していないようだった。日記には彼に対する記録は増え、家族同様の存在になったように読める。

 そうだ。日記に記されたロワの記述を抜き出しながら、不可思議な記述を発見したのだった。


『ロワの話の中で、特に『ドラゴンベインと海の王』が大好き」


 私的な日記の内容に、ここまで鳥肌がたつ思いをしたことはない。


『ドラゴンベインと海の王』とは、城壁都市のB.D期に多くの層に向けて出版された、赤靴下のピッピの手帳から誕生した冒険譚だ。

 その存在は草原の民リール・クールに詠い繋がれず、昨今の発掘により存在が認定された存在なのだ。ローズ存命時に、語り話せる誰か居るわけがない。それはマルタンですら不可能なことだ。


 私はロワと呼ばれた存在を、草原の民リール・クールではと推測していたが、そうではないと気づいた。

 もっと城壁都市に親しい存在。

 秘密は今も城壁都市に眠っている。

 私はその思いに突き動かされ、城壁都市遺跡へ寄ったのだ。

 発掘が最も進められている1区へ向かったのは車だった。4区の裾から1区まで車でほぼ直線の国道、ルート82だが50分はかかる。


 人とドラゴンたちが生活していた頃は、4区から1区までさぞ時間をかけて向かったことだろう。水楼閣の橋下を何度も通過したに違いない。

 水楼閣下をいかに回数少なく通り抜けて1区へ向かうか、という検証をした市民記録もあるくらいだが、その個人の検証記録でも20回は水楼閣橋下を進む必要があったらしい。


 さておき、1区に車を止めて、マルタンが思考し歩いた道を追随するように散策を始めたのは昼過ぎだっただろうか。急勾配の石畳を登り、城壁都市の知識と文化の最高峰である貴婦人の図書館前の広場から、王城へ向かった。


 王城に備え付けられていた、かつての都市の大シンボルである大風車が復活しないものかと思ったのは、つい先ほどのことのように思う。

 現在王城の発掘を請け負っているのは、中立国の財団だったはずだ。1区の古井戸を発掘中だと聞いていたのでこちらにはいない。

 ただ一人そこにいたのは───



「目が覚めたか」

 男の声に伏せていた顔を起こす。

 暗闇の中で私が意識を取り戻したことに気づいたようだった。

 昨日アンヌマリーにと花束を持ってオフィスやってきて、馴れた様子で研究室の本を整理していた長い銀髪の男。

 私が読書に耽る間にいつの間にか姿を消していた彼だ。

 彼が王城で待ち構え、私に声をかけてきた。内容はローズの日記を渡して欲しいという突然かつ無茶な内容だった。

 私は当然拒否をした。

 なぜ私を追うようにここに居るのか、困惑したが、アンヌマリーとのやり取りを盗み聞きしたのだろう。

「それで、日記を渡してくれるか?」

 今はそれどころじゃないだろう

 助けを呼ぶ方が先だ。

 

 私は───いや私たちは地上から何百メートルも地下に落ちていた。


 発掘中の都市を歩くということが危険なことか頭から抜けていた。

 王城地下採掘場跡に落ちて無事で居られたのは奇跡だ。B.D期と違い廃坑である。

 こうして思考力を失わずに居られるのも目の前の彼が助けてくれたからだ。

 何か大きなものに支えられた記憶がある。

 見上げると月のように開いた穴から、明るい地上が見えた。

 「おぉい」と声を上げると反響する。リュックを下ろして予備の明かりを付ける。落下の衝撃だろうか。側面は杭を打たれたように凹んでいたが真鍮製のカバーがついていたおかげで点灯できた。

