49話 礼一と姉御

「礼一さんが姿を消して、もう丸二日経つわねー。車もそのままだし、どこで何をしているのかしら。病み上がりでご飯も食べずに、体に良くないわー」

お宿のロビーで、りょうちゃんがわざとらしい大声を出しました。側のソファには、姉御が座っています。

「だよね。探した方がいいよね」

座敷グレイもりょうちゃんに同意しながら、横目でチラチラ姉御の様子を伺っています。

「もう、山の夜は寒いでやんしょ? 野宿した日にゃあ、凍えちまいますぜ」

脚立に登って、切れてもいない電球をいじっていたカエルのお頭も、姉御をガン見していました。


「あ――――、うるせぇ! 何なんだよ、お前ら。朝から入れ代わり立ち代わり、俺の側で礼一、礼一、騒ぎやがって! うぬぅぅぅぅぅ――――!」

突然、姉御が吠えました。

「お前がうるせぇ~~~~!」

姉御の肩にいた大福ねずみが、姉御の頬にしっぽムチをくらわせました。ギンッと己の肩に閉じた目を向ける姉御に向かって、大福ねずみが言葉を続けます。

「姉御も心配でしょうがないくせに~。上着もズボンも裏返しで、頭の手拭いなんか、前で結んじゃってんじゃねーか。どんだけ、上の空なんだよ。意地はってないで探しに行けよ、馬鹿!」

耳元で怒鳴られた姉御は、無言で肩から大福ねずみを降ろすと、上着とズボンを着直しました。


「あら、姉御ちゃん。大人なんだから、もっと色気のあるパンツ履かないと駄目よ?」

偶然、ズボンを脱いだところに通りかかったバーママが、眉根を寄せながらいらぬアドバイスを繰り出しました。

「何だよ、もう! 皆の馬鹿――――――!」

パンツにまで物申された姉御は、我慢の限界を超えたようで、お宿を飛び出して行きました。

 

 闇雲に山に分け入った姉御は、立ち止まって辺りに人の気配が無いことを確認してから口を開きました。

「ケサランパサラン……礼一がどこにいるか分かる?」

すぐに、さわさわと、何匹かのケサランパサランが降って来ます。ふわふわ浮いているだけでしたが、姉御は黙って頷きました。

「意外なところにいるんだな……ケサランパサラン、ありがとな!」

姉御は再び、走り出しました。


 目的の場所に近づいた姉御は、勢いを殺して立ち止まりました。気配を探るように顔を上にあげると、気合いを入れるように自分の頬を両手でパチパチ叩いてから、茂みを押し分けて前に進み始めます。

 そこから先に進めば、姉御にとっても思い出深い、半月の滝の上に出るはずです。

「……ん? あぶばばばばばばばば」

お決まりのように滝の上で目測を誤った姉御は、浅い滝壺にドボンと落ちて、滝をくらってしまいます。


 半月の滝の滝壺の横には、礼一が腰掛けていました。

 突然、眼前の滝に現れた姉御を見て、礼一はため息を吐きました。

「……何をしているのです?」

冷静に突っ込まれた姉御は、黙ったまま地上に上がり、岩に寄りかかって座っている礼一の隣で立ち止まりました。

「いや、別に……滝に打たれる修行的な」

「……そうですか。終わったなら、一人にしておいてもらえませんか?」

礼一のぶっきらぼうで憔悴した声音を聞いた姉御は、ボリボリと頭を掻いてから、ため息を吐きました。

「じゃあ、帰るわ」

そう言って、一歩二歩と足を踏み出した姉御が、はたと歩みを止めました。

 礼一が、姉御のズボンの布を指でつまんでいます。

 それに気付いた姉御は、黙ってその場に座り込みました。


「俺は、上手く慰めたりできないと思う。でも、お前が俺を引き留めてくれたなら、真剣に話を聞く。きっと、酷いことも言うと思うけど、嘘は吐かないぞ」

礼一は、頷きました。

 少し離れて座った二人は、顔を合わせることも無く、何を見るでもなく、黙って半月の滝の音を聞いていました。ここは姉御にとって、大福ねずみの心に触れ、宝物をもらった特別な場所です。二人で心底泣いて笑った時から、まだ一年経っていませんでした。

「……団子屋さんの話を聞いてから、私はすっかり気力が無くなってしまいました。最初は、羞恥心や怒り、悲しみ、絶望、色々な感情が目まぐるしく襲って来たのですが、三日もすると、ただただ、体中から力が抜けてしまったような感覚だけが残りました。体が重くて動かないような、逆に、体重が無くなってしまったような……腑抜けとは、言いえて妙ですね」

礼一が自虐的に少し笑うと、姉御は立ち上がって礼一のすぐ隣まで移動してどすんと地面に座ります。


「充分に腑抜け感は伝わってるし、もともと、お前をそんなに立派なやつだなんて思ってないから、自分を馬鹿にしなくていい。だから、何で腑抜けたのか教えてくれよ」

少し怒ったように、ぶっきらぼうに言った姉御の顔を、礼一はじっと見つめました。

 隣で、礼一の方へ体を傾けながら耳を近づけている姉御の姿は、目が見えない分、耳で全ての情報を感じようと必死になっているように見えました。そして、今まで見たことも無いような、不安げな顔をしていました。それに気付くと、礼一の気持ちが少し楽になり、自然と口が開きます。


