第2話 prologue2
ガラガラと似つかわしくない音を立てて、地獄の門が開かれた。
地獄の門と大袈裟に表現してみたけど、深夜営業している普通のラーメン屋さんの引き戸です。現在進行形で、皇帝陛下の捜索活動は継続中。ここに皇帝陛下がいるのなら、宿舎から叩き起こされた近衛師団の将兵達に土下座しろ。私に対しても土下座しろ。そして、私は長期休暇を要求してやる!
私達の来店に気づいたのであろう、エルフの店員が私達の人数を聞いてくる。
「いらっしゃいませー。お客様は三名様ですかー?」
「……いいえ、待ち合わせをしているのですが」
はい、嘘です。皇帝陛下に奢りを強要しに来た腹ペコ竜王2人と、色々と厄介なことが起こりすぎて、心身ともに燃え尽きそうになっている扶桑皇国の宰相です。私達は諸悪の根源である皇帝陛下を探します。
すぐに皇帝陛下を見つけることが出来ました。
眠たそうにグルグルと頭を揺らし続けているプラチナブロンド(白髪と指摘すると怒るので、白銀色で)の少女と、不完全燃焼している機関車のように煙草の煙を延々と吐き出し続けている髪の短い男性。
皇帝陛下は眼鏡を付けていますが、完全に伊達眼鏡です。
どこかの可愛すぎる妹が、『けーちゃんは眼鏡したほうが絶対格好いいよ!!』と言った結果、視力1.5もあるのに眼鏡着用です。一度でもいいので死んでください、この鬼畜眼鏡。日々、文字数が異様に多い報告書を大量に目を通しすぎて、視力が落ちてしまった私よりも視力が良いのに。ごらぁ。
「主様~?彼方に忠誠と献身を誓っている可愛い水竜王が、ワンタン麺と蟹炒飯を奢られに来ましたっすよ~。具のトッピングも、じゃんじゃん追加していいっすよね?」
「主様も人が悪いですね。リリア姉様だけを護衛に選んで、夜に2人だけで外出するなんて」
「………………陛下のばかぁ」
はい、最後の小声が私です。
皇帝陛下に殺されたくないので、ボソッと小声で言いました。
皇帝陛下は完全無欠の鬼畜ですから、私は何度も物理的・精神的に殺されたことがあります。……物理的な死は別にいいのです。痛みを感じる暇もなく、あっさりと死ねますから。それに比べて、精神的な死はいまだに耐えられないのです。泣き叫びながら、三角木馬に乗せられて……げふんげふん。なんでもありません、きっと気のせいです。
「すみません。ワンタン麺と蟹炒飯。それとトッピングで、味玉と海苔で!!ソフィア姉さん、主様の奢りだから、お小遣い関係なしでトッピングし放題っすね!!」
「私は野菜坦坦麺と餃子一人前を。……それと焼売もお願いしますね。スフィア、それは違います。心優しい主様が、私達に是非とも食事を奢らせて欲しいと思っていらっしゃるです」
フリーダムです、フリーダムすぎます。なんでしょう?その言葉の端々から感じる、この軽さはいったい?宰相である私が知らないだけで、皇帝陛下も竜王も勝手に外出をしている?そんな疑念が尽きません。
「私も御相伴に預かってもよろしいでしょうか?皇帝陛下」
自己嫌悪をしたくなるほどの、嫌味たっぷりの言い方です。
目の前の席に座りながら、ご自分の注文を待っている皇帝陛下のせいで、現在の帝都中心部が重大な核兵器紛失事故並みのブロークン・アロー状態。今も皇帝陛下の身柄が発見されいないため、追加された機動歩兵師団が次々と帝都中心部に緊急展開中。民衆の安眠妨害どころか、皇国陸軍の反乱を疑われてもいいレベルの騒ぎになっている。
嫌味ぐらい言わせてよ、この馬鹿皇帝。
そういえば、今日の日付は2月26日でしたね。このまま、クーデターを起こしたい気分になります。うふふふふっ。
「同席するのは別に構わないが……。この店で、なにか注文できるのか?」
「私はお冷だけで十分です。私の身体は動物性蛋白質を受け付けませんので」
私の身体は肉類も魚介類も一切受け付けない。
私は自ら望んで菜食主義者になったわけではない。目の前にいる存在によって、野菜しか食べられない身体に変えられてしまった。実際にはこの店に入ってから、ずっと吐き気が止まらないのだ。
「肉も魚も美味いのにな……」
「生きたまま人間が串刺しになったりする姿を……陛下に何度も見せられたので」
「それは難儀なこった」
「お米と麦だけの御粥も野菜だけのスープも、美味しいものですよ」
