54話 皇帝如石
団子屋もすっかり元気を取り戻し、お宿大福でも日常が戻って来ると思われましたが、事あるごとにケンカを繰り返すヒコナと大福ねずみのせいで姉御は消耗していました。
「助けてくれよー、礼一よー」
姉御は、礼一の部屋の床に、うつ伏せで倒れ込んでいました。椅子に座って本を開いている礼一の足元で、うーうー唸り続けています。心配そうに、姉御の顔を覗き込むブチ黒の横で、ブチ白は姉御の頭をべしっと叩きました。
「うるさいにゃ」
「このぉー」
がばっとブチ白を捕まえた姉御は、十本の指をわさわさ動かして、猫をくすぐりまくりました。
「にゃ、にゃん、にゃはははは」
身をよじって笑うブチ白を見つめながら、ブチ黒は礼一の足にそっと手を置いて、姉御の相談に乗るように促しているようです。
礼一は体を屈めてブチ黒を撫でてから、姉御の背中を足で踏みつけました。
ブチ白を解放した姉御は、首をぐっと上げて礼一の顔を睨みます。
「お前、俺への扱いが前より酷くなったな」
「そうですね」
臆面も無く頷く礼一に、姉御はため息を吐くしかありませんでした。
「ご主人、前より、もっと、姉御さん好き」
「愛だにゃ、プププ」
ブチ黒のフォローを、ブチ白が台無しにしました。
「愛ならいいけどよー、愛なら」
そう言って礼一の足をどけながら床に胡坐をかいた姉御が見上げると、礼一は赤い顔をしてそっぽを向いていました。
「おまっ、何で照れるんだよ! やめろよ、変な感じになるだろーが!」
そんな主人の様子を見たブチ白は、床を転げて爆笑しています。
「愛ですよ! いいでしょ! でも、変な感じの愛じゃありませんよ! 嫌ですか!?」
開き直った礼一は、転げまわるブチ白へスリッパを投げ付けました。
「いや、いいよ、嫌じゃないよ、解ったよ! いや、よく解んねーけど、解ったから。ブチ白、主人をからかうなよ。礼一は怒ると怖いんだよー、頼むよー、お前」
そそくさと、猫二匹を膝に抱えた姉御を見て、礼一はため息を吐いてから、ガリガリと頭を掻きました。
忘れがちですが、ブチ白もブチ黒も姉御も、ここにはいない大福ねずみも、同じく礼一の家来です。昨年、ちょっとしたアクシデントから、本人の意思と関係なくそういうことになってしまったのでした。
「あんた……術者としての私の家来になってるわけですけど、どう考えてます? きちんと話してませんよね。あんたが今抱えてる、猫たちと同じ立場なわけですけど」
予想外の質問だったのか、姉御は一瞬ぽかんと口を開けて礼一を見上げましたが、すぐに笑顔を見せました。
「俺は別に構わないけど。特別な関係なのは、嬉しいし。雑用はしないけどな! お前らと一緒かー」
ブチ黒白の手を取って、仲間だにゃーとふざける姉御を見て、礼一は少し笑いました。
「そういうことなら、私もこのままの方が都合がいい」
「都合?」
「家来だったら、居場所も把握出来ますし、安心ですから」
「へぇ~、便利だな」
感心した姉御でしたが、膝の上のブチ白を見ながら何かに思い当たったようで、首を傾げて礼一を見上げます。
「居場所が解るって……お前もしかして、ブチ白の秘密の友達のこと知ってたのか? 話をした時は、ただ世話になったって礼を言っただけだったけど」
姉御が言っているのは、何か月か前にブチ白が連絡もせず、友達である人間の子供の幽霊と夜通しで、生きた迷子の子どもを探していた件です。結局、遠藤行者、ヒロシ君との出会いの末、子供は成仏したのでした。
「あぁ、知っていましたよ。しかし、ブチ白が関わった問題ですからね。相談されれば手も貸しますが、決着を付けるのは本人です。主人として余計な口は出しませんが、把握はしているつもりです。結局、あんたの手を煩わせることになってしまいましたが」
「ふーん」
考え込むように顔を伏せた姉御を見て、礼一が不安げに眉根を寄せました。
「家来が、主人に秘密を持つのは難しいですよ。やっぱり、不快ですか?」
