第10話

「あ……」

 と、短音を発した真史は泣きそうな顔をしてその場にしゃがみ込んだ。それだけである程度の傷は隠れたが、代わりに背中に掛けて広がっているのだろう肩の痣を晒している。


 俺の体内は酷い有様だった。腹の底で血がたぎり熱を持って昇ると、頭の中で滞留して更に熱を増し、そのくせ全身を焼く。そして体は熱の所為で震えた。

「誰に……」

 勝手に出て行く声は自分でも訊いた事の無いほど低い物だった。が、それに驚く余裕もない。俺は体が動くままに真史の傍へと脚を運んでいた。真史はしゃがみ込んだまま俺を見上げていて、その顔はみるみる内に白さを増している。


「誰にやられたッ!」


 叫ぶ俺に真史はビクッと硬直して、蒼白のまま俺を凝視する。その目は恐怖に揺れていて、そこには俺では無い誰かが映っているようだった。


 俺では無い誰か――恐らくは真史を傷つけた相手。


 そう思ったら、ムカつくやら悲しいやら、で、堪らなくなり、気付いた時には俺は真史を抱き締めていた。

「痛、い……」

 と、真史が震える声で訴えるのが聞こえ「離してやらなきゃ」と頭では思ったが、駄目だった。離れられない。傷ついているのは自分の体ではないにも拘らず、全身が痛くて、内臓も痛くて、呼吸すら痛かった。


「誰にやられたんだ……?」

 それしか言えない俺は、それでも痛い呼吸で無理に声を出していた。そうでもしないと肺が痛すぎて堪えられなかった。


 真史の体は骨と皮だけみたいに細くて、簡単に折れてしまいそうだった。その上少し冷たくて、ガタガタと震えている。が、痛む為に震える俺の声に解かされるかのように、真史の震えは治まって行くようだった。

「……大丈夫。見た目ほどは痛くないから」

 そんな声が耳の後ろから聞こえてきた。が、その言葉を鵜呑みに出来るような見た目では無い。


 俺は真史の体をそっと離し、しかし肩を掴んだままで逃がしはせず、じっと真史の目を覗きこんだ。オレンジがかって見えるブラウンの虹彩が俺を映して、時々瞬まばたきをする。が、そうしている内に真史の目は涙を滲ませて潤んだ。それはまた、俺の呼吸を痛くして、堪らなくなった俺は真史をギュッと抱き締めた。

「俺が守るから」

 俺のその一言に、真史は慟哭どうこくした。




 未使用の新品Tシャツは真史には少し大きいようだった。が、そんな小さな発見などどうでもいい。


 俺と母とで真史を両脇から挟み、痣についての審問が始まった。と言っても、真史に惚れている俺と、基本抜けている母だ。厳しく問い質す事など出来なかった。そもそも真史は被害者であって厳しくされるわれはない。が、加害者に対する怒りが勝って、真史の記憶の中の加害者に厳しくなる所為で、結果として「優しさ一辺倒の態度で」という訳にもいかなかったのだ。


 真史がやっとの事で答えたのは、体の痣や傷は母親の再婚相手による暴行の痕だと言う事だった。こんな簡単にまとめられる事を、真史はなかなか口に出来なかった。何故か、は、暴力など受けた事の無い俺には解らない。


 が、これだけは言える。


 安らぎの無い自宅に真史を帰すわけにはいかない。


 俺のこの思いと母の考えている事は同じだったらしい。

「真史くんは和田家の子になりなさい」

 珍しく語尾がしっかりとしていた母の声に俺は内心驚いたが、そんな事はおくびにも出さずに強く頷いて真史の手を取った。


「……だけど」

 と、渋る真史は、それでも俺の手を振り払おうとはせず、それどころか握り返して震えていた。

「真史……、逃げるのも時には必要だよ」

「暴力からは逃げていいの。時には、も、何も無いわ」

 と、いつもより厳しい口調で言った母は真史の背中をさすった。途端に真史の手はきゅっと力が入り、俺の手を強く握る。そして力の掛かり具合とは無関係に細かく震え始める。


 真史は俯き、強く目をつぶると、吸気をも震わせた。


「……よろしく、お願いします」

 小さく出て行ったその一言は、吸気と同じく涙で震えていた。

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