 携帯ライトをくうへ翳すが、地上からこの小さな明かりを見つけることはできなそうだ。諦めて離れた岩陰に座っていた男の方へ光を投げる。

「奥から地下水脈の音がする。中央大水車塔地下から離れてはいないな」

 私が向けたライトを会話の要求と判断したのか、軽く体を起こして話出した。彼は無傷のように見えるが、いつまでも二人ここに居るわけにもいかない。

 どうにかこの鉱坑から抜け、助けを呼ぶ方法を考えねば。

 だが地上へ抜け出せるルートの大水車塔は現代には存在しない。

 ケータイの電波もここには入らない。

 坑道跡を進んでみるのもひとつの方法かもしれない。どこかで別の発掘隊が作った非常用の出入り口と接続している可能性がある。

「待てば救助は来る。草原の民リール・クールのところへ行くと連絡したんだろう? 1区の発掘隊駐車場に君の車があるのを見れば、崩落事故にも気づくはずだ。だがこの時期地下水脈の水量は大幅に上昇する。ここが安全かどうかは保証できない周囲を確認する必要があるな。動けるか」

 男は随分と地下水脈に詳しいようだ。それなら位置を把握することくらいできるだろう。

「右肩と腰が痛いが、移動することはできます。あなたは無事ですか」

「君を助けた私が怪我をする訳がない」

「助かったが、どうやって……」

 痛み止めを探すためにリュックの中身を出す。

 日記と魔法鉱石シネマが視界に入ったのか、彼は少し前のめりになった。

「何が目的かは分からないが、日記は研究については書かれていませんよ。ローズ・フィーニーは城壁都市には何の興味も持っていなかった」

「だが私のことは書いてある。それは後面倒を呼ぶことになる。理解の浅い研究者の手に渡れば身の危険に繋がる」

「……あなたのこと?」

「マルタンの助手でかつてロワと呼ばれ、そのはるか前は城壁都市のロワとしてこの地を守護した。この私──氷結王のことを、だ」

 時代の整理整頓係と話した男は、自分をB.D期の城壁都市象徴の一翼、氷結王だと名乗ったのだ。

 ロワと言う単語から、氷結王を想像しなかったわけではなかったが、草原の民リール・クールの関係者や伝承者の類であろうと考える方が圧倒的に現実的だった。

「ロワや氷結王という名称は継承されていくものだと仰りたいのか? 」

「否定する。そのどちらも私ただひとつのことを指す言葉だ」

 自信満々の返答に、私は改めて男の姿を頭からつま先まで睨め回した。

「つまりあなたは自分をB.D期から存在し、城壁都市を滑空したドラゴン氷結王で、マルタンと城壁都市発掘をしたロワ自身だと言いたいのか」

「物分かりが早くて結構」

 たしかに、今日こんにちまでの発掘において氷結王の死について具体的に触れた書物はまだ見つかっていない。

 論理上、人とは違う構造を持つドラゴンであるならば、AD期に存在していても不思議ではないが、そんな空想は誰もが証拠を目にしなければ信じないだろう。

 私が百面相をしているのを彼は目を細くして見つめてきた。

「飛行機で日記を読んで、ロワが草原の民リール・クールではないと気づいたと思ったが、買いかぶりだったか? さらにその先を導き出されてしまうヒントがローズの日記には点在していたはずだが。私が彼女の日記が欲しい理由はそこだ」

 混乱した。

 目の前の若い男は──本当に、マルタンの助手であった男だというのだろうか。

 もう何十年以上も前に都市の発掘を導き、フィーニー家に留まった存在だと。しかもその素性は、B.D期を生きたドラゴンの氷結王であると?

「マルタンと同じ顔をしたものだ。懐かしさすらあるな」

 唖然とする私に、ここは手狭だから「ドラゴンに戻れない」がお前が無事で私も無事という事実が答えになっていないか?と遙か天上を指さしてロワは笑った。

 確かに。それはまだ脈打ち思考する、私の命が物語っていた。


「日記を得たいのは素性を隠したいからなのですか? あなたは認知され保護されるべきだ。それに存在してくれていることを公にできたら、城壁都市は全ての虚構を払われる」

「今、城壁都市の魂は失われた。友達とは保護されるものか? 違うだろう。それが答えの全てだ」

 ロワはとても静かに言葉を紡いだ。

 私は勢いを削がれ、リュックから取り出した薬をぎゅっと握りしめた。

 ドラゴンは玩具動物ではない。意思のある生き物だ。彼らは自分を守る権利がある。今の私たちは彼らを友人とは扱えないだろう。あまりに希少であまりに特異であるがゆえに。

 しかし彼がまことの氷結王だとしたら、私はどうやっても彼とここから出なければいけない。彼の正体を詳らかにする為ではない。かつての城壁都市の精神を持って、彼をここで失わせないためにだ。


