草原の民『乙女の続唱』

 飛行機の到着地を草原の民リール・クールの住むリッシーオワル草原へ変更しおえる。この日は一晩フィーニー家に泊まらせてもらうことになった。


 アンヌマリーはマルタンが使っていたオフィスに案内してくれた。

 オフィスは別棟にあり、緑に埋もれた秘密基地のように見えた。今も城壁都市研究者が、彼の残した資料を見にやってくるらしい。


 家族はこれまで研究者を屋敷に上げることはせず、すべてのやり取りはこのオフィスで行った。家の中に仕事を持ち込んで欲しくないというのが、フィーニー家の女性たちの強い思いであったそうだ。半端物の私がその最初の例外になったということになる。


 オフィスは、宝の山だ。

 アンヌマリーは理解できない走り書きと研究書が積み上がっただけの書庫だと苦笑するが、表敬した研究者の名前が連なる訪問録をみれば、それは謙遜だと分かる。


 室内はマルタンが愛したであろう調度品がそのままに、整頓されていた。

 全てを読み切るには1日などでは到底足りない。5年はここに缶詰になる必要があるだろう。

 「祖父はこんなにきれいに使っていませんでしたけれど、みなさんが今も頻繁に整理や清掃をしにきてくれます。度々花束や贈り物を持ってきてくれて、申し訳がないのよ」

 アンヌマリーは控えめにそう言って笑う。

 マルタンの蔵書ジャンルは多岐に渡る。そして蔵書は彼を尊敬する現代の研究者たちからの献本で日に日に増えているようだった。確かにこれは整理係が必要だ。


 誰もが最新の発掘調書こそが、もっとも正しく、興味を誘うものだと思っているだろうが、草分けが探ろうとした世界の輪郭というものには、特別な輝きがあると私は思う。

 ことマルタンの記録はとても瑞々しく、夢と希望に満ちている。

 発掘が進んだ今でも、彼の予想や発想が大きく外れることはなく、彼の理想に添った形であることが多い。素晴らしい洞察力、研究力と言えよう。


 目を輝かせる私に対して、アンヌマリーが口元に作る皺は複雑だ。

 夕飯時に呼びに来ますと言って、屋敷へ戻る彼女と入口で別れる。

 書架から本を引き出して読み始める。部屋に入ったのは昼過ぎ14時頃であったのに、顔を上げたら16時を回っていた。人の気配を感じなければ気づくこともなかっただろう。

 入口に男が立っていた。


 男は挨拶をして、抱えていた花束と書類を机に置くと手を差し出した。握手をするとにこりと微笑んできたのでこちらも笑みを返した。

「城壁都市研究の方ですか」

 問うと彼は書棚の方を見てから、私を見て笑った。

「時代の整理整頓係だよ」

 アンヌマリーの言っていた人物だろう。仕立ての良さそうなブラウン・ツイードのスーツに、襟足で長い銀髪を一括りにしている。髪を揺らし、慣れた素振りでコートスタンドに上着と帽子をかけた。

「君、この前のドキュメンタリーに出ていた人だろう。目がきらきらしていたね」

「いや、お恥ずかしい」

「私は整理したら帰るから、悪いがこの花束はアンヌマリーに渡してくれ」

 彼は訪問録を開いて私の名前を確認すると、てきぱきと片付けはじめた。部屋は四面に書架を有し天井まで本が並ぶ。彼は移動用のはしご二基を使って迷いなく整理を続けている。


 ちょうど手元に、草原の民リール・クールと城壁都市市民との関わりについての寄贈書がある。筆者は城壁都市研究者、アントニオ・アイリ。

 明日の予習も兼ねて草原の民リール・クールの物語を少しだけ紐解こう。

 彼が図書館に保存されていたフォークロア、1冊の草原の民リール・クールの乙女の回顧録を翻訳、再構成した『乙女の続唱』は、城壁都市の婚姻事情にも迫る名著である。


 草原の民リール・クールは壁外、リッシーオワル草原に生活拠点を置く放牧・農業の民である。族長レコルトは女性で、歌を謳い自然を賛美して暮らした。文字による伝承をせずに、すべてを歌で残した。

 布を張って作るテントのような住居『リオ』に住み、草原を中心に移動しながら暮らした300~400人規模の集団であったとされる。城壁都市市民とは異なる生活習慣を持っていたが市民との交流は深く、姻戚関係が成立していた。

