第6話

 白く浮き立って見えた真史の顔は、どちらかと言うと蒼白で、暑い夜にも関わらず細い体を細かく震わせていた。それが目に入るなり、俺の思考は飛び、ただただ嫌な予感だけをぐるぐると回し始めたのだ。


 真史をここに置いて行ってはいけない。


 そんな直感が俺を動かし、俺は直感の働くままに真史の手を取った。

折角せっかく会えたんだから、家に来てよ」

 と、意味の解らない理屈を並べて、真史を夜の闇の中へと連れ去った。真史は何故か抵抗せず、それどころか、いや、これは聞き違いかもしれないが「ありがとう」と呟いた気がした。


 俺の家は相変わらず暗かった。夕食を終えて帰って来た時、電気が付いている事は殆ど無く、偶にあった時でも俺が消し忘れているだけだった。

真史は俺の家のそんな状況に何の質問も無く、離して良い俺の手を何故だかいつまでも握っていた。

「真史……?」

 そう呼び掛けてやっと、繋いだままだった事に気付いた位だった。


「何か、あったんだろ?」

 俺は問いながらも、帰宅後は必ずすぐに脱ぐ靴下をいつも通りに脱いでいた。それを洗濯機に放り込み、すぐ隣の洗面台で手を洗う。その間真史はただ突っ立っていて、目線だけをオロオロと泳がせていた。その姿は俺を不安にさせたが、不安と不安を掛け合わせて大きくしないようにと、普段通りを徹底する。ガラガラとうがいをし、洗面所を空けると真史の肩を軽くぽんと叩いた。


「とりあえず、手洗いうがい、な」

 俺はそれだけ言って、真史を洗面所に放置してキッチンに向かった。小さい俺の家ではキッチンに居ても洗面台の状況が分かる。だから素直に手洗いとうがいをしている真史の横顔をチラリと見る事が出来た。


 冷蔵庫に入っていたペットボトルの清涼飲料水とコップ二つを持って居間(食事所も何なら寝室だって兼ねている洋室)に向かう俺の後に付いて、真史は布をいだ炬燵こたつの傍まで来た。


「ここ座って。テレビ点けようか?」

 と、俺はテレビの真正面になる位置に真史の為のコップを置き、俺用のコップはすぐに立っておもてなしが出来るようにと扉の近くになるように置いた。そのついで、と、テレビのリモコンを近くに引き寄せながら座ると、真史は俺の行動を追うように漸く腰を下ろした。


「何か面白いのやってっかなぁ」

 なんて呟いてみたが、心の中は真史が何も話さない事で酷く焦っていた。テレビが画面の色に合わせてチカチカと光るが、音も色も入って来ないのと同じ位、俺の感覚は鈍くなっていた。


「テレビ、消して……」

 と、真史が小さく言った時、俺の耳は異様な位真史の声だけをハッキリと俺に聞かせた。が、すぐには行動できず手は凍ったように動かなかった。そんな俺の手に真史の手がちょんと触れる。

「音小さくするだけでも良いから……」

「あ、うん。わかった」

 俺は左に真史の視線を感じながら、テレビの音量を一ケタ台に落とした。真史の溜め息が酷く大きく聞こえた。


「あの……、ありがと。海翔」

 真史は溜め息を打ち消すようにそっと言った。いや、あの溜め息はこれを言う為の準備だったのかも知れない。真史の横顔は緊張を帯びて少し硬かった。

「テレビの音量くらいで大げさな」

 なんて俺はつい茶化してしまったが、違う事は痛い位に解っていた。何故痛いのかは解らなかったが――。


「うん。……や、そうじゃなくて。……ありがとう」

 と、真史は俯いた。細かく震えている肩が、真史が泣いている、と、俺に知らせた。


 俺はその肩に触れようか触れまいかと迷い、結局触れずに、それでも何かしていないと浮ついてしまう手を働かせる為にペットボトルに手を伸ばした。こぽこぽと注がれる音が少し間抜けで、この場の空気をさらに冷やしていくようだったが、何となく止まってはいけないと俺は思っていた。けれど、コップ二つに飲み物を注ぐ、なんて終わりがある物だ。すぐにまた俺の手は所在を無くした。


「……海翔。家の人は?」

 と、真史もどうしていいか判らなかったのだろう。無理に話し出した為に声が少し震えていた。

「朝まで帰って来ないと思う」

 そう答えながら俺の脳は次の言葉に支配されていた。

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