後編(真史視点)

第11話

 僕は血の繋がった父親の顔を知らずに育った。どうして父親がいないのか、小さい頃に母に訊いた事もあったが、答えはそのたびに違い、本当の所はどうなのか僕はまるで知らない。

 写真すら残していないのは、思い出したくない程険悪な関係だったのか、思い出すと堪えられない位愛していたからなのか、それすらも知らないのだ。


 僕にとって「お父さん」は、未知の存在だ。

 だから「義父おとうさん」という存在を欲しいと思った事は無いし、これからも無い。そう言い切れてしまうのは、母が連れて来る男にまともな人が殆どいなかったからだ。



 僕の記憶にある初めての「義父さん」は、子供との関わり方を知らない人だった。正確には「義父」ですら無いその人は母の恋人で、僕と初めてあった日に、僕に「いつかは義父さんと呼んで欲しい」と言ったが、それ以来僕の前に現れる事は無かった。

 次の「義父さん」候補も、その次の「義父さん」候補も、母と長く続く事は無く、僕と一度か二度会うだけで以降は影すら見えなくなった。


 母に男を見る目が無いのか、母が嫌になって別れたのかは知れないが、僕は他人よりもわが子を傍に置いてくれる母が大好きだった。母と子一人の親子だ。僕は母を守る事の出来る大人になろうと決めていた。が――。



 その人もまた母が連れて来た人だった。その時僕は中学一年生だった。

 初めての顔合わせはいつものように自宅で行われた。が、僕はその時、今までの男達が良い人――少なくとも悪い人では無い事を知った。


 「並木さん」と母が呼ぶその男は、僕が名前を言おうとした瞬間、コップの中の水を僕の頭に掛けた。驚いて小さく悲鳴を上げた母に並木さんは「俺、ガキ嫌いなんだよ」と言い放ち、僕に謝る事は無かった。

 そんな事もあって僕は初めて男に対する意見を母にぶつけた。意見では無い、哀願だった。

「あの人だけはやめてほしい」

 けど、その願いが聞き入れられる事は無かった。


 母は並木さんと結婚したいと言った。嫌なら出ていけ、と。


 並木さんの何が良いのか、僕には解らない。

 稼ぎが良い訳でも、顔が良い訳でもない。おまけに僕を視界に入れようとはせず、母に「捨ててこい」と物のように言う男だ。


 だが、母は僕より男を選んだ。


 冬の夜に外に放り出され、酷い風邪を引いた事もある。母がいない時には殴られ、蹴られもした。


 そして、高校入学の一ヶ月後に並木さんは突然、母と結婚すると言い出し、ゴールデンウィーク開けに並木さんは「義父さん」になった。そのすぐ後に「仕事がどうの」と言う話しになり、僕は転校を余儀よぎなくされた。

 本当は「義父さん」と離れたかった。けど、そんな金はどこにも無く、ついて行かざるを得なかったのだ。

 母の身を案じる心も僕について行くと言う選択をさせた。

 僕が一人暴力に耐えさえすれば、母を守る事が出来ると思ったのだ。



 けれど、もう判らない。

 僕は自分の身を呈してまで母を守りたいのだろうか? いや、守りたいと思っていなくてはならない。だって、たった一人の母親だ。おなかを痛めて産んでくれた母親だ。

 例え、例え……、僕が暴行されている姿を見て薄ら笑っているような人だとしても。あの人は僕の母親なのだから。ああして薄ら笑うのも母が自らの身を守る為にしているだけで、心では泣いているのだ。母も辛いと思ってくれている。そう信じるしかなかった。


 けれど、もう判らないんだ。

 昼夜を問わず一枚の壁を隔てて聞こえて来る高い声が、母の物である筈のあの高い声が気持ち悪い。続く男の声も気味が悪い。

 アレが始まった時は冬だろうが夏だろうが外に逃げるしか無い。音と気温なら、気温の方がずっとマシ、堪える事が出来た。

 夏が近づく今、過ごしやすいよりは既に暑くなっていたその日も、僕は外に逃げた。じんわりと汗をかく気温に、しかし何故か体は細かく震えて止まらない。

 嫌悪が僕の体に氷をねじ込むように、体の震えは止まりそうに無かった。




「真史?」

 聞き覚えのある声が震える体を一瞬だけ正常に戻し、僕は声の主を見て固まってしまった。けれど、心では自分でも驚く位に安堵していたのだ。だって彼は、この地に来て初めて出来た友達だったのだから。

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