52話 選択

 ケサランパサランから団子屋が怪我をした詳細を伝え聞いた面々は、険しい顔をして壁際で眠る男を睨みつけました。

「取りあえず、ぶっ飛ばしていいんじゃないの?」

立ちあがった姉御を、まぁまぁ、とりょうちゃんが留めて座らせました。

「それは、団子屋さんと話した後にしましょう……ちょっと眠って回復してもらわないと、説明も面倒だし」

不満げな顔をした姉御でしたが、緊張が完全に溶けたのか、ふわ~っと欠伸をしました。


「あら、姉御さんもヒコナさんも、嵐の中、無茶して走って来て疲れているでしょう。この男は私が見張っているから、ちょっと眠るといいわ。その内、礼一さん達も来るでしょうから」

多少、雨風の音が収まって来た気配を探った姉御は、素直に頷いて立ち上がりました。

「団子屋のとこで寝る」

そう言って薬師様を鷲掴むと、隣の部屋へ入って行きます。りょうちゃんへ頭を下げたヒコナが、その後を追って行きました。

 しばらくしてりょうちゃんが静かになった隣の部屋を覗くと、団子屋の隣に敷かれた布団に、姉御と薬師様とヒコナがぎゅっと収まって、寝息を立てていました。



 チュンチュンと、外でスズメの鳴く声が聞こえ始めたことで、りょうちゃんはすっかり台風が去ったことを知りました。雨戸が閉まっていて家の中は暗いですが、外はすっかり明るくなっているようです。

