第2話

 休み時間になり転校生――並木 真史まおの周りにはクラスメートが集まっていた。そのほとんどが女子で、この顔ではそれも仕方無いと思う。


 高い女子の声に中に、あの涼やかな声が小さく混じる。俺は空を眺めながらその小さな声を追って目を閉じていた。

 男のそれとは違う(と思いたくなる)硝子ガラスのような響き。女のそれとは明らかに違う涼やかな音。久しぶりに開け放たれた窓から入って来る風に、真史の声は優しく溶けていた。


「和田くん。ねぇ和田くんっ」

 風の音と真史の声とが女子の声にき消される。そこに言葉なんて高尚な物は付いていなかった。が、俺は不快さに目を開き、声の方をにらんでようやく、自分が呼ばれていた事に気付いた。


「なに?」

「並木くんに教科書見せてあげてって言ったの。お願いね」

「あ、ああ。わかった」

 そんな事言われなくても前の授業でそうしていた、とは言う気にならず、俺は簡単に答えてまた窓の外へと目を投げた。耳が「もうっ」と言う女子の声を拾ったが、真史の「ありがとう」の方が俺の中にすんなりと入って来るようだった。


 授業の間、俺は時々視線を感じて、その方向へと目をやって見た。俺の目が向く度、視線の主は目を逸らし、そのお陰で心の中が読めるようだった。彼女は恐らく真史に一目惚れしてしまっただろう。この顔だ、仕方ない。そう思ってチラっと真史の横顔を見た俺まで、ぼうっとしてしまった。


 真史の肌はパっと見た時に思った通り、白く透き通って見える。それは黒板に向けられて真剣な目の白い眼球も然りで、汚れを知らない子供の目のように思えた。唇は血の色そのままに赤く、柔く閉じられたそれは時々強く閉じられて口角をやや上げた。その様子はいつか見たようで懐かしく、そして、幼げだった。


「えっと、並木。この問題を」

 数学教師・今野こんのの声に俺はハッとして我に返った。が、それでもしばらく真史を見ていた。

 今野は前日休みだった生徒をえて指定して問題を解かせるような所がある男だった。それはどうやら転校生にも有効だったらしい。


 これは俺の予想だが、恐らく今野はそうやって生徒一人一人を自分の目で確認している。呼ばれた休み明けの生徒が立ってすぐに別の生徒を指定する事もあったからだ。その時今野は「体調が良くないようだから」と言っていた気がする。そして今回はただ「並木とは誰か」を確認する為だろう。


 そんな事を俺は真史の横顔を見たまま考えていたのだが、真史はその間も立つ気配も返事をする気配すらも見せずに居た。

「並木? 並木 真史?」

 今野が教室中を見回す。少しきつく見える今野の目が、二カ月経たない教室の中で一人の見覚えの無い顔を探していた。その様子に真史はハッとして立ち上がった。

「すみません……」

 真史の硝子の声が微かに震えてぽつりと言葉を発したが、聞こえたのは多分俺だけだった。


「体調悪いのか?」

「いえ、大丈夫です」

 そう答えて真史の柔らかな頬が硬い笑みを作った。その様子はどこか冷たく、俺は【マッチ売りの少女】を想起していた。それも、最後の場面間近の、だ。しかし真史は黒板の前までしっかりとした脚で向かい、滑らかで小気味良いリズムで答えを黒板に書き残すと今野の「正解だ」を貰って帰って来た。教室の何処かから女子の声で「すごい」と聞こえてきたが、真史は照れたように頬を赤くしただけで声の方に目をやりはしなかった。


「……大丈夫か?」

 と、俺は真史が着席するなり小声で訊いた。

「え?」

「や、体調。ほんとに大丈夫か?」

「あ、うん。大丈夫」

 答えて笑う真史の表情は、やっぱり何処どこか硬かった。

「無理すんな。つらかったら俺に言えよ」

 今野はな、そう言いかけて俺は黙った。例の【マッチ売りの少女】を想起させる微笑を長く見ていられなかったからだった。


「ありがとう」

 真史の小さな声が鼓膜を震わせて、右耳のそこだけが微弱な熱を持った気がした。今野のきつい目は視力が悪いだけなんだと後で教えてやらなくては、と思う。が、鼓膜のじんわりとした温かさが「後で」は永久に遠ざけられる、と、俺に予感させていた。

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