「いや……俺は別に構わないけど、お前が大変だろうと思って。家来の秘密まで背負い込んで、しかも、口を出さずに黙って成り行きを見届けてたなんてさ。いい主人じゃないか」
「まぁにゃ、すげー、怒られた、けど」
姉御の言葉に、ブチ白が偉そうに返事をすると、即座にブチ黒がしっぽでブチ白の顔を叩きました。その節にさんざん心配を掛けられた兄ネコは、能天気な弟をじっと見つめます。
「姉御さんに、面倒掛けたにゃ、心配も」
煩わしそうにブチ黒のしっぽを叩き落したブチ白は、ぷいっとそっぽを向きました。
「面倒と言えば、忘れてたよー、マイ主人よー、助けてくれよー。大福とヒコナが、ケンカばっかりでよー。参ってるんだよ」
「……あんたに主人って言われると、結婚してるみたいですね」
礼一は、どうでもいいことを口走りました。真面目に話を聞いていない体の礼一の足に、鼻に皺を寄せた姉御が噛みつきました。
「いてっ! ブチ達にも噛まれたことないのに……」
新しく家来になった姉御は、猫より分別が無く、凶暴な生き物でした。
「ちょっと、失礼しますー」
突然、床下からりょうちゃんの頭が生えて来ました。
驚いたブチ黒白が後ろに飛び退ると、りょうちゃんが、驚かせてごめんね~と、のん気な声で謝りました。
床からにゅっと胸辺りまで生えたりょうちゃんは、礼一の足に噛みつく姉御を見て、あらっと手を口に当てました。
「いちゃいちゃ、お取込み中? ごめんなさいね。急用だったから、床を通り抜けて来てしまったのだけどー」
「便利機能ですが……私が部屋でエロいことをしている時は、遠慮して下さいね」
「わかったわー」
礼一に言われて、りょうちゃんは再び床に沈み込みました。
「いや、今はエロいことしてないだろ! 明らかに、遠慮しなくていいとこだろ。何だよ、急用って」
焦って止めた姉御を見て、りょうちゃんは、うふふと笑います。からかわれたと解った姉御は、渋い顔をして頭を掻きました。
「そうそう。今、団子屋さんから電話があったのだけれど……焦っているみたいで、要領を得なくて詳しいことはよく分からないの。でも、今すぐ来て欲しいって、助けて欲しいって」
「は? また、何かあったのか?」
驚いた姉御が立ち上がると、りょうちゃんは首を振りました。
「危険は無いみたいなのだけれど……兎に角、姉御さんと礼一さんに見て欲しいものがあるって」
姉御と礼一は、顔を見合わせて立ち上がりました。
姉御と礼一がケサランパサランで団子屋へ到着すると、庭の隅に立ち尽くす団子屋と春子たぬき、秋太たぬきの姿が見えました。
「どうしました?」
姉御の手を引いた礼一が駆け寄ると、団子屋が泣き出しそうな顔で振り返ります。
「あ……れ、礼一さん……大変なんです……、大変なんです!」
かすれた声を出し、礼一の肩に手を掛けてガクガクゆする団子屋に、礼一は落ち着くようにと諭しました。
「何があったのです。ちゃんと、説明して下さい」
「あんちゃが、あんちゃが……」
足元で、秋太たぬきが、えぐえぐと涙をこぼしています。その横で、春子たぬきは深刻そうに眉根を寄せていました。
「あんちゃって……カイザーがどうかしたのか?」
ただならぬ様子に姉御が優しく問いかけると、秋太たぬきは姉御の足にしがみ付きました。団子屋と秋太たぬきでは話にならないとふんだ礼一は、春子たぬきに視線をうつし、口を開きます。
「カイザーが、どうかしたのですか?」
「……あんちゃんが、石になってしまったの」
春子たぬきは硬い表情のまま、くるりと振り返って、庭の端にある石を指差しました。
そこには、これまでにも大きな庭石がありました。
礼一の腰の辺りまで高さがあり、両手を回しても届かないような大きな石です。
「は? 何て?」
顔をしかめて首を傾げた姉御が、石の真ん前まで歩を進めました。
「あんちゃんが、邪沼平にある大たぬきの主岩みたいに、この石と同化してしまったの」
