51話 急げ
「さ、最高だった……」
満足げな姉御の声が響く中、宿の面々は、座敷に大の字で寝転がっていました。
「最高に馬鹿だよね~、台風露天風呂大会だって。こらっ、クマズ! 脱水してないやつはどいつだ! 畳がびしょびしょじゃんか~」
お宿で開催されていた、台風露天風呂大会に出場した馬鹿達に、大福ねずみが呆れながら声を掛けました。
「あら、姉御ちゃん、どこにいたの? ずっとこの子が探していたみたいだけど」
馬鹿な遊びとは一定距離を置くバーママが、ケサランパサランを一匹肩に載せて現れました。
「ん? ケサランパサラン達は全員空に行ってると思ってたけど、居残ってるのもいたのか」
姉御が首を傾げると、大福ねずみがキョロキョロと辺りを見回しました。
「あれ~ほんとだ、ケサランがいない。っていうか、空? どゆこと~?」
「台風が来ると、ケサランパサランはテンションが上がって、上空で雲と一緒に回りまくりたくなるらしい。そして、台風の目にずぼっと抜けるのが楽しいらしい。すげーやってみたい」
能天気に聞いた大福ねずみに、姉御はどうでもいいケサランパサラン雑学を披露しました。心底どうでもいいように、あっそ、と返した大福ねずみに姉御が抗議しようと口を開いた所へ、ケサランパサランが剛速球でぶち当たりました。
「痛っ! な、なんだよっ、あ?」
瞬間的に怒った姉御でしたが、すぐに表情を硬くしました。姉御の周りを上がったり下がったりしながら、落ち着きなく浮かぶケサランパサランが、何事か話しかけているようです。
姉御の表情が、どんどん険しくなりました。
「くそっ、どんだけ時間が経ってんだ!? それより、薬師様……いや、ケサランパサランが少ないから、俺じゃ遅いか……」
忙しなく何事か考えている姉御の様子は、尋常ではありませんでした。周りの面々は声を掛けるのを遠慮して、姉御の説明を待っているようです。
姉御はいい考えが浮かんだのか、ばっと顔を上げました。
「りょうちゃん! 前に、大福を連れたまま、遠くの場所へ瞬間移動したことあったよな? 薬師様を連れて、同じこと出来る?」
突然お声が掛かったりょうちゃんは、戸惑いながらも頷きました。
「出来ると思うわ。人間は無理だったけど、薬師様は大福ちゃんよりは大きいけれど、一緒に運べると思う」
訳も分からず、問われるままに答えたりょうちゃんに、姉御は神妙な顔で頷きました。
「団子屋が、家で怪我をしているらしい。りょうちゃんは薬師様を連れて、速攻で団子屋のところまで行ってくれ。薬師様、切り傷らしいから、必要なものをすぐ用意して、行ってやってくれ! 俺も走ってすぐに行くから、頼む!」
大声でそう言うと、姉御は宿を飛び出して行きました。ケサランパサランがほとんど出払っているので、自力で走っていくようです。
りょうちゃんと薬師様が、バタバタと広間を出て行きました。
「ヒコナ! 外は台風だ。姉御が心配だから、付いて行ってやってくれ!」
いち早く状況を把握した大福ねずみが、茫然としているヒコナへ向かって怒鳴ります。
「承知」
座敷を飛び出したヒコナの後を、秋太たぬきと春子たぬきが追いました。
「春子、秋太、待ちなさい!」
大声を出してたぬき達を制止したのは、礼一でした。
「何でよ! 団子屋さんが!」
「僕も行く!」
立ち止まったたぬき達が、礼一を睨んで叫びます。
「足手まといだ。姉御さんやヒコナでも、台風の中、お山を下りるのは危険だろう。お前達に構っている余裕はないはず。着いたら連絡をくれるでしょうから、ここで待つんだ。嵐が収まってきたら、私がすぐに車を出すから。
見なさい、あんなに酷かった私の火傷も治っている。薬師様に任せて、我々は状況を複雑にしないためにも、ここで待機しているべきだ」
