53話 保留

 目を覚ました団子屋は、ひとしきり皆にお礼を言いました。そして、お粥を食べ終わった頃、姉御の掌底から回復した男と対峙しました。二人をぐるりと取り囲むように、部屋の壁際には、駆けつけていた面々が腰を下ろしています。皆の視線が男に集中しており、団子屋は困ったように笑うしかありませんでした。


「……カイザーのおでこの怪我と、僕の友人の頬の痣は、姉御さんですか?」

団子屋が静かに口を開くと、姉御は唇を尖らせてそっぽを向きました。

「事情はケサランパサランから聞いて、大体把握しています。その上で我々は、大切な友人であるあなたに怪我をさせた男に、口も手も出さずに、あなたが目を覚ますのを待ちました。それは、姉御さんのお仕置きのおかげでもあります。取りあえずは、それですっきりしましたから」

礼一がフォローを入れると、団子屋は少し照れ臭そうに頷きました。

「ご心配お掛けしました。事情を知ってくれているのなら、今回のことは不運な事故だったと納得してもらえると思うんですが」

 その言葉を聞いたたぬき三兄弟が、盛大に目を見開いて団子屋へガンを飛ばしました。外部の男がいる手前、言葉を発することを遠慮しているたぬき三兄弟は、いつもよりリアクションに力がこもっていました。その様子を見た団子屋は、再び苦笑しました。同じように腹を立てているでろうお宿の面々は、大人なのか、黙って成り行きを見守っているようです。その静かな様子に、団子屋は逆に、試されているようなプレッシャーを感じました。


「……警察へ行けばいいんだろ」

虚ろな目をした男が、ぼそりと口を開きました。投げやりな様子の男からは、疲れ切った脱力感しか感じられず、反省などという殊勝な感情は見て取れません。

 悲しそうに目を伏せた団子屋は、決心したように顔を上げると、真っ直ぐに男を見据えて口を開きました。

「警察へは、行かなくていい。今ここで、もうこれ以上、僕に何も言わなくていい。君は黙って帰って、悪い友達とは縁を切って、やれることを精一杯やって、毎日を過ごして欲しい。そして、僕に心底謝りたくなったら、ここを訪ねて欲しい」

団子屋の言葉に、たぬき三兄弟は再び目を剝きましたが、姉御と礼一は密かに口の端を上げました。その微妙な反応を感じ取った団子屋は、自分の決断に自信を持ちました。


「お前、馬鹿じゃねーの?」

吐き捨てるように、男が言い返します。

「そうだね。でも、君も馬鹿だろ。今回のことは、僕と君が一緒に招いたことなんだ。お互いに、やり方を間違ったんだよ。出会った頃には戻れないし、すぐに今回のことを許すことは出来ないけど、僕は君がそんなに悪い奴じゃないって思えた。結局、逃げずに僕の傷を止血していてくれたみたいだからね。今感情的に言い合いをするより、お互いによく考えるべきなんじゃないかな」