姉御と礼一は、ヒコナと秋太たぬきを邪沼平で救った際に、カイザーたぬきに聞いた話を思い出しました。
『――岩のある場所は、邪沼平と言って、火山性ガスがしょっちゅう噴き出す場所だ。あそこは、生きているモノも死んでいるモノも、留まることは出来ん。しかし、邪なモノには心地よい場所でもある。あの場所の守り如何で、聖なる山も、悪に支配されてしまう。多荼羅山の名の所以じゃ。そこでわしらの先祖が、長寿を全うする前に岩と同化することで、あの場所を守って来た。次のたぬきが来たならば、死を迎えて役目も終わる。
わしらの父も、齢五百を越した時――』
姉御は、ぺたりと石に触れました。
「大たぬきの主岩の話は覚えてる。実際、お前らの父親の大たぬきの声も聞いたしな。しかし、何でカイザーがここで? 誰かにやられたのか?」
姉御の疑問に、春子たぬきは黙って首を振りました。
「想像になりますが……団子屋さんを守るためですか? 留守にした不手際で、土地守の足を不自由にした責任を取って、ここから離れずに守る覚悟を決めたと」
礼一の言葉に、団子屋が悲痛な顔を上げました。何か言葉を発しようとしますが、咳き込んでしまいます。
「団子屋さん……ずっと大声であんちゃんのこと呼んでたから、喉が痛いでしょ。ちょっと落ち着きましょう。すぐにどうこう出来るものじゃないもの。縁側に行きましょう」
落ち着いた様子で、一人先だって縁側へ向かった春子たぬきでしたが、途中でこけて、黙って立ち上がりました。
事情を察した姉御は、カイザーが同化したという石をチョップしました。
石が少し欠けました。
「ちょっと、やめなさいよ。あんたは、薪割ぐらい手刀でこなす馬鹿力なんだから。石が割れたらどうするんです」
「あぁ? 俺がいつ、手刀で薪割したよ。薪割自体、したことねーけど?」
反論した姉御を見て、礼一は顎に手を添えて何か考えるように上を向くと、納得したように頷きました。
「昔の話です」
大きく首を傾げた姉御に、礼一は困ったような笑顔を向けました。
「とにかく、石を割っても、カイザーは生まれませんよ。力技では、どうにもなりません」
「あ、そう」
残念そうな顔をした姉御は、足にひっついている秋太たぬきを胸に抱くと、春子たぬきの後を追って縁側へ腰を下ろしました。礼一も不安げな表情をしている団子屋を促し、縁側へ座りました。
春子たぬきが、団子屋へ水の入ったコップを持ってきて渡します。受け取って飲んだ姿を見てから、礼一へ紙を差し出しました。
「これ、あんちゃんの置手紙……決意は固いみたい」
受け取った礼一は、姉御にも解るように、声に出して読み始めます。
「えぇと、
『春子、秋太、わしらは三兄弟じゃ、わしがここで石になっても、邪沼平の大たぬきの主岩のお勤めは、お前たちのどちらかに託せる。わしは、取り返しの付かないことをした。団子屋は許すじゃろうが、わしは自分を許すことは出来ん。土地を守るたぬきが、土地から離れ、土地守に治らぬ怪我をさせるなど、言語道断じゃ。団子屋は悲しむかもしれんが、わしは死ぬわけではない。
上手く石と同化して力が増せば、我が父のように、言葉を交わせる日も来るかもしれん。何より、ここにわしの守り石があれば、邪な心を持ったものなど、この土地に入ってこられぬようになる。守りは万全じゃ。
それでは、後は頼んだぞ。手に負えないことは、タケミと姉御殿に相談するんじゃぞ。後、石はくれぐれも壊さないように、姉御殿に注意しておいてくれ』
とのことです、姉御殿」
泣きそうな顔をしている団子屋の横で、姉御は渋い顔を見せました。
改めて、カイザーたぬきの意思を確認した面々は、それぞれ黙ったまま深刻な表情をして動きませんでした。やがて、再びえぐえぐと泣き始めた秋太たぬきを撫でながら、姉御が口を開きます。
「で? ばカイザーの言い分は解ったけど、お前らはどうしたいの?」
「そんなのっ……、勿論、助けたいです」
当然だと言うように、怒った声を出した団子屋に、姉御は閉じた目を向けました。
