4区サン・クール地区 残留市民記録

4区サン・クール地区 残留市民記録は、市民記録につき正確性はない。

前後の記述から、5Mars前後の記録とみられる。



 隣のグラン・フリズ区に敵軍がわんさか入り混んで来やがったが、グラン・フリズとうちのサン・クールは高低差があってこっちが上流で、隔てる壁は分厚くて背丈も高い。これ以上は進めないと儂は思っている。

 サクレクール(*1)のために改築したのが、こんな所で役に立つとは思わなかったわ。若い頃にやっといたことが報われると、年のとりがいがあるってもんだな。


 とはいえ、壁ひとつ向こうには頭のおかしい異国の兵士が詰めていて、いつ巨人だの破城槌だので壁を破ってくるか分かったもんじゃない。

 侵略者たちの雄叫びは身の毛がよだつぜ。女子供にも容赦なし、ドラゴンを見れば八つ裂きと来たもんだ。

 女たちはみんな逃がしてあるしここに残ってるのは、山越えもできないジジイと、戦争だろうが暢気にキャンディ舐めて笑ってる、儂らのドラゴン、サクレクールだけ。

 儂らはともかく、サクレクールだけは心配だ。


 商店街のカルロスにある限りの武器を集めてもらってある。金槌だのバールだのフライパンだの、生活感があるが何もないよりはマシだろう。

 年寄りの中で一番目がいいカミーユとカジミールには交代で物見台に立ってもらってるし、侵略される気なんて毛ほどもねぇ。

 肉屋のクリストフが待ってましたとばかりに、包丁を研いでやがるしな。

 年寄りにもなると、生まれ育った場所から離れて死ぬ気にはなれないもんだ。全員騎竜経験がある元ドラゴンライダーだ。いざって時はサクレクールに乗って敵兵を残らず蹴散らしてやろうと思っているさ。若い頃のライダーブーツが、もう入らねって大笑いしてるくらい余裕だぜ。

 大体儂らと年もほぼ変わらないグランヴェールが最前線で戦ってるんだ、年寄りだからって役に立たないなんて言わせないぜ。差し入れに持っていった飴を側衛官と仲良く舐めていた横顔、お前たちにも見せてやりたかったよ。


 かっこいいじいちゃんの姿を、マリーやアネットに見せられないことだけが残念だよ。だから戦争が終わって、もし儂がおっ死んじまっていたら、じいちゃんはがんばって戦ったんだってこれを読んで思って欲しいのさ。


 オービーヌ屋敷の庭師やってたゴトー老が、面白いことを言い出した。真正面から戦って儂達老いぼれが勝てる見込みはない。土地勘で有利に勝負に出ようじゃねぇかよ、ってな。

 今、敵軍とサン・クールを隔てている城壁『Viaducヴィアディック6 』と『Ave.アヴェニュ326 』には、城壁を改築した際に、防衛のための機能を追加してある。今城壁に詰めている都市の若い兵達は、別の区のやつばかりだし、把握していないだろう。

 口伝で伝えておこうと思った秘密の機能だ。儂達がおっ死んじまったら、誰も知らずにお蔵入りになっちまうから、ここに書いておく。


 Ave.アヴェニュ326 の城壁の秘密通路を開くには、最初にAve.アヴェニュ326沿いの、ブリジットばばぁが管理する風車公園の倉庫へ向かえ。

 汚れた絨毯をめくると地下への入口があるのが分かるはずだ。入口は合い言葉を入れなければ開かないクリプテックスになっているから気をつけろ。

 言わずもがな入れる単語は「Saint-Cœur」だ。2回間違えると、48時間はそこから入れない。間違えたらもう少し離れたクレール水の聖堂へ行くしかない。貴婦人の図書館でも使われている最高レベルの鍵だ。ミスは命取りになる。ここで躓くんじゃねぇぞ。

 入口が開いたらはしごで下りろ。途中で脇に抜ける穴があるが、そこは別の地下道からの合流用の横穴だから無視をして、3番目の横穴に入れ。

 30歩もしないですぐにAve.アヴェニュ326 の城壁下につく。少し広めの空間があるからそこを基地にするといい。儂達はそこを拠点に行動した。


 ここでできることを1つづつ書いておく。

 まずはサン・クールとグラン・フリズのAsperseurアスペルサー(*2)の一斉起動だ。鍵がなくてもここからならまとめて動かせる。

 あっちの地区のアスペルサーの先に何がついているか分からないが、突然足もとでぐるぐる回り出すブラシが出てきたら敵だって動揺するだろう。

 もうひとつは排水孔の開閉だ。敵を排水溝まで追い詰めて、落として流し、壁外へ放り投げる。水との暮らしに慣れちゃいない敵兵だ。吸い込まれて流されて排出されるまでに、息が続かずにおっ死んじまうだろうさ。

 最後にとなりの区へ抜ける地下道と繋がって居る。これでグラン・フリズ側に侵入することもできる。

 

 さっきピッピが巡回で回ってきたぜ。お前達が無事裂け山の避難所にたどり着いたことを伝えてくれたし、サクレクールに儂達の決意を伝えてくれた。

 サクレクールは儂達に何か言ったかと聞いたら

「年寄りドラゴンライダーの自警団を組むなら、ずっと年上の僕がそこに入らないのはおかしい」

 だってよ。

 貴婦人の血ってやつかね。

 寝転がってばかりの、かわいいサクレクールが言ってくれる。

 歳を取って涙腺がゆるくなって仕方ねぇ。お前を守るのは儂らの仕事だってぇのが、てんで分かっちゃいねぇのも、かわいくてしょうがねぇよ。

 戦争が終わったら、大好きなキャンディを虫歯になるまで、毎日食わせてやろう。

 貴婦人とサン・クールに栄光あれ。(*3)


(*1)サン・クール地区で共存していたドラゴン「サクレクール」は親子2代に渡って背丈のあるドラゴンだったため、地区を囲う城壁や水楼閣などは高く改築されていた。

(*2)アスペルサーは平時は城壁都市の広場に設置された掃除・排水の機構で水圧を使って円形に回転する現代でいうスプリンクラー状のシステムになる。

(*3) 記録者の飴屋ミロワール・ヴェールは戦後の記録にも登場しているため、生存していたことが分かる。同地区ドラゴン「サクレクール」も同様である。

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