57話 一匹
カイザーたぬきは、ぽつんと一匹で座っていました。明るい南国のような日差しの中、カイザーたぬきの座る地面には、青々とした草が生い茂っています。その地面は直径四メートル程の小さな丸いもので、周りには見渡す限りの水が広がっています。美しく、透明度が高い青い湖に浮かんだ小さな島。かれこれ何時間も、そこに座っていたのでした。
「うーん……わしの内側の世界には、わししかおらんのじゃな」
当たり前のことを呟きながら、体の力を抜いてごろんと仰向けに寝そべりました。
「いかーん、急所ががらあきじゃー!」
おどけて丸い腹を両手で押さえてみても、笑うものも突っ込むものもありません。
「つまらんー。わしの想像力―、素敵なものを見せてくれー」
目を閉じて想像すると、空に小さな黒い長方形が現れました。目を開いてそれを見つけると、何が起こるのかとじっと見つめます。黒い長方形はスクリーンだったようで、ぱっと光る点を映し出しました。
「おぉっ、宇宙じゃ! 星が映っとる!」
一瞬目を輝かせたカイザーたぬきでしたが、すぐに目を細めてため息を吐きました。
「空一面とか、全体を宇宙空間にするとか、あるじゃろーが……しょぼいのぅ、わしの想像力……想像力ぅ――――!」
叫んでみても、何も変化することなく、スクリーンはお茶の間のテレビ並みの大きさです。しかし、そこに映る景色が切り替わりました。
「おっ」
暗い画面に、団子屋の笑顔が映し出されます。
カイザーたぬきは、黙って下を向きました。
「何じゃー、別に平気じゃー!」
何かを振り払うように、威勢よく顔を上げてスクリーンを見つめます。
突然、団子屋の顔を突き破って、何かが飛び込んで来ました。
辺りに、爆音が響きます。
驚いて声も出せないカイザーたぬきの横に、飛び込んできた大きな塊が陣取りました。
それは、バイクに跨った男達でした。
「ぬおぉぉぉ――――――、ヒロシ、キヨシ、タケシ!!!!????」
ぎゅうぎゅうで一つのバイクの上に収まっていたのは、カイザーたぬきの知った顔だったようです。
「そうだ、冬一! ヒロシだ!」
バイクの一番前に座っていたヒロシ君が叫ぶと、ぽんっと体から煙が出て、いつもの見慣れた姿から丸坊主の子供の姿に変わりました。
「私の名前を覚えていたんだな……そうだよ、キヨシだ」
遠藤行者が言うと、ヒロシ君と同じように、ぽんっと痩せて背の高い子供の姿に変化します。
「あー、久しぶりだー、冬一。そうそう、タケシだぞ! 孫が世話になっているようだね」
前の二人同様、青年の姿から前髪が揃った子供の姿に変化したのは、先代団子屋であり、現団子屋の祖父でした。
触発されたようにカイザーたぬきの体から煙が出て、ぽんっと二回りほど小さな子たぬきの姿になりました。秋太たぬきと同じような姿でしたが、耳の先っちょには金色の毛が生えています。
「おぉ、そうだそうだ。冬一ってこんな感じだったよなー」
子供のヒロシ君が楽し気に笑うと、行者キヨシも団子屋タケシも子供の顔で笑いました。
「あぁ、あぁ……懐かしいのぅ……そうじゃ、ヒロシ、キヨシ、タケシと冬一たぬきは、楽しい仲良し正義の味方だったんじゃー!」
カイザーたぬきの目から、涙が一粒流れ落ちました。
カイザーたぬきにとって、ヒロシ君、遠藤行者、団子屋先代と過ごした子供時代は、特別なものでした。一緒に馬鹿をやりながら駆け抜けた子供時代は、まだ悲しい出来事に引き裂かれる前の、ひたすら明るく、温かい日々だったのです。
「楽しかったね。私以外は、頭の悪い子供だったけれど」