そう言って少し笑った団子屋に、男は何事か言葉をぶつけようと口を開きましたが、上手く言葉が出てこないようでした。

「馬鹿だろ! 馬鹿じゃねーの! 馬鹿だ!」

結局、何度も馬鹿馬鹿と繰り返し怒鳴り、最後には涙交じりでひゅーひゅー喉を鳴らしました。


 その様子を困ったように見つめている団子屋を見て、姉御は男の頭をごんっと殴りました。

「ほら、団子屋の言う通り、帰れよ。お前がまともなやつなら、責められず、罪も償わずに毎日を過ごすのは、さぞ辛いだろうよ」

姉御は男の耳元でそう言ってから、襟首を掴んで立たせると、玄関へ連行して外へ捨てたようでした。

 姉御が戻って来てしばらくすると、庭の方から車の音が聞こえました。男が帰っていったようです。


「なんでじゃ――! お前、それでいいのか! 姉御殿も、何であいつを返すんじゃ!」

「そうよ! 酷い怪我をしたのに!」

「僕、やつけるのに!」

黙っていたストレスから、たぬき三兄弟が喚き散らしました。

「うるせぇな! 団子屋が良いって言うんだから良いんだろ。いつまでもあの馬鹿がいたら、どうせお前らが我慢出来なくなるだろう。そうなって困るのは団子屋だぞ」

姉御が怒鳴っても、いつまでもギャーギャー騒ぐので、結局拳骨をくらいました。


「いいんだよ。正直、脅しだとしても、ナイフを突きつけられたことは許せないし、腹を立ててもいる。でも、ちゃんと考えたいんだ。一時の感情で、罰したり、許したりしたくない。途中で電話が掛かって来る前は、ちゃんと話し合いになりそうだったんだ。そもそも、警察に色々調べられると僕も面倒だし」

そう言って笑った団子屋へ、たぬき三兄弟は複雑な表情を投げました。


 たぬき達を、まぁまぁと宥めたりょうちゃんは、薬師様と目線を交わしました。団子屋の目が覚めてからごたごたしていたので、本人にも他の者へも、詳しい怪我の状況を話しそびれていました。心を決めたように立ち上がった薬師様は、団子屋の布団に登りました。

「怪我、二週間かからないで治る……かな。でも、足は完全には戻らない、ちょっと引きずるようになる……かな」

 薬師様の言葉に、皆が弾かれたように顔を上げました。

「え? そ、そうなんですか?」

驚いたように聞き返した団子屋に、薬師様が頷きます。

 皆一様に深刻な顔をしていましたが、カイザーたぬきはショックが大きすぎたようで、よろめいて畳へ体を横たえてしまいました。

「ちょっと、カイザー、大丈夫!? 僕は平気だよ。まだ実感が無いだけかもしれないけど、スポーツ選手じゃあるまいし、気にしないよ。ちょっと引きずる程度なら、歩けるわけだし」

怪我をした本人に心配されたカイザーたぬきは、ははは、と照れたように笑って、態勢を立て直します。


「団子屋が平気だと言うならば、いいんじゃ。わしらも、いつでも人型でお手伝い出来るしな」

「そうよ、何でもお手伝いするわ」

「する」

カイザーたぬきの言葉に、弟妹たぬきも力強く同調して見せました。

「うん。ありがとう」

 取りあえず団子屋も疲れただろうからと話を切り上げた面々は、複雑な心境ながら部屋を後にして、お宿の者達はいったん帰宅することになりました。


「ヒコナと薬師様は、戻って準備してからすぐこっちに戻るから。しばらく泊まり掛けで面倒見るから、安心しろ。風呂掃除のバイトも、お休みだ」

姉御が庭で、見送りに出て来て頭を下げているたぬき三兄弟へ向けて言いました。

 礼一の車へ乗り込もうとしていた姉御の元へ、カイザーたぬきが走り寄りました。何事かと、姉御が止まって顔を向けると、カイザーたぬきが真剣な眼差しで口を開きます。

「姉御殿……もう一度、殴ってくれんか。団子屋の話し合いを邪魔した電話……あれは、わしのせいなんじゃ。わしが帰って来なくて団子屋が心配するといけないからと、かのちゃんが団子屋へ掛けた電話だったんじゃ」

姉御はちょっと驚いた顔をした後、黙ってカイザーたぬきの頭に拳骨を落としました。それからしゃがんで目線を同じくすると、拳骨を打ち込んだ部分に優しく手を置きます。

「まぁ、お前も辛いだろうな。考えすぎるなよ」

姉御の優しい声に、カイザーたぬきの目に涙が溜まりました。

 やがて、去って行く車の姿を、三匹のたぬきは再び頭を下げながら見送ったのでした。



 山道に入ると、運転していた礼一が一つため息を吐きました。

「ん? 団子屋の怪我が相当堪えたか?」

助手席の姉御が声を掛けると、礼一は決まり悪そうに少し笑いました。

「いえ、恐らく、あんたが考えてるような堪え方ではありませんよ。友人として、驚いて腹を立ててはいますが。あんたと殴り合ってから、私も色々ありましてね。団子屋さんに関しては、過干渉しないことが、償いになるだろうと考えています」