頷きながら、自身に言い聞かせるように話す礼一を見て、春子たぬきと秋太たぬきはその場にすとんと座り込みました。黙ったまま、悲しい顔をしている二匹のたぬきの周りに、クマズが群がりました。かける言葉が無いのか、ただ、わらわらと集って励ますように、たぬき達の体をぽんぽん叩いています。
「大丈夫だ! りょうちゃんはもう着いてるはず」
礼一の肩によじ登った大福ねずみが言うと、礼一も頷いて畳に胡坐をかきました。
りょうちゃんは胸に薬師様を抱えて、スッと団子屋の母屋の廊下へ現れました。暗い廊下から障子戸を開けて居間へ顔を覗かせると、そこには、倒れて目を閉じている団子屋と、その団子屋の足元に覆いかぶさる見知らぬ男がいました。
りょうちゃんは、男が誰なのか、何があったのか問いただす間もなく、畳に血が広がっている血を見て細い悲鳴を上げました。
「血がっ! ここに団子屋さんがいるわ! 薬師様、お願い!」
りょうちゃんが叫ぶのと同時に、薬師様は畳に飛び降りて団子屋のもとへ駆け寄りました。血だまりから怪我の位置を予想すると、そこには、男の手がぎゅっと添えられていました。
近寄ったりょうちゃんもそれに気付くと、そっと、男の肩に手を載せました。
「もういいわ、手をどけて!」
突然人が押しかけて来たことに驚いた男は、弾かれたように上を向くと、ぱくぱくと口を開いて音にならない声を上げているようでした。
「とにかく、事情は後で聞くから、早く手をどけて! 私達、団子屋さんを助けに来たのよ!」
りょうちゃんが怒鳴ると、男はがばっと手をどけて、部屋の端まで這うように逃げて行きました。男が手をついた畳には、団子屋の血で出来たであろう手形が並んでいます。
薬師様が団子屋のズボンに鋏を入れ、傷口をあらわにしました。そして、手早く持参した壺から一すくい傷に薬をかけました。傷から微かに煙が上がってくると、団子屋の心臓辺りに駆け上がり、耳を付けて音を聞いたり、臭いを嗅いだりし始めました。
治療の様子を気にかけながらも、りょうちゃんは、部屋の隅で顔を伏せて座り込んでいる男の様子を盗み見ました。そして、畳に落ちている血の付いたナイフに目をやると、黙って眉間に皺を寄せました。団子屋の怪我に、この見知らぬ男が関係しているであろうことは容易に予想出来ましたが、ここに着いた時に、必死の形相で団子屋の傷口を押さえていた姿を思い出すと、問いただすことが躊躇われました。
「血は止まった……かな。止血していたのは良かった……かな」
そう言いながら、薬師様は傷口に指を突っ込んで何やら動かしています。そしてまた薬を掛けると、粘土のような塊を傷口に押し当てて、包帯を巻きました。
傷の治療が終わったのか、団子屋から離れた薬師様は、部屋の隅の男の元へ駆け寄りました。
「な、なんだ、これ」
状況に着いてこれないのか、放心していた男が近寄って来た小動物を見て、体をびくっと痙攣させました。そんなことはお構いなしに、薬師様は男の匂いをふんふん嗅ぎ始めます。
「血が足りない……かな。この男の血は使える……かな」
薬師様の言葉を聞いて、りょうちゃんが男の前へ膝を折ると、再び男が怯えたように体を引きました。
「団子屋さんを助ける為に、あなたの血が必要なのよ。状況は理解出来ないでしょうけど、協力して! そうね、夢だと思ってくれていいわ。あなたの血があれば、団子屋さんは助かるのよ」
説得を試みるりょうちゃんの横で、薬師様は問答無用で男の腕に針を刺していました。
「いっ―――」
痛みに驚いた男が腕に目をやったので、りょうちゃんは男の顔を両手で挟んで、自分の方へ向けました。
「団子屋さんは助かるの。そうすれば、あなたも助かるんじゃないかしら? さぁ、夢だと思って、目を閉じて。もういいのよ、疲れたでしょう? これは、夢よ」
りょうちゃんは目を閉じた男に、優しい声で何度も何度も、夢よ、と言い聞かせました。