見た目からして、ちょっと頭の良さそうな行者キヨシが言うと、横からヒロシの拳骨が落ちました。
「家に帰ってからも、冬一とは、ヒロシとキヨシの話ばかりしていたね」
団子屋タケシは、冬一たぬきの前にしゃがみ込んでその頭を優しく撫でます。
「そうじゃった……楽しかった。ヒロシはせっかちで、馬鹿なことばっかりするし、キヨシは頭が良くて悪だくみばかりするし、タケシはにこにこ優しく笑ってるわりに、怒ると一番怖かった」
冬一たぬきは、小さかった頃の出来事を次々と思い出しました。その勢いで再び口を開こうとした時、団子屋タケシが黙って首を横に振って見せました。
「違うよ、冬一。思い出話をしに来たんじゃないんだ。何で僕たちがここに来たのか、解るだろ?」
団子屋タケシの言葉に、冬一たぬきが首を傾げます。
「そうだぞ、馬鹿たれが。こんなしょぼいところに閉じこもりやがって、つまらねーやつだな!」
呆れたように言い捨てたヒロシに、冬一たぬきはムッとした顔を向けます。
「色々とたぬきなりに理由は付けているんだろうけど、お粗末な解決方法だな」
鼻で笑った行者キヨシを見て、更に冬一たぬきは怒りを覚えました。
「なんじゃー、お前ら! わしに文句を言いに来たのかー!」
「そうだ、馬鹿野郎! わざわざ成仏したタケシまで、引っ張って来てやったんだぞこの野郎!」
怒りのままに怒鳴った冬一たぬきの声より、更に大きな声で怒鳴ったヒロシの声に、ちっぽけな島が少し震えました。
迫力に押された冬一たぬきは、言葉を発せぬまま口をぱくぱくさせました。
「僕たちの、楽しく輝かしい思い出は、もう昔のことなんだ。子供時代の思い出は確かに心地よいけれど、もう増えることは無いんだよ」
団子屋タケシが静かに言いました。
「冬一よ、お前が名前を変えたように、今のお前は俺たち以外の者達と、楽しく過ごしていたじゃないか。お前は成長してじじ臭くなったけれど、ふざけて笑っている様子は、昔のお前と違わなかったぞ」
行者キヨシが、少し笑いながら言いました。
「そうだ! だから俺たちが、お前の壁をぶっ壊しに来たんだ。過去の親友が、お前を楽しい未来へ連れて行くためにな! 引きこもってないで、帰るぞ」
ヒロシの言葉を聞いて、冬一たぬきは悲し気に下を向きました。
「……帰れないんじゃ。団子屋に怪我をさせた責任があるんじゃ。わしは、お前たちと一緒にいたいのぅ。この姿のまま、楽しかった子供時代をみんなで思い返すんじゃ。一緒にいよう……いや、時々訪ねて来てくれるだけでもいい。そして、わしの役目が終わったら、わしもお前達と一緒のところに行きたい。一緒に行きたい」
ぽつりと呟いた冬一たぬきの姿に、三人の子供たちも、思わず視線を落としました。
実際、ヒロシも行者キヨシも団子屋タケシも、冬一の気持ちが痛いほど良く解りました。「一緒に行きたい」という言葉が、心に重くのしかかります。それを振り払うように、首をぶるぶる振ってから口を開いたのはヒロシでした。
「違う……駄目だぞ。今ここで、ヒロシ、キヨシ、タケシ、冬一が揃ってみれば、昔の楽しかったことが思い出されるがなぁ……やっと、今なんだよ。戦争のせいもあるが、キヨシがあんな死に方を選んでしまって、俺やタケシやお前が、どれほど辛い思いをしたか。過去の輝かしい思い出も、全て悲しみに変わったじゃないか。人生の喜ばしい瞬間も、一緒に分かち合えなかったキヨシのことを思わずにはいられなかった。このままじゃ、団子屋の孫も、そうなるんじゃないのか?」
