とある宰相の追憶。
さば
第1話 prologue1
私は口端を上げて、薄く笑った。
目の前にある開け放たれた扉は相変わらず大きすぎると思ったからだ。
霊廟を荒らしている盗賊のように、明かりが灯されていない暗闇の中を歩き続ける。
磨き上げられた白色大理石の床材をカツンカツンと叩き続ける乾いた靴音が静寂に支配された空間に悲しく鳴り響いた。この空間だけは織物職人が丹精込めて作り上げた朱色の絨毯が敷かれていない。
それは至極簡単な理由がある。
この空間は扶桑皇国の建国以来、一度たりとも使用された試しがないのだから。
――――閉鎖された玉座の間。
玉座の直前まで辿り着いた私はゆっくりと跪きながら頭を垂れた。
少し古びた玉座には圧倒的な恐怖と無慈悲な暴虐により、この世界全てを支配している至高な存在が――扶桑皇国を統べる皇帝陛下が座しているからだ。
「……陛下。 やはり、この玉座にいらっしゃったのですね」
私の問いかけに返される言葉はなかった。これは私の想定のうちだった。
玉座にいるはずの皇帝陛下はある一点のことを除いて、この世界そのものに興味を示されていない。
「ファールス王国とウルク王国における局地的な紛争の結果は、我ら扶桑皇国の軍事的介入により早期に終結いたしました。両陣営の人員に若干の死傷者は出してしまいましたが、光竜王シュアニーヴェ様の助力により実質的な死傷者数はゼロとなっております」
皇帝陛下の返事はなかった。これも私の想定のうちだった。
今回の些細な領土問題に起因する紛争は早期に終結することができた。
彼方の砂場はあっち、彼方の砂場はそっち。
国内にあるはずの原油埋蔵量が皆無なイラクとイラン。希少金属や石油などの地下資源も何もない不毛な大地が広がっているだけのただの砂漠地帯――呼び方は砂場で十分だ。
重要な地下資源である原油そのものが、扶桑皇国によって既に盗まれている事実に両国の首脳陣は何時気づくのでしょうね。
……後顧の憂いを絶つために丸ごと地下資源を奪取したことは忘れることにしましょう。
国際紛争を終結させるために、当事国双方に紛争終結の調停案を一方的に宣言。
宣言された調停案の内容に不満があるのでしたら、我が扶桑皇国に最後通牒を送付してください。単純に百倍以上の国力差がある扶桑皇国と事を構えたがる莫迦な国家はこの世界に存在しない。こちら側が用意した調停案を当事国が蹴った時点で、戦時体制の総動員された扶桑皇国軍に当事国の国土そのものが揉み潰されるだけ。
それにしても、今回の紛争は本当に危なかった。
私に返事をして下されない陛下がご決断なさっていたら、馬鹿な両陣営――紛争当事国の罪もない国民が確実に10回は殺されていた。光竜王シュアニーヴェ様が殺される度に毎回死者蘇生をするので、不殺にはなるから。
「次にブルグント王国の周辺諸国に対する露骨な軍事的恫喝のことなのですが、現在在位している国王の首をすげ替えることで対処いたします」
皇帝陛下の返事はなかった。これも想定のうちだった。この案件はすぐにでも解決できる。
軍事的恫喝を主動しているのは、愚かな国王とその取り巻き連中だけだからだ。軍事的恫喝は弱者の証明。『戦争するぞ!』と周囲に叫び続けないと、政治体制が維持できなくなるほどにブルグント王国の国内は混乱している。
ちなみに我が扶桑皇国は違います。
軍事的な恫喝⇒戦争準備は全て完了しています。『お前等、国土全体をペンペン草も生えないぐらい焦土にされて、本当に千回ぐらい死に戻りを体験したいの?』の意味です。怖いね、人口が二億人を突破した扶桑皇国。国内にいる予備役と後備役を全て動員すれば、二千万人の皇国軍の出来上がり。その圧倒的な動員数は他国の総人口を軽く凌駕している。
「次に、我が皇国にネウストリア王国の通商代表部の方々が帝都に到着なさいました。以前から貿易上の懸念材料になっていた、穀物と嗜好品ついての支払いに関する事前協議でしょう。私が恙無く差配いたします」
返事はなかった。これも想定のうちだった。
この代表者同士の事前協議は難航が予想されている。
相手国であるネウストリア王国側は、扶桑皇国の要望を満たすことが到底出来ないからだ。