「付け麺を注文されたお客様は、どちらの方でしょうか?トッピングは叉焼と刻みネギでよろしかったですか?高菜御飯のほうは、もう少しお待ちください」
………この場の空気を少しだけでも読んで欲しかった。このフリーターっぽい、雰囲気がチャラそうなエルフ店員め。宰相権限を最大に使って、訓練が一番厳しい統合陸戦隊のレンジャー部隊に強制入隊させたくなる。ちっ、真剣な空気が見事に弛緩してしまっているではないか。職権乱用?知りませんよ、そんな単語。
コトンと静かに置かれた付け麺に、私は思わず目を背けたくなった。付け麺の上に5枚程の大きい叉焼が載っていたのだ。輪切りにされた人体の太ももを連想することができる豚肉……私が一番嫌いな肉。
「相変わらず、肉嫌いなのか?」
「これでも昔は、陛下がお作りになってくれた肉料理が大好物だったんですよ?」
私は感情の赴くままに微笑む。
それは懐かしい記憶だった。
皇帝陛下の横で、すやすやとお眠りなっておられる光竜王シュアニーヴェ様――リリアと焼肉の最後に残った肉を争ったり。今はご自分のお屋敷で、お休みなられている闇竜王べルラァーファ様――アリアと陛下に対する陰湿な嫌がらせを相談し合ったり。
私達とは違い、カウンター席に座っておられる火竜王エデルフィア様――ソフィアと肩を並べて、一緒に料理を作ったり。同じく、カウンター席に座っておられる水竜王アデルフィス様――スフィアとお風呂場で、バシャバシャとお湯のかけ合いをしたり。
今頃は皇城で身柄を確保されている風竜王シュピラーレ様――デリアに性格が悪すぎる皇帝陛下の愚痴を延々と聞かされ続けたり。同じく、身柄を確保されている土竜王シュヴァルト様――マリアと家庭菜園の新鮮な野菜を収穫しに行ったり。
私は目の前の座っている皇帝陛下を見つめる。
この異世界に来る前から、壊れていた親友。
そして、義理の弟になった大切な家族。
私は皇帝陛下に抱かれたことがある。いいえ、この言い方には少し語弊がありますね。今も伽を続けている。強制的に蘇生させているとは言え、何百万も殺戮を繰り返している狂人に私は抱かれているのだ。最初は無理矢理、次は憐憫を感じて、今は……本当になんなのでしょう。自分でも理解することができません。
「ご注文の高菜御飯でーす。以上でお間違いはありませんか?」
ですから、空気を読んでくださいってば!!このエルフ店員は!!
「……あのっ」
エルフ店員が何やら頬を染めながら、言い淀んでいる。……今度は私?私は菜食主義者なので注文しませんよ?タダでお冷を飲んでいて、御免なさいね。
「宰相のフランツィスカ様ですよね!?僕、ファンなんです!!サインください!!」
「…………………ええ、そうですけど。………色紙とペンはあるのですか?」
「用意してあります!!」
私はさらさらと偽ることができない自分の本心を色紙を書く、我慢の限界だったのだ。緊張した面持ちでエルフ店員が書き終わるのを待っているが、奈落の底に突き落としてやる。大人気ない?ふんっ。今日は色々ありすぎて、極限まで疲れ切っているのだ。誰かが私を優しく労ってくれない限り、私も陛下と同じように極悪非道な鬼畜になってやる。
「書き終わりましたが……これで、よろしかったですか?」
「はい!!ありが……ござい……ます?」
色紙を渡す時にさり気無く、私の指に触れたことも忘れない。
『祝。扶桑皇国、統合陸戦隊のご入隊おめでとうございます。召集令状の赤紙はお店に郵送いたしますので、その汚い首を綺麗に洗って待っていてくださいね♪愛しのフランツィスカより』
敵前強襲上陸が基本になっている扶桑皇国統合陸戦隊、その中でも最高の練度を誇るレンジャー部隊。流石に味気ない赤紙だけだと可哀想かな?赤紙と一緒に安っぽい軍手もプレゼントしてあげよう。50メートルもある断崖絶壁を、2本の腕だけで登る訓練があるらしいから。
石像のように硬直したままのエルフ店員は完全放置でいいでしょう。
それにしても、なんで、一番地味な私だけにサインを求めるのよ!!有名な人間が他にも4人いるでしょうが!!そもそも皇国を統べる皇帝陛下が自分の直近にいるってことに気づきなさいよ!!帝都を秒単位で消滅させることができる最強の竜王が、店内に3人もいるってことに気づきなさいよ!!