ふり絞るように向けた声は、わずかばかり、冬一たぬきの顔を上げさせました。
行者キヨシが、一度ぎゅっと目を瞑ってから、何かを振り切るように口を開きます。
「俺が言うのも何だが……冬一、良く考えてみろよ。石になったのは、お前だけじゃないぞ。今の団子屋も、お前と一緒に石になったのも同じだ。団子屋はもう、お前の石の傍から離れたがらないだろう。友達の元を訪ねて、楽しいひと時を過ごすことすらしないかもしれない。それでも、お前はいいさ……俺たちとの思い出に浸って、心が満たされることもあるだろう。しかし、団子屋はどうだ? 一人で何を思うのかな」
行者キヨシの言葉に、冬一たぬきはぎゅっと目を瞑ります。思い出されるのは、都会で友達関係を上手く築けなかったことを嘆く団子屋の姿でした。同時に、自分たちたぬき三兄弟を含めたお宿の面々と、笑いあって楽しく過ごしたここ何か月も蘇ります。たった数か月のその少ない貴重な時間でさえ、悲しみに変わってしまうと思い至った冬一たぬきは、体が震えました。
「年寄りの難しい話はここまでだ。ほら、見てごらん……お前への思いが、飛んで来るよ」
団子屋タケシが空を指差しました。その優しい声に誘われた冬一たぬきは、目を開けて指差された方向へ顔を向けました。
そこには、三人が突入してきたせいで破れた黒いスクリーンがありました。その穴から、ヒューっと白い小さなものが飛び込んで来ます。
「何じゃ?」
一直線に冬一たぬきの足元に滑り落ちたものは、白い紙飛行機でした。
お宿で紙飛行機ゲームをやったことを思い出した冬一たぬきは、それを拾って、そっと広げてみます。紙飛行機が広がるのと同時に、眼前にクマのぬいぐるみの姿が現れました。
「バーカ、バカイザー」
クマがしゃべりました。冬一たぬきが無言で紙を丸めて放り投げると、クマの姿が消えました。
再び、穴から紙飛行機が飛び込んで来ます。それは一つでは無く、後から後から、次々とやってきて、冬一の足元で小山を作りました。再び一つ拾い上げて広げると、ぽっとりょうちゃんの姿が現れます。
「カイザーちゃんの耳の金髪は、自分でブリーチしているのかしらー」
「地毛じゃ!」
どうでもいい質問に吐き捨てるように返事をしてから、紙を丸めて放ります。
「カイザー、戻って来いよ~、そしていらない体をオイラにくれよ~。魅惑の10分人間タイムがあるんだろ? 10分で、女の子ちゃんもオイラも最高なセック」
下ネタ大福ねずみは、途中でくしゃくしゃに丸められて地面に叩きつけられました。
次の紙飛行機は、ヒコナのものでした。
「カイザー、間違っているのではないか? 近くで守ると言っても、結局そこは遠い場所ではないか。我なら、姉御殿の側は離れない。お前も、団子屋の側に戻れ」
冬一たぬきは、黙って紙を落としました。
冬一たぬきが紙飛行機を開くたびに、いつも騒がしいお宿の面々が飛び出しました。文句を言うもの、説教するもの、悪口を言うもの。しかし、全てが楽し気で、帰って来いと語り掛けて来るようです。
「あんちゃん、春子には荷が重いわ。漫画を描く時間が無くなっちゃう」
「兄ちゃ、母ちゃが、すげー怒ってたよ。怒鳴ってた。尻叩くて」
秋太たぬきの言葉に、冬一たぬきは膝をがっくり折りました。
「母上が……なんでばれたんじゃ」
紙飛行機は残り三つです。出て来ていない人物を思い浮かべながら、そっと一つを開きます。
「全く、たぬきは苦手ですよ。口調はジジ臭いけれど、普段からガキみたいなことばかりして。今回は変に大人ぶって、おかしな行動をおこさないで欲しいもんです」
礼一でした。