扶桑皇国の各種穀物はかなり低い金額で各国に輸出されているが、それでもタダではない。支払いは金塊、銀塊、人間、そのいずれかを選択可能。金塊と銀塊で支払ってしまったら、自国で発行している金貨などの貨幣の含有比率を大幅に引き下げなければならなくなる。それだけ、輸入している穀物の取引額が膨大なのだ。
人間の支払いについては穀物を一トンそちらに輸出します、代金として体重五十キロの成人を二人か体重三十キロの子供を三人を送ってください。通常は家族単位で支払いをさせている。愛する家族との別離は辛いものであるから。
そうやって、この扶桑皇国は人口を増やしてきた。
大量の穀物を輸出された国家は国内にいる余剰な人間を合法的に減らすことができ、自国民を飢えさせる危険性(大規模な反乱や革命運動)を減少させることができる。扶桑皇国は穀物輸入の支払いにさせられた人々に十分な食事と高度な教育機会を与えて更に国力を増す。
王侯貴族などの特権階級が好んで消費する嗜好品については、かなり高額に設定されている。
ウハウハである。まさにウハウハである。ワインや香辛料、楽器や煙草がなくても、人は普通に生きていけますので。
ちなみに、この貿易方法を考えたのは私です。
扶桑皇国の建国理念は不殺。皇帝陛下が求める唯一の理想は、この世界に満ちている全ての死を自らの管理下に置くこと。たった一つだけの特別な雫を、絶対に取り零さないようにするための理念と理想。
「次に、私の基本給アップと有給休暇を消化させてください」
返事がなかった。これは想定していなかった。
………え?これは黙認を受けたと解釈してもいいの?
基本給のアップはともかく、溜まりに溜まった有給休暇の消化は無理に決まっている。私は世界を支配している扶桑皇国の宰相なのだ。私個人の去就以外は、皇国のほぼ全権を委ねられている。私が長期間の有給休暇を取ってしまったら、皇国の政治経済は破綻しかねない。短期は大丈夫、中期もなんとか、長期……終わった。
玉座には……、確かに身動きはないが人影はある。それは間違いない。
皇帝陛下はお休みになられているのか?既に時間は深夜2時を過ぎている。お休みになっていても不思議ではない。でも、毛布もかけずに冷たい玉座に座りながら眠る?金銀で過剰に飾り付けられた硬い木製の椅子で?寝室に馬鹿みたいに大きい寝台が置いてあるのに?
おかしい、おかしい、何かがおかしい。
寒気がする。吐き気がする。警鐘の鐘が盛大に鳴り続けている。
「…………陛下?玉座にいらっしゃるのでしょう?」
その言葉にも返事がなかった。
私はゆっくりと立ち上がり、世界の支配者が御座す玉座を目指す。
暗闇の中から浮かび上がるかのように絢爛豪華な玉座があらわれた。
無知なる者たちに明確な死を与える超越者達――6体の竜王を象られた玉座がそこはあった。
そして、その玉座の上に等身大のクマのヌイグルミが置かれいた。
◇◇◇
私は死の恐怖から怯えて逃げ出す幼子おさなごのように、明かりのない暗闇の中を必死に走り続ける。皇帝陛下から強制的に着用することを義務付けられている、無駄に装飾された重量のある黒衣の宰相服が私の全力疾走を邪魔していた。こんな時まで、私の足を引っ張る黒衣の宰相服は最上級の呪いのアイテムに違いない。
そんな呪いのアイテムさえも超える最凶最悪の呪いのアイテム――私の執務室の片隅に厳重に保管してある宝玉付きの勺杖を持ち歩いていたら、異世界に召還された勇者様に討伐される哀れな魔王の出来上がり。労働基準法の存在を完璧に無視している宰相職でも一杯一杯なのに、討伐されるだけの魔王なんてやりたくない。
「あっ!?」
それは短すぎる悲鳴だった。
この黒衣の宰相服はNIJ(アメリカ合衆国司法省の国家司法研究所の規格)基準のレベルⅣ防弾衣を上回る優れもの。そして、耐熱や耐寒などの至れり尽くせりの各種耐性、障壁機能などが付与されている。皇帝陛下からの攻撃と自分自身がやらかした『自爆』を除いて、この防御力を突破することは不可能に近い。
迫る来る床材に全身が凍りつく。
呪われた黒衣の宰相服の文句を言っただけで、裾を踏んで大理石への顔面ダイレクトアタック?皇帝陛下から私に下賜されるものはこんなものばっかり。顔面への直撃だけは何とか避けようと両腕を交差させて、覚悟を決めて衝撃に備える。