男は、大人しくなりました。
しばらくして、血をゲットした薬師様は、団子屋の元へ戻り輸血を始めます。
一通り治療が終わったのか、くるりとりょうちゃんを振り返ると、一度下を向いてから顔を上げて口を開きました。
「もう大丈夫……かな。命は助かる……傷も治る……でも、足は引きずるようになる……かな」
それを聞いたりょうちゃんは、静かに目を閉じて俯きましたが、すぐにぱっと目を開き、笑顔で顔を上げました。
「命が助かったのなら、それでいいんじゃないかしら。みんな、気の毒がるかもしれないけれど……生きて、これまで通り皆と過ごせるんだもの、きっと、幸せに過ごせるわ。失ったものは、些細なものだって思えるわよ。私が死んでいるから、そう思えるのかもしれないけれど……皆に好かれている、優しくて強い子だもの、きっと大丈夫よ。ありがとう、薬師様」
そう言って、薬師様をそっと持ち上げて頬ずりすると、薬師様も頷いて目を閉じて、りょうちゃんの頬をそっと撫で返しました。
団子屋の血色が戻って来た頃に、玄関で騒がしい気配がして、どかどかと居間へ足音がやって来ました。襖が開くと、泥と葉っぱを全身に貼り付けた姉御とヒコナが立っています。険しい形相をした二人に、りょうちゃんが口を開きました。
「団子屋さんは大丈夫よ。命に別状は無いわ」
ほっとしたように笑顔を見せた二人は、廊下に尻餅をついて荒い息を吐いています。すぐに何か思い出した姉御は、ポケットから携帯電話を出しました。
「礼一か。団子屋は大丈夫だ。詳しいことはまだ解らんけど、兎に角、大丈夫だそうだ。ん? 俺とヒコナも無事だ」
宿の皆に連絡したであろう携帯の奥から、歓声が聞こえました。薬師様バンザーイ、と聞こえて来て、言われた本人は照れ臭そうに頬を掻いています。
電話を切って居間に入ろうとした姉御を、りょうちゃんが手で留めました。
「二人とも、どろどろよ? 不潔だから、近づいちゃ駄目! シャワーを浴びて、着替えて来て」
りょうちゃんに怒られた二人は、唇を尖らせながら、風呂場へと向かって行きました。
二人がシャワーを浴びている間に、りょうちゃんは急いで畳の血を掃除し始めました。
「血の跡を見たら、姉御さんがすごく悲しむわ。痛かったろうって、想像しちゃうもの」
それを聞いた薬師様も、掃除を手伝います。眠っている男の手に付いた血も、畳の血も拭い、ズボンも脱がせて隠しました。
やがて、体を洗った二人は、どかどかと団子屋の部屋へ侵入すると、勝手に箪笥から服を物色して居間へ現れました。
「あらぁー、団子屋さんの服、ヒコナさんには小さいし、姉御さんには大きいわね」
シャツの前を開けたままのヒコナと、ぶかぶかのTシャツを着た姉御を見て、りょうちゃんが笑いました。今のところ、駆けつけて来て何をするでもなく、家主の服を漁っただけの二人は、早速団子屋の側に寄って顔を覗き込みました。目の見えない姉御に、ヒコナが隣で様子を説明しています。
「うーん、穏やかで力強い息づかいだし、平気そうで良かった。とにかく、薬師様、ありがとう。詳しく聞く前に、団子屋を布団に運んでもいいかな? 動かして大丈夫なの?」
姉御に尋ねられた薬師様は、こくりと頷きました。
「じゃあ、隣の座敷に布団を敷くか」
この家に居座ったことがある姉御は、勝手知ったる何とやらで、隣の座敷に布団を敷きました。
「我が運ぼう」
団子屋に手を伸ばした姉御を制したヒコナは、そっと団子屋を抱え上げると、ゆっくりと布団へ運び横たえました。布団で状態をチェックした薬師様が頷くと、一同は静かに居間へ戻ります。
毛布を手にして戻ったりょうちゃんは、それを部屋の隅で寝ている男に、そっと掛けました。
「それは誰なのだ? 我は会ったことが無い」
