第17話 焼鮭、玉子焼き、煮物、それから猫
「うん。ほら、ここ」
久我が指を差したのは長方体の側面だ。言われてみれば、確かにUSBのジャックや差し込まれたままの電源プラグが見える。コードは切れていて、側面にはどろどろに溶けたプラグがこびりついていた。大きさはA4サイズ程度。蓋も裏面もほとんどが溶けているので、元は黒色ということ以外は分からない。
「これって、久我さんの持ち物ですか?」
「いや。俺が持ち込んでたのは寝袋と鞄と着替えだけだよ」
「じゃあ、Aさんの遺留品ですかね」
「どうだろう。ちょっと貸してみて」
チハルはノートパソコンを慎重に久我に手渡した。彼は上下をひっくり返しては、ためつすがめつ眺めた。が、損傷が激しくて何も手がかりは見つからない。試しに蓋を開けてみようとしたが上下が融合してしまっている。
「だめだ。無理にこじ開けて壊したら、万が一Aが権利を主張してきた時に困る」
「そうですね。これは置いておいて、取り合えず部屋の中を全部調べちゃいましょうか」
そこから昼になるまでのあいだ、ふたりは黙々と作業に没頭した。時折何かが見つかるが、極力作業が中断しないよう、重要と思われるもの以外は静かに廊下に並べていった。
「よし、終わり、っと!」
最後のひと掻きをチハルは灰の山に空けた。箒とちり取りをむき出しになった地面の上に置いた。地面、と言っても煤と灰が残っているため土の色は黒に近い。
はあー、とチハルは大きく伸びをした。
「お疲れ様でした。結構大変でしたね」
「うん。お疲れ。……ああ、やっぱりなかったか」
久我は浮かない顔をしている。ひと仕事終えて、さぞやすっきりした気分かと思ったのに。
「どうしたんですか?」
「うん……あの時チハルちゃんが持ってきてくれた朝ごはん、もしかしてほんの一部でも残ってるかと思ったんだけどな」
一般的に火は上に流れていくものだが、木造建築の場合はどうしても下の階にも延焼してしまう。二階から落下した物に火が付いていたり、消防の話によると「燃え下がる」こともあるらしいのだ。チハルは少しだけ笑った。あの時一階までが盛んに燃える様子を見ていたはずなのに、本気で久我はがっかりしている。
「万が一残ってたとしても、二日も経ってたらもう食べられませんよ」
「まあ、そうなんだけど……ああ、チハルちゃんの作った手料理が食べたかったなあ」
「そう言うんじゃないかと思いました。ちゃんと久我さんの分も作ってきましたよ」
チハルは荷物の中から保冷バッグをふたつ取り出した。そのうちの大きな方を渡すと、久我は目を丸くした。
「え? ……もしかして、お弁当?」
「はい。よかったら食べて下さい」
にこっ、とチハルが微笑むと、久我の顔に子供みたいな笑顔が広がった。
「やった……ありがとう! じゃあ昼にしようか」
「で、この小銭はたぶん俺の財布の中身。ファスナーがこびりついてるだろう? このつまみのデザインが特徴的で気に入って買ったんだ。となると、Aの部屋にあったものは、ここからこっち、ってことになるな」
発掘した品を割りばしの尻でより分けて久我は言った。
廊下に並べた品物の隣に古新聞を敷いて、ふたりは弁当を食べながら談義をしている。灰の山からは結構いろいろな物が出てきた。しかしほとんどはひしゃげた鉄くず――つまり、釘や蝶番といった類の住宅部品だった。
パソコンの他に、見つけた瞬間ふたりが「おおっ」と声を上げたものがあった。猫の缶詰の空き缶だ。空き缶はいくつかあったが、その中のひとつだけに、辛うじて『猫缶』と分かる写真とロゴの一部が残っていた。
「やっぱり、Aさんが室内で猫を飼ってたんですかね」
「そうだな。飼っていたかどうかは分からないけど、世話をしていた可能性はある。鹿野さんの話によると、二階六号室を最後に契約していた人はきちんと掃除まで済ませて出ていったらしいからね」
久我は言って、玉子焼きを口に放り込んだ。旨い、旨い、と言って忙しなく口を動かしている。
「じゃあ、この猫缶はやっぱりAさんが持ち込んだ可能性が高いですね。まとめると、遺留品はパソコンと、猫缶と、それからこれ。久我さんはこれ、なんだか分かります?」