 城壁都市の少女たちの伝統的衣装であった付け襟や三角巾なども元祖となるのは彼らだ。

 現代の草原の民リール・クールの伝統衣装から、都市の服装・図案についての考察をする学者も多い。

 植物で染めた糸で緻密な刺繍を行い、既婚女性は発言権を持つ印に、左手薬指の爪を緑色に染色している。男女共に騎馬を得意としており、B.D期は騎竜できない者は存在しなかったと言われる。


 アントニオ・アイリが訳した『乙女の続唱』の原本となった草原の民リール・クールの少女の回顧録『Decrocher la lune』、書き手の名前は、リーリドッシュ・アン・リール・クール。

 草原の民リール・クール出身者で、現在調査が進んでいる限り唯一「執筆」をした乙女である。A.D期に 草原の民リール・クールの輪郭を伝えるただ1人の乙女だ。


 時代はB.D300頃円熟期、彼女の資料が城壁都市の貴婦人の図書館に残されているのは、彼の夫が城壁都市の市民である、4区・3番街のポルタール地区Quartier Le portail の自治体代表バンジャマンの長男、シモン=ガルディアン・ポルタールであったからだ。


 察しのよい方は気づいておられるかもしれないが、4区・3番街のポルタール地区のガルディアン・ポルタールと言えば、城壁都市の外壁、正門の守護者家系(*1)である。第二次侵略攻防戦において正門の防衛を担った一族であり、代々正門の門壁兵長を排出している名の知れた市民である。

 城壁都市外壁に面する地区・自治体は、非常時もっとも危険にさらされると同時に、草原の民リール・クールとの接点とも言えた。


 長男であるシモンは守護役という響きの猛々しさとは真逆の、インドアを愛するドラゴン研究の学者であったことが分かっている。彼の研究テーマは「ドラゴンの痛覚」である。最高学府となる3区大学に通うなど経歴は華々しい。


 『乙女の続唱』によると、リーリドッシュ誕生前より、ガルディアン・ポルタール家は草原の民リール・クールのアン・リール・クール家長との姻戚関係を望み、家長はそれを受け入れていたとされる。つまりリーリドッシュとシモンは一介の市民でありながら、貴族のような「婚約関係」が成立していた。


 リーリドッシュは当初関係について不満を持っていたことが回顧録から分かる。

 婚約の正式決定時、15歳の活発なリーリドッシュに対し、シモンは成人を済ませた21歳。年の差以上に暮らし方や習慣の違いから同士の相性は初期はあまりよくなかった。


 原本の回顧録にはこうある。


「リーリドッシュ=ガルディアン・ポルタールと名乗る日が来るのを私はずっと嫌っていた。私には草原の乙女としての誇り、アン・リール・クールが相応しい。本ばかり読む夫と壁内に閉じ込められる日が来ると思い、鬱々としていた」

「結婚前には私の方が絶対に騎竜は上だと思っていた。夫婦喧嘩をすることがあったら騎竜の腕で優劣をつけるつもりでいた」


 ふたりの関係を好転させたのが、ポルタール地区の自治体ドラゴン「ペリド」の出産である。

 ガルディアン・ポルタール家は自治体代表のため、ペリドの世話責任を負う重大な立場だった。一族は総出でペリドの出産に力を注ぎ、リーリドッシュも未来のガルディアン・ポルタール夫人として尽力する。


 シモンはドラゴンの痛覚の研究成果を実証し、ペリド出産に際して大きな結果を残した。リーリドッシュは彼をただの「本の虫」として見下していた気持ちを改める。


 草原の民リール・クールは歌でドラゴンと意思の疎通を試みる民だ。リーリドッシュは絶えずペリドのために、安眠と不安を取り除くための癒しの歌を歌い続けた。

 シモンもペリドと懸命に意思疎通を試みてドラゴンの世話をするリーリドッシュの優しさに、心を寄せることになる。


 ガルディアン・ポルタールの竜舎で、肩を並べてペリドを見守る婚約者同士について、アントニオ・アイリはこう演出している。


──(前略)

