第4話

 あの日から俺達のまだまだ低い、公園の砂場の山位にしか築けていなかった友情は風に吹かれて更地に戻りかけていた。かろうじて小さく残ったのは俺が真史を名前で呼ぶ事と、相変わらず「並木」に慣れない真史を俺がサポートしている事だけだった。


 真史が何故自分の苗字に不慣れな様子なのか、問うタイミングを俺は逃してしまっていて理由は知れない。が、予想は付く。そして、それはあまり良い想像では無かった。しかし実際は、やはり知らない。でも、本当の所を訊きたいと言う欲求を抑えるだけの力を俺の想像は持っていた。


「和田くん。ちょっと良い?」

 俺は真史の為に遣っていた脳を現実に戻されて、少しムッとしながらも声の方へと目をやった。同じクラスの女子だった。

「これ、隣のクラスの子から」

 と、言いながら机の上に差し出されたのは一通の封書だった。

「何?」

「ほら、あの子だよ」

 言われるままに扉へと目をやって、俺は見た事があるような、無いような、可愛らしい女子が扉の向こうから顔を覗かせているのを確認した。

「私の友達なの。じゃあ、それだけだから」

 そう言い残し彼女は友達の元へと行ってしまった。


 しかし、最後の言葉は何だったのだろう。妙な刺があった気がした。そう思いながら俺は机の上の封書を暫く眺めていたが、ふと視線を感じてその方へと顔を上げた。が、誰の眼だったのか、見つける事は出来なかった。ただ、俺の視線に反応するようにさっきの女子が俺を見て、少し目を鋭くした気がしたが――。


 手紙の内容は恐らくラブレターだろう。今までもそうだったが、好意と言う物は単純に嬉しい物だ。が、後を追うようにして「知らない人からの好意」と言う物が頭の中で大きくなる。それは重くて、冷たい。

「応えられないな」

 と、俺はぽつりと声を零していた。


海翔カイト?」

 俺を呼ぶ声を追って、凛の耳の中で何か鳴った。ハッとして真史を見ると、そこには【マッチ売りの少女】を想起させる顔を右に傾げている真史がいた。

「教科書は? 授業始まるよ?」

 目を合わせて話す、たったそれだけの些細な事が俺の内側を焼いた。あの日から目が合わなくなっていた所為だろう。が、それだけでは無い気もする。


 俺は咄嗟に、淡いピンクの封書を手で隠した。が、真史の発言からして机の上の状態は知られてしまっている。

「これは、あのっ……」

 何か言い訳を! と、頭の中の忙しさが声の調子に出てしまってどうしようもない。

 そんな俺に真史は不思議そうに首を捻っただけで顔を黒板へと戻してしまった。


 途端に俺の体は氷漬けにされたように冷たくなった。ただ真史の視界から外されてしまっただけだ。それだけが、すごく、痛かった。この痛みを、俺は多分、知っている。


 授業中も俺は自分の内側と闘っていた。そうしていないと泣き出してしまいそうだったのだ。幸い俺が当てられる事は無く、真史が当てられて教えてやると言う場面にもならなかった。代わりに俺は感覚の為に思い出した昔の痛みとも闘う羽目になったのだが――。


「海翔。授業聞いて無かったでしょ。僕のノート、写す?」

「あ、ああ。……ありがとう」

 真史が久しぶりに声を掛けてくれている。そう思うのに――そう思うから? 上手く返せない。と、真史の溜め息が聞こえて俺は顔を上げた。


「ごめん。海翔。僕の所為だよね。僕があんな事言ったから……」

「違う。違うよ? 噂が気になるのは仕方ない事だと思う。だって、真史とばっか話してたから起こった噂なんだし……」


「……あのね、海翔。……その、ラブレター? なんて返事する心算なの?」

 真史の白い顔が、赤くなっている。

 俺は、俺だけが時間を止められてしまったように動けなくなった。


 真史が、赤くなっている。


 これは何だと言うのだろう。いや、いやいやいやいや! 何でもない事の筈だ! 心臓五月蝿うるさいっ!


「や、中見て無いから分かんないけど。そうだったら断るよ」

 と、答えた俺に、顔を俯かせたままの真史はほっとした。――気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る