新聞の上に転がったものをチハルは指差した。一部が溶け、煤で真っ黒になった四角い箱状のものがふたつ。そのうちのひとつには、ちぎれたコードの端から溶けた銅線のようなものが見えている。
「たぶん、電気毛布のスイッチだと思う」
「電気毛布?」
「うん。このダイヤルみたいなのは温度を調節するものだろうな。俺もあの部屋に寝泊まりして分かったけど、昔の建物だからか朝晩が結構冷えるんだよ。布団か寝袋を持ち込んでなかったとしたら、とても寒くて寝られやしない」
ふんふん、とチハルは感心した。
火事が起こるまでのあいだ、久我はよくやってくれたと思う。ただでさえ薄気味悪く匂いもすごかったのに、そんな寒々しいところで一週間も過ごすなんて自分には到底できない。
煮物を口に運んで、久我は咀嚼しながら続けた。
「それに、これは俺の想像だけど、パソコンを使えば明かりが洩れるから電気毛布で囲ってたんじゃないかと思うんだ」
「なるほど。昼間でも廊下は薄暗かったですしね」
「うん。スマホでさえ気を遣って寝袋の奥のほうで使ってたくらいだ。ましてや二階には山崎さんが住んでいる。Aは相当慎重にやってたと思うよ」
新聞の上には真っ黒に焦げたものがいくつも並んでいたが、この中でAを探す手掛かりになりそうなものはノートパソコンくらいだ。電気毛布も猫缶も、どこでも手に入る商品だから手掛かりにはならないだろう。
焼き鮭を箸で切って、チハルは口に入れた。
「パソコンはもう無理でしょうねえ。あれだけ溶けてたら」
「いや、分からないよ。火災に巻き込まれたパソコンのハードディスクからデータを復旧してもらう話をネットで読んだことがある。ただし、それはデスクトップ型だった。ノートパソコンの場合は……ちょっと分からないな」
久我が最後の白飯を飲み下した時、建物の入り口のほうから何かがやってきた。猫だ。ふたりはその姿を目で追った。白地に黒のハチワレ頭をした生きものは、ひとつも物怖じせず旧知の仲のように近づいてくる。
「おいで」
入り口側に座っていた久我が手を差し延べた。猫は自分から寄ってきて、手の匂いを嗅いで通り過ぎた。そのままチハルの手元にやってきて、ふんふんと箸の近くを嗅ぎ回ったり、ふくらはぎに身体を擦り付けたりしている。多少薄汚れているが毛並みは悪くない。背中の毛はほとんどが黒で構成されていて、足先は白。鼻の下にチョビひげのように黒い点が飛んでいる。
「お腹が空いてるんですかね」
「餌付けされてるな。まったくの野良だったらこんな風に人に近寄ったりはしない」
久我が言うと、チハルはまあるく目を見開いた。
「もしかしてこの猫――」
「うん。Aの部屋にいた猫かもしれないな」
「久我さん!」
チハルが突然腕を掴んできたので、彼はちょっと驚いたようだった。チハルは久我の腕を支えにして耳元まで伸び上がった。顔をぐっと近づけてわざとらしく声を落とす。
「ということは、ここを見張っていればAさんが餌をやりに現れるんじゃないですかね」
「……なんだって?」
久我はチハルの顔を見て、ぱちぱちと目をしばたいた。
チハルの言う通りだった。Aがこの猫を『飼っている』という認識でいたかどうか定かではないが、缶詰の餌をやっていたくらいだ。ある程度はかわいがっていたのだろう。となれば、猫が火事に巻き込まれていないか気掛かりだろうし、生きていることが分かれば餌をやりに来るはずだ。
「しかし、見張る、って……どうやって?」
「私、明日から自転車で通勤します。まずは朝と晩は必ずここを通るようにして、もしも姿を見掛けたら追いかけてみて――」
「は?」久我は険しい顔をして遮った。「ひとりじゃ危ないよ。どの時間帯に現れるか分かれば一緒に行動することもできるんだから。頼むから、そういう軽はずみなことをしないでくれ」
「もう、また久我さんの過保護が始まった。そんなんじゃ、いざAさんに遭遇した時に取り逃がしちゃうじゃないですか」
「でも」
「思い立ったら即行動。何事も勢いが肝心ですよ」
「そ、そう……かな」
そうはっきり言われては久我も黙るしかない。チハルが力強く頷く横で久我はひとりごちた。
「だから未だにキスのひとつもできないのか」
「ん? 今、何か言いました?」
「いや。なんでもない」
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