 ドラゴンの出産は危険が伴う。ペリドは出産に際して気性が荒くなり、寄せ付ける人を選び威嚇する。泡だった心は不安を増長させ、腹にいる子供に大きな影響を及ぼす。失敗すれば大暴れして竜舎を破壊するだけでなく、地区の人に怪我をさせることもあるだろう。この状況が続くようならば、ドラゴンマスターを呼ぶしかない。

「私はペリドとずっと一緒に育ってきたけれど、子守歌で寝ってくれたことは一度もなかった。草原の民リール・クールは特別だと聞いていたけど、特別な歌(*2)なんだな」

 リーリドッシュはシモンの泣き言に乙女の竪琴を鳴らす手を止めた。

「君が花嫁でよかった。ペリドの出産が終わったら、研究内容を改めて草原の民の歌にしよう」

草原の民リール・クールは文字を持たないし、歌を文字にはできないわ」

「リーリドッシュ=ガルディアン・ポルタールの歌ならいいだろう? 」

 シモンは竜舎の中に山になったドラゴン・ホップの花を拾い上げ、リーリドッシュに差し出し改めて求婚した。

(アントニオ・アイリ『乙女の続唱』)


 ペリドはその後ドラゴンマスターの介添えが入り、無事双子のドラゴンを出産する。その出産に合わせ、リーリドッシュ15歳、シモン21歳で結婚が成立。

 都市の女主人であるドラゴン・クラウンミルと謁見を許される結婚祝賀式典、祝辞会合( le mariage Réunionマリッジ・リクレイション)において王城でクラウンミルに初めて面会したリーリドッシュは、草原の民リール・クールの乙女として歌を捧げた記録が残る。


会合に同席したドラゴンマスター・グランヴェール、側衛官ヴァレリー・ルイスが実際に残した側衛官記録には、貴婦人の言葉はこう記録されている。


「壁外の友人たちの歌は遠いけれど風に乗ってよく流れてきます。私はあなたの歌を覚えています。あなたが壁の中と外を繋ぐ誇り高い女性として、シモン=ガルディアン・ポルタールと共に生きてくれることを願います」

(BD300・ヴァレリー・ルイス 側衛官記録)


 リーリドッシュは壁内市民となってからは、草原の民リール・クールの歌を封じ、夫に文字を習い回顧録をしたためたが、彼女の残した断片的な習慣や風習についての記録によって、現在の草原の民リール・クールの歴史調査や口伝の情報補強がなされている。

 『乙女の続唱』ではリーリドッシュが初めて夫シモンとペリドに騎竜してデートをする初々しさや、市民とは違う深いドラゴン信仰、草原の乙女の作る料理、刺繍習慣など市民に溶け込もうとする姿や、民族の矜持など、草原の民リール・クールの自然の姿を垣間見る事ができる。ぜひ一読をお薦めする。


 彼女は市民となってから一度だけ草原の民リール・クールの詩を歌い草原を走った。回顧録にもその時の決意が残されており「私は市民である以前に、故郷を愛する草原の民リール・クールだ」と書かれていた。

 B.D300頃に起きた第二次侵略攻防戦では彼女は25歳、夫シモンは31歳である。

 彼女は都市から避難せず、ユニコーンやドラゴンに騎乗し、弓を武器にし戦場を駆けた記録が残されている。『乙女の続唱』にも戦争に関する記録が残されている。

 興味深いのは彼女たちの武器である。乙女達の歌を彩る竪琴こそ、武具であった。


──(中略)

 リーリドッシュは竪琴を取り出すと、弦を張り替えた。

 装飾を引き抜き開閉を確認するとその竪琴は弓の形になった。夫から弓矢を受け取り試しに撃ち放つと、見事遠くの的に的中した。

 それでもリーリドッシュは腕が落ちたと嘆いている。

 武芸の鍛錬は怠らないようにしていたつもりだと言って笑う妻を見ながら、壁内で不快な思いをしたら「夫を殺し子供を連れ、草原へ帰って良し」と族長に言われていたのだろうと、シモンは察していた。

 竪琴は何代にもわたり草原の民リール・クールの女たちに引き継がれてきた。リーリドッシュの竪琴は、弓になり、そして刃にもなった。

 弦が切れ弓がなくなったその時は、チャクラムと呼ばれる異国の投擲武器のように、外周に鋭い刃を装着できる。彼女が舞うように振り回すことで、周囲の敵を寄せ付けない。

(アントニオ・アイリ『乙女の続唱』)