「団子屋さんが、物心ついたときから自分に自信がなかったって言ったでしょう? 自分で何もせず、人に助けられてばかりだった気がするって。それが、私のせいかもしれないって思ったんです。前世の記憶は無くとも、何か引きずるものがあったのでしょう。

 最初に出会った前世で、ただ耐えていた団子屋さんを、私が勝手に助けて死んだのだから。その後もそうです。勝手に人生に介入して、助けて、守って来た。構わずにはいられなかった。そしてそれが、悪い影響を与えてしまったんだ」

 礼一の話を聞いて、姉御は眉根を寄せました。去年、礼一から聞いた前世の話を思い出します。両親に虐げられ、父親に殺されそうになっていた団子屋の前世を、礼一の前世が助け、死んだという話でした。


 礼一の前世は、神に仕える仙人になろうと、百年以上も山で修行して、もうすぐ望みが叶うというところで、団子屋の前世である女を助けたのでした。その時、女の体に触れると言う世俗的な行為をしたことにより、仙人としての力は失われ、肉体まで消滅してしまったとのことでした。

 問題はここからで、助けてくれた者が自分のせいで消滅すると悟った女は、来世で再び男に生まれて来て下さい、私を嫁にして下さいと約束を持ちかけたのでした。それを聞いた礼一は、ずっと人間の男として生まれ変わっているようですが、女の方は人間にすら生まれ変わって来たことがなく、長らく礼一は、クワガタだの、魚だの、クワガタだのに生まれ変わった女を探し出しては、ひっそり寄り添い、守ってきたのでした。


「そうだな、そんな風に思うのは自然なことだと思う。でも、前世の話自体、何か違うとは思うけど」

きっぱり言い放った姉御の言葉に、礼一はぴくりと反応して、項垂れていた頭を上げました。

「何か違う? 何が違うんです? そんなこと、あんたに解るんですか?」

礼一は声を荒げました。姉御はそれをものともせず、冷静な口調のまま再び口を開きます。

「一つだけ解ってることがある。礼一が思っているほど、その女との約束に価値はないんじゃないかってことだ」

それを聞いた瞬間、礼一は姉御の胸ぐらを掴み、ぐいっと引き寄せました。

「解ったようなことを! お前に、解るわけないだろ!」

大声で怒鳴りつけ拳を振り上げましたが、目を閉じた姉御の顔を見た礼一は、その拳を振り下ろせずに止まってしまいました。


 拳の気配を感じているはずの姉御は、それに歯向かうようにきつい口調で続けます。

「下らない約束を特別だって思い込まないと、お前が自分を保てなかっただけだろ!」

姉御の言葉を聞いた礼一は、止めていた拳を振り下ろしました。

「特別だろうが! 望みと命を差し出して、助けた女とした約束だぞ!」

 姉御の頬を容赦なく襲った打撃は、首をしならせ、口の端から血を溢れさせました。


 即座に顔を戻した姉御が、バネが戻るように、礼一の頬に拳をぶち込みました。

 礼一は派手に地面に転がり、その上に姉御が馬乗りになります。


「仙人の長い修行すら一瞬で駄目にしてしまうほど、それはそれは尊い出会いと約束がありましたって、ずっと自分に言い訳してきたんだよ、お前は! 仙人になれなかったのは、運命の出会いがあったのだから仕方がないんだって!」

姉御は上から礼一の顔に己の顔を近づけて、至近距離で怒鳴りつけました。それに激高した礼一は、姉御に頭突きをかまします。


「彼女が言ったんだよ、俺の妻にして欲しいと! お互いに、運命の相手だったんだ。初対面で、化け物のような姿をした俺でも、彼女は受け入れてくれた。心が通じたんだ!」

 まともにくらった姉御は一瞬上体を逸らせましたが、がばっと頭を戻しながら礼一の胸ぐらを引き寄せると、再び顔面に拳を打ち下ろしました。肘でつっぱって耐えた礼一が、負けじと姉御の頬に拳をぶち込みます。


 衝撃で礼一の横の地面に転がった姉御は、一呼吸置くように大きくため息を吐いてから、やけに静かで優しい声で話し始めました。

「仙人の修行が駄目になったのは、お前が優しさを捨てきれなかったからだろ。女を好いたからじゃなくて、ただ可哀想な女を助けてやりたかったんだ。それはそれで、すごいことじゃねーか。女だって、愛情なんて感じちゃいないよ。罪悪感から出た、思いつきの約束だ。そんなもんにすがる必要なんてないだろ。