「助けるって何だよ。ばカイザーは、自分から望んで石と同化したんだろ。あいつにとっては、手を出さないでもらう方が、助かるんじゃないの?」
「そんな、酷いですよ! カイザーは、姉御さんにとっても友達なんじゃないんですか? カイザーが石になっちゃってもいいんですか!?」
姉御の肩に手を掛けて勢いよく揺する団子屋の手を、礼一が掴んで降ろさせました。
「落ち着いて下さい。乱暴しないで」
「だって、姉御さんがカイザーを見捨てるようなことを!」
尚も食って掛かろうとする団子屋でしたが、自分の手を掴んだ礼一の手の火傷痕に目が行き、勢いを無くしました。それに気付いた礼一が、苦笑しながら口を開きます。
「この人は、こういう言い方をしがちですが、恐らく酷いことは言っていません。今あなたは、私があなたをかばって火傷した消えない痕を見て、苦しい気持ちになったのでしょう? カイザーも、足を引きずるあなたを見る度、今のあなたと同じような気持ちになっていたのでしょうね。しかし、齢を経た分別のあるたぬきですから、罪悪感に苛まれることの愚かしさも理解していたはずです。
そして、考えた末、こういう形で責任を取ろうとしているのでしょう。だからこの人は、それを助けるというのは、筋が違うだろうと言いたいのですよ、そうでしょう?」
最後に同意を求めた礼一に、姉御が頷いて見せました。
「そう、そんな感じ」
長話をしっかりと聞いていた雰囲気はありませんでした。明らかに、礼一に任せとけば間違いねーわ、という顔をしています。そんな姉御の雰囲気を察してか、団子屋とたぬき二匹は、黙って姉御をジャッジするように見つめました。
裁きの視線を感じた姉御は、一つ咳ばらいをしました。
「とにかく! たぬき二匹は、兄ちゃんの決めたことだからしょうがねぇって感じだし、団子屋は助けるとか、とんちんかんなこと言うし……それじゃ、困っちゃうんだよ、俺は。直接の当事者はお前らなんだから、そのお前らがずばっと、こうしたいんだって言ってくれねーと、俺は手の出しようが無いぞ!」
怒鳴った姉御の言っていることが理解出来ないのか、団子屋もたぬき兄弟も不思議そうな顔をして黙っています。
「だーかーらー! 下らん選択をしたばカイザーの心情なんて、俺はどうでもいいんだよ。ばカイザーが嫌がって泣こうが喚こうが、俺は、お前らの望むように力を貸すって言ってんの。ばカイザーを尊重したり、助けたいとかじゃなくて、お前らはどうしたいんだって聞いてんの! うーん、言ってる事わかるか?」
言っている本人も混乱してきたのか、頭を抱えて唸りながら首を傾げています。
わかんねーかな、とぶつぶつ言っている姉御の頭に、ぽんっと礼一が手を載せました。
「伝わったみたいですよ」
礼一の言葉に姉御が頭を上げると、にまっと笑った春子たぬきが口を開きます。
「そうよね……そうよ! あんちゃんが勝手にやったことだもの。私は知らない! 納得出来ない! たぬきのあんちゃんに戻してやるわ」
「そだよ、僕は、嫌なんだ。石のあんちゃなんて」
涙を腕でぐいっと拭いた秋太たぬきは、力強く立ち上がりました。
「うん……そうだ。カイザーが辛いのも、思い詰めた末の選択も、知ったこっちゃないんだ! 何としてでも、元のカイザーに戻してやる! それでカイザーが怒ったとしても、怒鳴り返してやる! 礼一さん、姉御さん、力を貸して下さい」
ショックが怒りに代わった団子屋とたぬき兄弟は、拳を握りしめながらメラメラと闘志を燃やし始めました。
「このままでは、皆で石を破壊しそうな勢いですね。取りあえず、大たぬきの主岩について調べてみましょう。手分けして資料を当たって、カイザーがどういう状況なのか、正確に把握しなければ」
冷静な礼一の意見に、皆で鼻息荒く、頷きました。
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