ドラゴンと暮らす人たち

「図書館」の調査が進むにつれ、城壁都市探求のパイオニアであるマルタンが描き続けていた、ドラゴンと人との関係についてもここで多くのことが明らかになった。


 マルタンは自著の中で、城壁都市ではドラゴンと人間が共存して暮らしていたことを強調していた。世界に残る文化遺跡においては、ドラゴンと共存した都市の存在は他にない。城壁都市壁外の草原の民リール・クールの伝承によると、都市のドラゴンは草食を主とし、モンタンドロー山麓から、都市の市街地にも広く分布していた。都市はあらゆる物事が彼らと密接に関わって成り立っており、互いを尊重し、心を寄せ合って生きていた。彼の想像を超える、人とドラゴンとの友愛の都市であったことが伺われる。


 A.D期を生きる我々にとって最も親しい相手として例えるならば、ドラゴンは鳥と似ている。鳥ですら我々にとっては憧れの存在だ。

 飛び越すことのできない境界を前に翼をはためかせて空を切り裂いていく鳥を見て、翼に憧れを持たぬ人間はいないだろう。鳥と私達の歴史は長い。神と人をつなぐ存在として神話に登場することもあれば、食料とし、地名や苗字にもなり、愛玩・飼育し、伝書鳩など社会的な役割も担ってきた。

 そう考えれば、現代の我々が鳥と寄り添う感覚で、ドラゴンとの関係を想像することは容易だろう。


 ドラゴンと人はわかり合えるのか。言葉を交わすことができたのか。どのような関係であったかを書き記しておこう。


 都市にはいたるところにドラゴンが存在していた。裏通りへ入れば、もうそこには違うドラゴンが住んでいた。常時300匹以上のドラゴンが生息していたようだ。彼らの寿命は200〜400年以上。当時の市民寿命はその1/4から半分以下で、代を交代しながら一匹のドラゴンを家や自治体の単位で世話し、愛した。紋章を持つことを許された市民の7割は、ドラゴンの意匠を選んでいる。


 ドラゴンたちも、礼と友愛を持って接した市民を深く愛した。ドラゴンの持つあらゆる知能や産物を市民が加工流用することを許し寄り添ったことが数々の文献から浮かび上がっている。


 私は城壁都市で人はドラゴンを使役し、食肉する関係であったのだろうとずっと考えていた。B.D400頃の4区の宿泊施設、人魚の館(La Sirene)の女主人マダムの日記をめくると、私のような無礼な考えで城壁都市へ観光に訪れた人々への愚痴が記されている。


「観光客は、都市でドラゴンが見れるだけでなく、食べられるものだと勘違いしている者が多い。なんと野蛮な思考の持ち主だろうか。彼らは親戚であり、父母であり、友を食うというのだろうか。文化の違いとはいえ驚くことが多い」

 

 一方で観光客の曲がった需要に対して都市の飲食・宿泊店は「疑似ドラゴン肉」を提供して観光客の要望に応えた。資料によるとドラゴンチーズを練り込んだ、牛とホッパールという名の鯨偶蹄目の動物の合い挽き肉であったようだ。

 都市ではドラゴンの肉を口にする機会はほぼなく、市民が口にしたのはチーズや体液の類、また薬として精製された角・鱗・皮膚の一部だけだったという。

 一方で文献を跨ぐと、都市に観光に訪れた旅人が「水」に対して謎の所感を記していることが分かる。


「都市にやってきて、豊富な水に誰もが感動した。乾いた喉を潤すために受水鉢から水をすくって飲むと、なにやら外の水とは違った香りを感じた」

「城壁都市の水は清浄であるがフルーツのような香りを感じる」(*1)


 これは、城壁都市の飲料水を水竜が水質管理しているために、ドラゴンの体液・または分泌物が作用してのことではないかと言われている。

 食肉はないが、飲料水を通して、日々ドラゴンの影響を体内に受けていたということだ。毒性はなく、強力な殺菌効果があったことが分かっている。生水を加熱や加工なしで口にすることができた稀なる都市城壁都市は、市民がドラゴンの力を水を通して少しづつ得られる都市でもあったのだ。 


 ドラゴンは病気や寿命で当然死ぬこともある。その場合はどう扱われていたかというと、まず鱗をそれぞれの家に分配した。売って金に換えることは許されていたが、多くの市民は家に飾ったり、モーニングジュエリーにして思い出の一部とした。(*2)悪質な商人の手に渡ることを怖れ、亡骸を灰にして関係者に分ける自治体も多かった。角や骨などの遺骨は多くが自治体で管理されるか4区の博物館へ送られた。


 ではドラゴンが生まれた時は、市民はどう対応したのだろうか。

 出産前のドラゴンは気性が荒くなり、人を寄せ付けないことが多いため、市民は影ながら出産を支援した。(*3)ただ難産や問題のあるドラゴンの出産にはドラゴンマスター(*4)が付き添った。驚くことにドラゴンマスターの死因のトップ3がこのドラゴンの出産立ち会いであったという。子は親や一族と共に暮らした。

 無事生まれたドラゴンの通り名は、自治体がつけた。本名に相当するものについてはまだ詳しく分かっていない。ドラゴンたちに人間が命名するという行いは一切行われなかった。文献に残る名前はすべて、愛称や通り名であることが分かっている。

 意思の疎通が叶ったドラゴンマスターでも、彼らの本名を教わるまでは長い時間を必要としたようだ。


(*1) 行商人エマーユの日誌 、商業都市・宝石鑑定人の日記より

(*2) jyetジェと呼ばれるペンダントや指輪、ブローチにされることが多かった。

(*3)ドラゴンの出産に関する市民側のハウツー本や知恵の共有は自治体ごとにされていたようで、文献として1冊に纏まっているものはまだ確認できていないが、資料の綿密ぶりは異常なほどだ。必ず存在するだろう。今後の「図書館」の解読が期待される。

(*4)事項で詳細を説明する。都市独特の職業でドラゴンと密接な関係を持った市民のことである。

 

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