第15話

 僕が僕の意思で家を出た事を知っていてもらう第三者として選んだのは、今野先生だった。これは海翔の勧めだったが、間違った人選ではないと僕も思った。


 今野先生は僕が「家出してます」と告げると、いつもは鋭い眼を丸くして僕をじっと見つめた。やっと出て来た声が「どうして?」だった。

「母親の再婚相手に暴力を振るわれていて……」

 と、海翔と海翔のお母さんに一度明かしてしまっていたからか、その言葉はすんなりと口を出て行った。

「警察には……?」

 その問いには声で答えられなくて、首を振るしかなかったけれど……。

「どうして? 暴行は犯罪だろう? 警察に訴えれば……」

「ダメです。……だめなんです」

 俯く僕に今野先生は暫く黙って、溜め息を吐いた。


「家出したって、どこで生活しているんだ」

「海翔……、和田くんの家に、お世話になってます」

「和田……、隣の席のか」

「はい」

 うん、と、小さく唸った今野先生の横顔を盗むように見て、小さな後悔を覚えた。

 誰の家かは答えない方が良かったのかも知れない。けど、もう遅い。それに、いい案があるなら教えて欲しかったと言うのもあっての発言だったからだ。


 海翔とは離れたくないけれど、離れたかった。

 僕の中にある、この恋情が海翔の目に晒されるよりも前に。


「それを担任ではなく私に話したのは?」

「……警察沙汰にしたくないからです。母さんを、困らせたくない……」

 自分で言って置きながら、だけど、答えになってない気がする。でも、なんて言っていいか判らなかった。担任の先生がどんな人なのかを僕は知らなかった。けど、それは今野先生に対してでも言えて、理由にはならない。海翔が信頼しているから、では余計な疑いをかけられるかも知れない。それに「海翔が信頼しているから」は絶対的な理由ではなかった。


 抽象的になるが、空気が担任よりも今野先生を選ばせた。と、思う。


 今野先生は溜め息を吐き、椅子をぎしっと鳴らせた。

「よくはわからないが、分かった。……俺は何をすればいい?」

 一人称が変わった。教師としてではなく、一人の大人として、僕と向き合ってくれるのかも知れない。そう思ったら「先生を選んで正解だった」と思った。


「母さんが行方不明の届けを出して、海翔……、和田くんのお母さんが逮捕されそうになったら助けてください。それで、暴行の痕を「海翔の所為だ」とか義父が勝手な事を言った時も助けて欲しいんです」

「それはまた……。まあ努力はするよ」

「お願いします」

 僕は今野先生に頭を下げた。けど、その頭は「今野先生の出番はない」と気づいていた。だって、義父に暴行されている僕を見ていただけの母が、家からいなくなった僕を探そうとしてくれるなんて無いに等しいと判っていたからだ。ただ僕がそれを認めたくないだけで……。

 今野先生も解っていると思う。でなければ「努力する」なんて曖昧な応え方はしないと思う。


「他には?」

「……バイト、したいんです。治療代を肩代わりしてもらってしまったので……」

「ん。それは自分でやってくれ。バイト禁止してる訳じゃないからな」

 前の――たった一か月と数週間しか行っていない高校は禁止だったのだけど……。この学校は色々と緩いのかもしれない。とは、勿論口には出せない。


 この話しをする為に今野先生に連れて来てもらった進路相談室を二人で出ていき、先生は職員室、僕は教室へと向かった。


 教室では海翔が僕を待っていてくれた。

 本を読んでいるその姿は顔立ちの為か、すごく絵になっていた。「恋はなんたら」かも知れないが、あれは相手の事がよく見えて無い時に使う言葉だった筈だ。じゃあ綺麗に見えるのは? でも、同じような事だと言うのは確かだった。


 僕は気付かれないように暫く海翔を眺めていた。

 体は……、熱くはならない。


 でも、ダメだった。



 この人を独り占めしたい……



 そう、強く思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る