どしゃ――――――――――――っ。
「……っ」
見事に転倒してしまった。
痛い、痛い、痛い、打ちつけた手のひらが泣き出したいぐらい痛い。両膝もジクジク痛くなってきた。膝から血が滲むのを肌で感じる。……けれど、そんな些細なことを気にしている時間的余裕なんてない。玉座の間の開け放たれた大扉まで、もう少しなのだ。
「はぁはぁはぁはぁ……っ」
大扉から届いている明かりに近づくにつれて、潤んでいる瞳と息切れしている呼吸を整える。皇帝陛下の赤子である臣民の前で、扶桑皇国の宰相である私が無様な姿を晒せるわけがない。浅い息を吐き出して、今度は深く吸い込み――大扉に辿り着いた私は声を張り上げた。
「皇国陸軍の近衛師団に緊急非常態勢レッド・アラートを発令します!!」
玉座の間に何人たりとも侵入を許さない――大扉の左右に待機している衛兵に命令を下す。表情をピクリとも変えることがない彼らでさえも、突如として豹変した私に驚いている。
私も皇帝陛下不在の驚きついでに気絶して、気分爽快な朝を迎えたい。
はぁっ………、早く重責がありすぎる宰相の仕事から降りたいな。実行に移したとしても、離職届けを届けた瞬間に文字通りの意味で、皇帝陛下に握り潰されるのがオチ。畜生め。
「近衛師団の即応展開可能な全部隊をこの帝都中心部に集結させなさい。帝都郊外に駐屯している師団の部隊に関しては皇城内でのヘリボーン降下を許可します」
皇城内に設置してある非常ベルが次々と鳴り響き、その音を聞きつけた武官達が私中心に集まってくる。皇城警備は近衛師団の役目、即応展開が可能な近衛師団の部隊も多いはずだ。近衛師団の動きが遅いなら、追加で帝都周辺にいる他の機動歩兵師団と戦車師団も緊急展開させる。
「我らの栄えある皇帝陛下が行方不明になられています。皇国の守護者たる竜王様の行方も至急確認を。これは宰相権限を有する私からの最上級命令です」
これは誘拐ではない。いえ、竜王様に身辺警護されている皇帝陛下を誘拐できるわけがない。むしろ、皇帝陛下は誘拐犯に誘拐される前に自分から殴り込みを仕掛けるタイプだ。玉座にポツンと置かれていた可愛らしいクマのヌイグルミ。これは明らかに皇城からの脱走。
皇城直近にある総軍司令部に向いながら、矢継ぎ早に命令を下していく。
「夜間営業をしている飲食店を中心に捜索を開始してください。竜王様が陛下と同席しているはずです。ご無礼のないように――絶対に刺激はしないでください。下手に刺激した場合、帝都全域が壊滅します」
皇帝陛下は物凄い貧乏舌。深夜営業をしている高級店に行くことはないはずだ。
他国から来た賓客との会食時に供されたフランス料理を、皇帝陛下は陰所トイレにて、盛大に戻しておられた。その背中を優しく摩り続けたのは宰相である私。危うく、私も貰いゲロをするところだった。思い出しただけで、昨夜の夕食を戻しそうになる。うえぇ。
「風竜王シュピラーレ様。皇城主塔の見張台において、寝惚けいるところを発見いたしました!!現在、身柄を確保するために説得中です!!」
「土竜王シュヴァルト様。皇城菜園のナス畑において、ご自分の身体を地面に埋めているのを確認しました!!これから、説得を開始します!!」
報告が次々と総軍司令部に――私の元に届いてくる。
虱潰しらみつぶしのローラー作戦、近衛師団二万八千余名を用いた懸命な捜索活動。
私は皇国帝都の地図に無数に書かれているバツ印を睨み続ける。
「闇竜王べルラァーファ様、御屋敷に在宅のご様子!!」
「闇竜王べルラァーファ様の所在確認は取れていないのですか?」
「確認に向かった中隊総員が御屋敷内の庭園で昏倒したとの報告です!!精神魔法の攻撃を受けたもよう!!」
「その中隊は放置しましょう、死者は出ません。残り御三方の確認を急ぎなさい」
その不幸な中隊は見捨てるしか方法がない。救助に向った部隊も、確実に精神魔法の二時被害に遭ってしまう。眠りを妨げられた闇竜王べルラァーファ様は、竜王の中でも最悪な存在に成り得る。……触らぬ神に祟り無し。
「火竜王エデルフィア様と水竜王アデルフィス様を、皇城表門鉄橋にて確認!!」
………………え?