 玄関が開く気配がしました。

 とたとたと、小さな足音が忙しなく響くと、居間へ春子たぬきと秋太たぬきが駆け込んで来ます。

「団子屋さんは!?」

春子たぬきの焦ったような声を聞いたりょうちゃんは、隣の部屋を指差しました。

「大丈夫よ、寝ているわ。そっとね」

りょうちゃんに言われて、ぱくっと口を閉じた二匹は、そっと襖を開けて隣の部屋へ滑り込みました。


 遅れて居間へ現れた礼一に、りょうちゃんが先程と同じ仕草をすると、礼一は黙って頷いて隣の部屋を覗き込み、すぐにりょうちゃんの元へ戻って来ました。

「お疲れさまでした。無事で何よりです、安心しました。姉御さんはどうです? 台風の中、無茶しましたからね……あの人も怪我とかしてませんでしたか?」

礼一に言われて、りょうちゃんは、はっと顔を曇らせました。

「そこまで気が回らなかったわ……」

「いや、それはそうですよね。あの人は頑丈ですから、無駄な心配ですよ」

そう言って笑った礼一を見て、起きたら確かめましょうね、とりょうちゃんが頷きました。


 それからすぐに、姉御とヒコナが起きて居間へやって来ました。春子と秋太の泣き声で起きた、と笑う姉御の前に礼一が立ちはだかりました。

「お、礼一、良かったな。団子屋は無事だ」

そう話しかける姉御を無視して、居間の電気を付けた礼一は、姉御の腕や足や背中の服を捲り上げて顔を寄せました。

「な、何を無礼な!」

声を荒げたヒコナを無視して、礼一はため息を吐きました。

「あんた、傷だらけ、痣だらけじゃないか。あんたも、薬師様に見てもらえ。足首も、捻挫してるでしょう」

呆れたように言う礼一に、姉御は唇を尖らせました。

「かすり傷だろ、平気だ。痛くないし」

姉御がそう言った瞬間、礼一は姉御の腕の痣をぐっと押しながら、何です? と聞き返します。

「いでっ……解ったから!」

満足そうに頷く礼一を、ヒコナが驚愕の表情で見つめています。


「あぁ……我は……我も、気付いていたのに! 昨日、一緒にシャワーを浴びた時に気付いたのに! その後も色々あって、すっかり忘れてしまっていた。何ということだ!」

くやしそうに、畳に膝を付いたヒコナを、りょうちゃんと礼一が無表情で眺めました。

「あら、シャワーを一緒に浴びたのね。姉御さんの裸を見たから、怪我には気付いていたのねー?」

静かに言ったりょうちゃんへ、ヒコナが何度も頷きました。

「そうだ、気付いていたのに……放置するとは……一生の不覚! 傷が残ったら、我が責任を取る所存」

四つん這いで決意を固めるヒコナの頭へ、礼一が足を載せました。

「千年童貞は、女性と一緒にシャワーを浴びるのは、普通のことなのですか?」

礼一の言葉に、姉御が、あっ、と声を上げます。

「あぁ~、焦ってて気づかなかった! 笑えるな!」

そう言って笑った姉御の頭を、礼一が片手で掴みました。

「笑えないだろ、一応あんたは女だぞ、反省しろ」

「うぉ……かなりのフェイスクローだ……反省したっ。すまん、不注意だった! ヒコナも許してやってくれ。わざとじゃ無いんだ」

乞われた礼一は姉御の頭から手を離し、ヒコナの頭をグッと畳にめり込ませてから足をどけました。

「すまんな、ヒコナ」

小声で謝る姉御に顔を向けたヒコナは、顔を赤くしていました。明らかに、姉御の貧相な裸を反芻しています。礼一が舌打ちすると、ばっと半笑いで顔を下へ向けました。


 逃げるように朝食を作りに台所へ去った姉御の背中へ、礼一は薬師様を投げ付けました。こらっ、と今回の功労者への礼一の狼藉を姉御が叱ります。

「千年童貞……ププッ」

薬師様は怒っていませんでした。むしろ、台所にいたヒコナをちらっと盗み見て、笑っているようです。


 静かになった居間で、りょうちゃんはため息を吐いた礼一を見つめました。

「礼一さんと姉御さんは、殴り合って何か変わったわね……前の礼一さんだったら、姉御さんがうっかりヒコナさんと一緒にシャワーを浴びたなんて聞いたら、爆笑してたんじゃないかしらー」

りょうちゃんの言葉に、礼一は決まり悪そうな笑顔を見せました。

「殴り合って変わったというか……色々思い出したんですよ」

良く解らないことを言われたりょうちゃんは首を傾げましたが、礼一はそれ以上何も言いませんでした。

 そこへ、春子たぬきと秋太たぬきがやってきました。団子屋の様子を見て、取りあえず平静を取り戻したようで、ほっとした顔をしています。

「さぁ、春子と秋太も来ましたし、詳しい話を教えてもらえませんか?」

礼一に促され、りょうちゃんは昨夜ケサランパサランに聞いた話を、そのまま語って聞かせました。


 行儀良く最後まで話を聞いた面々は、壁際で寝こけている男を、血走った眼で睨みまくりました。

「皆さんの気持ちは解るわ。私も、あの男の人には腹が立つもの。でも、団子屋さんに話を聞いてからにしましょう。一応、姉御さんもそれで納得してくれたわ。勝手なことをしたら、団子屋さんが悲しむと思うのー」

りょうちゃんの言葉を聞いた春子たぬきと秋太たぬきは、キバを剝いて鼻に皺を寄せながらも、何とか頷いて見せました。

「……僕、知ってんだ。この男、嫌なやつだた。冬にここに遊びに来て、勝手に上がり込もうとしたから、あんちゃと僕で、おっぱらた。もっと懲らしめればよかた」

「そうですか……あぁ、そういえば、政治家の息子ともめたから、タケミの名前を出したと、カイザーが本家に報告に来ましたね。それのことですか?」

悔しそうに話した秋太たぬきに礼一が問うと、そだよ、と頷きます。


 難しい顔で男を見つめる皆のもとへ、姉御が朝食を運んで来ました。

「安心したら、腹減っただろ~。おにぎりと卵焼きだぞ。りょうちゃんには、ジュース。みそ汁もあるぞ!」

ちゃぶ台に皿を降ろすと、秋太たぬきが歓声を上げました。

 皆の目が食事に移った時、壁際の男が身動ぎし、ゆっくりと目を開けました。

「うーん……ん?」

大勢の気配を感じて不審に思ったのか、寝起きで何も理解出来ていない様子で、上体を起こしながら首を傾げます。


「はいっ!」

誰も反応出来ずにいる隙に、姉御が男の顔に掌底をぶちかましました。衝撃で壁側を向いて倒れた男は、そのまま動かなくなりました。

「まだ寝てた方が都合がいいだろ」

誰もが思いました。姉御はただ、殴りたかったのだろうと。


 朝食を和やかに食べた後、姉御は雨戸を開けました。台風一過で、晴れ渡る青空は高く澄み、秋の気配も近い気持ちのいい朝でした。

「何じゃー姉御殿、こんな朝早くから」

朝帰りのカイザーたぬきが、庭に立っていました。

 カイザーたぬきの声を聞いた春子たぬきと秋太たぬきが庭へ飛び降りて、兄へ走り寄りました。姉御の後ろから、りょうちゃんと礼一が顔を出したのを見て、カイザーたぬきは表情を険しくします。ただ事では無い気配を感じ取ったようです。