百年以上、人外の生活を送っても優しさが残ってたなんてすげーよ。そういうとこ、仙人なんかより、俺はかっこいいと思うし、好きだけどな」


 礼一が、がばっと姉御の方を向いて上体を起こします。また殴られると思った姉御がきつく目を閉じて備えると、胸の辺りに静かな重さを感じました。


 礼一は、姉御の胸に額を押し付けて歯を食いしばっていました。

 姉御がおずおずとその背中に手を回すと、ふっと力を抜いた礼一の頭の重みを感じると同時に、嗚咽を堪えるような肩の震えが伝わって来ました。


「ずっと考えてたんだ。礼一が前世のことで悩んでいたから、何度も色々考えた。そして思ったんだよ。お前は女のことばかり覚えているけど、そもそも、百年以上もの厳しい修行に耐えた程、仙人になりたかった理由ってなんだったんだろうって。きっと、ものすごい覚悟と思いがあったはずだろ? なぜお前は、そんな大事な思いをすっかり忘れてしまって、女のことばかり覚えているんだろうって不思議に思った。

そう考えると、本当はそれこそが、お前にとって重要な願いだったんじゃないかと思うんだ。大事過ぎて、思いを遂げられなかった悔しさや罪悪感から逃れるための言い訳として、特別な女との約束に固執してたんじゃないのか? だから本当は、お前が忘れてしまったことこそが、特別な望みと尊い気持ちだったんじゃないか?」

 滝の水でびしょ濡れの姉御の胸に、温かい液体が染み込んで行きます。次から次へと、礼一の涙は流れ続けているようでした。


「そんな、こと……考えたことがなかった……」

 それきり、姉御も礼一も、言葉を発しませんでした。


 姉御は、礼一の涙を感じます。

 礼一は、背中に姉御の優しい手を感じます。


 殴り合いの間、耳からはじき出されていた自然の音が、いつの間にか戻って来ていました。優しい滝の音を聞いた姉御は、礼一の悲しみを思い、しこたま殴られて熱を持った頬を涙で濡らしていました。そして、この場所ではよく泣くなぁ、と、優しい滝の音を聞きながら思ったのでした。

「そういうことは、二千年ぐらい前に言って欲しかった……」

「知らねーよ……」

二人はそれきり黙って、長いこと同じ姿勢で動かずにいたのでした。


 涙が止まったであろう礼一が、顔を伏せていた姉御の襟元で、びーっと鼻をかみました。

「てめぇ……」

「宿に帰る。お腹も減った。でも体中痛い」

子供がぐずるような礼一の言葉を聞いて、姉御は呆れたように少し笑いました。そして、礼一を抱えたままケサランパサランに合図を送ります。

 ざわっと集まって来たケサランパサランが優しく二人を包み込み、満身創痍の二人は、ふわふわ、ふわふわ、お宿への道を運ばれて行きました。



 お宿へ到着すると、顔面を腫らした二人の姿を見たお宿の面々は、驚愕の表情を浮かべます。

「マジかよ~野蛮人かよ~。礼一、死んでくれよ~頼むよ~」

姉御の腫れた顔を見た大福ねずみが、無表情で何度も同じことを言いました。


「何だよ、お前らだって馬鹿みたいに心配してたろ! 連れて帰って来たんだから、喜べよ」

姉御が腫れ上がった口を尖らせると、皆は渋い顔を見せました。まさか、男の青春よろしく、ボコボコに殴り合って拳で語り合うとは誰も想像だにしていませんでした。

「おみそれしやしたっ。礼一さんと姉御さんの友情が、ここまで深いものだったとは」

カエルのお頭が、ふるふる震えながら感動しています。

「や~め~ろ~! そういうの、調子に乗るから~!」

大福ねずみがカエルのお頭にしっぽムチを叩き込んだところで、礼一のお腹が鳴りました。

「お腹が、減った……」

「……飯作って来る」

ぽつりと言った礼一に姉御が応え、さっさと台所へ歩いて行ってしまいます。

「はいはい、礼一さんは、あっちの部屋で薬師様に治療してもらいながら待ちましょうねー」

りょうちゃんがそっと背中を押すと、礼一は黙って従いました。


 礼一の姿が見えなくなると、遠巻きに見ていた座敷グレイがやって来ました。

「ところで礼一さんは、何があって元気が無くなって、家出までしたの?」

最もな疑問でしたが、事情を知らない皆はただ首を傾げるばかりです。

「しらね。でも、派手に殴り合って解決したんだろ~」

呆れたような大福ねずみの言葉に、皆も何となく納得の表情を浮かべています。


「のわぁ~~~~~~、姉御殿の麗しいお顔ぐわぁ~~~~! 誰にやられたのです~~~~、殺します、殺しますぞ~~~~」

台所の方からお宿全体へ、ヒコナの悲痛な悲鳴が響き渡りました。


「うーん……あれが正しい反応かもね。姉御さんも一応、女の子なんだよね。礼一さんも、よくぞ殴れたもんだよ」

座敷グレイが、案外まともなことを言いました。

「そうだな~、でも、姉御だしな~。しかも、礼一だしな~。なんだろな、あいつら。何でもありな感じだよな」

大福ねずみは同意を示しつつも、礼一と姉御の強い絆を感じずにはいられませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る