ヒコナが切り出すと、全員が同じように首を振りました。団子屋の大学時代の友人なので、顔を知っているのは、ひと悶着あった時に居合わせたカイザーたぬきと秋太たぬきだけです。
「おい、何で隠れてるんだ。出て来い」
突然、姉御が天井へ向かって話しかけました。不思議に思った面々が天井に目を向けると、どこにいたものか、ケサランパサランがふわふわ降りて来て、姉御の肩にとまりました。
「何? 何も出来なかったって? 何言ってるんだ! お前が知らせてくれたおかげで、団子屋を助けられたんだ。本当に、ありがとう。お前、台風祭りにも参加せずに、団子屋についていてくれたんだな……助かったよ。誰も怒ったりしないし、皆感謝しているよ。すぐに気付いてやれなくてすまなかった」
そっとケサランパサランを手に持った姉御は、ふわふわと自分の頬に擦りつけました。ありがとう、ありがとう、と言いながら、何度も頬ずりすると、ケサランパサランは元気を取り戻したようで、重力を無視して姉御の体中を転げまわりました。
「ケサランちゃんは、責任を感じていたのね? 一人きりで不安だったでしょうね。台風のせいで上手く助けが呼べなくて、辛かったわね」
りょうちゃんは、悲しそうにケサランパサランを見つめました。
「そうだな。きっとお前は、団子屋が怪我をする前から知らせてくれていたんだろう。俺は気付いてやれなくて、結局団子屋は怪我をしてしまった。でもな、そういうこともあるもんだ。世の中は、思うようにならないことのほうが多いし、それを自分のせいだと責める必要はない。今回、お前は精一杯やってくれて、薬師様が間に合った。それでいいんだ」
優しく言った姉御でしたが、何か気になることがあるのか、不審気に首を傾げています。
その表情に気付いたヒコナは、そっと姉御の肩に手を載せました。
「姉御殿、何か気になるのですか?」
ヒコナに促されて、姉御は考えるように首を捻ってから口を開きました。
「カイザーはどこだ? お宿には居なかったよな……あいつは大丈夫なのかな? 何かあったのかな?」
「それもそうね、どこかで怪我をしていたら大変だわ。ちょっと、家と蔵をみてくるわ」
姉御の疑問を聞いたりょうちゃんは、にゅっと壁をすり抜けて消えて行きました。
「春子に聞いてみるか」
電話を出した姉御は、小声でしばらく会話をしてから、電話を切りました。
「春子が、カイザーはカノさんの所へ行っていたけど、とっくに家に戻ってると思っていたって言ってる。ちょっと電話帳で調べて、電話してみるか……うーん、老人は寝ているかもしれないから止めたほうがいいか」
首を振る姉御の耳元に、ケサランパサランが止まりました。
「おぉ、カイザーたぬきは帰って来なくて、ずっと留守だったって? そうか、良かった。この件とは無関係なんだな?」
戻って来たりょうちゃんからも、カイザーたぬきがこの一件に巻き込まれた様子は無いと報告されて、皆でほっと胸を撫で下ろしました。
「良かったとは言っても、カイザーが居ないのは、それはそれで問題ではないのか? 今日は、春子と秋太がバイトで家にいないと解っているのだから、カイザーは団子屋が一人きりになるのを解っていて、家を空けているのだろう? こんな台風の夜に、軽はずみではないか? 土地と団子屋を守るたぬきなのであろう?」
ヒコナの厳しい言葉に、他の面々は、黙って頷くしかありませんでした。
「まぁ、カイザーは問題だな。余程の事情が無い限り、俺がぶっとばすからいいとして……そろそろ何があったのか、ケサランパサランに教えてもらおう。流暢にはしゃべれないから、ゆっくりとな。時間はたっぷりあるし」
姉御の言葉を聞いたケサランパサランは、ふわふわと姉御の頭の上に止まりました。
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