「うぬぅ、礼一に言われたくないぞ」
冬一たぬきが夢中で次々と紙飛行機を開く姿は、ヒロシ達に笑顔を浮かべさせました。
「カイザー……」
とうとう、団子屋の紙飛行機が現れました。
団子屋の姿が冬一たぬきの前に現れた瞬間、子たぬきだった姿がいつものカイザーたぬきの姿へ変化します。それに続いて、ヒロシ、行者キヨシ、団子屋タケシも、もとの青年の姿に戻りました。
「カイザー、僕は、お前と縁側に座って話をする毎日が大好きだ。
カイザーがいないと、それだけで悲しい。綺麗な風景も、ただ悲しいだけだ。何もかも違ってしまうんだよ。僕を守ってくれる石なんて、いらないんだ。君との思い出だって、まだまだ少ないんだよ。
僕は今まで、ずっと受身で器用なふりして生きて来たんだと思う。人と充分に交流して来なかった。目の前の人間を見ずに、いつかきっと、自分に合った素敵な友達が現れるだろうなんて、夢見がちなことを考えていたような気がする。そんな僕だったから、今回の友人とのトラブルを招いてしまったんだよ。自業自得だ。
でもね、カイザー……君は僕が夢見ていた素敵な友達そのものなんだよ。やっと出来た大切な友達だから、こんな風に僕の前からいなくならないでくれ。僕は、君の考えを受け入れることは出来ない。戻って来いよ! カイザー!」
話し終わった団子屋の手紙を広げたまま、カイザーたぬきはじっと団子屋の顔を見つめます。
「なぁ、冬一……孫が話しかける石は、僕の墓石だけで十分だと思わないか?」
団子屋タケシが静かに言うと、カイザーたぬきは弾かれたように顔を上げて目を見開きました。
思い出した光景は、祖父の墓石の前で泣きながら話をしていた団子屋の姿です。
泥だらけで、墓石に向かって泣きながら語り掛けていた団子屋は、最後に希望に満ちた顔をしたのでは無かったか。それを見た自分は、同じく繰り返される悲しみを乗り越えて、また何かが始まるという希望を抱けたのではなかったか。孫との楽しい日々が始まるのだと、わくわくしながら挨拶に出向いたのだと。
カイザーたぬきは、手紙を握りしめて目をぎゅっと閉じました。
やがて、ぱちりと目を開くと、三人の青年に向かって口を開きます。
「間違った……そうじゃ、違った。ここには、何の希望も未来も無い。償いも無い。責任も無い。喜びも無い。一人では、何にも無い。唯一楽しかった昔の思い出にすがろうにも、本人達が駄目だと言いおる」
「あぁ、そうだ!」
「そうだぞ」
「そうだよ! 冬一!」
三人の青年は、口々に同意します。そして、一斉に口を開きました。
「戻れ、馬鹿野郎!」
「戻りなさい!」
「戻ってやってよ、孫の所へ!」
カイザーたぬきは、頷きました。勢いよく踏み出した足に何かが当たって、かさりと音を立てました。紙飛行機が一つ残っていたようです。
大物がまだ出ていないことに思い当たったカイザーたぬきが、折角だからと紙を広げてみると姉御の姿が現れました。
「うぉ――――――! 戻るぞ――――!」
姉御がしゃべる前に、紙に書かれていた短い文章を読んだカイザーたぬきが、叫び声を上げました。
「僕はここまでだ。自慢の孫によろしくな、冬一」
団子屋タケシの優しい声が響きます。
瞬間、辺りは真っ白な光に包まれ、ぐるりと上下が反転するような、ぐんにゃりとした感覚に襲われました。
団子屋の庭の端。
もくもくと石から立ち上った煙は、カイザーたぬきの姿に変化したのでした。
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