 歩き出すと坑道の複雑さに不安が募る。

 距離を保ちつつ歩くロワは特に表情の変化はなかった。明かりから目を逸らすと無限に広がる暗闇に背筋を撫でられ、不安を逸らすために私は彼へインタビューを試みた。

「こんな状況です、あなたをロワそして氷結王と仮定して伺います。あなたがマルタン・フィーニーを選んで都市に導いたのはなぜですか。彼があなたの心に添う存在であったからだと?」

 話せば日記を渡してくれるか?と彼は期待値のない笑みを浮かべ振り返る。

 任意です、と言うと大げさに肩を竦めてみせた。

「マルタンは第六感を信じた友だった。彼は生涯私の真実を誰かに漏らすことも記述することもなかった」

 だがローズはロワを人だと認識していたからこそ、日記に存在を書き留めてしまったということだろうか。

「彼の家族のローズや孫のアンヌマリーに関しては」

「結論を言えば私は彼らに近づきすぎたし、愛しすぎ、去るのが遅れた。人とは異なる在り方をする者が、ひとところに留まることが許容される世界ではもうないというのに。混乱と悲しみだけをフィーニー家に置いてきてしまった」

 その言葉には反省を越えて深い悲しみが滲み出ているように聞こえる。

 反響のせいかもの悲しさが一層重く感じた。

「マルタンは自分の為だけでなく私のために発掘をしてくれた。彼はまるで城壁都市にいた友人だった。だが時代には相容れない。犠牲はあった。娘達の存在だ。生き方の異なるものを受け入れるのは難しいことだ」

「あなたはローズに素性を悟られたのですか?」

 私の質問は踏み込みすぎたのではと思ったが、彼は一拍置いて肯定した。

 悟られそして、存在の肯定ではなく恐らく否定されたのだ。

 それが彼がフィーニー家を出た理由だろう。

「アンヌマリーに会わず花や贈り物を続けるのも、ドラゴンだからだと?」

 返事はない。それは肯定と判断できた。

「ローズをピッピと呼んだのは、あなたが彼らを愛したからだったのですか」

「彼女を肩に乗せたことがあった。研究者なら意味が分かるだろう」


 "ロワに肩車をしてもらった。しぶしぶという様子だったけど、高い所にあるものを取りたかったのだし、家族なのだから手伝って欲しい"


 ドラゴンの『背に乗る』ということは、騎竜するということだ。

 それが人のかたちをとっていても適応されることだとは初耳だが、彼の背に跨がった者たちは、B.D期の城壁都市では皆、彼にピッピと呼ばれた。

「久しぶりに普通の人間と話をして暮らしたから、私の弱さで気が緩んだ。おかげで今こういう面倒が発生してしまった訳だが」

 ロワは黙った。だがその反応が一層の重要さを感じさせた。

 耳の奥を擽るような水の音を、かき消すように私は口を開いた。

「ローズは『ドラゴンペインと海の王』が好きだったと日記に記していました」

「……彼女ローズもまた幼くて、友人でいられた頃の懐かしい話だろう」

「暁の谷への話を、私にも聞かせてくれませんか。私も原本と文庫は読みました、でも旅を共にしたあなたの言葉で聞いてみたい。あなたが氷結王であるならそれができるはずだ。そうしたら日記のこと前向きに協力します」

「この状況でか? 不思議なやつだ。私は君を放置して日記だけを奪っていくことができるんだが」

「それをするなら、あなたはここへ落ちる私を助けようとはしなかったでしょう。あなたは約束を守るひとだ。そして嘘がつけない。城壁都市の氷結王だからだ。だからこれまでアンヌマリーから無理矢理日記を奪ったりしなかった。違いますか」

 長いため息があった。

「君はマルタンに似ているな」

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