話の内容に、姉御は首を傾げました。

「まぁ、良く解らんけど、いい感じに考えが変わったみたいで、良かったね。でも、団子屋にお前が償わなきゃいけないことなんてないだろ」

「まぁ、クワガタ時分から、余計な手出しをして来たことは確かですからね。本人の与り知らぬところで、人生にちょっかいをかけていましたから」

そんなもんかねー、律儀だねーと返しながら欠伸をした姉御に、礼一は笑います。

「あんたにはこれまで以上に、遠慮なく口も体も出しますから。あんた個人の人生なんて知ったこっちゃありませんから、そのつもりで」

「何でだよ!」

良く解らない暴言に勢いよく言い返した姉御でしたが、礼一が余りにも嬉しそうに笑っているので、それ以上何も言えませんでした。


 姉御と礼一の間に、薬師様が差し出されました。

 ヒコナが、後部座席から差し出しています。


「な、何だよ……」

戸惑いながら受け取った姉御は、取りあえず薬師様を膝に抱きました。


 お宿へ戻ると、先に戻っていたりょうちゃんから詳しく話を聞いた面々が、薬師様に歓声を送りました。薬師様は、顔を赤らめながらそれに応えています。

「あぁ、そういえば……春子たぬきから、お宿の皆に心配を掛けたからと、お礼の手紙を預かって来ました。大福君に渡して、みんなに読んであげて欲しいと」

「流石に、雌の春子はそういうとこ気を回すなぁ」

感心する姉御の横で、礼一はポケットから手紙を出して、大福ねずみの前に広げました。


 紙に載りながら、大福ねずみが読み始めます。

「え~と、『皆さん、今回は、色々不運が重なったとはいえ、土地を守るたぬき三兄弟としてご心配を掛けたこと、心よりお詫び申し上げます。そして、皆さまのおかげで、団子屋さんが無事で済んだこと、本当にありがとうございました。余談ではありますが、ヒコナが姉御さんと一緒にシャワーを浴びていました。がっつり裸も見たようです。あしからず』、だってさ。本当に、余計な気が回る雌たぬきだね~」

 皆の視線が、ヒコナへ集まりました。

「ま、まぁ……ヒコナは、子供みたいなもんでやしょう。そんなに怒ることでも……」

カエルのお頭が、フォローを入れました。

「そうだね~、千年童貞は、ずっと純粋な子供のまんまだからね~。死ねばいいのに~、綺麗なままで~」

大福ねずみが跳び上がって、ヒコナの顔へしっぽムチを仕掛けました。それを、むんずと掴んで阻止したヒコナが、大福ねずみを眼前に持ち、口を開きました。


「うぬは~~、いつもいつも、我を千年童貞と馬鹿にしおって! 姉御殿に怒られるならまだしも、なぜ、ねずみに怒られねばならんのだ! うぬはいったい、姉御殿の何なのだ! ただのねずみの分際で!」

開き直って怒鳴ったヒコナの言葉を聞いて、大福ねずみが言葉に詰まりました。

 黙ったまま、掴まれた手の中でじっとヒコナを見つめています。周りの面々も、口を開かずに成り行きを見つめているようでした。


 ゆっくり口を開いた大福ねずみは……ヒコナの手を噛みました。

 ヒコナは流血しました。


 反射的に大福ねずみを放り出したヒコナは、血が出た指を口にくわえます。

「おまっ、難しい質問すんなよ~。しかも、間接キスや~め~ろ~よ~」

ロビーのテーブルの上に着地した大福ねずみが、ぺっと唾を吐きました。

「よーし、もめるのはそこまでだ。みんな疲れてるだろうけど、台風の被害が無いか、手分けして敷地を調べるぞー。ヒコナは用意出来たら、薬師様を連れて団子屋へ戻ってくれ。しばらく頼んだぞ。後、お見舞いは少し落ち着いてから、徐々にな」

姉御の言葉を聞いて、皆返事をしつつその場を後にします。


 テーブルの上にぽつんと載ったままの大福ねずみを、しゃがんだ礼一がじっと見つめます。

「何だよ~」

「痛いですね」

「噛まれたのは、お前じゃないだろ~」

「解ってるくせに」

そう言って立ち上がった礼一から、大福ねずみは顔を背けました。

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