第3話

 真史が転校してきて一週間、判った事がある。真史は「並木」と呼ばれる事に慣れていない。その為、俺は真史が教員に呼ばれる度に教えてやった。そこで一々肩を叩くのも面倒だからと勝手に名前を呼び始めたが、真史は何も言わずにそれを受け入れた。


 それがきっかけで、俺達は運命付けられていたかのように仲良くなり、昼食を共にし、放課後は暫く二人で教室に残って時間を潰していた。


 真史は女子に人気があり、男子の気も惹き付ける甘さもあった。が、俺とばかりいる為に他に友達が出来る気配は無かった。


 俺が嫌われ者かどうかは、俺には判断できない事だろう。一応必要な情報は回って来るし、移動教室の前だと言うのに教室でぼうっとしていると声を掛けてくれるクラスメートも数人いる。しかし、中学時代から一人を好んでいる俺のテリトリーに入って来ようとする者は無く、結果として俺は一匹狼だった。


 そんな一人の気楽さを愛する俺が初めて隣に置いたのが、真史と言う中性的な容姿の同性だった事は周囲に困惑を与えたらしかった。

 らぬ噂が立ち、「お前、そっちだったの」と訊いて来る奴まで居た。が、そう言われて不思議と嫌悪が無かったのは、多分無関心だから。……では無いのだろう。


 俺は初めから真史を他の誰かとは違う目で見ていた。それを否定する心算つもりは無い。が、「そっち」なのか? と問われれば、解らないと言うのが正直な所だった。

 俺は真史を見ていると「守らなくては」と思う。それ以上も、それ以下も、恐らく無い。

 真史が俺をどう見ているのか、も、あまり気にならなかった。


 俺が真史に対する自分の感情を正確に言い表せないのは、俺の中に何かが足りていないからだと思う。その欠如感はいつの間にか俺の中に入り込んで来て、俺を支配している物だ。

 いつの間にか? ――いや、いつかは解っている。気付いていないフリをしたいだけ、と言う事にも――。


 真史は俺と向かい合って話している時、ごくまれに遠い目をする事があった。その目は異様な位に綺麗で、ブラウンの虹彩が無防備にされている様子は、眼球を宝石のように愛でる文化があったなら真史の眼球は国宝級の値が付くと想像してしまう程だった。だから俺は真史が遠い目をした時は何も言わずに、真史が現在へと目を戻すまでじっと待っている事が多かった。ただ時々、子供の悪戯いたずらのように小声で「真史」と呼んでみる事もあった。そんな時真史はふわふわと浮いているような目を流して俺をとらえ、ハッとするのだった。


「あ、ごめん。何だっけ?」

「いや、そろそろ帰ろうかって、それだけ」

 と、真史を視界の中に入れたまま立ち上がった俺は、始めて、それもふと、「あれ?」と思った。

「うん。帰ろうか」

 真史の声はいつものように涼やかな硝子の声だった。だけど、顔色がいつもより白を増して、その上青を差しているようにすら見えた気がしたのだ。


「真史? 具合悪い?」

「え? 大丈夫だよ?」

 そう答えながら顔を逸らしたのは、言葉で安心させようとしている割には初歩的なミスに違いなかった。しかし真史は自分のミスに気付いていないのか、無かった事として扱う事で有耶無耶うやむやにする心算か、さっさと教室を出て行こうとする。


「真史、待って」

 俺は最初から言葉で止める心算など無く、真史の腕を捕まえながら言った。

「俺、ずっと思ってたんだけど……」

「ごめんっ!」

 俺は真史に突然謝られて言葉を詰まらせてしまった。


「僕、あれだから……」


 は? あれ? と、頭の中では簡単に言えた言葉は声になってはいなかった。


 真史の腕が小刻みに震えている。確か声も震えていた。そう気付くなり、俺の頭の中は猛速に働きだし「あれ」の意味を割り出そうとし始めた。

「あ、あの噂? あれはただの噂で、俺は別に男を好きな訳じゃないから。安心して」

 とは言った物の、がっちりと腕を掴んだままでは疑いは晴れないだろうと、俺は真史の腕を放した。真史はそこに突っ立ったまま俯いて「うん……」と言った。気がした。


「あ、違う? えっとアレって何だろう? ごめん、分かんないな……」

「違わない、よ……。僕の方こそ、ごめん。噂なんか鵜呑みにして……」

 真史はそう言った。が、俺は真史が嘘を吐いている事を直感していた。

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