 この竪琴は現代の草原の民リール・クールたちにも引き継がれている。リーリドッシュの使ったと言われる竪琴もまた、アン・リール・クール一族に残され引き継がれている。


 彼女は竪琴を手に草原の民リール・クールと共に正門を守った。城壁都市の誇る竜騎兵たちも圧倒する立ち回りであったことが、描かれている。

 正門は敵国の攻撃を一身に受けたが、その門が敵に開かれることはなかった。


 攻防戦においてのリーリドッシュはじめ乙女達の活躍について『乙女の続唱』には、原本である回顧録にはない詳しい補足がされている。アントニオ・アイリ『乙女の続唱』がただの『歴史創作小説』と評価されない点はここである。

 側衛官記録と市民記録を照らし合わせ、現代を生きる草原の民リール・クールたちに裏付けをとった資料である。


 それが『乙女の続唱Séquence de fille/Décrocher la lune

 アントニオ・アイリが表題にした、草原の民リール・クールの歌である。


 現在、明文化されている唯一の歌であり、歌の意味するところは「不可能を得るための歌」である。


 ドラゴンを奮起させる歌は、乙女達8人の輪唱であることが分かっている(*3)。この歌は現代の草原の民リール・クールにも形を変えながら伝承されている。



 城壁都市では人の力だけでは叶えられない事柄は、友人のドラゴンが間に立ち、叶えてくれた。

 私はドラゴンではないが、彼らの魂のあり方を知っているつもりだ。

 だから敬愛するマルタンのために、アンヌマリーにマルタンの熱意を知ってもらいたいと願う。押し付けではなく、彼が追い求めた都市が素晴らしいものだと知って欲しい。

 それは私自身を肯定することでもあるからだ。オフィスから去るのは後ろ髪を引かれる思いだった。またここへ来ることになるだろう。そんな気がしている。


(*1)東門を守るガルディアン・ポルトドレスト家、西門を守るガルディアン・ポルトドルエスト家が有名

(*2)草原の民リール・クールの歌い手には部族内でランク付けがされており、歌の上手い乙女ほど、強い男を伴侶に添えることができた。彼女たちの魅力とは手仕事や容姿ではなく第一が歌であり、歌こそ彼女たちのあらゆる優劣を決める定規であった。

 城壁都市において騎竜ランクによって、ライダーやマスター位が与えられていたのと同様であるが、草原の民リール・クール内では、よりシビアな称号であったようだ。最上級の歌い手は族長に選出され、「レコルト」と呼ばれ、その後継者候補5名は「エトワル」と呼ばれた。

(*3)アントニオ・アイリ『乙女の続唱』訳


Décrocher la lune 不可能を試みよ

 

Grande est mon loyauté我が忠誠の矛先

Depuis l'ange jusqu' a l'huitre美しく崇高なるもの

Notre Dame , Roi , Dragon 我らが王よ、ドラゴンよ

Te disent que mon cœurest à toi sans retour この心は永遠にあなたの僕

Comment a Vécu ton ami あなたの友の在り方を見て

C'est au loin que se trouve la gloire 未来にこそ栄光はありと

Je voudrais enflammer les cœurs心を燃え立たせます

Pour les amis qui veillent sur nous背に抱く友人のために

Revêts-toi de majesté 威厳をまとわれよ

Au Séquence tu perceras les ennemis du roi 私の歌は王の剣となる

Toi, Roi vainqueur, aie pitié de nous我らの王よ 勝利を与えたまえ

Soient détruits à jamais永遠に滅ぼされるように

Gloire à Notre Dame, 戦火に貴婦人のc’est un feu dévorant 栄光があるように

Gloire à Notre Dame, 戦火に貴婦人のc’est un feu dévorant 栄光があるように


 この『乙女の続唱』は非常に荘厳であり、迫力のあるシークエンスである。

 草原の乙女たちの歌は第二次侵略攻防戦の楽師姫イーヒのような効果はないが、ドラゴンたちの心に届いたに違いない。

 私も一度だけ草原の民リール・クール取材で録音したという音声を聞いたことがある。歌詞になれば単調に見えようが、彼らの歌は高音から低音の巧みな使い分け、歌声の掛け合いや重なりが非常に神秘的で荘厳である。

 彼らが文字を必要としなかったのは、それを勝る美しく高純度な歌が存在したからの一言に尽きるだろう。

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