第14話

 体に妙な圧迫を感じた僕は睡魔の所為で重たい目をそっと開いた。

「かいと……?」

 僕の声に海翔は柔らかい微笑みを浮かべて首を傾ぐ。その様は思わずドキリとするほど色っぽく、僕の顔はぼっと火を噴いたように熱くなった。


 海翔の顔は作り物みたいに左右相称に整っていて、でも、そこに人形のような冷たさは一つとしてなかった。まるで体温をそのまま形にしたかのような温かい柔らかさがあって、笑うとそれが強調される。つい、触れたくなるような柔らかさだ。


 僕が例の噂を聞いても海翔に偏見を持たず、噂など知らないフリで傍にいられた理由の一つが、この綺麗な顔を近くで見ていたかったからだった。


 だけど、こう迫られたら話しは違って来る。

 いや、でも、勘違いかもしれない。そう自分に言い聞かせて海翔へと視線を戻してみたが、この状況はつまり「そうゆうこと」で間違いない。

「海翔っ」

「ん?」

 悪戯っぽく笑う海翔の顔が、ゾクゾクッと背中に微弱な電気を流す。

 知らない感覚が脳をゆっくりと侵食するようで堪らなく怖い。思わずギュッと強く目を閉じる僕に、海翔の体温が近くなった。


 ダメだと思うのに、声が出ない。体が動かない。頭の中だけが「どうしよう」で五月蠅い。が、そっと頬に何かが触れた瞬間、僕は我に返った。


 ……と、言うか、目を覚ました。


 僕に覆い被さっていた筈の海翔の姿はそこにはなかった。頬に触れていたのは、睡眠の為にいつもよりも温かくなっていた僕自身の手だった。体の圧迫は……、コルセットだろう。

「なんて夢を……」

 声にするな、と言う方が無理な位、その声は勝手に出て行った。続く溜め息も、だ。


 例の噂を聞いた時、偏見を抱かなかったもう一つの理由が、僕自身の幼稚さだった。

 僕は恋愛感情という物に疎かったのだ。恋人同士の「好き」は友情の延長線上の事だと思っていたし、それが同性間でとなると尚更だった。母が義父としている事は恋愛云々だと思っていなかったし、と言うか思いたくなかった。の、だが……。

 こうして自分の身に降り掛かって漸く、自分の甘さ・幼稚さに気付いた。気付いてしまった。


 これは……、キツイなぁ。……なんてお得意の他人事みたいに思いたいけど、無理なようだった。何がって……、言わせないで?


「あーあ……」

 海翔は例の噂を否定した。と言う事は、これは片思いになるのだろう。それもしてはいけない、抱いてはいけない感情だと思う。だって、相手は恩人だ。これから先、暫くはお世話になる相手だ。

「感謝を恋情と思い込んでる……」

 なら、どんなに良い事か。だけどそれは無い。他人事に出来ない理由が、同時にそれをも否定しているからだ。


 僕は目が焼けるような気がして、右腕で目元を覆い隠した。喉も焼けて肺が熱くなったが、それはどうしようもなかった。


 ずっと、僕は恋愛が出来ない人間なんだと思っていた。それは少し寂しい気もしたけど、母を見ていると、それでいいのだと思えてならなかったし、僕は僕を「無性愛者」と決め付けていた。

 それがこうして否定され、その相手が他者の痛みに共感して苦しむような優しい人だった。そのこと自体は――義父のような冷たい人間ではなく優しい人を好きになれた事は幸せだと思うけど、一方で酷い罪悪感がある。


 純粋な優しさに、こんな歪な愛を向けるなんて……。


「恩を仇で。って……?」

 その声は涙で震えて殆ど声になっていなかった。が、声を聞いたかのように動く気配に、僕の心臓は止まるんじゃないかって位大きく跳ねた。

「……真史?」

 眠たげな、睡魔に負けているような海翔の声がして、僕の心臓は停止の危機を一転させてバクバクと五月蠅い。


「どこか痛むのか?」

 あぁ、その問いが痛いよ……。なんて答えられる筈もない。

 僕は目元を覆う腕をそのままに首を横に振った。僕の手に海翔の手が触れて、消毒液みたいに沁みる。その手を僕は振り払う事が出来なかった。

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