「フランがモテモテ~」
ずるずると付け麺を食べている皇帝陛下が五月蝿い。
「あ…あの………フランツィスカ様の前に座っているお客様は、フランツィスカ様の彼氏さんなんじゃ?」
異常に復活の早いエルフ店員に殺意を抱きたくなる。このチャラそうなエルフ店員は本当に馬鹿なんじゃないの!?色紙に書いた召集のことは冗談じゃなのに!!
…………もう、我慢することができない。
うず高く積み上げられていく、無視することもできない厄介な仕事の数々。何もしない皇帝陛下に性的な嫌がらせをされる日常。今は不躾なエルフ店員から、頓珍漢なことを質問されている。
ぷちっと、何かが切れた。
「ああ――!!五月蝿い!!五月蝿い!!五月蝿い!!今、私に話しかけないで!!目の前の客は、この扶桑皇国の皇帝の黒江圭吾!!その隣で、カニ玉に顔を突っ込んで寝てるのが、光竜王リリア・ルーメン・シュアニーヴェ!!そこのカウンター席で、野菜坦々麺を食べているのが火竜王ソフィア・イグニス・エデルフィア!!その隣で、蟹炒飯を食べているのが水竜王スフィア・グラキエス・アデルフィス!!気づいてよ!!お願いだから、その正体に気づいてよ!!」
この在り来たりのラーメン屋さんは、きっと扶桑皇国の飲食店業界で不動の一位になるのでしょうね。皇帝陛下の来店を宣伝をすることができれば……、私が宣伝をさせませんけどね。全ての飲食店は店主・店員が創意工夫をした結果により、繁盛すべきなのです。どこどこの有名店から、暖簾分けをした。食通の評論家が、その料理の味を絶賛した。阿呆らしい。資本主義の悪い所は事実に異なることでも、簡単に誤魔化せることです。人はそれを大衆心理と呼びますが。味覚は人それぞれなのです。ようは自分が好む料理を、自分が飽きるまで食べ続ければいいのです。
………………はい、現実逃避終了。
皇帝陛下がいることを、自ら暴露してどうするの。店内が見事に静まり返りました。大声を出した私のせいです、本当にごめんなさい。帝都はこれから、騒乱に近い状態になっちゃうな――泣きたい気分です。
「え?皇帝陛下のことは、以前から知っていましたけど?この店が夜間営業になったのは、皇帝陛下の一声があったからこそですよ?そういう店は帝都に多いらしいです」
「俺の舌にあったからな。無理を言って、店の営業時間を変えてもらったんだ」
「僕が言いたいことは、皇帝陛下と宰相閣下が恋人同士なのかってことです!!」
「あっ。タッパに入っているサービスの沢庵がもう無いぞ?補充しておいてくれ」
「すみません。今日はお客さんが多かったみたいで、補充してもすぐに無くなっちゃうんですよー」
コイツラはナニをイッテイルのデスカ?
妙に視界が暈けている……これは涙だ。私の目から……留めなく零れ落ちている涙だ。目の前に座っている男の言動は最低すぎる。目の前に座っている男は性格が最悪すぎる。この希望に満ちた幸せの象徴――扶桑皇国のために身を削りながら仕事を続けている私が馬鹿みたいではないか。
遥か昔に同じようなことがあった――――それはソルフィリア王国滅亡。
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