こんな時間に外出?御二方とも夜間外出をする予定はなかったはず。
皇帝陛下の脱走=竜王様の護衛=起爆寸前の核兵器輸送と同じ意味なのに!?
皇帝陛下の夜間外出が帝都の民衆に露見してしまえば、民衆は容易く恐慌状態に陥ってしまう可能性がある。竜王様がもたらせた厄災の数々――他国の壊滅的な被害状況は、国内の無意味な反乱を防止するために皇国民にも周知されている。民衆の心の奥底には、抗いがたい恐怖があるのだ。
「御二方の服装は!?髪は隠されておいでなのですか!?」
「隠されておられません!!」
その報告は耳に届いてほしくなかった。
私は民衆に露見しないように、奇跡を祈ることぐらいしかできないらしい。
この世界には、薄い青い髪をしている人間は存在していないのだから。
「火竜王エデルフィア様と水竜王アデルフィス様が御不快に思われないよう、堂々と追跡を開始してください。私も御二方の後を追いかけます」
武官達にそう言い残して、総軍司令部の階段を駆け下がり、長い廊下をまた走り続ける。今日の私は走ってばかり……、本当に長期の有給休暇が欲しい。この混乱した状況下だ。下手に車で追跡した場合、二人を見失うリスクがある。確実なのは私が直接走って追いかけること。
「はぁはぁ……なんで、私だけがこんな目にあわないと!いけないのでしょうね!」
猛烈に酸素を求める両肺が痛い。血が滲み続ける両膝も痛い。手のひらも少し赤くなってきている。………今日は本当に踏んだり蹴ったりだ。微妙に熱がこもってきた呪いのアイテムである黒衣の宰相服に、運のマイナス補正が付いているのか皇帝陛下に問い詰めたくなってきた。
「はぁはぁはぁ……少しだけ休憩しないと……頭がクラクラする。……本格的に食生活を改めないと駄目みたい」
無数の電灯によって、煌々と輝いているはずの帝都の夜景が、いつもよりもはるかに暗く感じる。そして、私は再び走り始める。走り続けて、走り続けて、ようやく目的の人物に追いつくことができた。前方の約五十メートル先にいる、薄赤のポニーテールと薄青のツインテール!!
「……げほぉっ。おげえぇぇ!?…………はぁはぁはぁ。ソフィア!!スフィア!!」
下を向いて嘔吐えずいた拍子ひょうしに、黒衣の宰相服のフードの中から少しずつ金髪が零れ落ちる。
「その声はフランちゃん?死にそうな顔をしてますけど、大丈夫っすか?」
「フランさん、主様に緊急の用件でしょうか?」
私は名前は扶桑皇国宰相フランツィスカ・リーフェンシュタール。
リーフェンシュタール王国の元姫君。たった一つの特別な雫の兄だった転生者。
可愛い妹がこの世界に転生をするまでは、女として、宰相として、生きていこうと誓った救いようのないほどの愚者。私は陛下と共に、この狂った世界の中で妹の帰りを待ち続けている。
「陛下はどこにいるの!?」
「え?そこのラーメン屋にいるっすけど?」
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