「何かあったのか?」

春子たぬきへ尋ねながら、キョロキョロと団子屋の姿を探します。

「団子屋はどうした?」

兄の姿を見て気持ちが緩んだのか、春子たぬきも秋太たぬきも、黙って目に涙を溜めました。

「何があった! 団子屋はどこだ!」

弟妹の様子を見て、不安が募ったカイザーたぬきが叫びました。


「うるせー!」

縁側の姉御が、カイザーたぬきの腹へ、ジャンピングドロップキックをかましました。

 庭へ倒れたカイザーたぬきの横を通り、姉御が縁側へ戻って座りました。姉御の隣へヒコナが腰降ろすと、その膝へ秋太たぬきが跳び乗り、顔を埋めて泣き出しました。


 礼一が、ヒコナと逆側の姉御の隣へ座り、静かに口を開きます。

「団子屋さんが怪我をしました。昨晩、もめていた知人が上がり込んで、言い合いをして、転んだ拍子にナイフが団子屋さんの足に。ケサランパサランのおかげで薬師様が間に合ったので、命に別状はありません」

庭に大の字になったまま話を聞いたカイザーたぬきは、目を見開いたまま微動だにしませんでした。上から、春子たぬきが心配そうに覗き込んでいます。

「わしのせいじゃ……団子屋が一人になってしまうと、解っていた……」

絞り出すように、低くしゃがれた声を出したカイザーたぬきに、姉御がどかどかと歩み寄り、首の後ろを掴んで完全にぶら下げました。


「お前のせいじゃねーよ。てめー、それを団子屋に言うなよ。充分辛い目に遭ったのに、お前が自分を責めて辛い思いをしてるっていう、つまらねぇ重荷まで背負わすんじゃねぇぞ。ただ、台風の夜に、お前が土地を離れて団子屋を一人きりにする選択をしたってのは事実だ。理由は知らんが、軽い気持ちでそういう選択をしたならば、高くついたな」

瞼が閉じられた姉御にじっと見つめられ、カイザーたぬきは固く目を閉じました。


「どこにいたんです?」

礼一の言葉に、ぴくっと耳を動かしたカイザーたぬきは、目を閉じたまま苦し気に口を開きます。

「……カノちゃんのとこじゃ。台風で不安そうじゃったから」

それを聞いた姉御は、カイザーたぬきに頭突きをかましました。

「しょうがねぇやつだな。守るもん増やすのはお前の勝手だけど、手が回らなくても後悔しない覚悟はあんのかよ……俺も、人のこと言えないけどね。まぁ、充分ぶっ飛ばしたし、団子屋の様子を見て、安心してこいよ」

そう言ってカイザたぬきを縁側へ放り投げた姉御は、辛そうな顔をしていました。


 カイザーたぬきは、りょうちゃんに連れられて隣の座敷へ消えました。

 どかっと、再び縁側へ座り込む姉御を、礼一がじっと見つめます。

「確かに、あんたは人のこと言えないですね。気付かなかったな……私の怪我も、ショックでしたか?」

静かな口調で言った礼一の言葉に、姉御は黙ったまま顔を伏せました。

「アンタが悲しむなら、もっと気を付ければよかった……もう、すっかり治りましたよ。あんたと殴り合った時の方が、痛かった」

そう言って笑った礼一は、そっと、姉御の手を、自身の火傷の痕へ導きました。  そっと礼一の腕に触れた姉御は、ちょっと眉根を寄せた後、ふっと笑顔を見せました。

「あの殴り合いは、俺も痛かったよ」

そう言って、礼一の火傷の痕を撫でる姉御の手に、礼一は自身の手を載せました。


 二人の間に、秋太たぬきが割り込んで来ました。

 後ろでヒコナが、二人の隙間へ秋太たぬきをねじ込んでいます。


「何をしているのです……てめぇ」

礼一と千年童貞の、よく分からない対立フラグが立ちました。


 そんな縁側を、春子たぬきがスケッチブック片手に、目を輝かせて見つめていました。

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