都市街角エフェメラ「担当画家よりご挨拶」

(*)翻訳資料


 いつも店に足を運んで下さる皆様、こんにちは。

 リスシオワン・ビスケットの箱絵を描いてきた、アグラエ・ゴロワです。


 人生の旅を終えるにあたり、ご愛顧頂いた皆様にご挨拶をしたく筆をとりました。どうぞ最後までお読み頂ければと思います。


 私がはじめて城壁都市の誇る始祖竜の一柱、豪傑の銀梨王リスシオワンと出会ったのは母の日記によると5歳の頃。

 我らが貴婦人の図書館が開催した子ども向けの企画『リスシオワン擬人化コンクール』に応募し、その絵をの王がお気に召したため、面会を許された時でした。


 今でこそ氷結王が人の形を取ることは公然の事実ですが、当時は一部の人やドラゴンしか知られていなかった。氷結王と違い、彼の王は人に変成することはできないようだから、氷結王に彼の王が張り合い市民に理想を委ねた、コンクールを開催させたのでしょう。子ども心にコンクールは楽しかったことだけは今でも覚えています。


 はじめて顔を合わせた時、幼さもあって彼の王の迫力に負け私はドラゴンマスターに縋り付いてわんわんと泣いてしまった。彼の王に会うのを楽しみにしていたというのに王はあまりにあまりに巨大だった。失礼なことをしたと思いますが、後日手紙で詫びを入れると王は許してくれました。


 ドラゴンマスターが「泣くのは仕方ない! 我貫禄ある火吹き竜だからな! 我が嫌いな訳ではないなら良し」と言ったと教えてくれました。

 私が泣いた事を、気にして下さっていたようでした。

 誤解が解け、機嫌を取り戻した彼の王は、喜びを隠しきれず身をねじり地響きを起こさせ落下してきた石に、頭をぶつけたそうです。

 彼の王は眩しいほどにまっすぐで素直な方です。それから交流が続いたのは、言うまでもありません。

 王と交流を重ねた今、改めて人の姿をした彼を描くとしたら、もっと気性が荒くせっかちですぐ怒り出す性格をもう少し反映させるでしょうけれどね。


 私は王と出会えた喜びから絵の道に入りました。

 いくらか稼げるようになった頃に、ビスケットの箱絵を任される(*1)ことになったのです。絵描きとしての才能を発掘し、育ててくれたのは、リスシオワンでした。


 あれから60年もの間、都市の銘菓として皆様や旅人の手に渡ったビスケットは、どれほどの数になるでしょう。

 都市の小麦全粒粉とバターを贅沢に使い、4区自治体ドラゴンのサラマンダーの火で焼き上げた他にはない逸品です。

 サクサクとした歯触り、口にすると広がる都市の豊かな自然の香り、頬が火照るように笑顔になる奥深い滋味。20枚入りであるのに気がつけばすぐになくなってしまうビスケットたち。

 皆様はどのビスケットがお好きでしょうか。プレーン、チョコがけ、それとも干し多肉入りでしょうか。32種に及ぶフレーバーは、伝統を守り焼き続けられることでしょう。

 長くその銘菓と関われたことに感謝の気持ちで溢れています。

 第二次侵略攻防戦の折に非常食に割り当てられた時にも、私は大変名誉な仕事を受けていたのだと多くの関係者に感謝しました。


 彼の王を乱暴者だとか、ワガママだという市民の言葉に、私は深い頷きを持って答えるでしょう。だが彼の王は一度情を寄せた者を忘れず、不器用ながら愛してくれる存在です。都市に住み続け、冬の凍てついた空をその熱で温めてくれる。

 恩恵を与えてくれる存在であることも伝えておきたい。


 私が彼の王しか描かないと決めているのに、何度か貴婦人クラウンミルの絵を求められたことがありました。王は貴婦人の最期にドラゴンマスターと立ち会ったと言われています。

 同胞たる貴婦人を失ったことで、彼の王も我らと同様に深く悲しんだことは、詳細を聞くことすらできない私にもひしひしと伝わってきました。

 剛胆な王でありながら繊細な心の持ち主であることも、覚えておいて欲しい。


 私は長い画家生活の中で、多くのドラゴンや友に助けられてきました。

 そこで知り得た大切なことは我々は美味しいものを食べ、贅沢な生活をして、労働を減らし、天候や疫病に怯えないようにするために、生きているわけではないということです。


 忘れないで欲しい 。

 友の手を握り、その時を慈しみ、愛し、話し、かけがえのない思いを分かち合う事を。

 人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではなく、どれだけ心を振るわす事が出来るかで決まるのだと言うことを。


 難しいことはありません。

 たった一言、大切なひとに「愛している」と伝えるだけでいい。

 とても簡単なことなのに、戦後に私が疲弊し見失っていたものです。

 王の言葉は私には分かりません。ですが最後までこの気持ちを伝え続けるでしょう。


 市民の皆様、あなたも銀梨王リスシオワンのように、照れから思いを伝えられないこともあるでしょう。

 その時こそリスシオワン・ビスケットを食べて見て下さい。

 美味しいものを分け合い、口に運べば、障害になる感情など風車の向こう側へ飛んでいくに違いないのです。その和やかな空気の中で、あなたの大切な人に思いを伝えて欲しい。何度でも、何度でも。


 美味しい1枚のビスケットが、これからもあなたの生に勇気と幸福を運びますように。城壁都市に幸いあれ。


 4区 貝の裏通り貧乏画家 アグラエ・ゴロワ (*2)



訳者補足

 ※B.D250頃・4区のビスケット屋の張り出した古い広告エフェメラより

 

[*1] パッケージに相当するもの。リスシオワン・ビスケットは都市の名物である。

 B.D100頃に発掘された資料においても画家が変更されている様子はなく、伝統図案となり、使い続けられた事が分かる。事実、この紙片の下部には別人物の筆記で「アグラエ没後も箱絵は変更いたしません。弔いの花は店内でお受けします」と書かれている。

[*2]アグラエ・ゴロワ(Aglae・Gaulois) BD330?~BD249

4区2番街にある貝の裏通りにアトリエを構えた画家。絵画や箱絵の他、絵本を数冊出版していることが知られる。都市において一匹のドラゴンを描き続けた画家として有名な人物。銀梨王が心を許し自画像を描かせることを許した人間であったと言われる。

 存命中に勃発した第二次侵略攻防戦に市民兵として従軍し片足を失う。戦には関与しない姿勢でいたにも関わらず、リスシオワンはアグラエの負傷を知ると眷属と共に立ち上がったと言われる。

「我のかっちょいいところを描いて残してから死なないと許さん」とアグラエへ伝えたことがドラゴンライダーの個人的記録に残されている。

 アグラエの負傷によって、リスシオワンが戦場へ繰り出したという話の事実関係については側衛官記録や公式資料には残されていないが、他民間記録等を照らし合わせ、事実として見る研究者は多い。

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