43話 昔の資料
ヒコナは、水を二杯持って来ました。ワサビ液でダウンしていた礼一と、笑いで呼吸困難だった御タケ様が飲んで、落ち着きを取り戻しました。
「何か、内臓がウカウカした感じで……」
礼一が、顔をしかめて舌を出しました。
「内臓がウカウカって、」
再び笑いそうになった御タケ様の後頭部を、姉御がスパンッと叩きました。
御タケ様が咳払いしてから、すみません、と謝ります。
「春子の罰は置いといて……礼一は、根を詰めすぎだぞ。ヒロシ君が持ってきた、遠藤行者の伝言を気にしてるのか?」
姉御が、机の上に積み上げられた和綴じ本の山を見やりながら声を掛けました。
「えぇ、まぁ、そうです。誰か死ぬかもしれないと言われてしまえば、根も詰めますよ」
礼一の言葉に姉御も頷きましたが、思い直したように顔を上げて口を開きます。
「調べもので根を詰めすぎて、お前が死ぬのかもしれないぞ」
姉御の言葉に、御タケ様が吹き出しました。
礼一は、笑い上戸の父親を、渋い顔をしながら睨みました。
礼一に睨まれた御タケ様は、笑いを収めて一つ息を吐いてから、ぐるっと部屋を見渡します。
「ここの記録は、おおよそ頭の中に入っています。団子屋さんの予知夢を参考にすると、二百年以上前の、八朔の襲撃に似ているのじゃないかな?」
御タケ様の話を聞いて驚いた顔を見せた礼一が、和綴じ本を一冊開いたまま皆の真ん中へ投げ出しました。
「これですね……流石、御タケ様と言ったところでしょうか。
礼一の説明に、御タケ様が難しい顔をしました。
「しかし、団子屋さんの予知夢では、襲撃は日中のようだね」
御タケ様の言う通り、団子屋は、青空の一部が真っ黒い雲で覆われたと言っていました。
「まぁ、今回は日中だとしても、昔の時の襲撃の様子は書かれていたのか?」
文献が読めない姉御は、どっかりと床に腰を下ろしながら尋ねました。
礼一は、本のページをめくって御タケ様の前に押すと、自身は姉御の方を向いて話し始めました。
「書かれている様子は、だいたい団子屋さんの予知夢と一緒でした。渦巻く黒い雲と、強い風、小さき無数の邪が押し寄せた、とありました。その時も土地守の予知夢があったものの、予想よりも早い襲撃に準備が間に合わず、当時の御タケ様が命と引き換えに大技を繰り出して退けたようです」
礼一の説明を聞いて、姉御は口を大きく開けたまま、御タケ様の方を向きました。礼一も、じっと御タケ様を見つめます。
「ま、まぁ、最悪、準備が間に合わなかった時は、私が命と引き換えにすればことは収まるという考え方も出来るね」
御タケ様は、自分が死ぬことは置いておいて、ポジティブな意見を繰り出しました。その意見に、礼一が頷いています。
「そうですね。遠藤行者の誰か死ぬかもという予言が父のことを言っているのならば、まぁ、そんなに心配する必要はないですね」
実の父である御タケ様に冷血な同意をすると、何食わぬ顔で、御タケ様に、ね、と同意を求めました。
御タケ様は礼一から目を逸らして、姉御の耳元でこそっと囁きます。
「私は、まだ礼一に嫌われているのかな?」
その呟きに、姉御が渋い顔をして首を左右に振って見せました。
「いやいや、嫌われてはいないでしょ。あなたの息子は、ちょっとフォローしきれないから聞かなかったことにするとしても……今回は、十分準備出来るんじゃないか? 礼一も俺も、たぬき三兄弟もいるし」
話を逸らした姉御に、礼一も御タケ様も、不安をにじませたような顔で頷くと、それまで黙って聞いていたヒコナが、おずおずと口を開きました。
「朔月には、邪の力が増すものだ。術者ならば、昔から朔月の備えはしているはずだ。昔の文献で朔月とは書いてあるものの、予想よりも早い襲撃で準備が間に合わなかったということは、朔の備えが済む前に襲撃があったと言うことだろう。朔月の襲撃は夜だろうという思い込みがあったのかもしれん。
くどい説明になったが、つまり、日が暮れる前に襲撃が始まったと考えれば、団子屋の予知夢とも合致する。なれば、昼のうちにすっかり準備を整えれば、御タケ様が死ぬこともないであろう」
まさかのヒコナが、御タケ様への優しさを見せました。
礼一と御タケ様は、なるほどね、と頷きながら、準備に思いを馳せているようです。
「あれだ、日にちも時間も、どんなのが来るのかも大体解ったんだから、今はとにかく、夜の散歩に行くぞ! みんな待ってる」
姉御の言葉に、礼一も御タケ様も首を傾げました。それをもどかしく感じた姉御は、右手をばっと上げました。すると、ケサランパサランがわらわら現れて、あっという間に四人を蔵の外まで連れ出すと、夜空へと浮き上がりました。庭にいた家人が、驚いた顔で大口を開けて空を見上げています。
「大事ない! 散歩してくる!」
御タケ様が家人に向かって怒鳴ると、こくこくと何度も頷いたようでした。
問答無用で空を登るケサランパサランの塊の上で、姉御は上着を羽織りました。ヒコナから毛布を受け取った礼一と御タケ様も、取りあえず成すがままの体で、連行されて行きます。
「御タケ様も、誘拐してきちゃったなーハハハ」
嬉しそうに笑う姉御を見て、御タケ様も穏やかな顔で笑いました。
「散歩? 皆? どういうことです?」
上空の風を毛布で防ぎながら、礼一が尋ねました。
「ケサランパサランの提案で、皆で山の頂上の大岩の上で星を見ることになったんだ。皆、もう着いてるだろうな。食い物やら酒やら持って行ってるだろうから、礼一は何か食えよ。あんたは元々細っこいのに、もやしになっちゃうからね!」
オカンのように言った姉御に、礼一は口を尖らせて渋い顔をして見せました。
そんな様子を微笑ましく見ていた御タケ様ですが、何かに気付いたように、ふと眉根を寄せました。
「姉御さん……ケサランパサランの提案と言ったかな? 以前から、意思は伝わっていたようだけれど、言葉が解るのかい?」
御タケ様の質問に、姉御は軽い調子で頷きます。
「うん。目が見えなくなってから、声も聞こえるようになったんだ。今も、頂上が見えたよって言ってるよ」
明るい月の光に照らされて、山の輪郭は益々青黒く見えました。頂上の大岩も、しっとりと水分を含んでいる様な黒い姿を湛えています。その上に、心もとない、小さな光が三つ程輝いています。近づくにつれ、それは仲間が用意したLEDのランタンだと解ります。
「暗闇の中でも、小さな光を目指せば見知った皆がいる。姉御殿、我は、何か嬉しいような、悲しいような気持ちがします」
ポツリと呟いたヒコナの肩を、姉御が優しく叩きました。
「皆いるから、着いたら楽しいぞ。お前だって、楽しくなっていいんだ。悲しくならなくていいんだよ」
悲し気だったヒコナの表情が、すっと和らぎました。悲しい過去から来るものなのか、ヒコナには、自身の喜びに対する罪悪感があるようでした。
御タケ様は、そんな二人の様子を見て、何事か問いかけようとして開きかけた口を噤みました。
「まずは、土地の襲撃を食い止めましょう。他のことは、その後に……」
何かを察した礼一が小声で囁くと、御タケ様も礼一を見て真剣な顔で頷き、再び頼りない頂の光に目をやりました。
大岩に到着すると、見慣れた面々が、歓声を上げて迎えてくれました。
「御タケ様も、誘拐してきたぞー」
姉御が言うと、どっと盛り上がった皆は、さっそく御タケ様に酒を勧めています。コップを渡すりょうちゃんの横から、クマズのどれかが走り寄って来ました。
「御タケ様―、見て下せぇー、この電灯、一個はCリーダーなんですぜー」
クマズがCリーダーをぐいっと引っ張って、御タケ様の目の前に差し出します。
「あははははははははっ」
クマズの思惑通り、御タケ様は大声で笑いました。お宿の面々では、御タケ様の笑い上戸は周知の事実のようです。
酒を飲みながら楽しむ面々の端で、団子屋とカイザーたぬきが、黙って星空を見つめています。バーママに酒を勧められて絡まれているヒコナと、おにぎりを頬張る礼一の姿を確認してから、姉御は団子屋の元へ向かいました。お山の頂上の大岩は、お宿の面々が座っても、まだ十分に余裕がありました。
「カイザー、星空はどうだ?」
隣に座った姉御に、カイザーたぬきは目を輝かせた顔を向けました。
「最高じゃ。宇宙にいるみたいじゃ。夜にお山の頂上で星を見るなんて、考えたこともなかったぞ」
嬉しそうに夜空を見上げるカイザーたぬきを、団子屋も笑顔で見つめています。
「そうか。俺は、ぼんやりとしか解らないけど、すごいんだろうな。目が見えるようになったら、また来よう。その時はまた誘うよ」
姉御の言葉に、カイザーたぬきが力強く頷きました。
「姉御さんは、見えなくて残念ですね」
団子屋が申し訳なさそうに言うと、姉御は少し笑って首を横に振りました。
「いや……目を閉じて耳を澄ませると、皆の気持ちまで伝わって来るみたいに感じるんだ。細かいことまで見えなくても、こういう雰囲気を感じるのはすごく幸せだ。目が見えないのも、悪いことばかりじゃないよ」
姉御の言葉に、柔らかな表情で頷いたカイザーたぬきと団子屋でしたが、後方で騒ぐ大福ねずみの声を聞いて、一気に真顔に戻りました。その気配を感じた姉御が、渋い顔をしながら口を開きました。
「大丈夫だ。大福が、バーママの胸の谷間ではしゃいでいる様子は認識している。いつものことだ。大福を預かったお前らのせいじゃないぞ、安心しろ」
姉御は、結構細かいところまで見えているようです。
もし誰か、下からお山を見上げていたならば、目をこすっていたことでしょう。ケサランパサランが集まったお山の頂上は、季節外れの雪化粧のようでした。
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